●「武田理沙~フランク・ザッパ・メドレー関西初演」 武田さんと筆者が10月26日、大阪の神山町のALWAYSにて対談します。
●『私の恋愛のすべて』
矣島と書いてハングルで「ヨイド」と読む。「ヨイド」はよく耳にする地名だが、「汝矣島」と書くことは知らなかった。島であるから海辺かと思うと、漢江の中洲で、そこに70年代半ばに新たに国会議事堂が建設された。



今日取り上げるドラマではその建物が毎回映る。ドローンで上から撮影してほしかったが、正方形の中央に円形の屋根があるのだろうか。ついでにその円を大極旗のように陰陽の巴文様で塗り分ければ国会議事堂らしくていいと思うが、緑青が吹いた銅板で覆っているのではないだろうか。日本の国会議事堂とはデザインが全く違うが、国立美術館と言われればそうかと思ってしまう。国会議事堂らしくないかと言えばそううではなく、ただ大き過ぎるような気がする。日本より小さな国で、国会議員の数も半分ほどでいいと思うが、そうであれば巨大は議事堂は必要ない。あるいは韓国の国会議事堂は会議以外の用途のための空間があるのかもしれない。本作は最初の回に議事堂内の会議場が映る。日本と同じく半円形で、それは日本を真似たのだろうか。その会議場の広さは日本と同じくらいに見えたが、人口に対する議員の数は日本の倍ということになるか。日本では議員の数を減らそうという考えがあるのに、韓国ではどうなのだろう。どの国の政治家の人格も差はないと筆者は思うが、韓国の国会議員は本作で描かれるような具合だとすれば、本作の撮影に対して会議場の使用をよくぞ許可したと思う。議員を痛烈に風刺することが本作の目的ではないが、恋愛喜劇という表向きの主題を掲げながら、議員の多くがまともな連中ではないことを描くことを目指したものとして楽しむ人も少なくないだろう。ともかく、多彩な韓国ドラマにあって、本作は初めて国会議員を描いたものではないだろうか。そして会議場で多くの人が騒ぐ場面が最初の回にあったので、続けて見ることにしたが、会議場を使用したのはその最初の場面のみで、後はどこかのビルの内部を借りての議事堂内部作りで、安っぽさが際立った。韓国ドラマは小道具の隅々まで気合を入れることはなく、かなりいい加減で、その粗探しをするのが筆者の楽しみにもなっているが、それはドラマの物語を楽しみながら、俳優の演技や周囲のスタッフにも思いを馳せることで、物語だけに熱中出来ない筆者の性質かと言えば、そうではない。誰でも目の前の造られた映像に対して、その作り手たちの考えや行動に思いを馳せる。つまり、最初から造り物であることをわかって楽しむから、粗が目についてもそれはそれで面白い。本作のそうした粗は、これも毎回映る議事堂内部の赤い絨毯を敷いたエントランスだ。両脇に横縞模様の大理石の列柱が並んでいて、それなりに豪華で、議事堂内部かと思わせる。ところが大理石模様は印刷した紙を巻いて演出したもので、そのつなぎ目がはっきりとわかる場面が何度もある。貼り合わせ箇所をカメラが写さない場所にまとめるか、あるいはカメラが貼り合わせ箇所を撮影しないかだが、そのどちらも守られていない。大道具係もカメラマンも安っぽく見えてしまう粗が写っても平気なのだ。そのおおざっぱさは日本ではまず考えられず、そのことが工業製品の質の差に表れているように思うが、こうも考えられる。以前も書いたように、ドラマは元々作り物であることを視聴者は知っている。舞台劇と同じという感覚だ。舞台には書割がある。それは明らかに作ったもので、安っぽい。それと同じことが、どこかの場所を借りてドラマ向きの撮影場所として作り変える際にも行なわれる。そして、本作は喜劇であり、笑えるものなら何でも使う。登場人物たちは全員演技がおおげさで、それにセットが呼応している。また、韓国ドラマはたとえば復讐劇であっても笑いは必ず用意されていて、その一種の安っぽさを安心して楽しむというところがある。
 安っぽさのない作品があるかと言えば、それは存在しない。どんなに贅を尽くしてもそこには必ず安っぽさは滲み出る。人間がいい例で、全身豪華に着飾っても、安っぽさを見る人はいる。安っぽさは人間の本質に確実に混じっていて、それを嫌うのではなく、受け入れるべきだ。そうすることで安っぽさを減少させることが出来る。韓国ドラマはそのようなことを教えてくれると言いたいのではないが、多くの作品を見続けると、金に糸目をかけずに作品を作っても、安っぽさは払拭出来ないことを知る。ならば最初から安っぽさが露呈しても気にしないという態度を取る方が作品は成功する。ただし、最初から最後まで安っぽさが露わであれば本当に安っぽくなるから、本作は最初に国会議事堂の大きな会議場での場面を用意してまず視聴者の度胆を抜いた。最初の大きく花火を打ち上げたのはいいが、そのために費やした経費や労力がドラマ製作費のかなりの部分を占めたのか、後はもっぱらチープな場面ばかりとなった。そうなれば今度は何で視聴者を惹きつけるか。俳優の存在だ。若い男女や上手な演技が最重要となる。そしてそういう段階になれば、多少の小道具、大道具の粗雑さが写っても平気で、それに気づく視聴者を却って楽しませることも出来る。量産され続けるTVドラマが安っぽいのはあたりまえで、視聴者は最初からそれはわかっている。しかも本作は政治家の生態を描くもので、安っぽいとすれば、それは政治に対する痛烈な批判になる。とはいえ、どこまでそれをやるかはちゃんと心得ていて、仮に与党から批判があれば、笑ってごまかす心づもりはある。それが政治を真面目に考える人にからは、中途半端ないし生ぬるいと謗られるだろうが、本作はあくまでも恋愛喜劇であることを忘れてはならない。政治の世界をシリアスに描いたドラマを誰が見るだろうか。それは誰もが想像するとおりであって、わざわざドラマに仕立てるほどもない。韓国ではどのように思われているのではないだろうか。言論の自由が日本よりないからと言えるが、そうであれば政治をおちょくるしかない。そしてその態度は本作にも垣間見られる。そのように思わない人が多いとすれば、それが韓国ドラマの限界かもしれない。それはともかく、政治を嘲笑するだけではやはりドラマとしては歓迎されない。せっかく作品を作るからには、おちょくりながら何か希望を示す必要がある。それを本作は描いているが、苦味がそうとう利いている。それはたとえば、与党の議員が選挙の途中で白けてしまい、立候補を取りやめる場面にある。いつも蝶ネクタイを締めている彼はおっちょこちょいだ。そして純真なところもある。そんな彼が急に選挙、政治の馬鹿らしさに気づき、自分には合っていないと悟る。そしてラジオで番組を受け持つことに転職する。政治家の経験から国民に考えを発信するためだ。政治家からタレント、あるいはその逆への道は日本でも多い。韓国でも事情は変わらないのだろう。政治家をやめるのはもうひとりいる。主人公のノ・ミニョンという女性で、彼女は他に2名しか議員がいない弱小政党の議員で、与党の横暴ぶりにいつも激怒している。世の中をもっとまともにしようという熱意で政界に入った。最初の回で彼女は与党の強硬採決に抗議するために会議場の扉を開けようとする。会議場では与党議員はひとりだけいて、他は全員別の会議場で採決をしていたのだが、それを知らない新米与党議員のキム・スヨンは、ミニョンが扉を壊すために振り上げた消火器を、扉を開けた瞬間に顔に食らう。この事件以降、ふたりは少しずつ歩み寄って恋愛感情が芽生える。だが、与党と野党の議員では人目を憚る交際となる。記者が嗅ぎつけると大きな記事になるので、ふたりはこっそりと議事堂内の人目につかない場所で逢引を重ねる。韓国ドラマお決まりの四角関係、すなわち他に男女が1組登場し、そのふたりがミニョンとスヨンの恋愛を阻むが、ふたりの熱意に苦しみつつ、最後は彼らを認め、身を引く。そして、交際に障害がなくなったかのようなふたりだが、世間は許さない。そこでミニョンは政界を引退し、2年間海外で生活する。帰国して無所属議員となっているスヨンと再会し、そしてまた交際が復活するところでドラマが終わる。これは韓国の政界の現実をある程度反映しているか。ミニョンが与党議員であれば交際に障害がなかったか。女性は政界から引っ込み、陰で政治家の夫を支えるべきというのが、儒教社会の考えかもしれない。では男尊女卑があからさまに描かれているかと言えばそうではない。ミニョンとスヨンの恋愛に平行してもう1組の恋愛が描かれ、そこでは完全に女性上位で、しかも政界を引退するのは前述の蝶ネクタイの男性だ。
 ミニョンもスヨンも正義感溢れる若手議員だが、ひとりは引退、ひとりは無所属になることは、与党の幻滅的な政治をほのめかしている。スヨンの父は与党の代表で、出世欲にまみれている。そしてスヨンをわが子であるとは公言していない。こういう関係もまた現実的だが、それほどに政界はドロドロしているということをさりげなく本作は描く。スヨンが父の後を継いでいずれは与党のトップに立ち、大統領を目指すという夢を見ず、あっさりと無所属議員になってしまう。そこに現実の政治への幻滅があるが、それは与党議員たちの行状によく描かれる。誰もが日和見で、お調子者として描かれ、本作が信じるのは、ただ正義感という一件のみだ。政治にはそれが最も重要であるとするのは、庶民の思いの代弁だ。ところがそれはかなわない幻であるがゆえに本作のようなドラマが製作され、そのことで庶民は鬱憤を晴らしつつ、正義が通用する社会を夢想し続ける。スヨンが父の力を借りずに無所属になって出直すことにしたのは現実的ではないだろう。無所属であれば出来ることは限られる。それでもスヨンが無所属になったというところに、本作の政治に対する抗議と希望があるが、そういう眼差しを韓国の国会議員は表向き嘲笑することは出来ない。そこが本作の強みで、政治家に睨まれないように笑いでごまかしながら、主張は忘れない。そして、本作辺りが政治を描くことの限界かもしれないが、描かれないよりかはましではないだろうか。まだ政治家に対して萎縮していないからだ。日本では与党が放送局を呼びつけて事情聴取するほどになっている。政治家は自分たちに対する文句がないことを、よい政治が行なわれていると考えるが、それは逆だ。本作の与党の長を演じるのは、たまに他のドラマで見かける顔だが、悪役にぴったりの俳優で、彼を選んでいるところに、本作の政治への抗議がなおよく示されている。本作は全23話の短さで、人間関係をあまり複雑化させることが出来なかったが、盛りだくさんな内容にならず、わかりやすい作品に仕上がっている。全23話は中途半端で、人気がなかったので途中で打ち切ったかと思ったが、全16話で編集した放送もあって、当初の脚本どおりに製作したのだろう。韓国ドラマは人気が上がると途中で回数を増やすことが普通に行なわれる。本作は視聴率が1桁に留まったようで、駄作の部類に入るが、政治家を主役に立てる喜劇という特異な設定によって、忘れ難いものになっている。そのための効果は何と言ってもミニョンとスヨンのふたりの演技だ。筆者はどちらも初めて見るが、ミニョンを演じるイ・ミンジョンは大物俳優のイ・ビョンホンと結婚して一児をもうけていることを知った。個性的な顔の女性で、本作では目の化粧が濃いが、確かに魅力的だ。スヨンを演じるシン・ハギュンは美男子ではないが、男の魅力に溢れ、また演技派だ。どのような役でもこなせる安定感がある。このふたりで本作は光っている。題名は内容に似合わないが、原題の直訳であろうか。
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by uuuzen | 2015-04-25 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画 | Comments(0)


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