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●神社の造形―五山の送り火の鳥居形
火のごとく怒ったのではなく、辛そうな顔をして食べたのかどうか、坂口安吾が妻にカレーライスを百皿も出前で注文させたことを先日ネットで知った。



●神社の造形―五山の送り火の鳥居形_d0053294_1393454.jpg一旦言い始めれば頑として聞く耳を持たないことをわかっている妻は何軒かに分けて注文し、持って来させたらしい。その後のことは書いていないが、1皿くらいは食べたのだろう。大半はそのままゴミとなったはずだが、子どもじみた行為で、妻は苦労したであろう。百皿はさすがに多い。十皿なら筆者も注文するかもしれないが、それだけ激烈さが坂口よりましというより、肝っ玉の大きさの差だ。だが、今では夫が妻にカレーライスを百皿無理やり注文させれば、妻はきっと家を出て戻って来ない。それどころか、ドメスティック・ヴァイオレンスとして訴えられるかもしれない。それでも今でも夫にどこまでも従順な妻がいるだろうか。わが家ではどうかと言えば、筆者もかなり無茶なことを言う方かもしれない。その一例が7月31日の満月の夜に愛宕山に登ったことだ。数日前から伝えてはいたが、筆者も半ば冗談のような思いであった。それが、日が近づくと実行しようという思いが強くなり、当日は夕食を食べると、いよいよ出かけるので用意をしろと言った。家内は筆者ひとりで行けと言うが、それでは面白くないし、意味もない。坂口安吾ほどではないが、筆者も決めたとなれば実行する。それにしたがわなければ激しく怒るというのではないが、まず家内は仕方ないと思いながら筆者の望むようにする。それは従順ということだろう。そのことを筆者の周囲の者はたいてい家内がかわいそうだと言うが、人にとやかく言われる筋合いはない。夫婦の仲が悪ければさっさと離婚するし、一緒に暮らすならばそれなりに我慢もしなければならず、またそうした結果に楽しい思いもする。「よくもまああんな苦労をして憐れなことだ」と他人に思われても、本人がよければそれでいいではないか。何が苦労で幸福かは人によって違う。それはさておき、今日は京都の五山の送り火で、家に入れば渡月橋まで行って鳥居の形に火が灯る様子を見たが、午後から出かけ、妹の家に行った。その3階から大文字山その他の送り火がよく見えるが、筆者は面倒なので1階にずっといて叔父と話をした。叔父も長年見て来たので、関心がないと言う。筆者もそうだ。送り火を見ながら死んだ人のことを思い出すのが本当はいいのだろうが、思い出そうと思えばいつでも出来る。妹の家の3階からは鳥居形の送り火は見えない。渡月橋の上からは小さいながら大文字山が見えるが、舟形や妙法、左大文字は見えない。つまり、5つとも見ることの出来る家は市内にはおそらくない。鳥居形は歴史が最も浅いようで、あまり迫力もないが、鳥居の形というのが、何となく似合わない気がしている。送り火はお盆の行事であり、どうしても仏教のものという雰囲気が強い。それで嵐山に住んでからも筆者はもっぱら毎年妹の家で大文字の送り火を見て来て、鳥居形は関心が薄い。だが、愛宕山の千日詣りをした後では少し考えが違う。鳥居形の送り火は地元住民がやるらしいが、その山は渡月橋から見れば愛宕山の裾といったところにある。つまり、愛宕山あっての鳥居形の送り火で、それ以外の形は考えられなかった。ところが愛宕山詣をする人が昔のようには多くなっている今、鳥居形の送り火を愛宕神社の門前の大きな鳥居と捉える人は昔ほどにはいないのではないか。これは後日改めて書くが、先日の千日詣りの帰り、筆者と家内は鳥居本から嵐山まで歩いて帰って来た。そして左手の山に鳥居形があることを知っていたし、また真夜中でもかすかにその形を見たような気がする。山に象られた鳥居を背にどんどん坂を下って丸太町通りに出たが、筆者らの歩いた道は戦前は嵐山から清滝まで走っていた電車の線路道で、戦前ならば五山の送り火の日は、清滝に向かう前方やや右手に鳥居形がはっきりと目前に見えた。そういう効果を狙って山を選び、またどの角度で鳥居を描くかを考えたに違いない。ともかく、その電車道を丸太町通りから登って行くと、やがて真正面に鳥居形が見える。もちろんその電車道から少し左手に入れば化野念仏寺などがある愛宕山への道で、また鳥居本という地名だが、その「鳥居」は化野念仏寺から少し先にある朱塗りの大きな鳥居のことを指すが、目の前の山に送り火の鳥居形もあるから、それも指すだろう。渡月橋の南端辺りからこの鳥居形を見ると、裾の方が少し欠けて見えるが、送り火の日に確認すると、ぎりぎり鳥居の2本の柱の裾が全部見える。そういうことを考えて山のどこに描くかを考えたのであろう。渡月橋からは真正面に見えず、松尾橋の上からは真北に、小さいながら真正面を向くので、松尾大社の鳥居とも関係しているのかという気もする。つまり、鳥居の形でよかったということだ。今日の写真からはわかりにくいが、2枚とも中央にその送り火の鳥居形が写っている。今年はその送り火を見られなかった。烈火のごとく燃える様子は、渡月橋でもよく見えるので、遠いようでも距離はさほどない。何しろ筆者はその山どころか、愛宕山の頂上から歩いて家まで戻った。鳥居本まではちょうどいい散歩の距離だろう。
●神社の造形―五山の送り火の鳥居形_d0053294_1395139.jpg

by uuuzen | 2015-08-16 23:59 | ●神社の造形
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