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●神社の造形―大井神社
めた口元の格好があまりよくないように思って30歳くらいの時から口笛を人前では吹かなくなった。それ以前はすぼめた唇の中央に小さな穴が開いて、そこから息を出し入れしていたのに、その穴が右に寄った。



●神社の造形―大井神社_d0053294_047761.jpg正面から見ると左右対称ではない。それが格好悪いと思うのだが、なぜそうなったかを考えると、人間の顔が左右対称に出来ていないことに思い至ると同時に、筆者は口元から顎にかけて特にそうではなく、顎の先端は正面から見るとかなり傾いている。これは口の内部に問題がある。歯並びだ。またそれは何が原因かと言えば虫歯が出来た箇所だろう。歯並びの左右で万遍なく食べ物を噛めばいいが、筆者は違う。硬いものを食べる時は特にそうで、左の噛む力が弱い。それで長年の間に顎や口元の形が曲がって来た。それと同時に歯並びも悪くなって来ているが、これは老化に伴って体が崩れて来ているということで、建物でも同じことだ。建物は崩れが目立たない間はそのままとされるのは人間と同じだが、それを思えば伊勢神宮の20年ごとの遷座はほかに理由はあることになるし、実際そうだ。ではほかの神社はどうかと言えば、やり繰りが大変なところもあって、それで交通安全、家内安全など、本来全面に押し出していなかった御利益を宣伝する。それはまだいい。境内の一部を切り売りするようなことも行なわれたり、また他人に売らなくても駐車場にするか、あるいは保育園を経営するなど、現金収入の道を探らねばならない。神社庁がその辺りのことをどう提言するのかしないのか知らないが、梅宮大社は単立で、神社庁とは関係がないらしく、これは神社庁の枠組みに入っても入らなくても経営状況がさして変わらないことも意味しているのではないか。それはそうと、京都市内に神社がどれほどあるのか考えたことがないが、寺では継ぐ者がいなくなれば廃されるので、神社も同じかと思うと、この点は自信がない。地元の人たちが協力して面倒を見るということもあるかもしれない。自分が生まれるはるか以前から玉垣に囲まれた侵しがたい雰囲気の社があると、仮にそれがとても小さなものであっても、取り壊すという気分にはなれない。第一そんなことをすると、罰が当たりそうな気が誰しもする。なので、神社はなくなることがなく、増える一方のような気がする。増えるとはいえ、徳川家康のように大人物がそう出ることはなく、もう増えることはあるまい。その代わりに増えるのが新興宗教だ。それはさておいて、神社の建物も古くなって倒壊しそうになると、新しいものに取り換える。そうなる前に鳥居が倒れたといった事件がたまにある。松尾大社では20年ほど前にそんな事件があった。また震災で被害を受けることも念頭に置く必要がある。そうした急な出来事は別として、経年変化で老朽化した場合の新築は、金の出所を考える必要があって、宮司としては頭が痛いであろう。梅宮大社の朱色の二の鳥居は、柱の裏を見ると、個人の寄進であることがわかる。鉄筋コンクリート造りだと思うが、それでも数百万円はするだろう。貧富の差があるからそういう人も出て来るから、何事もいい面とわるい面がある。さて、筆者は神社を普段ほとんど気に留めないが、一旦考え始めると、何だか面白くなって来る。それは、社が古くなれば新しくされるといった、いわば普通の民家や店舗と同じことが行なわれるのに、いつまでも同じ場所に同じように存在していることだ。聖域とはそういうものだ。変えたり、壊したりしてはならない場所で、そういう場所が民家に混じってたくさんあるのはどの民族でも同じだが、神社の場合はとにかく大小さまざまで数が多く、それだけ人々の無意識に深く食い込んでいる。筆者のように普段気にしないのに、思い始めると、「ああ、自分はこれだけ老けたのに、あの神社は昔のままだな」と、妙な気分になる。それは筆者の場合、ありがたいというのでもない。ただ、個人の寿命とは比較にならない長い年月、つまり歴史というべき歳月を通じて存在して来て今後も存在し続けることを思い、人間にはそういうものが必要であることに気づく。ある人がアメリカに長年住んでいて、老境に達して日本に帰って来たが、その人がなぜそうしたかと言えば、歴史の蓄積を感じさせない場所に死ぬまで暮らしたくなかったからだという。筆者から言えば、神社の境内のような雰囲気の場所が身近にたくさんなかったのだ。そういうものがなくても人間は生きて行けるが、成人に達するまでに寺社の雰囲気を知ってしまうと、案外それが後々まで心の奥底に影響を与える気がする。
●神社の造形―大井神社_d0053294_0474145.jpg

 今日は渡月橋北詰めの大井神社の鳥居の写真を載せる。この鳥居は貧弱で、周囲の観光客専用の店舗が勝手に据えたキッチュかと思ってしまう。そのため、外国人観光客もまずこの鳥居をくぐって細い参道の奥の社まで行かない。そういう筆者もそうで、30年ほど前に一度だけ訪れたのみだ。渡月橋をわたると必ずその鳥居が目につくというのに、その奥まで行こうという気になれない。この神社は桂川の氾濫を鎮めるためのもので、車折神社参道を入って最初にある小さな社の龍神社と同じだ。川の氾濫を堰き止めておくことを願う神社は、大きな川沿いにはたぶんどこでもあると思うが、特に人が多く住む地域ではそうであるはずだ。大井神社はあまりの参道の狭さに、産道を思い浮かべるが、子宮に相当する場所に祠がある。そのため、現在の姿がかえって面白いようなところがあるが、大昔はどうであったのかと思う。今のようにお土産屋やその他、観光客向けの店はなかったから、参道両脇は案外広々とした空地であったと思うが、いつの間にか土地の権利関係が曖昧になり、個人の所有となって行ったのであろう。大井神社は昨日書いた櫟谷宗像神社と同じく松尾大社が管理していて、こちらは末社だ。川が氾濫しないように願う神社とはいえ、櫟谷宗像神社のように石段を2、30上った高台にあるのではなく、渡月橋北詰めの地面と同じ高さで、気にはしなかったが、2年前の秋の台風18号の際の洪水でたぶん浸かったのではないか。なぜなら、すぐ近くの店はみな浸水したからで、写真の鳥居も数十センチは水の下になったと思う。それではこの神社の目的も意味がないが、それは早合点で、あえて浸水する場所に建て、浸水するたびに社を新たらしくしたのかもしれない。写真からわかると思うが、鳥居の際に建てられる看板には、「商売繁盛と交通安全の神 大堰川の守り神」と書かれている。桂川は水運にも使われたので、交通安全はわかるが、商売繁盛は後で足したものではないか。このふたつの神は今やどの神社でも売りの文句にしている。嵐山界隈なら、写真に見えるように、観光客はレンタルの自転車で移動することが多く、それで鳥居の隣りはレンタ・サイクル店となり、しかも狭い参道の半分以上を自転車が占めている。ということはこのレンタ・サイクル店は松尾大社が営業しているかもしれない。つまり、狭い参道の両脇は松尾大社の土地で、それを店舗に貸すことで収益を上げているとも考えられる。そうでなければ松尾大社はこのレンタ・サイクル店から駐輪場代を請求しているだろう。それを支払わなければ罰が当たる。観光客が全く気づかない鳥居であり、神社であるから、参道に自転車が密集していても誰も気に留めないが、改めて見ると苦笑してしまう。それに、この写真1枚が嵐山の現状をよく示している。写真の左下隅は自動車の後部で、筆者はバス通りを間に挟んで撮影した。50メートルほど奥に赤い鳥居が見えていて、その向こうに背の高い木が2本立つ。その木があることで、かろうじて神社らしい雰囲気が出ているが、これほど家屋に囲まれて日の当たらない神社は珍しいだろう。この写真の撮影位置から西へ100メートルほど川沿いに行き、そして嵐山を向いて撮ったのが2枚目の写真で、写真中央山裾に小さく赤い鳥居が見えているのが、櫟谷宗像神社だ。それと大井神社は渡月橋の上流側と下流側にあって、ふたつの神社を結ぶと、橋の上を斜めに横切って縛るような形になる。これは秦氏がふたつの神社でがっちりと川を堰き止めよう考えたのではないか。筆者の口笛は唇の穴が真正面ではなく右寄りに出来るが、その斜めも案外格好悪いものではなく、自然なものと言えるかもしれない。
by uuuzen | 2015-08-13 23:59 | ●神社の造形
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