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●神社の造形―生田神社
部に出来た汗疹を治すには熱い湯に浸かればいいような気がするが、そう言えば「風風の湯」にはしばらく行っていない。数日前、その玄関脇の営業カレンダーを見ると、今週の金曜日の14日から3日間はお盆休みではなく、お盆料金で割高になっていた。



●神社の造形―生田神社_d0053294_152149.jpg

つまり金曜日の60歳以上半額は適用されないようで、21日まで待つ必要がある。尻に汗疹が出来たのは愛宕山に登ってからだ。全身汗まみれになったまま7時間半も歩いたから、汗疹が出来ておかしくない。その後も猛暑が続いているが、今夜は暑さが少しましだ。昼間は家にいて寝転がっていても暑いだけなので、今日は家内と一緒に神戸に展覧会を見に行った。どちらがついでかわからないが、神戸の生田神社にも行ってみようという気になった。その理由は、これを書いている1階の最も涼しい場所の筆者の目の前に本棚があり、そこに「歩く地図 神戸・大阪」という本を、今朝見つけたことにもよる。いつ入手したガイドブックか記憶にない。1993年のもので、もうかなり古いので、店に関しては役に立たない。何と言っても阪神大震災の2年前の出版であるから、なおさら店舗はすっかり変わっているだろう。だが、震災以前の様子がわかることはそれなりに貴重だ。店は変わっても寺社仏閣はそのままかと思うと、神戸の生田神社の本殿は柱が全部根元から倒れて、その上に大きな屋根がそっくり覆い被さった。その写真をよく覚えている人は多いだろう。屋根はほとんどそのままの形で残ったので、ジャッキで起こして再利用出来るものはそうしたのではないかと勝手なことを思うが、知らない間に再建されたことは、それから10年ほど経って同神社で結婚式を挙げた美人芸能人とお笑いタレントの結婚によってわかった。ふたりの結婚によって同神社は一気に全国的に有名になったようだが、そう言えば筆者はその大鳥居のすぐ近くまで行きながら、これまで境内に入ったことがないことを思い出し、今日は神戸に出るついでに立ち寄ろうと決めた。三宮の駅からすぐ近くで、その気になれば20歳頃にでも訪れていたのに、40数年も経ってしまったのはよほど筆者は寺社仏閣に関心がないことを示している。それでもこの歳になって訪れてみようという気になったのはそれはそれでよい。「歩く地図 神戸・大阪」には生田神社を含む地図が載っているが、それを見なくても遠目にも大鳥居はよく見える。また、大丸百貨店の近くに三宮神社があるが、これは小さなもので、何度もその前を通って知っている。生田神社とは違って朱塗りの大きな鳥居や本殿があるのでもなく、今日はわざわざ訪れる気にはならなかった。それよりもむしろ、時間があれば阪神の西宮で下車して西宮神社にも行ってみようかと思ったが、さすがその時間も体力もなかった。結果を言えば、生田神社は涼しくて見所が多く、楽しい思い出になった。家内はそうではないかもしれない。先日加島の香具波志神社に出かけたばかりというのに、なぜまた神社なのか、その理由を訊きたいといったところのようだが、筆者とてさして理由はない。今まで気になりながらそのままになっていることを思い切ってこなそうというくらいの思いだ。神社の境内に入るのは無料で、その点もよい。寺では500円の拝観料が必要だが、本当はその分を神社の賽銭箱に入れるべきなのだろう。だが、神社は祀られている神様が多種で、どういう願いを聞き入れてもらうかで訪れる神社が異なるはずだ。生田神社はネットのホームページを見ると、縁結びを売りにしているようで、それで先の有名芸能人も結婚式を挙げたのだろう。だが、ふたりがすぐに離婚したとなれば、宣伝は逆効果で、宮司は苦々しい思いをしたであろう。離婚の理由は男の浮気にあったようだが、筆者にはもともと全く似合わない結婚に見えた。それで男の浮気より、むしろ女性の男を見る目のなさに幻滅した。美女であっても頭はそれほどでもない。天は二物を与えずということだ。それはさておき、家内と訪れるのに今さら恋愛成就でもないから、本殿に向かって拝む必要もないように思うが、そういう考えでは境内に踏み込むと罰が当たりそうだ。というのは行って来た後の思いで、恋愛成就に御利益があることは境内を歩いて知った。恋愛成就と言えば若い女性がたくさん訪れるから、神社としては収入増につながる。今年3月下旬に東京のザッパ・ファンのOさんが大阪京都にやって来て、筆者は東福寺の涅槃会に誘った。その際に聞き知ったが、戦後はどの神社も経営難からあらゆることに御利益があるように宣伝するようになって来ているらしい。それではありがたみが少なくなるが、手を合わせて拝めば、どのような思いも神様に通じるということなのだろう。
●神社の造形―生田神社_d0053294_152312.jpg 昨日は車折神社について書いた。そこに前述の結婚と離婚をした芸能人カップルの名前を記した赤い色の木製の柵があったかと言えば、結婚当初はおそらくあったはずだ。伏見稲荷大社の鳥居はお金を払うと誰でも立ててもらうことが出来るが、それは何年契約であろう。1年か2年、あるいは3年か。神社としては短い方が金儲けにはいい。授与される御札はたいてい1年限りであるから、たぶん鳥居もそうかと思うと、数年前、あるいは10年ほど前の期日を記したものが多い。おそらく立てた後、毎年更新料のようなものを支払うのだろう。それを支払う限り、また鳥居が老朽化が目立たない限り、そのままにされるのだろう。車折神社では数えるのが馬鹿らしいほどに、芸能人などの名前を黒で書いた赤い柵の列が芸能神社の社を中心に無数に並べられているが、それも伏見稲荷大社の鳥居と同じように、毎年料金を支払う限りはそのままにされるのではないか。だが、人気商売の芸能人は、京都に住むか、信心深いのでなければ、そう毎年同じ神社にまとまったお金を支払うことはないだろう。今では一発屋としてTVをごく短期間賑わせて消えてしまうタレントが多く、車折神社にお詣りしても一度限りだろう。またタレントがどういう御利益を求めて参拝するかと言えば、「有名になれますように」というのが相場だろうが、芸能の神様はそれについては関知しない。芸の上達については聞き入れてもらえるかもしれないが、そのことと有名になることは別問題で、また金が儲かりますようにというのも話が違う。芸が上達すれば有名になるかと言えば、必ずしもそうとは言えない。社会はそんな単純な仕組みで動いていない。それはともかく、今日は生田神社の話だ。境内に入ってすぐ、左右に社があった。左は白木、右は朱塗りで、鳥居は左が朱、右は石であった。派手な方に目が行くかと言えば案外そうでもない。白木も朱塗りも神社らしくてよい。左は大海神社で、これは海が近い神戸であるのでよくわかる。右の祠を見て驚いたのは、「松尾神社」とあったからだ。これはわが氏神の松尾大社の末社かと思ったが、大山咋命を祀っていて、やはりそのようだが、神様はどこかの神社のお抱えばかりとは限らない。大山咋命を祀る神社は数多いし、そのどれもが松尾大社を総本山とするかと言えば、違うのではないか。もっとも、この神様は酒造りに関係していて、生田神社の境内にこの神様を祀る社があることは、灘の酒から理解出来る。松尾大社は灘の酒造メーカーも参拝に訪れるが、もっと近い地元神戸の神社も無視は出来ない。それで社を囲う石の柵の柱を見ると、灘の酒造メーカーの名前がずらりと並んでいて、参拝を欠かしていない様子が伝わる。生田神社は山手にあるから、大鳥居や本殿は南を向いている。そして松尾神社は東側で、これは大海神社よりも京都に近い。そんなことを考えて社の場所も定めたのであろうか。今日の最初の写真が松尾神社だが、全景を撮るのに手前に写っているスロープの手すりが邪魔であった。左端の朱色の鳥居は本殿前のもので、三番目に相当する。大きな神社は鳥居がいくつもあるが、生田神社は三つで、境内との境界はふたつ目で石製だ。写真の朱塗りの鳥居の奥にビルが写っているが、これは山手とはいえ、都会の繁華街の中心にある神社であるから仕方がない。その点、車折神社は今後はわからないが、現在のところ、江戸時代以前と変わらない境内からの空が見える。都会にある神社はどこも借景の悪さは目をつぶる必要があるが、それでも神社の境内はほとんどそのまま伝わって行くから、都会の住民にとってはオアシス的な存在で、今後も神社はなくなってはならない。今はどの都会もそうだが、外国人観光客が多い。生田神社も同じで、見るからに中国人ばかりであったが、神戸には中華街があるので、中国人の姿は今に始まったことではなく、街に溶け込んでいる。それでも本国からやって来た観光客は、生田神社の境内に入って空気ががらりと変わることを確認し、訪れてよかったと思うに違いない。店や民家ばかりの街には魅力がない。その点、筆者は寺社仏閣の多い京阪神をうろつき、歴史の長さということに慣れっこになっていてありがたみがわからないのかもしれない。
●神社の造形―生田神社_d0053294_1525060.jpg 最初の写真の左端に少し見えている朱塗りの鳥居をくぐると、左手に手を洗う水場があるが、そのすぐ手前に百度石があった。大きな瓢箪型の自然石に文字を刻み、この石を起点どこをどう回るのか知らないが、朱塗りの鳥居から20メートルほどか、それに楼門までもすぐで、この石のある囲われた土地はさほど大きくない。そのため、百度石から境内南端の石の大鳥居までを往復するのではないか。東の百度石に対して西の同じ場所に何があるかと言えば、梅の木を植え、綱で囲った場所があった。有名な梅らしいが、写真は撮らなかった。何もない平らな土地をロープで四方を囲むことは、民家の地鎮祭の際に見かける光景だが、それは最も神様的な光景で、何もないところに神聖さを感じる。そう思いながら写真を撮らなかったのは、何もないただの綱の囲いでは写真にならないと思ったことと、梅が花でも咲いていればいいが、今は実もなく、やはり様にならないからだ。さて、写真はたくさん撮って来たので、いずれ改めてこの神社について書くかもしれないが、今日はもう2枚紹介しておく。3枚目は楼門を入って拝殿に向かい、その左手すなわち西側を北に向かって「生田の森」に向かって歩いて行って見かけた。「さざれ石」と書いた石製の名札があって、その名札は新しいものだが、この「さざれ石」の方は阪神大震災以前からあって、震災にも無事であったのだろうか。写真奥の石の柵は真新しく、本殿が倒壊した時におそらく背後の小さないくつかの神社も被害を受けたのだろう。小さな社は倒壊を免れたように思うが、全体にどれも新しく、おそらく地元の商店主が寄附をして順次新しくしたのであろう。苔蒸す雰囲気がありがたみがるかと言えば、それもそうだが、真新しい社というのもよい。それで伊勢神宮も20年ごとに遷宮を行なう。先に白木の祠もいいと書いたが、それは数年で全体が汚れて来るから、たとえば20年ごとにすっかり建て替えることを前提にしているのだろう。それはいいとして、「さざれ石」は細かい石が集まって岩になっているが、これは神社と似ている。大きな神社には本殿以外に小さな祠が周囲を取り囲んでいる。それだけ祀っている神様が多いからだが、1か所100円ずつ賽銭を投げても10の神社があると1000円で、毎日参拝するとなると桁をひとつ少なくした賽銭としなければ庶民は生活に支障を来す。生田神社は10数個の社があって、多角経営と言えば神様に怒られそうだが、さざれ石的思想をこのように大きな神社ではどこもたいてい行使している。神社の面白さはこの小さな祠があちこちにたくさんあることとも言える。車折神社も同じで、三条通りに最も近いところに、龍神社があるが、これの祠は赤ちゃん用と言ってよいほどに小型だ。なぜ三条通りに近いところにその祠があるかと言えば、桂川の氾濫でその祠辺りまで浸水したことがかつてあったからだ。堤防が崩れないようにとの願いを込めて祠を据えたのだが、それは梅田にある「歯神社」と同じ考えによるもので、今思い出したが、今日はその歯神社の写真もついでに撮ってくればよかったのに、疲れが出て早めに帰宅した。話があちこち飛ぶが、4枚目の写真を説明しておく。これは生田の森の東端にあるおみくじを濡らして読み取る水辺だ。濡らすと文字が浮かび上がるおみくじは京都伏見の御香宮のものが有名で、筆者は25年ほど前にそれを買って試したことがある。生田神社が真似をしたのか、あるいは御香宮が後なのかは知らないが、水を用いることにかけては神戸も伏見もいい勝負だ。どちらも酒の本場で、水がよい。ただし生田の森に流れている山水は、流れの底が黄土色に染まっていて、鉄分か何かが多いのだろう。おみくじは森を出たところで売られているから、先に買って森に入る必要がある。また「恋みくじ」であろうから、筆者は関係がない。また、汗疹が治りますようにと拝めばよかったが、いつものように家内に拝ませ、筆者は観察に終始した。それでは汗疹は治してもらえない。
●神社の造形―生田神社_d0053294_153430.jpg

by uuuzen | 2015-08-09 23:59 | ●神社の造形
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