溢れると言うのが全くふさわしいほどの人が渡月橋や天龍寺前にいて、車道にはみ出ていた。明日は雨が降るという予報なので、今日出かけることにしたが、自転車を利用した。
家内と一緒に右京中央図書館とその近くに新しく出来たギャラリーに行くのが目的で、帰りは梅津に回ってトモイチとムーギョで買い物をした。三条通りを走っていると、満開の八重桜がちらほら見えたが、御室の桜を連想した。先ほど調べると、今日は「葉桜:満開後、50パーセント以上の花が散っている状態」とある。「落花さかん」ということだ。2年前は4月14日の日曜日に親類の食事会があって、その前に仁和寺の遅咲きの桜を見る計画があった。それぞれ別の車で行くのだが、筆者は従姉夫婦の車に便乗した。3人で二王門をくぐって広い境内に入り、左手にある料金支払い所まで行くと、「おむろ桜 落花さかん」と大書した看板があって、それで中に入らないことにした。10分ほど待っていると、他の新類が花見を終えて出て来たので、入らない方がよかった。それで来年はもっと早めに家内と見ることにし、そのとおりにしたが、その4月13日のことは
「おむろ桜満開」と題して3回に分けて投稿した。今日は「落花さかん」の写真を載せるが、これは一昨年の4月14日で、2年ぶりに使う。いい写真ではないので没にしてもよかったが、今年は桜の写真は少ないので、その埋め合わせにはいいだろう。それに、「御室桜」で検索すると、今年や本日の開花状況が探しにくく、何年か前の情報が錯綜している。毎年同じように花は咲くし、また筆者は数日ほど遅れて投稿するので、載せる写真は鮮度が命ということにはほとんどなっていない。今日の写真を今年撮ったものと書けば誰しもそれを信じるだろう。筆者とて2年前に撮りはしたが、3年や4年前でも同じような写真になったはずで、また10年や20年後には2,3年の差などたいしたことがないと思っているだろう。2年前の御室桜の写真を使うのは「その2」で書くように、理由がある。今日はそれについては書かないので、埋め草的にどうでもいいことを連ねるが、それでは長文を少しでも減らすためによく似ている2枚の写真のどちらかを没にしようかと思案しながら、どちらも「落花さかん」の題名に沿っていることに気づく。昨日の造幣局の桜の通り抜けの投稿では、4枚目は同じように花びらが絨毯のように積み重なっていた。前に書いたように、桜はそのように散っている状態も見物だ。「落花さかん」はそれなりに見所があるということだ。そう言えば2枚目を撮った後、30代の中国か香港から来た30代らしき女性のふたり連れに話しかけられた。デジカメで自分たちを撮ってほしいというのだ。「落花さかん」な桜を背景に撮ってもあまり見栄えしないかと思いながらシャッターを切った。筆者は上下黒で黒の帽子に真っ黒なサングラスで、黒ずくめでの姿であったが、外国から来た観光客と思われたかもしれない。英語で話しかけて来た時の素振りが何となくそのような感じであった。それにしても4月半ばは全身黒は暑苦しい。とはいえ全身白づくめはまだ早いし、4月半ばは何を着ていいかややこしい。
今日の最初の写真は二王門だが、去年の「おむろ桜満開、その1」を投稿した時、最初にこの門が遠くに見える写真を載せた。その時、今年はその門を間近で撮った去年の、つまり今日の投稿の最初の写真を使うことに決めた。もっと正確に言えば、去年は今日の最初の写真と同じように門を間近では撮る必要がないと思った。2年前と去年の写真が補完し合うことを目論み、そのために今年は2年前の写真を使い切りたいのだ。それにしても古い写真がたまる一方であるのはよくない。潔く没にしてその存在を忘れるべきで、基本的にはそのようにしているが、「その2」に書くように、写真を撮り終わって事がすっきり済むとは限らない。もっと言えば、写真つきで投稿を終えたことで、もうその話題は二度と縁がないかと言えばそうではない場合がある。それはさておき、一昨日首相が観桜会に出席したニュースがあって、東京は京都より桜の開花が少し遅いかと思った。少しずつ北上する桜前線を追って毎日桜の名所を紹介するニュース番組のコーナーが20年ほど前にあったことを思うと、筆者が桜が散った後に桜について投稿することはさほど悪くはないだろう。それでもあまり遅れるのはまずいから、昨日に続いて今日も桜の話題とするが、「その2」に続いて2年前の同じ日に平野神社で撮った桜の写真も使うつもりでいる。話を戻すと、京都と東京の緯度は大差ないので桜の開花時期もほとんど同じと思うが、今年の首相の観桜会の桜は造幣局と同じように遅咲きであったのだろうか。どこの桜も毎年満開になる日は違うが、地球温暖化のために少しずつ早くなっている気がする。それでも日本へ来る外国人観光客はほとんど季節を問わずに増加中で、それは今日の渡月橋や天龍寺前を見ればわかる。満開の桜を楽しめるに越したことはないが、気温任せ、天気任せであるし、咲いてすぐに散ることも知っていれば諦めもつくだろう。話は変わるが、
4年前と3年前は造花の桜の写真を、「街中のさびしい桜」の題名で何枚か載せた。今年も気になりながら1枚も撮影しなかったのは、2年前に撮ったのと同じ場所の桜がおそらく3年間そのまま放置されて来て、半分は風で吹き飛ばされ、また全体に汚れてあまりにもさびしさがひどいところを目撃したからだ。それでもう造花の桜の写真は撮らないと思うが、前述のように、何事もすっきり済むとは限らず、二度と縁がないと思いながら、そうではない場合がある。それでせめて今日はすっきりと終えるために、先に書いた似た2枚の「落花さかん」な写真の1枚を没にし、3枚だけ使うことにする。写真は厳選したものだけ使うというのではなく、ほとんど撮ったものは使うことにしている。撮る時に厳選しているつもりで、それでも過剰で溢れ気味であるから、文章とともに少ない方がいいが、桜は群れで見るのが楽しく、今日の三条通り沿いの公園内のように八重桜が1本だけ立っているのを見るのはさびしい。背後に同じ背丈の緑だけの木が立っていて、自転車を走らせながら、左に濃いピンクの満開の桜、右に緑の樹木という、形としては左右対称の写真を撮れば、いかにも新緑前の季節を感じさせる写真になるなと思った。今日は展覧会の感想を書くつもりでいたのに、桜の話題にしたのは新緑真っ盛りになる前に投稿し終えるべきと思ったからでもある。溢れるほど話題を抱えているのではないが、投稿の順はそれなりに気になり続けている。