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糺す」は「正す」と同じ発音で意味もそうだが、「糺」が「糺の森」以外で使われていることはめったに見かけない読書家で戦前の書物を読む人ならたまに目に留めるが、「糺の森」を「正の森」に変えてしまうと、何となく落ち着かない。

現在の日本の首相は「まさに」を連発し、その影響を受けてTVのアナウンサーもよく使う人がいるが、そのことに気づいてからは筆者は「まさに」を使わないことにした。それでこのブログでもここ2,3年はたぶん一度も使っていない。「糺に」と書いて「まさに」とは読まないはずだが、では「糺す」は「正す」なのかと思ってしまうが、日本語はややこしい。それはともかく、糺の森では毎年8月中旬に青空の下、古書市が開かれる。今年は妹の家に行くついでに昨日の午後に出かけた。毎年のことだが、必ず夕立がある。昨日もそうであった。大粒の雨が急に降り出し、どの店もと銘なビニールを広げて、本を並べる平台上を覆っていたが、見切り本の場合はどうでもいいのか、店主が素早く動かない場合も目についた。あるいは毎年のことで、すぐに小降りになるか止むことを知っているのだろう。時間があまりなかったので、全体の3分の1ほどの店をざっと覗いただけであったが、古書市全体は例年どおりのたたずまいだ。それはそれでいいのだが、目当ての本を探すのに全部の店を回る体力と時間が年々筆者にはない気がする。それだけ疲れやすくなっていることと、古書市で探さずとも今はネットの方が目的の本を即座に探せるからだ。そうそう、先日ある本が必要になり、アマゾンを見ると5000円ほどで買えることがわかった。だが、筆者はすぐに見たい。つまり、2,3日でも待てない。それでネットの「日本の古本屋」を調べると、1冊だけ売られていることがわかった。しかも京都だ。それで翌日早速買いに行くことにした。ところが、何を勘違いしたのか、てっきり岡崎の神宮前の美術書専門店だと思ってその店の前まで来た時、間違いに気づいた。それですぐに古門前まで歩いてその店を探したが、2,3年前に移転していることは知っていたものの、露地の奥深まったところにあって、小さな看板が目につかない。それで諦めて約束していた時間に間に合わせようと、炎天下を京都駅まで急いだが、神宮前から古門前まで、またそこから河原町三条のバス停まで歩いたので、とても疲れてしまった。それから4時間後の午後5時、どうしても目当ての本を買って帰りたい筆者は、ふたたび古門前まで行った。すると、先ほどは気づかなかった路上の立て看板がすぐにわかった。先ほどはなぜそれがわからなかったのかと言えば、看板はとても小さく、また片面だけで、東から西へと歩くと文字は見えないからだ。ともかく、筆者の記憶どおりの場所に移転していて、露地の突き当りに店はあった。店主と話すのはたぶん4、5年ぶりだ。以前の店では経営が難しく、自宅の庭のようなところに新しく小さな店をかまえた。その主と話すのは今回が4回目だろうか。筆者よりたぶん2,3歳上と思うが、話しやすい人なので話題が広がる。その話の中で聞いて驚いたのは、川端二条通を東に少し行ったところにある有名な古書店が近いうちに閉店し、ネット販売のみになるとの意外なことだ。主は癖のある人だが、美術がわかる人で、ネットでも渋いものをよく売る。筆者はネットでもまた店でも今までよく買って来た。ここ10年、最もよく古本を買ったのはその店だ。2軒もあって、また次々と入荷するので、筆者にすれば大阪の天牛のようにこれからもずっと健在だと思っていたのに、主の体調が思わしくないことで、店舗での経営は続けられないようだ。それで今は半額セールをしているので、今のうちに行くと彫り出しものがあると言われたが、まだ訪れていない。それはともかく、すぐに見たかった本はアマゾンで買うのと変わらない5000円であったが、とにかく見たいと思ったその翌日には手にすることが出来て気分はよかった。

糺の森の隅から隅までを歩いたことがない。8月の古書市は森の中の参道から1本西の道沿いの両側に店が並ぶ。その道の長さは100メートルほどだろうか。南端に古書市の本部があって、そこから北にテントがずらりと並ぶが、北端は毎年同じような位置で、店の数はここ10年の間にほぼ決まったのだろう。筆者がいつもその古書市に行く時は、バス停「糺の森」で下りて50メートルほど南下し、通りを横断して民家に挟まれた道を東へ向かうが、その長さは50メートルほどで、すぐに古書市が開かれている道に出る。それは古書市の店が並ぶ北端で、古書市を巡るにはその北端から南端の本部前までを西側の店を順に見て行き、本部前でUターンして今度は東側に並ぶテントを北に向かって見て行く。昨日は古書市を後回しに、古書市が並ぶ道を横切ってそのまま東へ進み、参道すなわち糺の森のいわば南北を貫く道へと出て、左に折れて赤い大鳥居目指して北上した。森の北の突き当りが神社で、その中に入るのは家内は四半世紀ぶりだと言った。大鳥居の前で撮ったのが今日の2枚目だが、最初の写真は古書市の北端を横切って参道に入ろうとする時にわたる小川で、北を向いた。古書市巡りに疲れたような家族連れが、2,3歳の子どもたちをその小川で遊ばせていた。水は冷たいはずで、またきれいだ。この水は大鳥居の奥から流れて来ている。これも四半世紀前のことだが、みたらし祭りがあって、妹の家族と一緒に息子と家内も参加したことがある。毎年7月中旬から下旬にかけて行われるもので、境内の小さな御手洗池の中を裸足になって進む。そして祠の前に着くと、そこで蝋燭を灯すのだが、水がとても冷たかった記憶がある。穢れを取り除くのはどの神社でも当然のことになっているが、下鴨神社は賀茂川と高野川に挟まれた中洲にあって、昔から水を境内に引くことはたやすいだろう。昨日はその池の写真も撮って来たが、また機会があれば載せる。最初の写真はかなり暗く写っているが、これは「森」であることと、また昨日は曇天であったことにもよる。この写真だけ見れば京都市内とは思えないが、それほどに糺の森は、文字どおり森らしい雰囲気に満ちる。2枚目の写真の大鳥居前すぐの右手に、10年ほど前か、森の一画を発掘して平安時代の遺構を見つけ、それに伴って森を当時の様子に復元したとの立て看板があった。自由にそこを散策出来たが、急いでいたので立ち入らなかった。そこは最初の写真以上に鬱蒼とした森で、原生林というにふさわしい。恋人同士ならいいが、何となく入り込むのは恐いような気もして、またの機会にすることにした。それが早ければ来年8月の古書市だが、さてどうなるか。近隣の住民で早起きな人は朝の散歩で巡っているかもしれないが、筆者がこの神社の近くに住んでいてもたぶんほとんど糺の森とは縁がないと思う。2枚目の写真を撮ったのは、大鳥居の大きさを示す意味と、その向こうの境内の雰囲気だ。軽トラックの後部が見えるが、これは水を散布していた。その痕跡が見えている。運転手は70代後半の小柄な男性で、夏場は毎日水を撒く作業に従事しているように見えた。これは御手洗池があるなど、水が豊かであるからで、また地面が乾いて埃が舞い上がらないようにとの配慮からだが、この写真を撮って30分後には夕立があったので、水を撒く意味がなかったとも言える。だが、そう考えるのは間違いで、夕立はあるかないかは事前にはわからない。それで水撒き担当のその老人は黙々と自分の仕事をこなしただけだ。

3枚目の写真は2枚目の右端の大鳥居の柱の根元に置かれていた「お白石」で、どれも白くて丸みを帯びている。囲いをして網で覆っているので、勝手に取り出すことは出来ない。またそのようなことをする者はいないと思うが、この石をひとり1個ずつ鳥居奥の桶の中に移動させる行事が今年はあったようだ。下鴨神社は21年ごとに遷座をしているとのことで、このことは初めて知った。伊勢神宮の場合は遷座はわかりやすいが、下鴨神社は本殿を21年ごとに造り変えているはずがなく、遷座がどういう形で行なわれるのかわからない。遷座とは神を移すことだが、移すには神の場を変えるから、やはり新たに造り変えるのだろう。ただしそれは伊勢神宮のように全く同じものを隣りの場所に建て直すというものではなく、表向きはそう変わらなくても、新たにする何か行為はするのだろう。21年は木造建築が古びる年月で、常に清らかであることを保つ神社としては、風化した部分を修理するか新たに造り直すかする必要がある。一昨日書いた齋明神社の大鳥居も遷座ではないにしても、ある程度定期的に建て替えているはずで、下鴨神社の21年ごとの遷座も建物のどこかを新たにしたのであろう。それはさておき、お白石は、その遷座の年に鳥居の奥に桶に入れられているものを3枚目の写真のように鳥居の外のある区画に積み上げ、それを今度は参拝者が1個ずつ持って元の桶の中に収めるが、1個運ぶのに500円で、誰でも出来るとのことだ。だが、毎日やっているのではなく、期間がある。全部桶まで運ぶと、また鳥居の外に出して積み上げ、また別の期間に同じことをするようで、ともかく運ぶべき石の全部は3枚目の写真にある。まじないに過ぎないと言えばそうだが、遷座に際して昔から続く行事に500円で参加出来るのはよい。単なる河原の石だが、一旦意味づけすると、それはどこにでもある石ではなく、大切に扱う「お白石」となる。これは神社らしい考えで、祠の中の御神体もそれに似たようなものだ。誰かが書いていたが、その人が少年時代に、地元の神社の御神体がただの石ころであることを知り、ある日それをそっと取り出してほかの石に取り代えても誰も気づかなかったそうだ。つまり、神様など、つまらないというのだが、祠の内部に大切にされているものが石ころではなく、ダイヤモンドの塊であればそれだけありがたいかと言えば、そうではない。日本の考えからすれば、石ころに代表されるごく普通の自然がありがたいということだ。あるいは簡素なものこそよいとの思いで、それは人々の生活に影響している。それゆえ、清貧という言葉が流行ったりもする。ま、そういうことに関係してこの「お白石」を思えばいい。昨日筆者はこの石ともうひとつ面白い石を鳥居の奥に見た。それが今日の4枚目で、神戸の生田神社にもあった「さざれ石」だ。これには初めて気づいた。「お白石」がばらばらで1個ずつ大切に境内に運ぶものであるのに対し、この「さざれ石」は小さな石が集まって岩になったもので、珍しいものなのだろう。だが、写真で見ると、何となくセメントで固めたものにも見え、今後どんどん本物の岩らしくなって行くのではなく、反対に崩れて来るような気がする。そう考えることは不謹慎だが、将来どうなるかは誰にもわからない。御幣をぶら下げた太い綱を巻き、「さざれ石」の横綱だが、「お白石」と対になっているのではないが、大鳥居の内と外にあるこの二種の石は目立つ。もっとも、「お白石」は来年から21年間はまた桶の中で眠るから、「お白石」の方がこの神社では大切であろう。