「
唆す」という使ったことのない漢字が韓国ドラマの字幕に出て来た。それを見てまだこのブログの冒頭の一字に使っていないことを確信した。
「唆す」は「浚う」を思い出させたが、口の中を浚うことがそそのかすことなのかと、ドラマの字幕を読む一方で考えた。口の中を浚うとは、爪楊枝で歯の隙間をほじくったり、うがいをすることと言えるが、そうしてきれいになった口は、てんぷらを食べた直後のように、舌がなめらかに動き、それで他人をそそのかしても効果が上がるだろう。ま、そのことも字幕を追いながら想像した。人間はそのように、行動しながら別のことを考えることがよくある。というよりいつでもそうだと言ってよい。それは本当はよくないこととされる。昔そう聞いたことがある。食べる時は食べることだけに専心し、勉強する時は勉強のことだけを考える。何事も上の空では身に入らない。「ぼやっとして上の空でいるから、空見た子とかと言われるんや!」。それで、先日の祇園祭りの宵々山の帰りのように、歩いている時によそ見して自転車に当たられ、スイカを傷つけることになる。スイカであったからよかったものの、それが生身であれば洒落にならない。実際自転車に追突されて大けがする事件は珍しくない。自分の不注意が原因で自損事故を起こせばまだ納得も出来るが、他人を傷つけると後悔しても遅い。つまり、そういうことになりかねないので、行動中はそのことに専心すべというのだ。字幕で「唆」の漢字に気を取られていた時の筆者は、ほかのことを考えたのでドラマのその場面をよく覚えていない。そういうことが多々あるので、巻き戻して見ることが多いが、それは上の空でいることが多いための時間の損失だ。だが、こうして書く行為は、専心しなければキーを押し間違うから、ほかのことは考えないかと言えば、全くそうではなく、ほかのことを考えっ放しで最初から最後まで書く。つまり、上の空でいることに専念し続けることが筆者のブログだ。これは歩きながらよくよそ見をする筆者の性に合っている。思う存分上の空でおられるし、またそのことでたとえばスイカに当て逃げされることはない。文章の種類はさまざまで、上の空ではえらいことになる場合の方が圧倒的に多いが、気楽に即興で書くこうした文章は、上の空という自己陶酔、現実逃避、自由気ままを満たしてくれる。それで筆者は毎晩疲れているのにこうして書く気力もあるのだろう。これが誰かに何かについて書けなどと言われると、上の空は許されない。では、こうして自由気ままに書く文章になにがしかの価値があるかどうかだ。それは本人の思いようで、筆者が気晴らしになっているのであればその価値がある。他人がどう思うかはわからないが、他人が読んで面白いということを考え始めると、もうそれはおそらく面白くないものになる気がする。過去に書かれた何かに似るからだ。そのことで思うのは、先日TVで見た『テルマエ・ロマエ2』だ。過去にさんざん使い古された手法が満載で、それを始終見せつけようとしていて、確かにわずか0.5秒の場面に大金を費やしているのはわかるが、その見せどころが見え透いていて、そこが安っぽい。つまり、面白く見てもらおうという意識が強過ぎて、実際面白いのだが、突きぬけてそうではない。完璧に化粧した美人が、『わたし、美しいでしょ』との雰囲気を発散しているのと同じで、面白さの底が知れている。笑いも技巧あってのことというのはわかるが、その技巧が見えてしまっては笑えない。それはともかく、筆者はこのブログで何をしたいのかと言えば、気晴らし以外に上の空の連続という即興によって、筆者が普段感じていることが脈絡があるのかないのか、続々とこぼれ出て来ることが面白い。これは、上の空でいて、書くということに集中しているからで、上の空の連続のようでいて、書く行為に専心している。このことは、行為に専心しながら、周囲の動きを絶えず観察して取り込むことで、散歩と同じと言える。
さて、散歩だが、先日高槻の病院に見舞いに行き、その帰りに居酒屋でビールをたくさん飲んだ後、筆者は家内と真っ直ぐ帰宅せずに、気になっていた場所を訪れることにした。その場所に以前行ったのは10年ほど前だ。写真を2,3枚撮った。1枚は街道筋の料理屋で、木造2階建ての2階に丸い大きな時計がついていた。そして江戸時代にその付近であった仇討の事件について記す立て看板もあった。その看板の写真も撮ったが、看板全体が透明なビニールに覆われ、文字は読みにくかった。そのため、写真は撮らなかったと思う。もう1枚の写真は、その料理屋から200メートルほどか、とあるマンション近くの駐車場を兼ねたような空地で、そこに色の濃い紅梅が咲いていた。ということは3月だろう。それで昨日はこのブログのどこにそれらの写真を投稿したか調べたが探せなかった。写真は150×120ピクセルの小さなものに加工したはずで、そうなれば『おにおにっ記』に使ったことになるが、その目次を眺め、またこれかと思う題名をクリックしてもそれらの写真に出会えなかった。では、検索機能を使えばどうか。料理屋は芥川商店街を出たところにあって、また真向いに芥川郵便局があることを先日の再訪の折りに思い出した。「芥川」で検索すればすぐに見つかるかと思えば、そうではなく、写真はよく覚えているのに、それがどこにあるのか確認出来ないことに悔しい思いをしている。認知症の始まりはそういうことかもしれないと思いつつ、一方では加工した写真は使わずにMOディスクに保存し、そしてそのディスクが壊れてしまったのかもしれないと考え始めている。それはともかく、10年ほど前にネットで地図を印刷し、それを片手に高槻のとある場所に人に会いに行った。初めての地域で、また紅梅や三叉路の角にあった木造2階建ての料理屋や立て看板などの印象がなかなかよく、いつかもう一度訪れたいと思っていた。この10年、高槻には30回は行ったが、今回久しぶりに思い出したのは、自分でも理由がよくわからない。ともかく、ビール中ジョッキを4杯飲んだ軽い酔いも手伝って、芥川商店街を目指した。その前に撮ったのが今日の最初の写真で、JR高槻駅の北の空は夕焼けがきれいであった。ビルにそれが反射し、その写真を撮ろうかと思いながら、そのビルがあまりきれいではないので考え直し、反射ではなく、夕焼けそのものを捉えた。両脇のビルは、先日書いた高層マンションだ。夕焼け雲が横の縞模様になっているのが面白い。この写真を撮って5分ほどで、大きな通りの向こうに芥川商店街が見えた。ただし、10年前にそこを訪れた時は、歩いた道が違い、大きな通り沿いを歩き、左手に同商店街の口が見えた。同商店街は100メートルほどの短さで、それがまた印象に強かった。10年前のままのような気がしたが、今回はシャッターを閉めた店が目立った。商店街を抜けてすぐ、左手に目指す料理屋と立て看板があって、いささか拍子抜けした。筆者の記憶と若干違った。立て看板は数年前に新しくなったようで、またビニールで覆われていなかった。料理屋は寿司屋で、またその寿司屋の少し手前、商店街の中にさらに古い、昭和レトロ丸出しの風格のある料理屋があることを家内が教えてくれた。家内は数年前にそこで行なわれた姉の亡くなったご主人の法要に参加したとのことだ。芥川商店街を出た付近は、高槻の最も古いところだそうで、江戸時代の街道沿いだ。それで古い料理屋がある。10年前と同じく角度で木造2階建ての寿司屋を撮影し、次に立て看板を撮ったが、シャッターをしっかり押したはずなのに、立て看板は写っていなかった。つまり、10年前に撮ったと思うものも実際はどこにあるかわからず、それと同じようなことになった。仇討事件を記す看板なので、写らなかったのは却っていいのかもしれない。寿司屋から200メートルほど先に、紅梅を撮った空地があるはずだが、10年も経てばすっかり変わっているし、また今は梅の季節ではない。それに寿司屋の壁面の丸い大きな時計は午後7時半を指し、もう夜に近い。それでは200メートル先にあるかないかわからない空地に向かうことをそそのかすと、家内は拒否するに決まっている。そんなことを考えながら、今日の2枚を撮ったが、立て看板を家内に読ませ、その姿を収めた。多少酔いながらの散歩で、意識はずっと上の空、「空見た子とか!」と罵られないように歩くことに専心すべきとは思わなかったが、それほどに商店街は人が少なく、料理屋の付近も誰も歩いていなかった。