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●佐保路の松と盆栽の松
る活力を感じさせるのが新緑の季節の生い茂る葉だ。今年の2月にわが家の裏庭の合歓木の枝をかなり伐採した。



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その分、内部にたまっていたエネルギーの出場所が限られたか、幹のあちこちから新芽を発生させ、灰色の幹が緑で覆われている。枝は川を越えて向こうの民家の壁に到達しそうで、来年2月は川の中に脚立を立てて枝を払わねばならないが、そのためには高さ3メートル近い脚立が必要だ。植木屋がたまにそのような特大の脚立を使っているが、筆者のは高さ1・5メートルで、その上に立って長い竹の先に鋸を取りつければどうにか枝に届くが、安定が悪いので川の中に落ちるだろう。それに水の流れが速ければ脚立は流されるかもしれない。そこで今日のTVを見てヒントを得た。傘の柄の曲がった箇所で枝を引っかけて手前に寄せるのだ。もちろんその柄を長い竹の先にくくりつけ、それで切り取るべき枝を手間に撓ませ、そうして鋸で切り落とす。縄を投げかけてこちらに撓ませるのもいいが、カウボーイ並みの技術が必要だ。もう合歓木の花が咲いていて、鳥が毎朝飛んで来てそれをついばんでいるのか、それともきつい雨が降ったためか、花や葉が下によく落ちていることに今日気づいた。先日Fさんに買い物に車で連れて行ってもらったホームセンターではついでに鶏糞の1袋を買い、今日はそれを牡丹や梅の根元の土を掘り返して与えた。そして、紅梅の木に梅の実が出来ていることに気づき、収穫に意気込んだが、直径3センチほどのが10数個であった。これでは梅酒にならない。数日前、ムーギョで同じ大きさの小梅が1袋200円で売られていた。200個ほどは入っているはずで、よほど買おうと思ったが、かなりの個数が黄色に変化してぶよぶよで、梅酒には具合が悪いかと思った。今日は夕方にNHKのニュースを見ていると、どこかで梅の実の収穫があって、それが直径5センチほどの大きさで、そのような大きさに育てるにはやはり肥料かと思った。筆者は放ったらかし同然なので、実が多少でも出来たことを喜ばねばならない。それでも白梅の方はさっぱりであるのに、紅梅は品種が違うのだろうか。また、梅はどのような木でも実をつけないのだろうか。それはともかく、桃栗三年と言うので、梅は桃に似て三年ほどで実をつけるように思う。天神さんの縁日で苗木を買ったのは3年前の2月で、今年は植えて3年目になるから、わずかでも実が出来たのは当然か。筆者の背丈を軽く越して、葉も枝も爆発的に伸びていた。枝を恰好よく剪定してやるのが鑑賞にはいいが、梅を収穫するならばどうなのだろう。筆者のことだから、伸び放題にさせるだろう。梅の実で思い出すことがある。小学3年か4年の理科の教科書だったろうか、男女が梅を食べて顔をしかめている挿絵に、「青い梅の実を食べると腹を壊すので注意しましょう」という言葉が載っていた。それを今もまざまざと思い出せる。大阪市内では梅の実を取って食べる子どもはいなかったのではないか。梅の青い実をかじるのは歯が丈夫でしまも酸味をこらえねばならず、いくら甘い食べ物が現在のように豊富でなかった時代でも、田舎の子しかそのような遊びはしなかったであろう。だが、今日思いついたのは、教科書は都会の子だけのためではなく、同じものを田舎でも用いる。それはさておき、自分で買った梅の苗木が青い実をつけて昔の教科書を思い出したから、その実をかじって腹を壊してやろうかと、今頃大人が戒める田舎の悪戯小僧の気分になる。それはさておき、成長が早い植物は楽しく、また食べられる実がつけるのはなおよい。梅はその点、花は鑑賞に持って来いで、実を出来るから、もっと早く植えればよかったが、何事も順序があり、算段がある。3年前に植えたのは機が熟したからで、それ以前では不可能であった。
●佐保路の松と盆栽の松_d0053294_1583855.jpg 成長が遅いように思うのが松だ。松はきれいな花を咲かせず、松の実といってもどの木でもつくのかどうか、またそれは地味であり、松のどこがいいのかと花ファンは思うのではないか。筆者もその口で、また松は金持ちの庭にしかふさわしくないもので、最初から諦めている。先日書いたように、5月6日の六道珍皇寺の帰り、近くの民家で松の小さな盆栽をひとつもらって帰った。葉がとげとげで、ビニール袋を突き破り、家まで持って帰るのに往生した。それに家内はどのように水をやればいいかと言うので、炎天下にそのまま出して毎日少し水を与えるようにと言った。盆栽を育てている光景をTVでたまに見ると、青空の下に並べているからだ。鉢が小さいので、大きくなるとしても限界があるが、あまりに窮屈そうに見えれば少し大きな鉢に植え代えればいいだろう。今日久しぶりにじっくり見ると、強い陽射しの下で元気よく小さな葉の固まりをひとつてっぺん辺りに伸ばそうとしていた。また、葉の色艶から元気そうであることがわかる。この盆栽を鉢から外して地面に植えれば、普通の若松のように大きくなるように思うが、隣家の庭も松にふさわしい場所がない。それで盆栽のまま鑑賞することにする。それに、直植えの松は嵐山公園で見ることが出来る。その嵐山の松は最近若木を植えたものがあるが、造園業者が定期的に管理しているのだろうか。たとえば剪定だが、松は幹や枝の形が大事で、放置したままでは格好よくならないだろう。そう思うと、盆栽の松はどうすればいいのだろう。わずかな葉や短い枝であるので、剪定するほどもないが、小さな時にある程度形を整えてやらねば、つまり算段しなければ、将来格好いい姿になってくれないのではないか。つまり、手間がかかる。それで松はなおさら金持ちの家向きだ。さて、盆栽の松を入手した後、また松との出会いがあった。それは5月25日に奈良の不退寺に行った時のことだ。寺から出て山手の道を東に向けて歩いていると、右手の高台に学校が見える。その手前で墓地の際と細い水路を越えるが、水路上に松の枝が太い蛇のように1本だけ東に向かって水平に伸びている。これは去年5月にも見るともなく見た。今年は立ち止まってじっくりと見つめ、写真を撮ったが、それは盆栽の松を入手していたからでもある。水路は400メートルほど南を東西に流れる佐保川に流れ込むのだろう。コンクリートの水路上に金網をわたし、その中央に支柱を立てて、それで松の枝を支えている。個人の所有と思うが、水路もそうなのだろうか。それは考えにくいので、無断で水路上に松を育てているか、あるいは許可を得ている。立て看板があって、「佐保路の松」と筆書きしてある。驚いたことに、金網の区切りごとにさらに小さな立て看板があって、そこに生長年を記してある。支柱間が5年区切りで、手前から奥へと数えると25年だ。しかも最も手前の枝の太さはきわめて細く、蛇のようだ。確認しなかったが、最初は直立した幹のはずで、それを大きく横に曲げて水路上に這わせているから、盆栽とあまり変わらない。それによほど松は成長が遅いと見える。あるいは大きくならないように葉を剪定しているのではないか。水路上にどこまで伸ばすつもりなのか、東はもう20年ほどしか成長させることは出来ないだろう。そうなれば今度は枝を太くさせるつもりかもしれない。この松は道を歩く人なら誰でも触れることが出来るほど間近にあるから、誰かに悪戯されないかが心配だ。まさか青い松の葉を食べて腹を壊してやろうと考える餓鬼はいないはずだが、油撒き野郎のようなわけのわからないおっさんがいるから、気まぐれに枝をちょん切れば、20年、30年の精根込めた楽しみが無に帰す。それにこれを育てている人が高齢であれば、その人が亡くなった後、誰が面倒を看るのだろう。あまり人の通らない細い道沿いにこの水路があるが、筆者のようにたまに観光客は歩くだろう。心ない人の手にかからないことを願う。この長い松は10年後もほとんど姿が変わっていないはずで、筆者が生きている間は龍のような太い枝にはならない。盆栽は百年単位のものが多いが、まるで絵画のような芸術品と同じで、ほとんど姿が変わらないのに生きていることがわかるのがファンにはたまらないのだろう。筆者は植物を丹精込めて育てるのが苦手で、盆栽好きにはならない。それでも縁あって手元にやって来た松はどうにか枯れないように育てたい。松寿千年翠、青松多寿色など、松はめでたさがほとばしっている木の代表だ。
●佐保路の松と盆栽の松_d0053294_1584930.jpg

by uuuzen | 2015-06-06 23:59 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その366(... >> << ●『イヴのすべて』

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