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●神社の造形―中島一夫氏の宝珠型蚕鈴
鈴についてはこのブログやホームページに書いた。愛知県の郷土玩具に「起」(おこし)の土人形がある。「起」が何に由来するのかは知らない。蚕鈴には宝珠以外に槌や俵、大黒天、お多福、それに茶釜だろうか、丸いUFOのような形をしたものがあるが、筆者が好きなのは宝珠のみだ。



起土人形は絵具が原色で生々しく、また銀色が目立つものが多く、伏見人形とは違う派手さがある。それでいて田舎っぽいのだが、派手な色使いは愛知県人の好みなのだろう。婚礼時に近隣にお菓子を配るなど、めでたいことには他府県にはない派手なことをする愛知県で、起の土人形の色合いはいかにもそうしたことに似合っている。だが、起の土人形の作り手は、中島一夫という五代目のみで、その人が亡くなった後は奥さんが継いだが、おそらくその人ももう作っていないはずで、廃絶して10年近くなるのではないだろうか。前に書いたことがあるが、筆者は図書館で郷土玩具の本をたまたま繙き、その時に宝珠型の土鈴の作者として中島氏を知った。そこには住所も書いてあったので早速手紙を出したところ、ていねいなお返事をいただいた。もう作っていないとのことで、直接氏から宝珠型の土鈴を買うことは諦めざるを得なかった。その本に載っていたのは小さな白黒写真だが、それでもその宝珠型土鈴の堂々たる姿は筆者を圧倒した。前に書いたことがあると思うが、ここで繰り返しておくと、宝珠土鈴を最初に見たのは古裂会での競売図録だ。1990年頃であったと思う。あるコレクターが一括で宝珠土鈴を放出したもので、昭和20年代の7.8年分の土鈴が揃っていた。前述のように宝珠以外の型も含み、全部で50個か60個はあったのではないか。とはいえ、筆者はそれらも図録の白黒写真でしか見なかった。それでも宝珠土鈴の見事は形は瞬時にほしいと思わせるものであった。誰でも入札出来る競売だが、開始価格が6万円から7万円の間であった。これが安いのか高いのかがわからない。それで土鈴を集めている東京のとある女性に久しぶりに電話し、ふたりで買って分けないかと提案した。相手は事情がよくわからず、話は流れたが、結局その商品は落札されなかった。それから1,2年して古裂会の偉いさんに訊くと、おそらくまだ所蔵者は手放していないだろうとのことであったが、古裂会を通すと最低価格の6,7万はする。それで諦めた。諦めた理由は金額もそうだが、宝珠以外の型が多かったからだ。筆者がほしいのは宝珠型のみだ。それだけならば1万円ほどであったはずだ。大きさは高さ15センチほどであったと思うが、これはさして珍しくない。ただし、昭和20年代の物資が不足していた頃の作で、その後のものにはない存在感があった。中島一夫氏は五代目であるから、初代から四代目の宝珠型土鈴すなわち蚕鈴があるはずだが、専門諸がなく、また蚕鈴のみに関心のある郷土玩具の収集家はおそらくごく少ないかいないはずで、蚕鈴の全貌は誰にもわからないのではないか。筆者は地道に探し続けているが、数年に一度は見たことのない形に遭遇する。とはいえ、それらすべてがほしいかと言えば、1個1000円や2000円程度ならいいが、それ以上では我慢する。それに、中島一夫氏の作ったものが最も完成度が高く、結局それの大小をいくつか持っているだけで充分と言える。
●神社の造形―中島一夫氏の宝珠型蚕鈴_d0053294_18313473.jpg 大山崎のMさんは起の土人形のよさがさっぱりわからないとのことで、やはり京都人の感覚からすれば色彩がどぎつくて毒気を感じるのだろう。筆者もそれは感じるが、半世紀以上経ったものは絵具が褪色し、落ち着いた風合いになっている。ただし、あまりに保存状態が悪いと、絵具の剥落はもちろん、金粉が酸化して黒くなるなど、全体に汚く見える。そうなればよほどの人しか買わない。それはさておき、筆者が蚕鈴に興味を持ったのは以上の出会いによるが、蚕鈴の名がつくように、これは蚕を買う家が買い求めるものであった。この鈴をぶら下げておくと、その音色で鼠が這い回らないとのいわれがある。筆者は友禅が本職で、蚕には縁がある。それで蚕鈴を自分の部屋のいつも見えるところに置いておきたいと思った。今は20個近くあるが、最近高さ40センチほどのものを買った。これが筆者が所有する宝珠型の最大だが、もっと大きなものを昔の骨董市で見かけたことがある。確か60センチはあった。そんな大きなものは邪魔になって仕方がないが、持っていないとなればほしいのが蒐集家だ。その大型の宝珠型を、7,8年前だろうか、大山崎のMさんから誘われて吹田の郷土玩具収集家のIさんの家に連れて行ってもらった時に見かけた。その時、筆者とMさん以外に7,8人が最寄の駅に集合し、全員集まってからIさん宅に向かった。Iさんは子どもがなく、昭和30年代から蒐集して来た膨大な郷土玩具を手放すことにしたのだ。全部買った時の価格がノートに控えられていて、それと同じ価格で分けていただくことが出来た。筆者は伏見人形専門で、そのことを知るMさんが、筆者に声をかけてくれたのだ。Iさん宅で起の土人形が多少出て来たが、誰もほしがらず、それでMさんは筆者が蚕鈴を気に入っていることを知っていたので、そのほかの人形も買ってはどうかと奨めた。その言葉にしたがっていくつか買って帰ったが、やはり宝珠型土鈴以外はいいとは思わない。Iさん宅には大型のその宝珠型が1個あった。新品同様で、高さは40センチほどではなかったか。筆者はそれがとてもほしくてIさんにそのことを伝えると、まだ手放したくないものだけがこのガラス入りの飾り箪笥の中に収めてあって、本当にもう不要と思うようになれば連絡すると言われた。つまり、簡単に言えば死期を悟ると筆者に買ってもらうということだ。だが、それ切りになった。そしてIさんが亡くなったことを知ったのは去年Mさんから聞いてのことだ。Iさんは筆者がその土鈴をほしいと言ってから2年後くらいに亡くなった。それで最期まで大事にしていたガラス入りの箪笥の中にあった玩具がどうなったかはわからない。Mさんやその仲間の収集家がたぶん買い求めたのではないか。ともかく、せっかく目の前にありながら、大型の宝珠土鈴は入手出来なかった。それでも願っていればいつか出会いはある。とはいえ、何万円も出してもほしいというほどではない。起の土人形は中島氏の家があった尾西市では人気があるかもしれないが、筆者の知る郷土玩具愛好家の中にはいない。それどころか、Mさんは嫌いと言う。そういうことから推せば、仮に大型の宝珠土鈴が売られていても、1万円はしないだろう。その機会が最近あった。ネット・オークションで高さ30センチの新品が出た。これを逃すとまた10年近く待たねばならないかと思って入札したが、筆者以外にほしい人があって、結局1万円近くなったので諦めた。ところが、それから1週間か10日ほどして別の人がまた大型のものを出品した。今度は競争相手がおらず、設定価格で買えた。送料を含めると7000円近いが、Iさん宅で入手出来なかったことを思えば安いものだ。この蚕鈴は尾西市で作られて岐阜市の美江寺の境内で頒布された。家内と岐阜に行った時、その寺のすぐ近くを歩きながら、気づかなかった。それはさておき、そこは寺で神社ではないが、中島一夫氏の彩色はいかにも神社に似合う派手さがある。昨日投稿した祇園八坂の玉光稲荷では宝珠と狐を象った磁器の置物が祠の扉脇に飾られていた。宝珠は江戸時代から明治の画家は盛んに水墨で描いたが、それはそれで面白いが、立体により見所がある。火焔宝珠型の土鈴は中島一夫氏以外にも作られて来たが、形の見事さで言えば、今後も中島氏を越えるものは出ないだろう。筆者は暇があれば宝珠型の土鈴を作りたいと昔から思っている。
by uuuzen | 2015-08-03 23:59 | ●神社の造形
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