儘にならないこととなることがある。何でも思いどおりになると人生は楽しいかもしれないが、それはそれで飽きる。昔、親類が集まった時、何が一番美味しいかというつまらない話題になった。

筆者が言ったのは、「空腹が頂点に達した後に食べるもの」で、それ対してみな肩透かし食らったように押し黙った。それは答えになっていないという思いと、そのとおりという思いが戦ったのだろう。よく金持ちは貧乏人を馬鹿にする時に、おいしい物を食べたことがないといったことを言う。それは実際は間違いで、空腹でいる人が最もおいしいということの意味を理解している。どのような豪華な料理をいつでも食べられるような人は、それだけ食に対する感動を失っている。王様と乞食はそのように見方を代えれば立場は逆転する。物は考え様で、儘にならないことを常に嘆くことはない。儘にならないほどに期待は膨らみ、その期待が実現した時の感動は大きい。簡単に手に入るものはつまらない。さて、今日は予定していたヒナステラの音楽について書かずに、最近急にまた聴き始めているジャンゴ・ラインハルトの代表曲を取り上げる。ジャンゴのLP『ジャンゴロジー』を今日汗まみれになりながら隣家で探したが、見つけることが出来なかった。そのLPは10年ほど前に友人Nがくれた。Nは2008年7月27日に死んだから、今日は7年目と3日になる。それで思い出したのでもないが、Nはどこで知ったのか、『ジャンゴロジー』を確か筆者の息子が生まれた頃に買った。1980年代半ばということになるが、筆者はそのレコードを借りてカセットに録音した。Nも同じで、カー・ステレオのカセットでよく聴いていたようだ。息子が5,6歳になった頃、Nの車に筆者と息子は乗せてもらったことがあるが、その時のBGMが『ジャンゴロジー』で、息子が変な音楽だと言ったことを昨日のことのように覚えている。Nは電気製品をあまり大事しない方で、ステレオの寿命も短く、レコード・プレイヤーを壊してしまった。もうその頃はCDが全盛で、レコードは不要になった。それでというのでもないだろうが、ジャンゴともう1枚、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの2枚を筆者にくれた。大阪の淡路辺りで飲んだ後、筆者を阪急の駅まで送ってくれた後、車のトランクに積んであった2枚のLPを思い出し、「これ、やるわ」と言いながら手わたしてくれた。筆者は別にほしくなかったが、Nはたぶん初めてまともに買ったアルバムで思い入れがあった。それで手元に置いておきたいというのではなく、ジャンゴの魅力をわかってほしいために筆者に改めて聴いてほしかったのだろう。Nは押しつけがましい性質ではなかった。それに、自分の思い出になる物を手元に置きたいという性質でもなかった。物には執着がなかったと言ってよい。それにどういうわけかNの手元にある物はほとんど何でもすぐに壊れた。筆者はそれが不思議でならなかった。そう言えば思い出すことがある。筆者と同じ年齢のMだ。Mは筆者の母親が妊娠中に銭湯で仲よくなった女性のひとり息子だ。裸の付き合いということだが、M親子はとても貧しく、筆者の家によくやって来て、何日か泊まることもあったらしい。間もなくわが家も父がいなくなって極貧生活に陥るが、相変わらずM親子とは親しくした。それが小学6年生まで続いた。Mの母親は、貧しい中でも教育熱心で、Mを私立の中学に通わせようとした。それで中学生になってからぷつりと交際が途絶えた。Mは私立には行けなかったようだが、八尾に転居して小さな家で母親とふたり暮らしをし、筆者が中学生の時に一度だけその家に家族全員で遊びに行ったことがある。その後、たまにMの母親は大阪のわが家に何かのついでに立ち寄ることがあり、また共通の知人からの情報によって、M親子の様子はだいたいわかっていた。Mは背が高く、とてもいい体をしていたが、頭はよくなかった。その代わり、優しい性質で、いつも笑顔であった。母親を幸福にすると言うのが口癖で、そのことを聞いた母親はいつも筆者をなじった。あまりに筆者が不甲斐ないというのだ。せめて口だけでも母親にそのようなサービスが出来ないのかと言うのだ。男はそれくらいのはったりがなければならないという意味であったのだろう。そういうMは大人になって収入に困り、母親のなけなしの貯金を勝手に引き下ろすなど、筆者には考えられない行動をよくした。口で母親を幸福にすると言いながら、その逆をしていたのだ。だが、母親はそれを認めたくないからMを甘やかす。それでMはまたあちこちで問題を起こしたのだろう。母が無条件に息子を愛するのはいいが、溺愛という言葉がある。悪いことをすれば叱るのが愛だあと筆者は思うが、どのようなことをしても叱らない親はいる。その結果世間に迷惑をかけても平気だ。それはさておき、Mは中学生になった筆者の持ち物にそれなりに関心を寄せ、筆者が万年筆を買ってもらって大事していると、すぐ同じものを買ってもらったりした。ところが、次に会った時にはもうその万年筆は壊れている。もともと字を書くことに興味がないから、扱いがぞんざいなのだ。筆者の目の前で、筆者が持っているのと同じノック式の万年筆を分解して見せたことがある。筆者はそのようなことをするとすぐに壊れると思っていたし、また分解に関心もなかったから、Mの行為が理解出来なかった。話は長くなるので思い切り端折るが、Mは結婚して3人の子をもうけた。Mの母は孫が出来て大喜びした。ところが、理由はしらないが、Mは子どもが小中学生になった頃に離婚した。そして、肺の病気を発症し、50歳くらいで死んだ。Mが死んだことを知った時、筆者が思い起こしたのは、万年筆の分解行為だ。万年筆は遊び道具ではない。57で死んだMにも無茶をするところがあった。そういう人間は早死にする。
NもMに似たところがあった。世間で言う破滅型だ。そんなNがジャンゴに関心を持ったのはなぜか。何度かそのことを酒を飲みながら訊いたが、いつもはぐらかされた。Nにも大した理由がなく、たぶんラジオで聴いて興味を持ったのだろう。それに、誰もが知っているギタリストではなく、ジャズでもフランスのというところに斜にかまえた格好よさが自演出来ると思ったのだろう。それだけが理由とすればNには申し訳ない。Nは自分と同質の何かをジャンゴに見たのではないか。ジャンゴの経歴などをNは調べたはずはない。買ったLPは輸入盤で、英語の解説をNはわざわざ読まない。Nはついに筆者が大好きであったザッパを理解することはなかったが、ジャンゴの音楽、つまり『ジャンゴロジー』だけは愛聴していたようで、それは自分が進んで見出したものという一種の誇りの気分が混じっていた。筆者もそうだが、いい音楽を他人から教えてもらうことをあまり潔しとしない。自力でいろんな音楽を聴き進み、その中で好きなものを決めて行く。Nにもたぶんそういうところがあった。そのため、世間の評価はほとんど気にすることがなかった。自分が好きであれば何でもよく、アイドルの若い女の子が登場して来ると、たいていファンになったりもした。筆者は全くアイドルには関心がないが、そういう頑なな態度をNは理解出来なかった。さて、ジャンゴの名前はNがLPを買う以前から知っていたが、ジャンゴの音楽を聴くようになっても、聴く前の思いが変わることはなかった。ジプシーで、また10代半ばに住まいの馬車が燃え、それを消すために火傷を負い、左手の薬指が動かなくなったといったことは、Nに教えてもらわずとも知っていたが、ギタリストであれば指の動きが命であるのに、それが不自由でどうして世界的名声を得ることが出来たのか。それは音楽を聴くことでしかわからない。だが、Nが買ったLPは、筆者の愛聴盤というほどにはならなかった。そうそう、先の話の続きを書く。Nは筆者に『ジャンゴロジー』をプレゼントしてくれたが、翌日酔いが醒めて『ジャンゴロジー』のジャケットから黒い盤を取り出すと、ふにゃふにゃに波打っていた。1もう枚のジャズ・メッセンジャーズも同じだ。そのことをNに電話で告げると、筆者に手わたす前に数時間トランクに入れっ放しにしていたために、真夏の高温で曲がってしまったと言った。そして、いかにも残念そうで、筆者と飲みに出かける前に手わたしておけばよかったと言った。その日、筆者は確か昼過ぎにNの事務所に行った。Nにすればその時に手わたせば、トランクに入れることはなかったのだが。荷物になってはよくないと思ってトランクに入れた。飲み屋に入る前に気づけばよかったのに、そのままになった。せっかくNにもらったLPであるから、筆者はどうにかそのどうしようもない反りを戻そうとあれこれ試しが、無理であった。そのことをNに言うとまた残念そうであった。もらった『ジャンゴロジー』はジャケットの値打ちだけとなったが、捨ててはいないからどこかにある。それが今日は見つからなかった。時代が変わって今やYOUTUBEでいくらでもジャンゴの演奏を聴くことが出来る。そのため、今後も筆者はジャンゴのLPやCDを買わないだろう。
NからもらったLPですぐに覚えた曲は今日取り上げる「マイナー・スウィング」だ。これが代表曲になっている。2分半ほどの短い演奏だが、間のソロを長くすれば10分でも20分でも延ばせる。ジャズとはそういうものだ。それでこの曲の重要な部分は最初と最後の主題となるが、ジャズではむしろその間の即興に聴きどころがある。クラシックで言うカデンツァで、これは演奏者の腕の見せどころだ。楽譜どおりに弾くことは出来ても即興は駄目というのは、想像力と創造力が足りない。クラシック音楽家にはそういうタイプが多いのではないか。書かれたものをなぞる行為はいわば模写だ。それはそれで技術が必要だが、模写は誰でも出来る。だが、クラシック音楽の演奏家からすれば、即興こそ簡単で、それは作曲家が決めた重要事の中には含まれないと思うだろう。それに、楽譜に書かれたとおりに演奏することの中にも自由はあり、それはカデンツァを華麗に弾くこと以上に面白く、また難しい課題だと言うだろう。それはさておき、「マイナー・スウィング」はいいにはいいが、エレキ・ギターの音色を聴き慣れた者からすれば、やはり時代が古く、身を乗り出して聴く気にはなりにくい。簡単に言えば地味なのだ。ところが、Nから『ジャンゴロジー』をもらう前か後か、筆者は大阪市立図書館でジャンゴのCDを見つけて借りたことがある。15年ほど前だと思う。そのCDには「マイナー・スウィング」が2曲入っていた。最後のボーナス・トラックとして入っていたものは初めて聴く演奏で、それがNからもらったLPの、いわゆる世間でオフィシャルとして通用しているヴァージョンの何倍もよく、一気にジャンゴの底力を知った思いになった。借りたそのCDはかなりぼろぼろで、日本語の解説がついていたが、もう廃盤になっているだろう。ジャンゴはLP時代に活躍したミュージシャンではないので、発売されているものはたいていは編集盤ではないか。Nのもそうであったと思う。その点はジミ・ヘンドリックスと多少似ていて、海賊盤的なものが目立つ。そのことがジャンゴの名声を今ひとつ地味なものにしているように思える。それと一緒に活動したヴァイオリニストのステファン・グラッペリの存在だ。「マイナー・スウィング」は彼との共作になっていて、冒頭のメロディはヴァイオリンが奏でる。それはそれでいいのだが、ジャズのヴァイオリンは曲の雰囲気を甘くする。それがフランスのジャズの醍醐味と言うことも出来るが、アメリカの黒人ジャズを聴き慣れてしまうと、ヨーロッパのジャズは女性的に思える。グラッペリの柔らかいメロディにはエレキ・ギターの音色は似合わない。ジャンゴもグラッペリもそう思ったのではないか。それにNが買った『ジャンゴロジー』収録の「マイナー・スウィング」は、冒頭のメロディが遅い。筆者が大阪市立図書館で借りたCDのボーナス・ヴァージョンはほとんど倍近い速さで、それ続く即興演奏ももちろんそうであった。それは70年代以降のロックを聴き慣れた耳にもとても新鮮で、初めてジャンゴが今なお人気があることがわかった。ボーナス・トラックと書いたが、実際はそうではなく、そのCD全体が独自選曲で編集したものだ。そして今ではYOUTUBEでもっと珍しい演奏を聴くことが出来るのだろう。先日「マイナー・スウィング」のいろんな演奏を聴いていると、
エレキ・ギター・ヴァージョンがあった。1947年の演奏だ。これが信じられない。・一度聴いてジャンゴがいかに天才であるかがわかった。正直に書くと、その演奏を聴き始めてすぐに筆者の目頭が熱くなり、ジャンゴ以降のロック時代のギタリストはすべてジャンゴにひれ伏すべきと思った。ザッパも例外ではない。ジャンゴはザッパのように長いソロを弾かなかったが、それはギタリストとしての腕前の優劣を示さない。
ジャンゴは左の薬指の自由が利かず、そのために独自の奏法を編み出したとされる。ここに創造の不思議がある。何か足りないものがあると、人間の本能はそれを補おうとする。盲人が立派な演奏家になる場合が多いのはそこから説明がつく。ジャンゴの住まいの馬車が火災を起こさねばジャンゴの指は健全で、ジャンゴはもっと違うギタリストになっていたかもしれないが、そういう想像はしても仕方がない。ジャンゴは火傷を受け入れた。そこからが出発だ。そのことで思うのは、世の中のどのような優秀なことも、何か不自由であることを前提にして生まれて来たのではないかということだ。そうそう、ジャンゴで思い出すのは、10年かもっと前にどこかで見たジャンゴのドキュメンタリーだ。ジャン・コクトーがジャンゴの没後2,3年に撮ったものだと思うが、ジャンゴの足跡を白黒フィルムが追い、30分ほどにまとめていた。セーヌ川の自然豊かな家、そしてジプシーたちの馬車やその集いの生活やなど、フランスでいかに多くのジプシーがいるかがわかった。今はジプシーと言うのは差別で、ロマと言わねばならないが、定住している人たちがその後は増えていると何かで読んだことがある。国籍の問題、それに税金をどうするかなど、国としては気儘に各地を転々として暮らしてほしくないのだろうが、ヒトラーのナチはユダヤ人とともにジプシーもたくさん殺したから、ヨーロッパでどのような人種と思われて来たかは想像出来る。定住を促しても彼らにまともな職業があればいいが、そうでなければ自由にさせておくしかないし、ジプシーの社会問題というのは今もあるのではないか。そして、彼らの血の中からジャンゴが生まれて来たことは、それだけ音楽の素質を持った集団と言えるが、ジャン・コクトーがジャンゴの音楽に魅せられていたことは面白い。ジャンゴは若い頃の馬車による移動生活を愛し、有名になってからもたまにそんな生活に戻ったようだが、ジャンはそういう生き方に憧れがあったのだろう。芸術家と言えば高尚に響くが、その元は芸人だ。それには旅がつきものだ。またそれは普通の世間からは離れた人たちの、強いられた生き方で、ジプシーに限らず世界中どの地域でもあった、あるいは今もある。今では芸人と芸能人と芸術家は分けられているが、本来は同じで、簡単に言えばアウトローだ。社会の階級からはみ出た存在で、賤しいとされる。だが、彼らがいて、また彼らの芸を受容する人たちが一方にあって、芸、芸術が育まれ、国を代表する文化が生まれて来た。ザッパのアルバム『チャンガの復讐』の見開きジャケット内部は、ジプシーの馬車が集まるキャンプのイラストだ。ザッパはジプシーではなかったが、そのような生活に人生の半分以上を費やした。旅に明け暮れたのはモーツァルトも同じで、ジプシーとあまり変わらない生き方であった。ジャンゴは43で死んだ。モーツァルトより長生きしたが、ザッパより早死にだ。寿命は儘にならないものだが、傍で見ているとある程度は納得出来るものだ。無茶をしない人は、細く長く生きる。それがいいのか悪いのかはわからない。みんな望んだ人生を送る。