寡黙な人のようには見えないが、中学生の時から天体への興味が尽きず、よく写真を撮っていたというから、人見知りな性格だろうか。あるいは、年齢を重ね、また経験を積んで自信が出ると、人と話すことは苦手でなくなるから、むしろとても饒舌な人かもしれない。

今日取り上げる展覧会を4月中旬に京都高島屋で家内と見た。とても空いていたのは、知名度が低いからだろう。天体写真の世界ではよく知られるのだろうが、筆者は初めて名前と作品を見た。1954年生まれで筆者より3歳下、長野県生まれで幼少期に野山や星空に触れたことが美の原点になったとチラシ裏面に書かれている。それにカメラと一緒に写った眼鏡をかけた自写像も載っていて、チョビ髭とは言えないか、上唇の上部に上唇とほぼ同じ長さに髭を蓄える。芸術家気取りというより、真面目な趣味人といった風貌で、また機械に強そうだ。そうそう、つい先日、必要があって一眼レフのカメラを買った。必要な写真だけを撮れば不要なので、売り飛ばすかもしれない。NHKのTVで最近趣味のカメラ撮影をプロが教えるがあって、第1話だけ見た。絞りとシャッター速度との関係や、画面の切り取り方など、同じものを撮るのに無限の方法があることを紹介していた。筆者はカメラの趣味がなく、このブログに載せている写真はどれも今ではネット・オークションで100円でも落札されない古くて重いデジカメを使っているが、500×360ピクセルに加工するのにとても便利で、今後も使い続けるつもりでいる。隣家を購入した時に置き去りにされていたもので、オリンパスのCAMEDIAのC-920 ZOOMいう機種だ。蓋を横にずらしてレンズを飛び出させる際に反応が最近悪くなって来て、半ば壊れているも同然で、今の調子では1年は持たないかもしれない。それはさておき、買った一眼レフのカメラで最初に試しに撮ったのは家内の顔で、それ以降先ほどまでカメラを手にしなかったが、ブログ用に何か撮ろうと考えてこれを書く筆者の位置から右手奥の暗がりを向いてシャッターを切った。AUTOにしたところ、暗がりなのにとても明るく写り、これは現実とは違うなと思って加工の際に筆者の目が感じる暗がり程度に明度を落とした。それが今日の最初の写真で、2枚目は前述の10年前のコンパクト・デジカメで、粒子が粗い。これはカメラの画素数の差だろう。一眼レフでは鮮明に写っているが、筆者の目では2枚目の写真に近い。高価な機器ほど鮮明な写真が得られるが、必ずしも鮮明さは必要なく、2枚目の写真で充分だ。だが、それはこうしたブログではよくても、印刷するとか、大きく引き伸ばして人に見せる場合には困る。そういう目的のために一眼レフ・カメラを手元に置く必要があるが、それはめったにないことだ。一眼レフ・カメラを不要と思うことは、その重さが理由でもある。カメラを持てばもうほかに何も手にすることが出来ない。これではとても外出の際に持って出る気になれない。そこで考えたのは、最も軽い一眼レフで、そうしたものを調べると、オリンパスがいいことがわかった。それで購入したのはE-620という機種で、また入門者向きとあったので気に入った。カメラが趣味な人はどこのメーカーがよく、またどういう機種がいいかとこだわりがあるが、芸術写真を撮るつもりのない筆者は必要とする最低限の用を足せばいいと考える。そのため、今日取り上げる写真展について書く資格がないが、写真の素人なりの思いはある。

先に画素数について書いた。それがどんどん進歩して大きく引き伸ばしても画面が荒れないほどになって来たが、本展では大型プリントが大半で、画素数は最大級の機器を使っているだろう。だが、2004年に千葉の九十九里浜で撮った彗星の写真が話題となってからフランスやイタリア、アメリカの天文雑誌の表紙などを飾ったとのことで、10年前のカメラを使ったことになる。デジタルであると思うが、撮影機器については書かれていないので、わからない。前述の自写像に写るカメラはハッセルブラッドのデジタル・カメラで、機種まではわからないが、安いもので100万円台、高いものは500万円近い。カメラが趣味という人はその程度の出費は普通だろう。趣味は何でも高くつくし、金がかからないのであれば時間を要する。それはともかく、ハッセルブラッドであれば、星座を撮って大きく引き伸ばしても無数と思える星がどれもくっきりと写るのだろう。題名は忘れたが、本展の第4楽章は「星」で、そこにはよほど空気がきれいでも肉眼では見えないはずの無数の星を捉えた写真があった。画面右下隅に小さく真っ黒な山らしき斜面が写っていて、それがあることで地上から見上げた夜空であることがわかって懐かしい仕上がりになっている。それにしても本当に無数と言ってよいほどの星屑で、そうした写真をどのようにして撮影するのか、技術的なことをまず思ってしまう。空気のきれない山で長時間露光で撮るとしても、やはりカメラの性能、画素数が物を言うだろう。ハッセルブラッドでは4000万から6000万画素で、これはもう天体向きとしか言いようがないだろう。つまり、遠藤氏は撮影したいものにふさわしいカメラを選び続けてハッセルブラッドに行き着いたのではないか。ちなみにオリンパスのE-620は1230万画素で、今日の2枚目の写真を撮ったCAMEDIAは131万画素となっている。どちらを使っても遠藤氏のような写真は撮れないが、それとは別に思うことは、レンズに付着した塵は画像に影響を与えるから、ハッセルブラッドで無数の星が写る写真を撮って大きく引き伸ばした場合、それがどのように写真に出て来るかという問題だ。どうでもいい話だが、CAMEDIAで毎月満月の写真を撮り、それを500×360ピクセルに加工する際、必ず真っ暗闇に1ピクセル四方の白抜きの穴が数個出ているので、それを黒く潰している。その作業を施さなくても小さな画像なのでわからないが、何となく気になる。そういう小さな穴空きは、星屑を撮った場合は星と見分けがつかないかもしれないが、ほとんど無地の色面に近い写真の場合は修正せねばならない。遠藤氏はそれを施してプリントしているのだろう。そのように作品を見ると、いい写真が撮れる瞬間に出会う粘りとは別に、撮ったものを人に見せるための苦労も感じられ、漠然と見る写真が手作り感覚に溢れた作品として迫って来る。

本展は第1楽章「月」、2楽章「太陽」、3楽章「空」、4楽章「星」、5楽章「ゆらぎ」、6楽章「かたわら」で、毎月満月を撮っている筆者としては第1楽章が一番面白かった。楽章と名づけられているのは、いわば交響曲のように展覧会を見てほしいからだろう。第1楽章が「月」であるから、どうしても全体が夜の静謐な印象が強く、またそれゆえ、寡黙さを感じるが、会場では静かなシンセサイザーの音楽がBGMで鳴っていた。流行りの言葉を使えば、「癒し」がテーマと言ってよく、またそのことに先入観があって退屈と感じる向きが多いかもしれない。遠藤氏は日本画などの絵画をかなり意識した構図を取っていて、プリントを掛軸や屏風に仕立てた作品があった。画家が写真を参考にえがくことがあたりまえの時代になっているから、写真家が写真を絵として提示しようとすることも当然だろう。それに絵では大画面を描くのに多大な時間を要するが、写真は手っ取り早く、それが現代人に向いているとも言える。また、絵は自由に変形して描くことが出来るのに、写真は見えたままだという意見に対しては、遠藤氏は「ゆらぎ」の楽章に含む写真で答えを提示している。それは主に水面に映ったゆらぎの写真で、抽象画に見える。この「ゆらぎ」の写真群はかなり気に入っているらしく、屏風仕立てなど、絵画として見せる作品が目立った。だが、ゆらぐ水面の映ったものとわかると、途端に種割れした気分で、屏風の大げさな形態がとても軽く見えて安っぽさを感じる。「月」に話を戻すと、今日本展を取り上げる気になったのは、新月の夜であるからだ。それに雨で、二重に夜空に浮かんでいるはずの月は見えない。真っ暗な夜空ではあるが、月はしかるべき場所に浮かんでいる。それが見えない新月というのは、新月と呼ぶにふさわしい。無のようでいて、それは有で、月は毎晩どこかにある。遠藤氏の説明文に、月は太陽だけではなく、地球からもほんのわずかに照らされているというのがあった。これは初耳だが、当然と言えばそうだ。地球も太陽に照らされているし、また暗い夜でもわずかに街灯がある。それらの光が月を照らしているとすれば、新月でもほんの少しは輪郭が見えるのかもしれない。そしてハッセブラッドを使えばそんな真っ黒な満月を撮ることが出来るのかもしれないが、そういう写真は本展にはなかった。また、満月ばかりではなく、細い三日月の写真もあって、遠藤氏は中学生の時にまず月に関心を抱いたのだろう。三日月を撮った写真の1枚に、空が赤茶に写っているものがあるが、これはいかにも絵画的で、色彩を加工したのだろうか。不自然ではない程度にそうした手加減はしていると思うが、月と言えばいかにも夜空らしい暗い色合いの空である必要はない。その三日月の写真は月がオレンジ色で、また画面中央やや下に太くて赤い横線が入っている。飛行機が飛び去ったのかもしれない。またそんなことより目についたのは、三日月であるのに、クレーターがはっきりと写っていたことだ。筆者のカメラとレンズではクレーターまでは写らないだろう。そういう写真を撮ったことがないので憧れがあるが、そこまで鮮明に月の表面が見えてしまうことは一種の幻滅で、筆者の視力と同じ程度にぼやけて見えるので充分との思いがある。デジタル時代の高精度の写真や映像は残酷でもあって、TVに出演する人たちは小皺や小さな染みを気にせねばならなくなった。だが、人間は月のあばたもえくぼと考えることは出来る。その意味で遠藤氏の月の写真はデジタル時代の新しい感性によるものだ。

「湖舟」という名前は号であろうが、この写真家の狙いや作品をよく体現している。チラシやチケットに使われた作品は星空の満月と海か湖かに映る月で、上半分は天体写真のようで、下半分はムンクの絵のようだ。それが理由でもないが、今日の2,3枚目はムンクの「叫び」人形と「接吻」の石版画を中心に撮った。長年同じ場所に飾っているもので、筆者は中学1年生の時からムンクに魅せられていた。それはいいとして、上半分が天体写真で下半分が人間界を捉えたこの写真は、遠藤氏の世界を端的に示している。「月」や「星」の楽章は天体写真的で、それ以外は人間の生をより感じさせ、それが最も強いのが「かたわら」だ。これは蝶が飛び交う水紋や露玉で飾られる蜘蛛の巣など、小さな生き物を詩情で捉えたもので、より人間的でほっとさせる。「月」の写真は前述のようにクレーターが見えて人間の目で捉えたのではなく、カメラ・アイを如実に示す。それは冷たさを感じさせ、そのことが月の様相にはふさわしいと言えるが、筆者が毎月撮る満月の写真とは違って、地上との結びつきが少ない。地上との結びつきの要素が多いほどに、写真はやかましいものになるが、筆者がそれを好むとすれば、大阪市内で生まれ育ったからであろう。長野の野山が原体験にある遠藤氏は、自然とより純粋に対峙する経験が染みついていて、生活を感じさせるものを排除した写真を求めがちとなるのも無理はない。そのことで、より写真は「美」を意識したものになるが、シンセサイザーで奏でる宇宙的な音楽もあれば、場末で鳴りわたるブルースもあって、月はどこをも照らす。そして筆者はどちらかと言えば人間の匂いがより漂うものが好きだ。以前阿倍野の市立医大病院の中に飾られているたくさんの写真について少し書いたことがある。同病院にある人を見舞いに家内と出かけた。その時限りの思い出だが、どこかの鄙びた山手の里の朝や夕暮れを撮った写真が待合室や廊下のあちこちに飾られていた。どの写真も偶然か故意か知らないが、車の赤いランプが写真の隅っこに小さく写り込むなどして、それがやけに印象的でまたよいと思った。懐かしいふるさとといった写真では月並みだが、そこに人間の存在を示す小さなものを含めると、写真は一気に人間的な懐かしさを加える。それは病院という場所では歓迎されるだろう。病人はそういう写真を見て、自然の美しさとは別に、早く快復して元の生活に戻りたいと思う。そういうことを考えて病院はそういった写真を撮る人の作品をたくさん購入したのかもしれない。もう少し書くと、富士正晴の小説に、道頓堀の赤い灯青い灯が懐かしいと口癖にした同じ部隊の兵士がいた。その兵士は呆気なく死んでしまうが、中国の殺風景な景色の中に、よほど大阪の人間くさい繁華街を懐かしんだのだ。遠藤氏の写真には人間を感じさせる灯はない。あえてそれを避けて自然の美しさを抽出しようとしている。そのことが人間嫌いで寡黙な人柄を思わせるが、そうであれば百貨店での展覧会を開くだろうか。それに遠藤氏の写真を基にした龍村の高価な帯が会場出口外に数点販売されていて、商才もあるようだ。となると、自ずと写真もそういう人間くささが出ていると見るべきだろう。それは悪いことではない。人は宇宙的深淵さばかりでは退屈で、人間の営みを感じさせるものが必要だ。先ほどからVISTA QUESTAというおもちゃのデジカメでも同じムンク人形を撮りながら、パソコンで画像を見る術がわからず苦労したが、ようやくUSBが反応して取り込むことが出来た。画素数は500万で、ピン・ホール写真のようなぼけた写真が撮れる。それを3枚目に載せておくが、新月のように暗い。