鼈と鯉が同居する大きな池が枳殻邸にある。印月池と呼ぶが、月の形をしていない。これは月が映るとの意味だろう。

印月池は園の東にある。東端には順路がなく、この池に映る月を楽しむには西からで、枳殻邸の建物群はほとんど西半分に位置している。これは昨日書いた広沢池の西端に立つ十一面千手観音が東を向いているのと同じだ。広沢池は深夜でも無料でその畔に立ち入ることが出来るが、印月池は午後4時の閉園なので、月映えを見ることは出来ない。それで想像するだけだが、広沢池と違って西端は背の高い木立で園を取り囲んでいるので、遅い時間でなければ月の出が見えないだろう。それに、枳殻邸はまことに残念なことに、西から印月池を眺めると、木立の背後にホテルなどの高層ビルが見える。京都駅に近い場所ではそれも仕方ないだろう。その話は後日するとして、今日は写真を3枚だけ載せる。3枚目は印月池に架かる侵雪橋から南を向いて撮ったが、橋の上で池を眺めていると、大きな鯉が悠々と泳いでいるのが見えた。その写真を撮ろうとカメラをかまえたところ、家内が亀がいると言った。泥を掻き立てながら首を伸ばした大きな亀が橋の下辺りから去って行く。甲羅はつるりとしていて、すっぽんだ。全長50センチは優にある。すっぽんと鯉を一緒に収めたいと思いながら、ズームを最大にしてしばし待つと、鯉は消え去った。それで慌ててシャッターを押したが、菱の葉がほんの少し繁茂し始めていて、それと一緒にした。明暗を強調加工してようやくすっぽんの姿が見えるようになったが、二筋の泥跡が面白い。泳いでいるというより、池底をほとんど歩いている。すっぽんと鯉が同居して喧嘩しないのだろうか。食べ物はどうだろう。それに大きさ鷺に鯉は食べられるのではないか。食べるで言えば、巨大なすっぽんはそのまま成長させるのか。そんなことをあれこれ思ったが、池は広いのですっぽんと鯉は喧嘩せずに済み、また鳥に捕獲されないように水生植物の陰に潜るのだろう。侵雪橋は、太鼓橋で、雪が積もりにくいためにその名前があるのか、あるいは積もった雪を踏みながら池の鯉に餌を与えるために考え出された名前か。温暖化のために京都市内で積雪があるのは年に1,2日だが、江戸時代以前は違ったのだろう。それはともかく、侵雪橋は枳殻邸のほぼ中央に位置し、見晴らしがよい。これも残念なことに、花の季節ではなかったので、橋からどのように桜は梅、紅葉が見えるかがわからない。もらったパンフレットにはイラストが見開きに印刷されていて、それによれば橋から西は紅葉、すぐ南に桜がたくさん描かれている。これは秋と春の二度は訪れるべきで、筆者は少々焦ったことになる。どうせ行くなら花の盛りの季節がいいのに、詩仙堂を訪れた時もそうではなかった。それはさておき、イラストで桜に囲まれる大きな建物がある。傍花閣で、この名前の「花」は桜のことだろう。これまた残念なことに、この建物は修復中らしく、無粋な青いシートで覆われていた。それがわかっていれば時期をずらしたものを、筆者は事を決めればすぐに動きたい方で、訪れる場所について調べることをしない。意外な感動を得るにはそれがよいからだ。下調べをすると、それでもう行った気になってしまいかねない。

今日の最初の写真は、「その1」の4枚目の写真の奥に見える門を入って20メートルほどのところで門を振り返った様子で、中央に白壁の飛び出た小さな建物がある。新しいもので、鉄筋コンクリートかもしれない。イラストに名前が出ていない。これよりふたつ南すなわち写真では左に、蘆庵という二階建ての茶室がある。これは詩仙堂の嘯月楼を真似たものだろう。同じように二階に円窓がある。これがどの方角を向いているのかがわからない。床の間の違棚の背後にあるので、あまり開け閉めはしないはずだ。パンフレットの写真ではそれに直角に交わる辺に四角い大きな窓がついていて、傍花閣が見えているので、円窓を含む床の間は北辺にあり、大きな窓は池を臨むためのものだ。蘆庵の前は当然のことながら、狭い露地で、筆者は見上げることをしなかった。そのため、蘆庵には気づかなかったが、「石の上を歩いてください」という注意書きは往きと帰りの二度しっかりと見た。飛び石を敷いた露地は蘆庵の前を中心に20メートルはあったろうか。石を踏みながら、踏み外せば靴底が土で汚れそうであるし、みんなが石を踏むと100年や200年でかなり擦り減るだろうなと思った。記憶にない蘆庵はさておき、今日の2枚目の写真は最初の写真を撮った位置から数メートルといった地点で北を向いてシャッターを押した。うっすらとつなぎ目がわかると思うが、上下2枚の写真をつないでいる。小さな池があって、右手に滝が見えた。この池は細い小川となって傍花閣の際を流れ、印月池につながっている。水を取り込んで一旦溜めるのだろう。水をどこから得ているかだが、パンフレットには昔は東を流れる高瀬川から、現在は疏水から分流させた本願寺水道の水を引いているとある。写真左に見える建物は滴翠軒で明治17年の再建というが、瓦は近年葺き変えたようで、新しい建物に見えた。この写真は園の北端の一画で、この池と滴翠軒で立派な料亭の庭に劣らない趣があるが、周囲が樹木で囲まれ、どこか陰気で暗い印象がある。西がすぐ駐車場であるのもそんな理由かと思ってしまう。それに、建物内は見ることが出来ないうえ、2枚目の写真は、そこに写る以外の場所に立ち入ることが出来ず、視界に圧迫感がある。それで上下に2枚撮ってつながねば、空がほとんど入らず鬱陶しい写真になった。だが、背後にビルが見えないのが救いだ。ツツジが少し咲いていたので、右端にどうにかそれを収めた。今日はすっぽんが泥を引いて去って行くような終わり方だが、4枚目の写真を載せると話が中途半端になる。