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●がんもどき、その7
台のような京都タワーが遠くに見えたので写真を撮った。去年10月下旬か11月上旬か忘れたが、今日の最初の写真の右端にそれが映っている。病院の食堂の窓から南東を向いて撮った。



山並みは東山で、やや霞んでいるが、清水寺など山に張りついている建物がどうにか見える。この写真とは角度が少し違うが、昨日の午後、家内の3か月ぶりの医師による診断に付き添い、その診断室の窓から同じように京都タワーが見えていた。カメラを持って行かなかったが、持っていてもまさか診察室で呑気に窓の景色を撮影する不謹慎は許されない。それはさておき、3か月ぶりに家内は胸部のCTスキャンとレントゲンを撮り、筆者らの目の前で医師のパソコンで3か月前の様子と比べてもらった。両肺にあった腫瘍はかさぶたのようになってもうあまり心配ないとのことであった。去年10月下旬に片肺の腫瘍を手術で取り除き、もう片方は手術が難しいというので薬で抑えることになった。その薬がとても高価でまた副作用が強く、服用を続けた結果、元々肝臓があまりよくない家内は、肝臓の種々の数値が悪化した。それを見て医師は薬の服用をやめ、肝臓がよくなるのを待ってからまた処置を考えようということになったが、それが3か月前のことだ。その薬で抑えるべき肺の腫瘍は、薬をやめる前に飲んでいた分が効いたのか、昨日の画像では心配がないほどになっていた。ところが、右肺の下部、横隔膜との境界にとても大きな亀裂状の腫瘍が見つかった。この3か月の間に出来たものだ。6月に入って家内は毎日ひどい咳をするようになった。どう考えても肺が悪化したような具合で、筆者は早く7月10日が来ないかと心配して待った。それで昨日は家内とまた自転車と連ねて午後一番に病院に行った。咳がひどい原因は、新しく出来た腫瘍のせいかどうかわからないが、関係しているであろうとのことだ。喘息の薬は昔から飲んでいたので、まずそれを抑える薬の強さを倍にし、そして血液検査によればアレルギー症状が顕著なので、その薬も飲むようにと言われた。そのうえに、新しく出来た腫瘍を失くすために、以前飲んでいた高価な薬をまた飲まねばならない。ただし、あまりにも飲みにくい薬で、また副作用が強い。だが、飲まねば肺は腫瘍だらけになる。肝臓の悪化という副作用を心配しながらで、ともかく1か月だけまた服用し、腫瘍がどう小さくなるのかならないのか確認しようということになった。そして、液体の飲み薬ではなく、錠剤に代えてもらった。同じように高価で、薬局でちょうど1時間待たされて薬が出された時、用意して行ったお金では足りなかった。それで家内はATMに走って必要な金を下ろして来た。錠剤でも価格は同じだ。だが、そんなことは言っておれない。腫瘍は消えかかると別の箇所に転移するようで、しぶとい。この調子では、何年か後に家内は酸素ボンベがないと生活出来ないようになるかもしれない。ネットで調べると、若者でも完治まで6,7年はかかっているようだ。還暦過ぎの、しかも小柄で体重40キロ少々しかない家内ではもっと年数を要するかもしれない。癌でなかっただけましと思わねばならないが、筆者が心配するのは、その腫瘍が癌を誘引しないかどうかだ。それはさておき、自転車にまたがって家内と病院を後にする時、門を入ってすぐ北の植え込みを一瞥すると、赤い薔薇が2種たくさん咲いていた。カメラを持参しているとそれが撮影出来て、今日はその1枚を載せられると思ったが、後の祭りだ。
●がんもどき、その7_d0053294_1372871.jpg

 先日触れたが、家内の妹の旦那は筆者と同じ年齢で、大腸癌のステージ3と診断され、即入院し、手術もしたようだ。それで家内も筆者もしっかりと調べてもらえと言うが、体調異変の自覚がないので、大丈夫だと笑っている。だが、大腸癌もそうらしく、気づいた時にはステージ3や4になっている。来月は年1回の市民検診が地元小学校である。去年のそれで家内は肺の異変がわかった。今年は筆者も大腸癌の検査をしてもらおうかと思う。それは市民検診の際に手わたされる別の診断キットをもらい、それに便を掬ってしかるべき検査病院に送付する。ここ何年かは毎年それが必要かと言われるのに、面倒くさいと言いながら辞退している。今年は1セットもらって来て検査してもらおう。ところで、先日MIHO MUSEUMの内覧会に女性3人を連れて出かけたが、帰りのバスの中で隣りに座った大志万さんと高齢者の話になった。彼女が言うには、長生きは考えもので、経済的に何の不自由もない人でも、死にたいと漏らす場合が多々あるらしい。彼女は地域の老人福祉委員を6年間していて、月1回、独居老人を訪問して話し相手になる。それで老人の孤独は間近でいろいろと見聞している。筆者は、心身が元気であれば高齢もいいではないかと言うと、彼女は親しい人がどんどんいなくなるから、元気であってもやはり高齢になると生きていても面白くなくなると言う。そう言えば、昔筆者が通っていた散髪屋の主人は、35歳くらいが人生で最も楽しかったと言っていた。それを聞きながら、筆者は同意しかねたが、若さがあり、夢と希望に満ちていた時代が一番よかったと思うのはあたりまえかもしれない。MIHO MUSEUMへ向かうバスの中では筆者の隣りには田中直子さんが座った。彼女は筆者が63には見えないと言った。お世辞がかなり混じっているが、筆者が最近「怪しい人」と若い女性から言われたことに話題をつなげると、それはそうだと返された。その「怪しい」は、年齢相応に見えないというより、正体不明な感じがするからだろうが、それはそのとおりだ。1か月ほど前か、女優の岸恵子が、自分の年齢は四捨五入し、それの7割と思えばいいとTVで語っていて、それに倣うと筆者は42歳になるが、なるほどと思う。筆者は自分のことをそれくらいに思っているところがある。それほどにやりたいことは山積しているが、岸恵子が80を越えても京都タワーのように目立っているのは、努力はもちろんだが、年齢を自覚しないからだろう。MIHO MUSEUMからの帰りのバスで大志万さんは、岸恵子の話題を出した。同じTV番組を見たようで、大志万さんは岸恵子が自分の苦労を話題にした時、その苦労が一般人のそれとはあまりにもずれていることに驚き、TVの前で内心突っ込みを入れたとのことだ。若い頃からちやほやされて来た女優であるから、一般の女性のような苦労とはほとんど縁がないだろう。筆者は大志万さんの意見に同調しながら、一方で他人の苦労は推し量れないもので、岸恵子なりに大きな苦労をして来たのだろうと想像した。そしてそれをあまり表に出さないところが、若さを保っている秘訣ではないか。それは、若い頃から注目され続けている女優であり、社会的責任の大きさを自覚しているからだろう。つまり、みんなが自分の行動を見つめ続けていて、あまり恥ずかしくないことをしなければならないのはもちろん、それ以上に、自分に世間に対して何が出来るかという積極的な義務を感じていると思う。大物と言われる人物はだいたいみなそういうところがある。だが、大多数の人は有名人ではないから、老いるとますます他人から顧みられない。そうであっても、自分の好きなこと、やりたいことに精を出し続ければいいが、そういうことは若い頃からの積み重ねで、老いてからでは無理であるし、また配偶者に先立たれるなど、普段あたりまえと思っていることが少しずつそうなって行くのが老いで、大志万さんは筆者以上にその実例を多く見て来ている。そうであれば、なおさら楽しめる時は思う存分そうしようと思うのか、あるいは老いに感化されて気分が落ち込み気味になるのか。今度はそのことを訊いてみよう。若い人のエキスをもらって元気になると、よく高齢者は言うが、それは本音だろう。だが、そんなことを口にするからますます若者は遠ざかる。燭台のような京都タワーは京都に1本だけあるので目立ち、またあってもいいかと思われるが、それぞれ個性がある人間は、誰しも自分らしくあって、なお燭台のように目立つ存在になる可能性を持っている。
●がんもどき、その7_d0053294_139576.jpg

by uuuzen | 2015-07-11 01:29 | ●新・嵐山だより
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