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●神社の造形―北野天満宮
宜を務めた家柄と聞いたが、それはもちろん自慢のつもりだ。宮司ではなく禰宜であるので、別のたいしたこととは思わないが、誰でも知っている大きな神社となれば、禰宜といえども誰もがなれるものではないのだろう。



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それはともかく、その禰宜を務めた家柄のとある爺さんのことを今日はふと思い出した。以前にも書いたことがあるが、近所の厄介者と思われていた人で、あちこちで悶着を起こしていた。遊び人で、上七軒で財産を潰したそうだ。2年ほど前までは毎日近所をふらふら歩いていたり、駅前の広場にぼんやり立っていたりしたが、さびしかったのだろう。浮浪者のような姿になっていた。奥さんは気位の高いことで有名で、彼女の姿も見なくなった。主人が芸者遊びして身を持ち崩したことを怨んでいたであろう。それで主人は家に居づらくなり、毎日近所を散歩するようになり、あちこちで声をかけて気持ち悪がられた。最後の2年ほどは、足が悪くなっていたのか、とてもゆっくり、靴底を地面に擦りつけながら歩いていた。髪も髭も真っ白で、筆者を見かけると、「あんたはいつも若いなあ」と笑顔で話しかけて来た。哀れなもので、もう誰も思い出さず、また思い出しても何とも思わない。その主人がまだ元気で働いていた頃のことを知っている。その仕事を辞めて急速に老け始めた。筆者が最初に話してから姿を見なくなるまで20年ほどか。ということは80歳ほどで亡くなったのか。筆者は家柄を自慢する人は大嫌いなので、その爺さんもあえて話しかけたくなる人物ではなかったが、筆者にはどういうわけか愛想がよかった。まあ、本人はさびしいので、誰にでもそのように話しかけていたのだろう。それにしても、しっかりとした様子で車を運転し、仕事をしていた時の様子と、おぼつかない足取りで近所を歩いていた時の姿のあまりの落差に今なお驚く。それほどに人間は晩年になって見る影がないほどに変わってしまう。誰でもそうとは限らない。岸恵子がいい例だ。だが、彼女は若い頃から人から注目される芸能人であり続け、見栄えがいいのはあたりまえと言える。そうでない芸能人も大勢いるが、見られているという思いを持っている限り、そう零落はしないものだろう。それは何も高価な衣に身をまとうことで保てるものでもない。肝心なことは、汚れていないかどうかだ。清潔感は大切だ。筆者はよく家内から歯が汚れていることを指摘されるが、先日は爪楊枝で徹底的に歯の表面を磨き、歯垢を取り除いた。それでもまた数日後には舌で触ってもざらざらとしている。歯磨きの方法が間違っているのだろう。歯の汚れを意識しないことは、女性の目を気にしていないことで、これは零落を気にしないことにつながっていて具合が悪い。まさか今後美しい女性とキス出来る機会があるとは思えないが、それでも口元を見せて話をすることはあるから、歯垢は見えないようにしておかねばならない。それを言えば口臭も気をつけるべきで、高齢者と話していて我慢出来ないほどの口臭に出会うことを思い出して自戒すべきだ。何の話かと言えば、清潔にすべきということで、その思想は神社の根本だ。神社の造形は、簡素な美だ。巫女の衣装は白と朱だが、その簡素な美しさは社の色調と同じで、日本が考える美とは、無駄がなく、清潔なことだ。なぜそうなって来たかと言えば、多湿の風土で、黴が発生しやすく、隅々を清潔にしておかねば病気になりやすいからだ。この気候は変えることが出来ないが、経済大国になると、高温多湿を嫌って人工的に快適な空間を作り、そこで暮らすようになる。もう毎日クーラーをかけっ放しの人は珍しくないだろうが、筆者がほとんど終日いる3階の14畳の部屋にはクーラーがない。暑い季節は暑いと言い、寒い季節は寒いと言う。なるべく自然に沿って生きる。そのことで熱中症になれば、それはその時のこと。
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 欧米化がさらに加速化した戦後の日本は、簡素な美はあるにはあるが、食べ物でも衣服でも、ごてごてしたものが増えた。簡素なことは惨めに思われている。それは安物の特徴であるからだ。飾りが乏しいからで、つまり余裕のない生活を意味している。経済的に潤うと、まず何事も飾り立てるようになる。その考えは西洋のもので、権力を持つほどに、ごてごてした、威圧感のある建物を欲する。若者は何を着ても似合うが、高齢者は明るい色合いの衣服やまたアクセサリーが欠かせないとよく言われる。これは、高齢になると、ごてごて飾り立てなければより醜悪に見えるとの考えで、そのことからすれば、金持ちは醜悪ということになる。金持ちでも簡素な生活をする人があると思うが、たいていは変人と思われるだろう。質素や簡素は求めるものではなく、仕方なしに受け入れるものという考えが多く、それで今週金曜日に締め切りとなる7億円が当たるサマー・ジャンボ宝くじがよく売れる。昨日自治会のFさんとホーム・センターに車で行き、地蔵盆の家庭用お下がりの品を買いに行ったが、その帰り、Fさんは宝くじを買わないのかと言った。筆者は昔は何度か買ったことがあるが、もう関心がないと言った。Fさんは宝くじやロトを毎回買っている。7億円当たればどうするのかと訊くと、誰にも言わないとの返事で、筆者はそういう意味ではなく、何を目的に億単位の金がほしいのかと再度質問した。するとFさんは返答に困った。金はいくらあっても困らないと言われるし、また老後のことを思えばやはり金はほしいということなのだろう。筆者もほしいのは確かだが、7億当たっても生活はたぶん変わらない。Fさんは商売を辞めると言ったが、筆者は40数年、ずっと好きなことをして生きて来ているので、億単位の金があってもやりたいことは今と同じだ。それに、大金が入ったというので、今までの生活を変えると、すぐに病気になって死んでしまうだろう。宝くじで大金が当たった人たちはみな幸福をつかんだかと言えば、案外そうでもないだろう。金のことを考える必要のない生活をしている人は、王、そして乞食と言ってよいが、筆者は気分は王、他人から見れば乞食のような暮らしかもしれない。ましては歯が汚れていればなおさらで、そのためにも着るもののほか、心身ともに簡素さを保っておかねばならない。そういう思いがある限りは、神社に行っても場違いを感じないだろう。今日の写真は最初の2枚は今年3月25日に京都北野天満宮で撮った。朱と白の社がとても美しい。これは世界のどこにもないほどのものだ。昨夜書いた郷土玩具の「松江の宮」を自分で作る際の参考にと思って、社をあれこれ観察していることは昨日書いた。今日の写真もそのために撮った。3枚目は去年の晩秋に大阪の住吉大社に自治会住民の大志万さんと出かけた時に撮ったもので、「住吉大社、その2」に載せた。その時に書いたかもしれないが、写真と撮る前に大志万さんに、社の連なりの美しさを言った。彼女はあまり関心がなさそうであったが、筆者なら油絵にしたい。そう思いながら撮った。もちろん、撮影しながら「松江のお宮」のことも思った。今日の午後、ピンポンが鳴って家内が出ると、大志万さんであった。1階から3階に呼び声がかかる。慌ててズボンを履いて外に出ると、大志万さんは先日MIHO MUSEUMの「若冲と蕪村」展に誘ってもらったお礼と言って、紅茶専門店で買ったアール・グレイを差し出した。そのような気を使わなくてもいいのにとか言いながら、筆者は下着のシャツのままであるのでどぎまぎした。それに汗まみれで、髭も目立ったはずだが、彼女はきれいに化粧をして笑顔であった。不意な客が来ても大丈夫なように、常に身をきれいに心がけておくべきなのに、クーラーのない部屋で汗みどろになって仕事していれば、むさ苦しい格好になる。なので、なおさら神社の簡素な造形に憧れるのだろう。筆者の女性の好みもそうで、ブランドものを自慢するような女は視界の中に入らない。素であって美しいということはなかなか難しいことだ。素であって惨めたらしくないということは、内面が輝いているからで、それは長年の修練がものを言う。
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by uuuzen | 2015-07-28 23:59 | ●神社の造形
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