象徴となる黄色が表紙の周囲を枠取る。日本版の『ナショナル ジオグラフィック』が創刊されて今年で20周年を迎え、現在各地を巡回中の展覧会を桜の季節に大丸心斎橋店で見た。

今頃感想を書くのは、先日山本宗補展について投稿したからで、写真つながりだ。それともうひとつの理由は、同誌を10数冊持っていて、隣家に置いてあるのを昨日ようやく探したからだ。梅田の阪急東商店街に2年ほど前まであった古本屋で1冊100円で買ったものが大半だ。「創刊前特別号」もあって、それがいつ出たのかと雑誌の隅々を見てもわからない。ただし、挟まれている4つ折りのチラシには、創刊が1995年4月と印刷されていて、その直前に、ひょっとずれば無料で書店に置かれたのかもしれない。アメリカでの創刊は1888年で、日本版は100年以上経ってからの創刊だが、翻訳としては初めてらしく、日本版が出た後に各国が続々と創刊し始め、今は30数か国で翻訳されている。先の宣伝チラシには、世界180か国、920万人の読者がいると書かれるが、WIKIPEDIAとの数字とは差がある。それはともかく、この数字が多いのかどうか、ぴんと来ない。日本では8万部台のようだが、年間予約制で、郵送されて来る。1年と3年とでは1冊当たりの価格は違い、1995年当時では前者が650円、後者が553円で、古書店で1冊100円というのはうなづける。よく見かける雑誌なので、バックナンバーを揃えることは簡単ではないだろうか。日本版は今年4月で240冊になっていて、全部揃えても嵩はさほどでもない。また本棚に収めるのにつごうのよいように1年ずつの分を収納する箱も売られている。「ジオグラフィック」であるから、「地理」に関しての雑誌かと思うと、チラシを見開くと、最上段に大きく「自然、環境、冒険、歴史、科学、そして世界の“いま”。感動がある、発見がある。毎号あなたを熱くします」とあって、この宣伝文句とその下に並ぶ写真からどのような雑誌かわかる。ただし、写真主体ではなく、文章も多い。アメリカの雑誌であるから、すべての内容が日本向きではないが、創刊してまだ20年の日本版は、アメリカ版をそのまま毎号そっくり翻訳して同じ内容にしているのか、あるいは過去に遡って古くなっていない記事、日本向きの記事を選んで編集しているのかどうか、その点についてはわからない。おそらく一部を日本向きに差し替えていると思うが、商売であるからにはそれは当然で、またアメリカ版と比較する楽しみもある。アメリカ版を読む日本の読者もかなりの数になると思うが、それほどにこの雑誌はハイブラウな雰囲気があり、ネット社会になってどのような情報も簡単に入手出来はするが、あまり関心のないことでも隣り合わせの記事となって1冊にまとまっているこうした雑誌は視野を広げる。とはいえ、視野を広げたいと思っている人はいつの時代でも一定の割合のようでいて、スマホ代に金を吸い取られる若者はなかなか教養雑誌の定期購読は経済的に無理だ。学校の図書館には置いてあるはずだが、スマホ操作に時間を取られては雑誌を手に取る時間がないかもしれない。それで本誌の購読者は中年以降の時間も金も余裕のある人ということになるのではないか。もっとも、そういう人を狙っての本かもしれず、品位を落としたくないとの思いがあるだろう。
文章は読むのが面倒なので、どうしても写真がまず目に入り、それで記事に関心を持つ。そのため、載せられる写真は厳選されていることが想像出来る。1万枚に1、2枚という割合らしく、本誌に載るのは大変な名誉なのだろう。またそれだけに高価で買われると思うが、そういう写真は狙って得られるものではないだろう。本誌の写真は芸術性もそうだが、写真本来の記録性に重点が置かれ、読者をその現場に立ち会っている気分にさせる必要がある。ということは、写真家はいい写真が得られる現場に居合わせる必要があって、行動範囲を地球規模に捉えておかねばならない。とはいえ、紛争地に行きたい人もあれば、珍しい動植物を見つけたい人もあって、だいたい専門とするジャンルは決まる。その一方、読者は視野を広げたいとしても、凄惨な写真より心温まるそれの方を好みがちで、報道写真家でも人間の死よりも生に注目し、読者の気分を奮い立たせる写真を撮らねばならない。つまり、爆弾で人の体の断片が散らばっているような写真は本誌には似合わない。そこに幾分かのまやかしが生じそうだが、雑誌はどれも個性があって、本誌は本誌の読者を裏切らないような姿勢を貫いているだろう。一方で思うことは、この20年の間にインターネットが急速に拡大し、誰もが動画を投稿出来るようになって、本誌に載るような写真は衝撃度が減じて来ているだろう。それでネット時代を見据えた写真が求められるし、またそれを考えて本誌は写真を選んでいるはずだが、感動的な写真というものが微妙に変化して来ているのではないかと思う。それはどぎつさを加えて来ているというのではなく、逆にネットでそのような画像や映像がふんだんに載ることに対して批判的になり、本誌らしさを出すことで、それは半分は写真家の感性に負い、もう半分は写真を選ぶ編集者の思想によるから、あまり真剣に議論しなくても、自ずといい写真は選ばれるということだろう。それに、企画したとおりの写真が得られるはずはなく、1万枚から1、2点選ぶ厳格さを保持する限り、写真の質は落ちず、またどのような素晴らしい写真が出て来るかは写真家と編集者の予想がつかないことで、その面白さがあるので本誌は時代に即し続けられる。だが、話を戻すと、普段YOUTUBEの動画を見慣れている人は写真に魅力を感じないかもしれず、本誌に限らず、写真を多用した雑誌や本の未来がどうなって行くかは予想がつかない。ただし、写真は記録であり、また1枚の写真で充分という場合が多々あって、写真はなくなることはなく、したがって写真誌もそうだと言える。写真誌で思い出すのは『LIFE』で、筆者は10代後半の一時期、定期購読していたが、同誌は今調べると、36年の寿命であった。同誌が飽きられたのは、TV文化の台頭だ。前述のように、本誌の日本版は20周年を迎え、ネットという新たな脅威の前でさて売れ行きがどうなっているか、まって行くかだが、『LIFE』の二の舞にならないように最大の留意は払われているだろう。

100年以上もの間、日本版がなかったのはかなり意外だが、写真を多用した雑誌を日本が発刊しなかったことはない。戦前からグラフ誌はあったし、また筆者が思い出すのは、10代半ばに母が購入を決めてくれた国際情報社が出した『これが新しい世界だ』のシリーズ本だ。その全巻を今も所有しているが、今となっては懐かしい写真ばかりで、『これが古い世界だ』を体現しているが、写真とは撮った瞬間に古くなり始めるもので、またそのことが記録であって、欠点とは言えない。懐かしい写真はそれ相応の価値があり、同シリーズを筆者は1960年代半ばの記録として大切にしたい。国際情報社の名前は古本屋を巡っているとよく見かける。戦前からある出版社だが、2002年に80年の歴史を閉じた。ネット時代に対応出来なくなったのかどうか、「情報」という言葉が社名に含まれるのは示唆的だ。『これが新しい世界だ』は案外本誌からヒントを得たところがあるだろう。ただし、政治経済地理に力点を置いたシリーズで、時代の激動さに対応するには無理があったシリーズと言える。その点、本誌は常に多くの企画を俎上に載せながら、適当にそれらから毎号をまとめればいいので、売れ行きがいい限りは無限に続けることが出来る。さて、「創刊前特別号」には、「北極海の不思議なイルカ ベルーガを追う」と題してその白い大きなイルカの写真が表紙に使われている。この写真で思い出すのはNHKのTV番組『ダーウィンが来た』で、筆者はたいていのこの番組を見ているが、そういうていねいに作られた番組に比べると、写真の枚数に限度がある雑誌では物足りない。そこをTV番組では得られない雑誌ならではの図や文章を使っているが、印刷されたものは不思議とTV番組よりも重みを感じる。それに、番組を見直すのはそれなりの時間を要するが、雑誌ではそれがとても簡単だ。やはり本という形式は不滅だろう。それはさておき、筆者が古書店で選んだ号は、どういう基準であったかと言えば、一番新しいのが2000年3月号で、たぶん10年ほど前に買ったので記憶にないが、筆者の当時の関心事をある程度示すかもしれない。その中で最も目を引いたのは1999年7号の『革命20年、改革への道 イラン』の特集号で、次が99年4月の『発見 深海に眠る空母 ミッドウェー海戦』だろうか。前者はアメリカらしい特集だが、日本での関心はどうだろう。イラン・イラク戦争の後、さまざまなことがあって、今はイラクやシリアでイスラム原理主義の過激派が幅を利かせている。そしてそれは、先頃の日本のジャーナリストが殺害される事件もあったように、日本にとっても無関心でいられないこととなって、本誌がその後中東の特集をどのように組んでいるのか興味のあるところだ。そして、16年前になるが、『革命20年、改革への道 イラン』の写真と記事はどれも興味深く、その後のイランについて調べたくなる。
本展のチラシやチケットに使われた写真は、本誌の象徴として有名になったアフガニスタンの女性で、当時17歳くらいと考えられていたが、17年後にカメラマンが彼女をようやく探し当てたところ、難民としてパキスタンにいることがわかり、また30歳で4人の子持ちになっていた。つまり、撮影されて本誌を飾った1985年当時は13歳で、カメラをしっかりと見つめる表情は純粋な動物のように気高い。緑色の虹彩で、アフガニスタンには美しい顔立ちの人が多いようだ。彼女はソ連の侵攻によって難民となったが、その思いはこの写真によく表われていて、それでこの写真は一気に世界に知られるようになった。先に書いた「創刊前特別号」に付随していたチラシの表紙最上段にこの写真を表紙に使った号が印刷されている。二番目がチンパンジー、三番目がアイルランドの男子たちで、アフガニスタンの難民少女を、真っ先に挙げているところに、本誌の思想が見える。この少女は17年後に見出され、顔は少しふっくらとしていたが、険しい眼差しで幸福ばかりではないことが伝わる。それはパキスタンからも厄介者扱いされているからでもあるが、かといって故郷に戻ることは出来ない。そして今は43歳になっているが、どのように老けたのか、その姿を想像することは辛い。だが、案外おおらかで笑顔を浮かべているかもしれず、またそのように思いたいのは誰しもだろう。ナショナルジオグラフィックは彼女が本誌の宣伝に大きく寄与したので、経済的援助をしたそうだが、そういう話を知ると、たまたまとてもよく撮れた1枚の写真が、カメラマンや被写体となった人物の人生を変え、またそのことが周囲の多くの人々にも影響を及ぼすことを思う。本展で知ったが、動物写真で目下大ブームを巻き起こしている岩合光昭のライオンの親子を撮った写真が本誌に載って大反響を得たという。日本人カメラマンの写真が本誌に載るのは稀なことらしいが、ライオンの親子の写真はプリントを売ってほしいという依頼が殺到したそうだ。それはいつのことか知らないが、岩合は本誌に採用されるほどの才能のある写真家で、近年大人気を得ることになったのも当然というべきだ。これも本展で知ったが、インカ帝国のマチュピチュを最初の特集したのは本誌で、1911年から1913年の間に撮影された横長の白黒写真が最初のコーナーに展示されていた。その写真が面白いのは。左奥にマチュピチュが写っていて、右端の最も手前に、マチュピチュと相似形のマウンテンハットを被った男の顔がこちらを向いて収まっていることだ。どうでもいいことだが、その帽子と全く同じ形のものをヴィヴィアン・ウェストウッドが数万円で売っている。最後に書いておくと、本展の構成は、1「冒険・探検の記録」、2「自然科学」、3「野生の世界」、4「人類と文化」、そしてFEATUREとして「誌面を飾った数少ない日本人写真家」で、全部で190点というが、もっとたくさん見た気がするほどに、内容が豊かであった。会場では展示された写真のプリントを買うことが出来たが、3日前に載せた山本宗補展のポスターは半切で、その大きさでは97200円だ。妥当な価格だろう。