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●神社の造形―河合神社の鏡絵馬
びるために女性が化粧するのではないだろう。みんながしているからする、つまり常識にしたがっているというのが消極的な理由だ。男性でも眉毛の手入れをするなど、美顔に心がけることは珍しくない。



●神社の造形―河合神社の鏡絵馬_d0053294_1523727.jpg筆者は朝顔を洗う時、水で洟をかむが、その時、柔らかい洟糞が洗い流されず、額や頬に少しこびりつくことがよくある。鏡を見ればわかるかもしれないが、毎朝顔を洗った後に見ても1,2秒だ。そして10分ほどして、何気なしに額や頬を触ると、洗顔時に洗い流されなかった粘着性の強い洟汁がこびりついていることに気づく。時にはそれに気づかないまま外出することもあるはずで、知らず知らずのうちに人に笑われているだろう。似たようなことは高齢者に多い。本人は気づかないから教えてやればいいが、ありがたがられるとは限らない。男は女より鏡を見る時間が少ないから、どうしても清潔感ある身だしなみは劣るのではないか。筆者が鏡を見ることがほとんどないのは、人に会う機会が少ないからだ。勤め人ではそういうわけには行かない。人に会うというのは、地元住民は含まれない。そういう考えが家内からすればまず駄目で、家の外に一歩出ることは、外出で、近いところか遠方かは、基本的には区別すべきでないと考えている。だが、筆者は地元を歩く時はほとんど恰好をかまわない。贋物のオレンジ色のクロックスを履くが、家内はそれをいつも遮る。不恰好なことはするなというわけだが、面倒臭い。そういう積み重ねが次第に垢となって身にこびりつき、だらしない老人になって行くのだろう。服装や履物を見栄えよくするのが面倒であれば、毎朝鏡を覗き込む時間が1,2秒であることは納得出来るだろう。これを逆に考えると、毎朝鏡の中をせめて30秒確認すると、地元を散策する時も多少は身だしなみに気をつけるだろう。つまり、何事も朝起きた時の洗顔が第一で、それは女性も同じはずだ。女性は顔を洗った後に化粧する時間があるから、自分が他人からどのように見えているかを男の何倍も気にかけている。それは美しくありたいという積極的な思いから、せめて汚れた女と思われたくないという消極的なものまであって、双方の比率は高齢になるにしたがって後者が増えるだろう。それはさておき、男は40になれば自分の顔に責任を持てと言われるが、女の場合はどうだろう。40になれば女もそれなりに顔つきがしっかりするはずだが、女は男以上にしっかりする必要はなく、ただ美しければよいといった男性側の勝手な意識が、男は40になれば云々の言い回しになっているのではないか。それもあるが、やはり男は化粧して美しくなることを目指すのではなく、経験や自信から自分の顔を作って行くべきであるとの考えによる。それでも額に洟汁の固まったものをこびりつけていては、どのようなしっかりとした顔でも台無しだ。つまり、経験や自信から来る内から湧き出る表情とは別に、身だしなみにも気を配れということだ。
●神社の造形―河合神社の鏡絵馬_d0053294_1525724.jpg

 16日に下鴨神社での納涼古本市に出かけたついで、あるいは同神社の本殿などを見ることが第一の目的であったかもしれないが、古本市の店舗を半分見たところで大きな雨粒が降って来た。それで残り半分の店を見ずに糺の森を後にすることにした。傘は折り畳みのものを家内が1本持っているだけで、それを家内とふたりで使うと、ふたりとも体の半分は傘の外に出る。バス停までは100メートル以上ある。それでしばらく雨宿りすることにした。ちょうどいい具合に神社の門の庇が目の前にあって、そこに5,6人がすでに雨宿りしていた。その仲間に混じって初めて気づいたが、それは河合神社で、糺の森の南西端に位置する。門から中を覗くと、境内は正方形に近い。一辺が40メートルほどか、梅宮大社よりは大きい。門を入ってすぐ左に売店があり、ガラス戸の内部は多くの種類の記念品などが売られているのが見えた。雨宿りであるから、わざわざその中に入る気はなかった。どうせ何も買わないからだ。その建物の出入り口の前、つまり門から5,6メートルのところに、台があって、そこに女性用の手鏡の形をした木製の絵馬が並べられていた。現代的なイラストで、その片面に女性の目鼻口が印刷されている。裏面は赤地に双葉葵と「河合神社」の文字だ。若い女性はその絵馬を買ってそこに自分の化粧品で色づけする。化粧品を使うというのがよい。それを持っていない人は門から右手の休憩所の建物内に置かれている色鉛筆を使う。数人が熱心に描いていた。また雨だが、若い女性が10人近く、本殿付近などにいた。みんな古書市ではなく、この河合神社で鏡絵馬を奉納することを目的に訪れていたようで、筆者はそれまで知らなかったが、近年人気が出ている神社ではないだろうか。「河合」は「可愛い」に通じて覚えやすい。そのことで鏡絵馬を考え出したのかもしれない。祇園の八坂神社には美容水が涌くという社があって、やはり若い女性に人気があるが、河合神社もきれいな水には事欠かないはずで、女性が美しくなりたいという願望を願うことに御利益があるというのは、でっち上げとは思えない。鏡絵馬のイラストはここ数年に原画が描かれたものに見えたが、それが筆者にはいささか不満で、昔はもっと違ったのではないかと思う。現在のものは、純日本的ではない。目が吊り上がりながらも大きい。それが現在の日本の若い女性の願望に沿っていることはわかるが、神社であるからにはもう少し古風を重んじてほしい。筆者が鏡絵馬に期待する女性の顔は、ほとんどこけしの表情と同じものだ。だが、今やそういうこけし顔の女性はきわめて珍しい。実際にそのような顔であっても化粧で目を大きくし、西洋人形のような顔に化ける。そういう時代であるから、河合神社の鏡絵馬の顔も基本は西洋風の女性の笑顔となった。神社も時代の風潮に合わせて行くべきで、現在の鏡絵馬の顔もやがてまた変わるに違いない。今日の最初の写真は先に書いた絵馬を並べる台で、2枚目はその台の前から北を向いて撮った。門は南にあって、門からやや東を向くと2枚目のような眺めだ。手前にあるのは境内の中央にある舞殿か拝殿で、金色の吊り灯籠がずらり並んでいるのが印象的で、また女性向きで華やかだ。写真左奥に鏡絵馬をびっしりと並べる壁面があるが、これは本殿の脇の飾り棚で、その一部を撮ったのが3枚目だ。どの絵馬も化粧を施され、違う顔になっている。目をより大きく描いたものや髪を豊かにしたもの、頬をピンク色に染めるものなどある中、元の木の色が少し茶色っぽいのか、顔黒の化粧に見えるものが混じる。どの絵馬も逆さまになっているが、これを展示するのは絵馬を買った人ではなく、神社がするのだろう。というのは、写真からわかるように絵馬は取り出せないようになっているし、また2枚目の写真からは、千枚以上が整然と並べられている。飾る場所には限りがあり、新しいものが溜まる一方で古いものと交換するのだろう。2枚目の写真の左端から少し外れた位置に、本物の直径30センチほどの磨き込まれた鏡が台に据えられて置かれていた。筆者はその前から5メートルほど離れて立ち、自分の撮影する姿の上半身を映し込んでシャッターを押しかけたが、趣味が悪いように感じて止めた。それほどにその鏡は古代の鏡そのもので、周辺がごくわずかに歪んで見え、また映る姿は現代の鏡とは違って紗がかかったように味わいがあった。そういう鏡では洟汁の汚れが見えないかもしれない。鏡は神秘的なもので、筆者があまり覗かないのは、何となく恐れを感じているからか。その点、女性は大胆な動物だ。
●神社の造形―河合神社の鏡絵馬_d0053294_153950.jpg

by uuuzen | 2015-08-18 23:59 | ●神社の造形
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