甕が広場いっぱいに並ぶ光景が何度も出て来たが、同じような映像を九州の黒酢にんにくのCMで見たことがある。九州と韓国は近い。
韓国では黒酢にんにくの代わりにキムチでも漬けるのだろうが、今日取り上げるドラマでは400年続くファンソ醤油会社が貯蔵醗酵させるために使っている設定になっていた。韓国は味噌文化とされるが、本作でも煉瓦のような形の味噌の塊が何度も登場し、それで醤油が作られることも語られた。また、醤油というより、日本のソースのようなものか、イタリア料理に合う新製品が作られる話もあって、ファンソは世界トップ企業の47位であったか、それほど大儲けする会社として成功するところで最終回を迎えた。醤油で世界の特区企業50位に入るということは、世界中の人がその会社の醤油を使っても無理なような気がするし、また甕の数はせいぜい200個ほどで、それでは毎年の製造にも足りない。そのほかにも突っ込みどころが満載なドラマで、いかに製作費を安くし、短期間で撮影するかの苦心の跡が見えたが、それはどの韓国ドラマでも同じで、そこは目をつぶると、本作は毎回楽しみであった。ただし、最後の7、8回は引き伸ばし過ぎで、しかもヒロインが誰と結ばれるかまでは描かず、そこは視聴者の想像に任せて逃げていた。ただし、毎回最初に映るタイトル・バックの半アニメ映像は、ヒロインを好きになるふたりの男性のうち、年配のハン・ユンチャンを演じるイ・テゴンがヒロインのチャン・ハナ役のパク・ハンビョルとともに大きく扱われ、もうひとりの男性ソル・ドヒョン役のチョン・ウヌはその背後で札束を数える姿としてかなり小さく登場していたので、これはどう見ても、ハナとユンチャンの物語で、ふたりが結ばれるように見えるが、ユンチャンとドヒョンは異母兄弟で、最後は兄のユンチャンが弟にハナを譲ることで格好よさを示すと筆者は予想した。これは最初の数回を見ただけで誰しもそのように想像すると思う。だが、それでは4か月にもわたって放送する意味がない。意外性をどの盛り込むかが肝心で、最後の最後までユンチャンとドヒョンは対立し、しかもハナは最初はドヒョンにぞっこんだが、後半に至って恋心を隠すというか、忘れるというか、醤油会社のファソンを守り抜くことだけを考える。それを陰で支えるのがユンチャンであり、またドヒョンでもあるが、目的を遂げた後のハナはふたりのどちらかを選ぶことをしない。年齢の釣合いからすればハナは当然ドヒョンとよく似合うし、またユンチャンには美人秘書がいて、彼女は忠実に仕事をこなしながらユンチャンを慕うので、最後はそのふたりが結ばれるかと思っていると、それもいつの間にか忘れられた形だ。それを言えば、ハナは4人姉妹の二番目であったと思うが、ふたりの妹は母ひとりの稼ぎでは生活が成り立たず、アメリカに預けられる。そのふたりがやがて帰国し、重要な役割を演じるかと思って期待していると、これもそれっ切り登場しない。脚本が途中で変わったのだろう。繰り返すと、そのようなもやもや感は残るが、見ている間は面白い。その第1の理由は悪役が他のドラマとは違ってコミカルに描かれているためだ。悪役一家は母、祖母、そして男女の子どもの4人で、これに最後近くになって父親が登場する。父はさておき、最初から最後まで出ずっぱりの4人のうち、母と祖母はベテラン女優で、特に祖母役は意地汚い老女として多くのドラマに登場するキム・ジヨンだが、本作ではそのいつもの味を出しながら、喜劇タッチを加えていて、実にうまい演技を見せ、後味のよいドラマに仕上がっていた。母役はイ・ヘスクで、この女優もほとんど悪役専門だが、そのようには見えない美人であり、また今回は大げさな演技で笑わせる。男女の子どものうち姉ラヒはあまり美人ではなく、存在感がうすいが、弟のラゴンはハナとファソンの跡取りを終始争い、姉とともにずる賢い役を演じながら、後半は水をかけられるなどの被害に遭う場面が多く、間抜けぶりを演じて笑わせる。
ラゴン一家は悪人ばかりだが、本当の悪役は、ユンチャンとドヒョンの父ソル・ジンモクで、SSグループの会長をしている。金と名誉にしか関心のない男で、そのために殺人も含めてどのようなことでもする。このジンモクに比べると、ラゴン一家は子どもみたいなもので、簡単にジンモクに騙される。ジンモクの悪徳は、最初に恋した女性に産ませたユンチャンを引き取りながら、孤児と言い聞かせ、自分が抱える暴力団の頭のような仕事をさせる。ユンチャンは食べ物に事欠く孤児の自分を育ててくれたジンモクに忠誠を誓って大人になるが、ファソン醤油の買収について調査するために派遣社員としてハナに接近した時、ハナに好意を寄せると同時に、ひょんなことで自分の母はジンモクの子どもを生み、それが自分であることを知る。そして実父のジンモクに復讐することに決め、潰されそうになるファソンを助ける。腹違いの弟ドヒョンも同じように派遣社員となり、ハナとはルームメイトとなったふたりの間に恋が芽生えるが、ドヒョンは最終回近くまでユンチャンが兄であることを知らない。そしてハナと奪い合う仲となって、父ジンモクの言うことを聞くが、それは表向きで、彼は彼なりにどうにかしてハナを助けたいと思い続ける。ハナは両手に花の状態で、兄弟から愛されるが、ドラマの前半で面白いのは、ハナが男性を演じることだ。まるで宝塚だが、パク・ハンビョルはショート・ヘアがよく似合い、途中長髪の鬘を被ってドレスを借用し、ドヒョンとシンデレラのように一夜だけのデートを楽しむ場面があるが、化粧がきついこともあって、女装はあまり似合っていなかった。女であるのにそれはおかしなことだが、本人は男性を演じているという意識があって、色気を出さないように心がけていたからであろう。そのため、不思議な魅力が出ていて、女のような男としてドヒョンはルーム・メイトのハナを悶々としながら次第に恋心を募らせる。しまいには、自分が同性愛者かと悩みながら、それでもいいと思うまでになるが、いつまでもハナの男装は隠せない。さて、ハナはなぜ男装する必要があったかだが、400年続くファソン醤油は、常に男が跡を継いで来て、ハナははなから跡継にはなれなかったからだ。ハナの父は真面目な男だが、ある夜、ハナの母親ヒョソンと学生時代に友だちであったラゴンの母チョンランの策略に引っかかり、ベッドをともにする。酔っていたのであるから、一夜の過ち、あるいはそのようなことは覚えていないと突っぱねればいいようなものを、チョンランは妊娠したと言って来る。そうして男児を生むがそれがラゴンで、ファソンの後継者と目される。実はそうなることが目的でチョンランはヒョソンの夫に近づいたのだが、ヒョソンの夫はすぐに死んでしまい、祖父は孫のラゴンを贔屓にし、ハナ一家にあまり目をかけなくなる。こういうところは男社会を風刺しているが、400年続く家では男が跡取りになるのは無理もないかもしれない。その男待望の思いが、どのような出来の悪い男でも女よりましという思い込みを生む。祖父はまさにそういう旧時代の男だが、本作はもはやそういう考えでは時代に取り残されることを言いたいのだろう。祖父を演じるのはこれもベテランのパク・イナンで、彼はいつも良識のある人物を演じるから、本作でもその持味が生かされ、ラゴンの出来の悪さとは対照的にハナの実力を認め、ハナが男であればどれほどよかったかと悩みを抱え続ける役を演じる。話が先に飛んだが、祖父の大きな家に転がり込んで来たラゴン一家は、それまでの貧乏暮らしから一転し、ハナ一家はアパート住まいとなってしかもヒョソンはパート勤務しながら子育てをする。幼い女の子を4人も抱え、ふたりをアメリカに移住させることは先に書いたが、ハナの姉ハミョンは知的障害者で、ハナ思いの優しさを見せ続け、しかも肝心なところでは閃きを発揮し、家族に降りかかる問題を乗り越えて行く。ハミョンを演じるのは『福寿草』に出たハ・ジェスクで、彼女も本作にはなくてはならない存在感を示し、またドラマをとても明るいものにしていた。
自分の夫がチョンランと一夜だけねんごろになって生まれたラゴンに嫁ぎ先を追われたヒョソンは、男子を産まない嫁という存在がここまで軽いものであることを知り、まだ幼いハナを男子に仕立てて祖父のもとを訪れる。祖父がハナを見るのは初めてで、ラゴンの妊娠と同時期にハナも妊娠していたことを知り、また男子であることを喜んで、ファソンの跡取り候補として育てる。そうして20数年経ってラゴンとハナは祖父が出す課題を解きながら、どちらがファソンの社長になるかで戦い続けるが、前述したように、ジンモク会長は金儲けのためにファソンを買収することを計画し、ふたりの息子をスパイとして送り込む。ジンモクはファソンの祖父にかつて恩があり、祖父はまさかジンモクがファソンを奪い取るなどとは夢にも思わないが、そこは400年続いた醤油製造業の一種の時代遅れの経営感覚で、現在の韓国ではそういう業界が次々と買収されていることを匂わせる。韓国ドラマでは○○グループという財閥が必ず登場するほどだが、これは金を持っている者はどのような企業でも買い取って怪物的に大きくなる現実を表わしているのだろう。そこは日本とは違うところで、韓国には中小企業がとても少ない。財閥か町の食堂やパン家といった二極化で、また手作りの技術を売りにする職業や会社もまず描かれない。それがあってもしがない職工で、誰もなりたがらない。そして、財閥系の会社に入るには有名大学出卒は当然で、また留学経験も欠かせない。誰もがそうなれないのはあたりまで、そこから溢れた人たちはどこに就職するかと言えば、その受け皿がどれほどあるのかないのか、ドラマを見ていてもよくわからない。手に技術をつけるという考えがあまり通用しない、つまり世間ではきわめて安い賃金に甘んじるとなれば、誰も好んでそういう職業に就こうとは思わない。それに、給料が多ければ、技術を持った人たちが作ったものであっても何でも買える。そして誰もが高学歴を目指して勉学に励むが、そういう社会は夢という点ではとても貧しい。とはいえ、韓国ドラマを見ている限り、韓国社会のそういう現実をどのように変革して行くべきかの考えは全く表現されず、ただ金儲けのためには悪事を働く連中の没落が描かれるだけだ。これは、金を持たない大多数の人たちが、現在の財閥はみな悪事を働いていると思っていることを言いたいかのようだが、実際韓国の財閥は大統領や政治家とつながってそういう部分は否定出来ないのだろう。そして、それは日本でもないとは言えないことだが、日本の場合はまだ韓国より、財閥と小企業という二極化ではなく、学歴のあまりない人でもそれなりに身丈に合った暮らしが出来る。それを言えば韓国もそうなのだろうが、慎ましい人たちの暮らしはドラマではほとんど描かれず、財閥が主役になる。これは誰もがそのような大金持ちになることを夢見ているからか。そうだとすれば、韓国はよほど病んでいる。本作でハナが男装してまでファソンに乗り込むところにそれが現われているとも言える。ハナの正体はやがてラゴン一家の知るところとなって、ハナ一家は祖父から破門されてしまうが、それは祖父にすればハナが男でなかったことの悔しさと、騙されたとの思いだが、いつまでも騙し通せるものではなく、ハナやヒョソンはひやひやしながら20数年を過ごし、その間は幸福ではなかったことになり、ラゴン一家といい勝負かもしれない。
ハナ一家が追放されると、もはやファソンはラゴン一家のものとなったも同然だが、ラゴンはジンモクの掌で泳がされていて、ジンモクのファソンを取り上げられ、またラゴンも醤油作りよりホテル経営に転身しようというありさまで、祖父としては元も子もない状態になる。一方ハナはジンモクにとっては息子ふたりがのぼせ上がる対象で、邪魔で仕方がない。ちょうどそういうところに、ラゴンの父親が現われる。彼はジンモクの手下で、暴力団だ。ハナの始末を彼に任せ、ジンモクは誰にもわからない方法でハナを殺そうとし、そしてハナは崖から転落してしまう。死体を普通は確認するが、それはなされず、ハナはユンチャンの部下に助けられ、田舎で療養し、また密かに醤油製造を始めて再起を図る。ハナが崖から落ちた時、ユンチャンも大けがをするが、彼も不死身で、何事もなかったかのように、田舎でハナを支える。そうして1年経つが、ハナの消息はなく、ジンモクやラゴン一家は着々と計画を進め、ファソンの祖父は病に倒れる。その後はハナとユンチャンがどのようにジンモクやラゴン一家を攻撃するかに話が展開するが、ドラマが始めって間もない頃に、ラゴンは一夜の浮気で妊娠した子ではないのではないかとの思いを視聴者は抱くはずで、その点に関してはそのとおりに事が運ぶ。つまり、ファソンの祖父は、他人の息子を跡取りと思って育てた。そのことを祖父は知ってから死ぬが、そこは男社会への風刺が利いている。また、そういう考えを持った祖父であったので、会社を窮地に陥れたということだ。ジンモクは国会議員になって自分の望みはすべて果たしたかのような人生であったのに、ユンチャンとドヒョンの反乱によってすべてを失い、懲役刑に服する。それでも12年だ。そしてドヒョンは父を訴えはしたが、父の被害に遭った人たちに金を返し、会社は社会に貢献出来る体制にして自分は会長職を辞め、父の出所を待つことにする。一方のユンチャンはジンモクに面会に訪れ、体を大事にするように伝える。そして渡米して母の身内を探すことにするが、ハナとは縁が切れたのでなく、甕が並ぶ広場を見下ろす場所でこれからが始まりだと言い合う。これはやはりハナとユンチャンが一緒になることを意味しているだろうが、ユンチャンは不幸な育ち、ハナも男子として生まれず、長年身を隠して生きて来た日陰者で、ふたりはその意味でも釣り合っている。その点、ドヒョンは何ひとつ不自由のない育ちをしたお坊ちゃんで、ハナの苦しみはわからないかもしれない。また、ドヒョンはハナに危険が及ぶことを避ける意味で、ハナが崖から落ちた後、ラゴンの姉ラヒと結婚するが、1年間一度もベッドをともにせず、片思いのまま最後は家を追われる。憐れかもしれないが、ラヒはハナの殺害を望んだから、ジンモクに次いで悪いと言える。ハナは女であることがわかってからもショート・ヘアのままで、それが彼女に似合っていた。素顔はさほど美人でもないが、化粧映えする顔で、本作にはとてもふさわしかった。いつものことながら、どの俳優も見事な演技で、楽しいドラマであった。韓国の醤油は確かに日本のものと味が違い、辛くない料理からそれがよくわかると家内が言うが、筆者にはそれがわからない。