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●神社の造形―マイ・イナリ
は現代で言えばビルだが、百貨店や大きな社屋の屋上にはよく朱塗りの鳥居と祠が設置されていて、その光景は戦国時代の砦も同じでんかったかと想像する。



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先日書いたように、日本の軍隊が戦時中に南方のジャングルを占領した時、まず祠を置いてそこが神聖な場所であることの宣言と確認を行なった。新しい家に引っ越す際は真っ先に布団か何かを運び入れると聞いたことがあるが、人が寝起きする前にまずお祓いやそれめいた行為をしようということだ。そう言えば筆者がわが家に引っ越して来た時、家内の母が日本酒を持って来て、ガレージや裏庭など、それを撒いて清めのちょっとした儀式をした。まじないに過ぎないと言う人もあるが、新たな場所での新たな生活の始まりに、何らかの心を引き締める行為があっていい。それが昂じると、何か行動する時に縁起かつぎははなはだしくなって身動きが取りにくくなるので、普通の人は特別目立つ行為をする場合に限っている。結婚式がその代表で、キリスト教の教会で行なう若者が増えているが、結婚式以外は教会とは無縁というのであれば、キリストから歓迎される儀式とは思えない。それでも結婚式はウェディング・ドレスと打掛の花嫁姿が常識になっていて、考えてみれば何とも奇妙なことだ。結局は結婚式を商売にする業者の思惑に嵌っているだけのことで、また離婚率が高くなるほどにその業者は儲かるが、そういうことは結婚を前に浮かれる女性には気にならないし、ましてや西洋と日本の神様の前で誓うということも忘れている。すっかり商売に利用されているキリストと日本の神だが、神社には商売繁盛を御利益と称するところが多く、それはそれで理のあることだ。それはさておき、筆者はいつ頃から朱色の鳥居に気づいたかと思うと、物心ついた時にはわが家から100メートルも離れないところに深い赤に塗った木製の玉垣に囲まれた一画があって、何となくそこはあまりじろじろ内部を見てはならないような場所と思えた。たぶん2坪ほどの面積で、また背後と左側は建物の壁とほとんど密着していて、せせこましくて陰気な雰囲気であった。そのことを思い出すと、自分の子ども時代に一気に引き戻されそうな気がするが、10年ほど前か、何かのついでその社を見に行くと、赤の色合いは変わっていて、また塗り直されたばかりでぎらぎらしていた。それでも半世紀前のままで、誰か世話をする人がある。たぶん稲荷の社のはずだが、神社として名がついているものではない。先ほどヤフーの地図やグーグルのストリート・ヴューを見たが、神社としての名前がない。それに前の道は私道のようで、ストリート・ヴューでは光景が見られない。個人の所有であるとすると、隣家が大きな商売をしているか、工場を経営しているかだが、筆者の記憶ではそうではなく、京都によくある町中の地蔵尊の祠と大差ないような場所だ。住宅の密集地帯にぽつんとそのような玉垣で囲んだ赤い祠がある様子は、新興住宅地ではまずない。筆者が新興住宅地を嫌うのはそういう古い歴史の徴がないからとも言える。では新興住宅地を開発する時に、たとえば稲荷の社をどこかに設ければいいようなものだが、誰がその面倒を見るのかという問題がまず起きる。それに神社は嫌いという人もある。それで無宗教性となってしまうが、そのことでその住宅地は殺風景で翳りとは無縁になる。開発された土地のすぐ近くに古い神社があればいいが、そういうことは稀ではないか。あるいは、その「すぐ近く」をどう捉えるかで意見が分かれるが、筆者が言うそれは100メートル以内だ。
●神社の造形―マイ・イナリ_d0053294_10475754.jpg 清らかな場所があるので、それを穢さないために垣根で囲って小さな祠を据えるというのが神社のあるべき姿と先日書いたが、大阪に住んでいた頃のわが家から100メートル以内にあった2坪ほどの社はどうなのだろう。家が建て込む以前はそれなりにきれいな場所で、社が遠目にも目立ったのではないか。それが戦後に住宅が密集して、昨日書いた大井神社に似たようなことになった。あるいは先に書いたように、隣家が所有する個人の社であるかだ。そういう場合、固定資産税はどう評価されるのかと、現実的なことを考えてしまう。というのは、賃貸しの駐車場にすると固定資産税が高くなるからで、鳥居と祠を設置して拝む対象にすればひょっとすれば無税になるかと想像する。そうだとすれば、空地は玉垣で囲われることが急増するだろう。税のついでに書くと、大井神社のような小さな末社の場合、その固定資産税はどう評価されるのだろう。先日家内の実家で奈良の葛城から住職が読経のためにやって来て、寺の境内の大半は国のものであると話していた。なぜそうなっているかと言えば、固定資産税が寺に重くのしかからないようにするための措置で、寺としてはありがたいとのことであった。その話の中で、神社はどうかと言えば、小さな神社では土地が国有になっていない場合が多く、そのために経営が大変と聞いた。いずれにしても、寺社は運営して行くのが大変ということだ。ビルの屋上や、会社の敷地内に小さな祠を設けることは税金とは関係のない話で、家の中にある神棚を外に出したことと同じだが、青空の下、誰もが通れる道に面して玉垣で囲うとなると、そこは一気に一般的神聖味を帯び、敬いながらも遠ざけたい気分になる。遠ざけたいというのは、そのそばでは騒げないような思いだ。それだけでも朱塗りの鳥居は効き目があるが、それを利用したのが「小便禁止」の鳥居の小さな模型だ。これは関西ではよく見かけるもので、おそらく神具店で売っている。縦30センチ未満で、建物の壁の下の方に貼りつけておく。これがあれば、そこは神聖な場所なので、小便で汚してはならないという気持ちが湧くということだが、泥酔した人にはその鳥居が目に入るだろうか。それに罰が当たることなど信じないという人も大勢いる。とはいえ、この鳥居は汚してはならないという思いを惹起させる神社の代表的な造形で、これを自宅にも飾って心を清めたいと思う人はあるだろう。それに商売が繁盛すれば言うことなしで、個人で鳥居と祠を設置する人がある。これはいちいち神社に申請する必要はないだろう。今日の写真は嵯峨のとある場所を歩いていてたまたま見かけた。すぐ近くに薔薇の花がたくさん咲く喫茶店があり、その薔薇については写真をたくさん撮って去年春に載せた。写真からはわからないが、この祠は個人宅のガレージに利用出来る場所で、玄関のすぐ脇にある。ヤフーの地図を見ても何とか神社の記載はない。昔筆者が大阪に住んでいた頃に近くにあった社を思い出したが、それより日陰になっておらず、1本の電柱が眺めを遮ってはいるが、玉垣や鳥居、祠など、いちおう全部揃っていて、個人所有としてはかなり立派なものだ。鳥居に何か書いてあるかと近寄ると、平成○年という建立年が記されていた。祠の扉の前に、大小2匹の狐の磁器と、金属世の宝珠型燭台が左右一対置かれていて、稲荷の社であることがわかる。商売繁盛を願って、社の所有者が毎日拝んでいるのだろう。筆者なら同じ面積の土地があると、庭にするが、その家も以前はそうであったかもしれない。あるいは昔からそこには現在のような玉垣があって、家を買った人が庭にしたくても社を取り壊すと祟りがあるように感じ、そのままにしているかだ。そうなると社は庭以上に厄介なものだ。それだけに、それを所有する人は、それが砦のように自分の生活を守ってくれるものと思う。何でも世話の焼けるものほどありがたい。筆者は全くずぼらであるから、広い庭があってもそこに鳥居や祠を設置しようとは絶対に思わない。
●神社の造形―マイ・イナリ_d0053294_10474397.jpg

by uuuzen | 2015-08-14 23:59 | ●神社の造形
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