涌き上がる水があるのか、透明度の高い小さな池が大山崎山荘美術館の建物から50メートルほどのところにある。そこはまだ門の内側だ。
それで美術館の敷地としていいが、その内門の外にも彫刻があるなど、坂をうまく利用した庭園となっている。門はその庭園全体を統括するような場所にもうひとつあって、それは短いトンネルになっている。ただし、その門より山手がすべて美術館の所有かと言えばどうもそうではないらしく、山荘風の民家が1,2軒ある。トンネル門をくぐってすぐにその家の門を左手に見るが、右手は上りの斜面を利用した庭園で、坂を上り切ると内門があり、その突き当りの奥に美術館がある。内門に至るまでの間に誰でも無料で利用出来る平屋の建物があって、7,8年前はそこで若い女性がビール・サーヴァーでビールを飲ませてくれた。有料だが、山荘の喫茶室より安かったと思う。それは2年は続かなかったのではないか。今でもその場所はあるので、再開してほしいが、酒を飲んで帰る、あるいは逆に美術館に向かう人が増えるのは好ましくないとされたのだろう。美術館はアサヒ・ビールの所有で、その休憩所で新作ビールを提供すると、多少でも宣伝になったのに、惜しい。近くにサントリーのウィスキー工場、そして少し足を延ばすとビール工場もあり、どちらも毎日試飲させて広告に余念がないから、それに対抗する意味でも女性ひとりが美術館を訪れるごくわずかな人にビールを飲ませるのはどこからも文句が出ないと思うが、きっと横槍が入ったに違いない。そうそう、筆者らが同美術館を訪れたのは、企画展の最終日の6月28日、天気のよい日曜日あった。3,4日前にサントリーのウィスキー工場にもついでに行こうかと思ってネット予約画面を見ると、28日も含めて全部予約がいっぱいで断念した。NHKの朝ドラでサントリーの山崎工場が紹介され、それ以降見学者が増えているのだろう。ひょっとすれば、外国人観光客も多いかもしれない。試飲出来るのは水割りだが、これがとてもおいしかった。若い美女数人が笑顔で提供してくれるので、よけいにおいしく感じるし、また酔いが早くやって来る感じがする。以前出かけたのは東北の大震災があった4年前の3月で、家内は酒が飲めないので、家内の分も引き受け、4杯は飲んだ。空腹でほとんど一気飲みで4杯立て続けとなると、酔わない方がおかしいかもしれない。それはともかく、サントリーのウィスキー工場に行くにはかなり前から計画し、予約しておく必要がありそうだ。ビール工場はもっと以前に息子の車で家族3人で出かけ、車を運転する息子は試飲出来なかったが、ビール工場の近くに阪急が新駅を設け、そこから送迎バスが出ているようだ。歩いても10分少々だが、殺風景なところで、また近くに見えていて、そこまで真っ直ぐにたどり着けないことがままあり、送迎バスを利用するのがよい。だが筆者はそこまでして行くつもりはない。話を大山崎山荘に戻す。昨日載せた美術館の2階の東向きのバルコニーから撮った写真の残りを今日は最初に載せるが、これは眼下と言ってよい、美術館の敷地で、高さ数メートルの細長い兔のブロンズの彫刻がある。その写真をこのブログに以前載せた気がするが、この美術館が出来て15年で、開館当初に何度か訪れて撮った写真はみなフィルム・カメラによるもので、ブログを始める以前にアルバムに貼りつけたことを先日思い出した。それでこのブログには安藤忠雄設計による地下の新館が出来て以降の写真をわずかに載せただけだ。それはいいとして、アルバムに貼ってある写真を複写してまでブログに載せるのは面倒なので、説明だけにするが、今日の最初の写真は、遠景の男山、近景に森のような鬱蒼とし樹木に囲まれた芝生が少し見える。これは内門の内部だが、いつもそこは散策しないで帰る。
その空地は開館当初はバルコニーからはもっと大きく見えた。それが樹木の繁茂のし過ぎでとても小さく見える。実際に面積が狭まったのかもしれない。そんなことを思いながら最初の写真を撮ったが、撮りながら思ったのは、その芝生で談笑すれば気分がいいだろうということで、実際写真にはどうも恋人同士らしき男女が小さく見えている。そこで弁当を広げると怒られるだろうが、隠し持って行ってパンやサンドウィッチ程度を頬張るのは許されてもいい。飲食の禁止はゴミが問題となるからで、それを持ち帰るのであればさほど目くじらを立てることもない。この写真を撮りながら頭に浮かんだメロディは、「森の木陰でドンジャラホイ」で、本当に森の木陰といった雰囲気の場所に見える。6月は梅雨の季節だが、その頃はまだまだ涼しく、また雨が少なかった。それがいよいよ湿度の高い猛暑が始まろうとしていて、こうして書くことにも影響が出始めている。さて、山荘美術館から出て内門に向かうと、最初に書いたように、右手に清水が涌いているかのような小さな池、あるいは水溜まりと言う方が当たっているかもしれないが、実際は美術館の前庭の池からつながる小川だろう。池に繁茂する睡蓮に目が行く一方、筆者は錦鯉に注目し、その日な何度か長さ1メートルはある緋鯉を撮影しようとカメラをかまえたのに、いい角度が得られず断念した。美術館の玄関前から5メートル先に立つと、そこはその池の最も手前の端で、池は段差が作られて、50センチほど低い方の池とは呼べない水が溜まる部分に、長さ20センチほどの真鯉や緋鯉が泳いでいた。その段差はさらに下の小川ないし水路につながって、坂を下って行く。では、元の大きな池の水はどこから引いているかだが、水の豊富な天王山であるのでそれは困らないのだろう。サントリーがウィスキー工場を建てたのもおいしい水が涌き上がるからだ。この美術館の池も同じようにして汲み上げているのだろう。さて、水路は自然のままの形にされていると思うが、内門まで10数メートルというところに、先に書いたように、幅がやや広く、小さな池のようになっている箇所があり、筆者は初めてのことだが、その中を何気なしに覗き込んだ。水があまりに透明感があってきらきらしていたからだ。サングラスをかけていても眩しいほどで、そのきらきら具合にびっくりさせられた。たいていそのような水路はゴミで溢れているか、水は濁っている。それが全く違って、底から水が涌いて来ているかのようだ。本当のところはどうか知らないが、庭園にふさわしい清らかな水の流れだ。それを覗き込んでもう一度びっくりしたのは、手前の石積みに沿って水に睡蓮ではなく、泰山木の大きな花が数枚の葉とともに浮かんでいる。池の睡蓮がまだ開花していないので、その身代わりかと思ったが、それにしても美術館を訪れる人からはまず見えない場所に浮かんでいて、これは美術館が気を利かせて浮かべたものではないだろう。あるいはそうかもしれないが、筆者の関心は泰山木がどこにあるかだ。すぐ近くになければ誰かがわざわざ持って来て生け花のように工夫したことになる。そで筆者は内心「
泰山ボックン、見っけ」と唱えながら、花咲くその木を探しながら内門に向かった。すると7,8メートル先にそれが隠れるようにして1本立っていて、花も数個ついていた。やはり美術館の庭担当者が気を利かせてひとつ切って浮かべたものか。強風に煽られて花が葉とともに落下し、そのまま捨てるのは忍びないのでそっと誰かが浮かべたと考えることも出来そうだが、それはあり得ない。泰山木の花はそのように落下しない。明らかに花と葉を一緒に茎から切り落としている。家内を待たせて1枚だけ写真を撮った。それが今日の3枚目だが、清らかな水面に真っ白で大きな花が浮かんでいる様子は、睡蓮以上に美しい。花が白過ぎて光が反射し、霞んで見える。花弁はひとつずつが中華料理に用いる蓮華スプーンの形をしていて、泰山木も蓮に関係しているようではないか。