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●神社の造形―八坂神社の玉光稲荷社
女が舞う様子を毎年京都のゑべっさんで見るが、東を向く本殿の南にある社務所内の一部屋だ。狭い境内なので、神楽の演奏で巫女が舞うことの出来るのはそこしかない。舞殿がある神社で真っ先に思い出すのは祇園の八坂神社だ。



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提灯が3,4段になって四方を取り囲んでいるのが壮観だ。その写真を「おにおにっ記」に載せたことがある。今年の正月はその舞殿が修理中であったのか、覆いがしてあった。何年か前に本殿を改修し、順次境内の建物をきれいにしているようで、舞殿ももう修復が終わったのではないか。八坂神社の舞殿で神楽の演奏や巫女の舞いが毎年行なわれているのかどうか知らないが、筆者は見たことがない。だいたい神社の行事は年間を通じて決まっていて、それらの特定の日以外はひっそりとしている。八坂神社は今は外国人観光客が年間を通じて激増していると思うが、何と言っても最も多いのは大晦日から正月三が日ではないだろうか。それと奥の円山公園の枝垂れ桜が満開の頃だが、これまで筆者は八坂神社の舞殿に人が上がっているのを見たことがない。八坂だけはなく、そのほかの神社も同じで、舞殿は名前ばかりで、実際に人間が舞うためのものというより、神様が舞っているのを想像するための場かと思うほどだ。それはともかく、舞殿は正方形の屋根つきの舞台で、それが神社の境内に独立してあるのは眺めとしてはなかなかよい。現代で言えば、それはステージで、演奏家や舞踊家が芸を披露する場で、歌舞音曲は神様に捧げる意味合いを持っていたことを思い出したい。つまり、音楽を奏でたり、踊ったりすることは、神聖な行為で、漫然と楽しむものではない。ゑべっさんでの巫女舞いを毎年筆者は面白く眺めるが、それは赤と白の衣装に神楽用の鈴を片手に持ち、人々に授与する笹の前で1分ほどくるりくるりと右左に何度か回転しながら舞う様が、舞踊として古風かつ素朴でありながら、つけ加えるべきものが何もないと思わせるところだ。笛や太鼓の神楽は巫女の後方に並ぶ3,4人が、毎回同じメロディをおそらく何時間もぶっ続けで演奏するようで、それならば録音テープでもいいではないかと、不謹慎でありがたくないことを思ってしまうが、せっかく押すな押すなの大勢の人が寒さの中を訪れているので、薄着で頑張り続けるのも精が出るのだろう。舞殿で演奏される神楽は神社ごとに違いがたぶんあると思うが、筆者はゑべっさんで毎年聴くもの以外はほとんど思い出せない。筆者が小学生になる前の子ども時代、正月になると獅子舞がよくやって来た。その時にも笛や太鼓の神楽が短いながら演奏されていたと思うが、ふたりで踊る獅子舞の方が圧倒的に印象深く、母はいくらかの小銭をわたして筆者の頭を獅子舞に噛ませた。大きな口がぱくっと開いて筆者の頭を優しく挟むのだが、すぐそばに座っている母は笑顔を絶やさなかった。大阪の町中で半世紀前はそのような風習があったが、京都に来てから獅子舞の門付けを見たことがない。商売として成り立たなくなったのか、それとも京都市内にはそういう風習がないのか、あるいは獅子舞をするにも地元の親分の許可が必要なのか、今の小さな子が獅子舞のあの立派な獅子に頭を噛んでもらわないことは何となくさびしい。京都に神社はとても多く、また舞殿もそうであるのに、肝心の神楽を聴く機会が減って来たのは、人々の神社離れを意味するのだろうか。だが、素朴や純粋といった言葉がふさわしい神社は、人々の関心を得るために舞殿ないしそれとして使える空間に現代の音楽家や舞踊家を呼んで来て芸を披露させることは、筆者はあまり賛成ではない。そういう人たちにふさわしい場所は神社以外に無数にあるからだ。話は変わるが、わが自治会では8月の最終の土日の2日間を使って毎年地蔵盆を行なうが、小さな祠の前でテントを張り、そこで2日間にわたって小学生以下の子どもたちやその両親、それに自治会に所属する人なら誰でも参加して談笑するが、子ども会の二名の委員は子どもを楽しませるために、大道芸人や高校生のブラス・バンドなど、外部から招く。どのような催しをするかは毎年の委員に一任されているが、ここ数年は大道芸人だ。とはいえ、ギャラを多く出せないので大学生のクラブから呼ぶことが多い。子どもたにが健やかに育つことを願っての地蔵盆で、そこで大道芸を見せるというのは、神社の舞殿で神楽を奉納するのと似た行為だろう。
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 今日の写真は最初は今年1月3日に八坂神社に詣でた時に撮った。正しい満月ではないが、それに近い月が東山の上にあった。四条通りの東の突き当りに位置する「西楼門」は八坂神社の代表的な顔で、写真ではその石段を大勢の人が隙間なく占めている。2,3枚目は同じ日ではなく、その後長楽寺に行った際に撮った。舞殿から東へと向かうと間もなく円山公園の枝垂れ桜があるが、そのすぐ東の南北の道を少し南下し、そしてまた東へと坂を上って行くとその突き当りに長楽寺がある。そのことについては4月に何回かに分けて投稿した。今日は2,3枚目の写真についてで、これは舞殿の南東にある稲荷社で、八坂神社の末社だ。八坂神社にはそのほかにたくさんの社がある。蛭子社もあるし、また女性に人気の美容によい水が涌く美御前社もあって、なかなか商売上手だが、それだけ大勢の人が押し寄せるので、いろんな御利益が得られた方がよいとの考えだ。先日書いたわら天神も、義満が参拝に便利なようにと新たな場所ふたつの神社をまとめさせた。人間のつごうで神様をあちこち動かすのは罰当たりなようだが、その代わり、常に多くの人が祠の前で手を合わせるから、神様も満足するだろう。たぶんそういう考えで大きな神社の中にはいろんな末社がある。昔は寺の中にも神社があったから、さらにごった混ぜ感が大きかったが、それは裏を返せば、御利益のあるものは大歓迎で、拝めるものは何でも拝みたいという意識の表われだ。八坂神社の稲荷社は正しくは玉光稲荷社で、2枚目の写真にあるように、朱色地に墨で大きな宝珠を描いた提灯が社の天井からぶら下げられている。宝珠の形は堂々たるもので、また形がとてもよい。筆者はこのブログのシンボルを宝珠にしているから、思わずこの提灯に目が行ったが、まず目についたのは鮮やかな朱色だ。近年塗り換えられたのであろう。中はとても狭いが、それだけに朱色だらけで、伏見稲荷大社を訪れた気分になれる。そう遠くないところに同大社があるので、この末社を訪れる人は多くないだろうと思うと、案外そうではないことは奉納されている提灯からわかる。祇園で商売している人にすれば、伏見まで行かずともここで充分用が足せるとの思いだ。また、「玉光」がついているので、今は伏見稲荷大社とは関係がないだろう。昨日書いたように、京都では各地域に大きな神社があって氏子を分け合っている。そのため、八坂神社と伏見稲荷大社は仲が悪いというのではないが、よくもないだろう。3枚目の写真は玉光稲荷社の祠正面で、本当はこういう写真は撮ってはまずいかもしれないが、外国人観光客がみなスマホで撮っていたことにつられた。全体に赤っぽく写っているのは、それだけ社が朱色だらけで、光りが射すと社内部全体が夕焼けに染まったように見える。筆者が注目したのは、鏡が祠の扉の前に出されていることで、神宝をこのように表に出していいものかと思った。あるいは重要な神宝ではないのだろうが、この満月型の鏡とその台はなかなか形が面白い。個人が家に置くようなものではないが、そばに置きたいかわらしさがある。稲荷社であるので狐の磁器が置いてあるのは不思議ではないが、よく見るとその大小4個の狐はみな右手を挙げて宝珠の頭にかざしている。つまり宝珠と狐がセットの人形だ。これは初めて見た。もちろん磁器であるので伏見人形ではない。清水坂のどこかの工房で専属に作らせているのだろうか。大きいのは1万円以上はするはずだが、最も小さなものは3000円程度ではないか。ひょっとすれば伏見稲荷大社門前で売られているかもしれないが、筆者の記憶では狐だけで宝珠を含まない。わざわざ宝珠と狐を造形しているところにこの小さな社の矜持が見える。ごく小さな神社で、注意しなければ見落としてしまうが、小さいだけに内部はきれいに清掃され、いかにも御利益がある雰囲気が漂う。
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by uuuzen | 2015-08-02 23:59 | ●神社の造形
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