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●神社の造形―松江のお宮
を絞って集めなければ大変なことになる。一昨日、京都駅の地下の改札口前でMさんに言われた。奇数月の最後の日曜日に開催される京都の郷土玩具の会の集まりがあったのだ。



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筆者は偶数月の最後の日曜日に開催される大阪の会にも参加しているので、毎月1回は郷土玩具についての薀蓄を耳にする。筆者は熱心な収集家ではなく、郷土玩具についても興味があるのは伏見人形のみと言ってよい。そのことを大山崎のMさんは知っていて、10年近く前に吹田の収集家が高齢のために長年の収集品を愛好家に譲るとなった時、伏見人形に関しては筆者が買うだろうということで声をかけてもらった。それ以前からMさんとは知り合いだが、出会いについては以前に書いたと思う。Mさんはたぶん15000点ほど半世紀以上の間に集めた。周囲からは絶対に死ぬまで手放さないと言われていたそうだが、奥さんが遺したまま死んでもらっては処分に困ると言い始め、それで少しずつ手放し始めたが、一旦そうすると、今までの執着がきれいになくなったそうだ。とはいえ、まだ収集品は半分以上あるようだ。筆者は伏見人形には目がなかったが、それも10年ほど経つとほとんど飽きた。それに保存場所がない。たいていの収集家が困るのはそれだ。それはさておき、毎回会合でのホストはMさんだが、去年の年末にその会合を辞めてしまうことにしたが、二番手のKさんが若い人をどこからか集めて来て、再出発することになった。筆者は最終回に呼ばれたが、若者が集まる新たな出発にも参加し、それが一昨日は三回目になった。つまり、4回参加した格好だが、Mさんはせっかく京都で生まれた会合で、京都に住む人に今後継いで行ってほしいと言った。それでKさんと筆者がその役割をすることになったが、筆者は収集家ではなく、郷土玩具全般に関しては全くの素人で、また今後もさほど関心を強く持つことはない。それに、前述のように大阪の会合にも出ているので、毎月となると何となく気が重い。京都の顔ぶれを見ると、数人が大阪にも参加しているが、大阪は毎回20数名であるのに対し、京都は10数名だ。だが、Mさんから聞いた話では、元は京都から始まったもので、途中で大阪が分離したらしい。つまり、伝統は京都にある。ところが大阪は会員が400名ほどで、会報も出している。その点、京都はいかにも同好会で、簡単に言えば収集品の見せ合いだ。郷土玩具に対する思いは人それぞれで、筆者は総花的に関心を抱き、また集めたいとは全く思わない。自分の審美眼にかなったもので、しかも手元に置きたいと思うものだけで、それは今後いろいろと見て行く中で増える可能性があるが、現在のところ関心があるのは伏見人形以外ではごくごくわずかだ。そのひとつが今日紹介する「松江のお宮」で、もうひとつは愛知の美江寺でかつて授与されていた蚕鈴のうち、宝珠型だ。そのほかにもあるが、興味の度合いはぐんと下がる。「松江のお宮」は男子の玩具とされているが、これを最初に見たのはいつどこか忘れた。たぶん弘法さんか天神さんの縁日だろう。一目で美しいと思い、買った。なぜ魅せられたかだが、形もさることながら、その深い赤が気持ちよかった。薔薇でもなぜか深紅が好きで、これは血の色であるからかもしれない。
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 筆者は神社にはほとんど関心はないが、社の朱色の美しさには見惚れる。だが、京都や大阪ではどの神社でも朱色であるのに、なぜ「松江のお宮」が深紅に塗られているのか。それがどうも気に入らないが、かといって朱色であれば面白くない気がする。本当にそうなのかどうか、杉の板で同じ形のものを作り、それに朱色を塗ってみようかと3,4か月前に思い立ち、材料と道具は揃えた。それが手つかずであるのは、あまりに多忙であるからだが、同じ形では面白くないので、何か工夫しようかと考えている。それは、「松江のお宮」以前に作られていたはずの同じような社の玩具の再現だ。江戸時代半ばのそういった玩具の書籍に、『江戸二色』がある。そこに社の玩具の図が載っているが、それは江戸で当時製造されていたお宮さんの玩具で、「松江のお宮」はそれを参考にしたのだろう。あるいは、京都が発祥の地ではないか。『江戸二色』に載るお宮さんは、鳥居がついている。それに屋根の向きは90度違い、現実の社と同じになっている。今日の写真で言えば、三角形に尖った切妻は、側面に来る。筆者なりにあちこちの社を調べると、必ずしも切妻が参拝者には見えないようにはなっていない。つまり、「松江のお宮」のように参拝者に向かっている場合が稀にある。玩具として見ればどちらが美しいかと言えば、切妻が正面に見えている方がよい。だが、『江戸二色』はそうはなっていない。ここが悩みどころで、限りなく古い形を再現したいのであれば、『江戸二色』に倣うべきだ。だが、その図版にも多少問題があり、鳥居は参拝者に向かっておらず、側面にあり、しかも直立せず上部が手前に傾いている。そのような鳥居では倒れてしまうので、図を描く際の便宜上の工夫だと思うが、ともかく『江戸二色』の社の玩具は「松江のお宮」とはかなり様子が違う。一方、戦前の玩具の本に描かれた「松江のお宮」は、今日の写真と同じものだが、正面に鳥居がある。つまり、「松江のお宮」は最初は『江戸二色』に載っているものに近かった。なぜ鳥居を省略したかだが、壊れやすいうえ、手間がかかったからだろう。それに現実の社の真正面に鳥居があるとは限らない。「松江のお宮」はラフカディオ・ハーンが愛し、書斎の手元に置いていたと言われる。だがそれは明治時代のもので、鳥居がついていたはずだ。ネット・オークションで長年粘ってもそのような古いものはもう出て来ないだろう。せいぜい昭和30年代で、郷土玩具ブームが盛んであった頃のものだ。今は作られていないから、そういうもので古の物を忍ぶしかない。10年ほど経つかどうか、家内と倉敷に旅行した。その時、郷土玩具の館に入り、そこで「松江のお宮」のとても古いものを3,4個見た。どれも彩色されておらず、白木が褐色に変化していた。また形は背丈が高く、今日の最初の写真の4個並ぶものとはまるで違った。社には違いないが、西洋のカテドラルを思わせた。『江戸二色』に載る図とも全然違うので、ひょっとすれば出雲大社を参考に松江では独自に江戸時代からそのような形の社の玩具が作られていたのかもしれない。そしてラフカディオが弄んだのはそういう古い型であったのではないか。
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 話はまた変わる。家内は毎日韓国ドラマの『大長今』を見ている。筆者はそれをまともに見たことがないので、ちょうどいい機会と思って録画を消していないが、今日気づいたことがあった。韓国の宮中の建物はみな赤が塗られている。その色がいろいろで、日本の神社のような朱色はなく、「松江のお宮」のような深紅系だ。系というのは統一されていないからで、実際はどうであったのか知らないが、深紅の柱や軒はなかなか美しくてよい。それはまるで「松江のお宮」で、神社の歴史をどんどん坂ぼると、結局朝鮮半島に行き着くことを思う。そういった赤は丹と呼ばれて、その顔料を専門に作り出す職人がいたが、化学変化で作り出す色であるから、赤とはいえ、種類は豊富であったのだろう。さて、大山崎のMさんが蒐集品を放出し始めていることを聴き、「松江のお宮」はどうかと訊くと、3個あって1個はKさんが持って行ったが、2個はあると言う。それでそれを見に出かけた。今年3月のことだ。そうして撮ったのが今日の2枚目だが、左が倉敷の郷土玩具館で見た無彩色の古い型とほぼ同じだ。売ってもらえたが、その形は筆者の好みではない。古型であることはわかっているが、それを言えば『江戸二色』の図はもっと古く、しかもそれとはあまりに共通点がない。右は最初の写真に並ぶ4個と同じグループの新型、つまり戦後昭和30年代のものだ。だが、残念ながら褪色がはなはだしい。それに同じ形のものを筆者は持っている。4月に大阪の郷土玩具の会に参加した時、1000円でいいので買ってほしいと言われたのが3枚目の写真だ。やはり筆者が所有する4個と同じもので、食指が動かなかったが、その後ネット・オークションに出品され、1500円で落札された。帰宅して写真を仔細に比較すると、それは4個のどれとも屋根の角度が少し違っていたが、そういうわずかな差のものを全部集めるとなると、たぶん100や200になってしまうだろう。そこまで筆者は熱心な収集家ではない。的を絞らなければ数万単位収集品になってしまう郷土玩具であるので、筆者は「松江のお宮」に注目して、その変遷を確かめたいと思っているが、収集よりも自分で作る方に関心が向き始めている。『江戸二色』と同じ形にするのか、あるいは最初の写真の4個の平均値を取り、その形に作って色は現実の朱色にするか。そんなことを思いながら、関東地方の神社や寺では、深紅系の色を塗る建物が少なくないことに気づいた。丹という一語で包含する実際の色はとても多様であるようで、結局は玩具としてどういう色合い、配色が最も美しいかを考えればよい。その意味で最初の写真の4個は白と黒とで描かれる模様が大胆で面白い。実際の社にはそのような文様はないが、何しろ玩具であり、省略と誇張がなされている。目に飛び込んで来てしっかりと記憶される形と色合いがいいのであって、「松江のお宮」はその洗練の極地にあり、筆者が改変出来る箇所はない。深紅に塗られるのは、それが美しいことと、褪色しても赤でなくなることはないからだ。朱色で塗ると、ひょっとすれば10年も経てば黄色になるかもしれない。それでは困るのであって、深紅には現実の社に倣ったというのではなく、実用としての深い理由があるのではないか。また、この玩具は、扉を開けると中は空洞になっていて、そこに小さな天神の人形を飾ったというが、神社の肌守りがちょうどぴったり入る大きさになっている。
by uuuzen | 2015-07-27 23:59 | ●神社の造形
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