矛盾に満ちたこの世であるのはわかり切ったことなので、その矛盾をわざわざ話題にすることは無粋なことだという考えがある。あるどころか、9割以上の人はそう思っている。

京都ではその割合が日本一だろう。先日筆者はある会で激怒して意見したが、その2日後に「正論を振りかざすだけではあかん」と、長老格からたしなめられた。このことはいつか整理して何かの形にするつもりでいるが、最晩年の上田秋成が言ったように、京都は不義の国であることを思い出した。正論は臭いことで、京都では誰もそれを望んでいないということだ。京都だけではなく、日本中がそうだ。いつか忘れたが、筆者は日本はやくざが支配するといったことを書いた。天皇や皇族の批判をしようものなら、誰かに命を狙われかねない。それで口をつぐんでいる人は多いだろう。言論の自由が保証されているのに、自粛が幅を利かせ、正論を唱えようものなら、爪はじきにされる。正しいことを言う人が孤立し、ずる賢い連中が正しいとされる。それで傍で見ている人は、前者が奇妙なことを主張する変人で、後者を偉い人のように思うが、世間とはそのようなものだ。さて、5月の連休に見たいと思って会場に出かけたのはいいが、休館日で、10日に出かけ直したのが、今日取り上げる写真展で、日曜日にもかかわらず、筆者と家内が館内にいる間、30代の女性がひとり後からやって来ただけで、その日は10人も入らなかったのではないか。写真は70ほどで、そのすべてに長い説明文があって、筆者は最初から全部読みながら進んだが、1時間もすると疲れて来て、最後の方では説明文を読まなかった。それがたぶん20点ほどだ。2階にも展示があると受付の学生らしき女性が言うので、2階に上るのは初めてのことでもあって、階段で2階に行ったが、本展とは関係のないいわば常設展で、それもそれなりに面白かったが、今日は取り上げない。筆者より2年遅く1953年に長野に生まれた山本宗補(そうすけ)という写真家に興味があったのではなく、立命館大学国際平和ミュージアムでの写真展は出来るならば全部見たいと思っていて、それでついでもあったので出かけた。あまりに濃い内容で、このブログで取り上げるには、全作品の説明文を読む必要を思い、それでネットで調べると京都の図書館に本展で展示された全作品を説明文とともに収めた写真集があることを知った。彩流社から税別で4700円で2013年8月に出ていて、筆者は2年ぶりに山本とその写真に接したことになる。昨日の投稿の『あまがたり展』の最後は写真家について書いた。それは同展の最後近いコーナーの見物であったからだが、今日取り上げる写真展へのつながりとして、同展について書いておこうと思ったためと言ってよい。とはいえ、本展について感想を書くのは気が重い。それで1か月以上も書かないでいたと言ってよいが、もうひとつの理由は彩流社から出た写真集を右京中央図書館に早速予約したのはいいが、なかなかメールで連絡が来ず、おかしいなと思ってネット予約画面を確認すると、予約ボタンを押していなかったのか、貸出中であるのはいいが、予約数0と表示があった。それでまたすぐに予約し、それから10日ほどしてメールがあり、その5日後に自転車に乗って受け取りに行った。今日ようやく全作品の説明文を読み終えたが、展覧会を見た時の印象と変わらず、また同展以上の感動はない。これは写真集がつまらないというのでは全くない。会場で誰にも邪魔されず、1点ずつ写真を見ながら文章を読み進んだ時は最初の出会いであって衝撃が大きかったということで、写真集はそれとは違って資料集という感じがする。これは展覧会場での写真よりはるかに小さく印刷されているからでもあるだろう。写真は自在に引き伸ばしが出来るもので、これが本当の大きさというものを持っていないが、やはり大きいのが迫力がある気がする。
本展を見た後、受付の前のテーブルで休憩しながらアンケートに記入し、そして無料で持ち帰ってよいポスターを1枚もらった。それが今日の最初の写真だが、会場の写真はこのポスターと同じほどの大きさに引き伸ばされていた。また数点はもっと拡大され、天井近くに特別に飾られていたが、どの写真も戦争体験者の80代以上の人間を撮ったもので、刻まれた顔の皺や染みを含めて味わい深かった。特にそれが強いものがあって、それは写真家の腕前なのか、人生を歩んで来た人の貫禄の差なのか、それはわからないが、忘れ難い表情をした人が何人かあった。会場ではその写真を撮影することは許されないので、それで写真集を手にしようと思った。その中の写真を撮ってブログに載せることも著作権違反になるかもしれないが、これだけはという写真だけは引用させていただく。その1枚はポスターの写真だ。この写真の説明文を読んで驚嘆した。福島菊次郎という大正10年(1921)、山口県生まれの男性で、写真集に載ったのは2011年に山本が福島原発事故の後、福島を福島の被爆地に誘って出かけた時に撮影されたものだ。ポスターでは文字が多いうえ、空の陰影がうまく印刷されていないが、実際の写真は見事なものだ。今も筆者はポスターや写真集のその写真を見つめながら、空、地面、石仏、遠くの墓、そして菊次郎その人といったように、細部を吟味している。どのようにすればこのような写真が撮れるのか、そんなことも考える。山本は報道写真家で、芸術写真が目的ではない。ところが、本展にはそう言える写真があった。菊次郎を撮った1枚もそうだ。この写真を美しいと言えば、山本も菊次郎も的外れなと言うかもしれないが、筆者にはそう見える。しかも人間の存在感が素晴らしい。ここに写る老人は、90歳だ。小柄だがカメラを2台首からぶら下げ、ストライプのシャツとジーパン姿も颯爽としている。一歩ずつをしっかり踏みしめて歩くようなその姿からは、ちょうど頭を取り巻く背後の光る雲や空と同じ、憤りと悲しみが混ざりながら、自分に何が出来るかと悩む前向きの力がほとばしっている。フォト・ジャーナリストの理想的な姿といわんばかりの貫禄がこの写真から伝わるが、それほどに山本が菊次郎を尊敬しているからで、山本はこっそりとしかも確信を持ってこの1枚を含めた。残り69人は菊次郎のように報道する人ではないが、一方では菊次郎は69名と同じく戦争の悲惨さを経験しているので、本展にはふさわしい。しかもこの写真が原発事故のあった年の福島で撮られているところに、山本の仕事と関連していて、本展はただ戦争で悲惨な経験をした人たちの写真と生い立ちを紹介したものだけに留まらず、現在進行形の日本の歪んだ姿の告発にも展覧者が関心を広げるような仕組みになっている。菊次郎についてはネットで経歴を調べられるが、本展の説明文から少しだけ引用する。文章の題名は「広島原爆を免れた輜重兵」と「国家という殺人装置を伝える」で、文章の最後近くにこうある。『「若い頃は国のいうことを鵜呑みにしていた。自分がどれだけ阿呆だったかを思い知った。同級生の半分近くが戦死した。ボクも軍国主義に追従し、侵略戦争に加担した」。「天皇に2度殺されかけた」福島さんにとり、「靖国神社は若者を死地にかりたて、ボロ布のように使い捨てた軍国主義の大量殺人装置以外の何ものでもなかった」。』

戦争の経験は今の若者は運が悪かっただけと捉えるかもしれない。筆者は戦後生まれで、この調子で行くと戦争を知らずに死ぬ可能性が大きいが、そのことを運がよかったとは恥ずかしくて口にすることも、また思うことも出来ない。本展に展示された70名は、みな戦争から生き残って長命に達したのであるから、その点は幸運で、独特の温和な表情を持った人が何人もいる。辛い過去も遠い昔となれば忘れてしまうと、これも今の若者は思うかもしれないが、戦争経験者の思いを知ることは不可能だ。それどころか、人間は他者ではないから、その苦しみはわからない。それに幸福そうな人を見れば妬みが芽生えるという厄介な動物だ。では誰もが戦争で経験した悲惨さを、運が悪かったと納得出来るか。本書を読んで知ったが、軍人の遺族はこれまで日本政府から戦後保証として50兆円を受け取って来たが、一般市民の被害は何の保証もないままだ。つまり、運が悪かったと諦めなさいということだが、この事実ひとつ取っても戦争が起きれば損するのは一般市民ということがよくわかる。それに今さら書くまでもないが、戦地でひどい行為をしたろくでもない上官が戦後は誉め讃えられて偉人となっていて、人間の世界でも弱肉強食がまかり通っている。だが、菊次郎もこう発言している。『小学生の時は、「チャンコロ(中国人の蔑視表現)50人は殺さないといけない」と思っていたという。「仲の良かった同級生は中国で残虐行為をやった自慢話をした。戦争に行けば死ぬのはわかっていたから、僕も相当悪いことをしたと思う」。』 ここは重要で、本展の70人は被害者ばかりではなく、加害者も含まれている。戦争は被害者と加害者が同じ人物である場合が多い。やられたからやり返すとの意味からではなく、中国や東南アジアで住民を虐殺した兵士たちも、天皇崇拝をマインド・コントロールされていたため、そして上からの命令に背けないという立場から任務を果たしたのであって、戦後そうした行為にさいなまれることは、被害者としての立場が大きくなったことと捉えられる。日本が原爆の被害を世界に向けて訴えることは、被害者の立場からだが、では日本が戦争で被害を受ける一方であったかと言えば、それは全く違うことを今では誰でも知っている。だが、たとえば本展にほとんど人が訪れなかったとすれば、戦争など遠い昔のことであって思い出したくない、そして運が悪くて被害を受けた人に興味がないと、何となく臭いものを思うからで、そこに加害者としての日本を思って後ろめたさを感じることも混じっているだろう。戦争の悲惨さを多くの人に知ってもらうためのTV番組や書物はあるが、本書を教科書にしてはどうかという意見はあるだろうか。絶対にないだろう。本書を誉めることさえ反国家的と思う人がまだ大勢いるはずだ。そういう連中がまた戦争を起こすだろう。
筆者が常々書くように、人間は自分の顔に責任を持つべきで、老齢になるほどにいい表情を湛えたいものだと思っている。その意味からすれば、本展に登場した70人はみな激動の人生を経験していて、どこにもない表情を湛えていると言ってよい。とはいえ、どこにでもいるようなただの老人に見える人も多く、それはそれで当然であろう。筆者がこの投稿を書きたいと思ったのは、先の菊次郎と、もうひとり心動かされた顔に出会ったからだ。それが今日の2枚目で、本当はもっと大きく、また真上から複写したいが、それでは著作権侵害に当たるかもしれず、あえて本を見開いてスナップ的に撮った。「インパール作戦に参加した未帰還兵② 中野弥一郎さん」で、菊次郎より1歳年長だ。2006年の撮影で、86歳となるが、2009年に亡くなった。真正面から捉えた写真はこの1枚のみで、遺影になるような気分でカメラの前に座ったのだろう。その穏やかな顔を見て筆者が即座に思ったのは、売茶翁だ。筆者が想像する売茶翁の顔そのままで、菊次郎のような反骨の顔つきとは正反対だが、筆者が理想とする老人の顔がここにある。だが、筆者は激情をぶち撒けることがたまにあるので、この人のような穏やかな表情を持った老人にはなれない。それを知っているので憧れるのかもしれない。また、売茶翁とこの人の生涯は何の共通点もないが、そうであるからといって老境の表情が全然違うということもないだろう。また文章から引用する。『「帰る気持ちがあればとっくに帰っていますよ。自分勝手に離隊したんだから、人間として帰ることができませんね。衛生兵だから鉄砲を撃ったこともない。中国では負傷した中国兵を治療したり病人を診てやったりした。戦犯になるようなことはしていない」…「戦友は『お前はもう兵隊じゃないんだから』と言うが、戦友会の一番偉い人が文句を言う。コヒマ作戦で名を挙げた人」…「無責任ですよね。罪を犯しておいて自分だけ偉そうなことを書いて、どんなもんですかね。終戦後も責任をとらなくて階級は進級して」。』2枚目の写真はひどい複写なのでこの中野弥一郎さんの深い悲しみを秘めながらもどこまでも優しい顔がよく伝わらない。会場で筆者はこの写真と対峙し、しばらく動けなかった。ほかにもそういう写真がいくつもあって、今なおそれらの顔が思い出される。写真集の「あとがき」に山本は書いているが、取材は70人だけではなかった。また70人は10数人の外国人を含み、1冊の写真集にどれほどの時間と労力がかかっているかが想像出来る。菊次郎からの影響は語られていないが、菊次郎の撒いた種は確実に受け継がれている。「戦後はまだ…」の「…」は当然「終わっていない」で、本展で紹介された写真が今後の日本でどう扱われるかで国の命運が決まるような気がする。嫌なものは誰も見たくないが、菊次郎が言っているように、事実に目を塞ぐことは阿呆を認めることだ。正論が間違っているのであれば、何が正しいというのか。誰もが老化を避け得ないが、せめて腐臭を漂わせないように自覚したいものだ。