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●『海に生きる』
の仲間とは知らなかったので、先ほど大阪天神橋筋商店街の玉出スーパーで半額の1000円ほどで売られていたチヌという黒い大きな魚を買わなかった。



30センチ近い長さで1000円が安いのか高いのか知らないが、丸ごと一匹でごろりと分厚く、鯛の仲間には思えなかった。刺身に最適と書いてあって、家内は包丁がないと言ったが、もともとそのような大きな生魚をさばくことが苦手だ。10年ほど前か、もっと大きな鯉を写生のために嵯峨で買って来て、翌日筆者はそれをさばいたが、菜切り包丁でもどうにか間に合った。その経験があるので、よく聞く名前のそのチヌという魚を買って帰りたかったが、氷がもらえるのかどうかわからない。買い物をした後、天六の駅に向かうまでの間、家内は氷を一袋もらったと言ったので、そのスーパーに行き始めたこの数年で初めて、生魚を買っても嵐山までの1時間は持つことがわかった。チヌは同じ大きさのものが2匹売られていて、ほかにも丸ごと一匹の大きな魚があったのを見ると、あまり人気はなさそうだ。さばくのにグロテスクであるし、刺身包丁を持っている人が少ないからかもしれない。筆者はアラ炊きが好きで、鯛ごぼうや鰤大根をよく作ったが、ここ1年は家内が退職して食事の用意を一切するようになってからはそんな面倒なアことはよほどのことがない限りしなくなった。食べたければ筆者が料理しなければならない。そうしてもいいが、狭い台所にふたりが立てば危ない。それに、チヌという魚を買っても家内はどう料理していいかわからず、たぶん無料であっても持って帰らない。鯛の仲間であれば刺身はおいしいはずで、またアラ炊きも出来るだろう。今日は黒門市場も素通りしたが、そのような場所でなければ30センチのチヌが丸ごと1000円というのは、筆者が行くスーパー5,6軒ではまず見かけたことがない。大阪より内陸の京都ではそれも当然かもしれない。それはさておき、数日前に家内は高槻で2歳下の妹と会い、話の中で妹が漁師は博打だと言ったそうだ。どういう意味合いなのか、家内の妹はよく意味不明というか、舌足らずなことを発言し、周囲の誤解を招く。なぜそんな話になったかと言えば、家内は今日取り上げる記録映画の話を妹にしたからだ。この映画は昨日取り上げた『西陣』と一緒に京都文化博物館で8日に見たが、その感動が冷めない翌日に家内は妹に会った。妹にすれば知らない映画の話題になって面食らったのだろう。それで「漁師は博打」と言ったが、その言葉に誰しも返答に窮する。それで家内は気分が悪かったと打ち明けたのだが、確かに魚がどれだけ獲れるかどうかはわからず、漁師は博打と似たところがあるが、それを言えばどのような商売でもそうだ。家内の妹の夫は寿司屋を経営している。それは魚あっての商売で、漁師がいなければ不可能だ。そのため漁師が博打なら、寿司屋もそうで、妹が「漁師は博打やけど、わたしところもそうや」と言えば、家内は納得し、そこから話が続いた。ところが、しばしば妹は話に花を咲かせるという一種の気配りが昔から出来ない。それはどこかに勤務して給料をもらったことがなく、他人に気を使うという経験がないからでもあるだろう。簡単に言えば世間知らずだ。だがそれを本人に言えば激怒する。それで、妹の性格をわかったうえで、つまりどんなとんちんかんな返事があろうと、我慢しなければならないのだが、家内は毎回気分の悪い思いをしている。しかも妹は全くそのことに気づいていない。それで次に会った時もまた同じ調子になるが、妹は家内しか話し相手がいないようで、数日置きに電話がかかって来るし、そのたびに家内は笑顔で対応し、相手が心行くまでつき合う。そう言えば家内の方から妹に電話したことは一度もない。
 さて、『海に生きる』は遠洋漁業の漁師の生活を描いた30分の記録映画で、昭和24年(1949)のモノクロ作品だ。京都文化博物館のフィルム・シアターでは昼と夜が同じ映画を1本上映するが、本作のように短いものは2本となる。今月のテーマは『働くことと生きること』で、昨日の『西陣』もその観点から言えば、問屋の人々よりも、糸を染めたり、紋紙の図案を描いたり、そして機織り職人の手技を描くことに主眼がある。それらは手仕事であり、昨日書いたように、顔はほとんど写さず、手の動きを捉え続ける。そして問屋のお偉方は顔が映るが、それは彼らが口で生きるからと思えば納得が行く。なまじっか彼らが手仕事の辛さやまたどのようにして帯が完成するのかといった専門知識を学ぶと、却って売りにくいかもしれない。そういう考えがある一方、買い手の中には専門的知識を持っている人がいるから、それに応対するには同等の知識は必要という意見がある。どちらが正しいというのではなく、どちらの商人もそれなりの客をつかむということだ。話を戻して、本作は労働組合映画協議会と全日本海員組合が企画し、柳沢壽男と樺山清一が監督した。撮影が大変であったことは、船が大波に揺れる場面からよくわかる。現在のような感度のよいビデオではなく、フィルムでしかも夜間の撮影も混じる。板一枚下は地獄と言われる漁師で、その苛酷な仕事ぶりは本作は感動的に伝える。その意味で企画者たちは大いに満足したであろう。筆者が感心したのは、今とほとんど同じことがすでに行われていることだ。それは獲った魚を船上ですぐに選別してトロ箱にきれいに詰め、それを船倉に下ろして氷を被せて冷凍保存する手際のよさだ。そうした漁を1日に7,8回するが、食事するのは立ったままで、それこそゆっくりと寝る暇がない。そしてそういう生活が3か月続く。船倉がいっぱいになるまで港に帰れない。下関から出航し、東シナ海に出るが、海が深いので深海魚がよく獲れる。下関と言えば河豚だが、太刀魚や鮫なども含めて60種ほどが水揚げされる。港に着けばトロ箱を急いで陸揚げし、そのまま貨車に積むが、その時も氷がたっぷりと被せられる。貨車ごと大阪その他、どの都市に向かうか、車体に行先の大きな紙が掲示され、翌朝には都市部の卸売市場に着くのだろう。そしてたとえば家内の妹の寿司屋の主が早朝に買付けに行き、その日に客の口に入る。寿司屋は特定の卸屋から買わなくてもよいので、漁師よりも博打的リスクは小さいが、最前線で魚を獲る人たちは天候その他、種々の条件に支配され、漁獲高は常に上下する。それを家内の妹が博打と言うのだが、その博打的生活が嫌ならほかの職業に就けばよいようなものの、代々その仕事に携わっているとそう簡単に別の仕事を選ぶことは出来ないし、また浜辺に暮らすのであれば、漁師になることは農民と同じようにごく自然なことで、ほかの選択肢は考えられないだろう。だが、日本の漁業は本作以降、どのような経過をたどったかを知るために、同様の記録映画がその後撮られなかったのかと思う。それはTVニュースが役目を担ったかもしれない。魚が昔のように獲れなくなったという話は盛んに聞くし、また韓国や中国との領海争いもそれに拍車をかけて来たはずで、漁業資源は本作が撮られた60年ほど前とはかなり変わったと思う。それでも相変わらず魚を食べたいとなれば、養殖をするしかない。本作ではそのことについては全く触れられず、まだその考えを持たずともよかったのであろう。海に出れば魚が獲れた時代で、その意味では本作の漁師たちは幸福であったと言えるかもしれない。1回当たりの網入れで獲れる量が思わしくなくても、1日7,8回それを続ければ、そして3か月も続ければ、大漁で港に戻ることが出来た。魚を下ろすと、網の補修を済まして翌日にはまた出航で、それほどに漁に出れば収穫があった。昨日の『西陣』では帯の織手が不足し、後継者をどう育てるかの問題に悩む姿が紹介された。本作ではそういうことはなく、若い船乗りに事欠くことはなかったようだが、肝心の魚がここ60年でどうなって行ったかを知ったうえで見ると、本作を当時見た人たちとは異なる感慨を抱くだろう。それは、大漁は喜ばしいことだが、獲り過ぎによって資源が枯渇する心配がそこにはあったことで、もちろんそのことを意識しながら当時の漁師たちは獲り過ぎないようにしたが、隣国が同じように魚を求め始めると、そんな考えは通用しない。獲れるだけ獲って後はどうなろうと知らないという考えだ。そのことは昨年の小笠原での中国船による珊瑚の密漁によく表われている。そのため、本作は遭難の危険に常に晒されながら健気に漁に励む人たちの姿を描きながら、その背後に綱わたりの危うさを感じさせる。
 それは本作で描かれる底曳網の漁方で、これは2隻が並んで海底に沈めた網を曳いて行く漁で、誰もが想像出来るように、海底の魚をごっそりと掬ってしまう。底曳漁をトロールと呼ぶが、本作では港で真っ白な木製のトロ箱をたくさん積む場面があった。その箱にびっしりと魚が種類分けされて詰め込まれることは、それだけ海中の魚がいなくなることで、そういう漁を何十年も続ければ、魚が減少することは誰の目にも明らかではないか。よくTVニュースで、日本は世界のマグロの何割かを食べているということが伝えられる。その数字に目を丸くしてしまうが、いくら海に囲まれた国とは言え、世界中のマグロを食べ尽くしていることは異常と言える。筆者はマグロが好きと言うほどではないので、よけいにそう思うのかもしれないが、世界中のマグロを食べているのであれば、マグロを増やす努力を日本が最もすべきで、またそれを行なっているが、まだまだこれからだろう。日本の借金は1000兆円というが、そのことに国民が麻痺しているとすれば、魚が激減していることにもそうであろう。とはいえ、本作が撮られた当時はまだそのことはずっと先のこととして認識されたはずで、本作は漁師の果敢で統制の取れた船上での生活を描くことに焦点が合わせられ、また彼らの背後に港で待つ妻や子たちがいることをしっかりと描く。本作は全編が感動的だが、特にそれを感じさせるのは、仲間の船が遭難したとの無線が入ってそれに急いで駆けつけることと、救出が無事終わった後、漁を終えて港に戻って来た時のことだ。小さな子どもの声はまるで小鳥のように高く、かわいらしい。そして妻たちも「お帰りなさい」と優しく笑顔で発する。その態度に漁師たちはいっぺんに疲れを忘れるだろう。本作を見る人たちも、労働の尊さを思うし、その労働が苛酷なものであるほどに家族の愛がよりいっそう尊いものとして映る。筆者が思ったのは、本作の5年前に日本が戦争を終えたことだ。そのため、本作は平和の大切さを説いているように思えるが、妻子が待つ港に戻る漁師たちの姿は戦争時の兵士の姿にだぶった。相手国と殺し合いをするのと魚を獲ることは全く違うが、戦争後は経済戦争が始まったとすれば、漁師は別の意味で兵士であって、実際船上で役割分担されたその様子を見ると、軍艦とさして変わらないのではないかと思えた。だが、戦争中が異常であって、戦後はまた戦前のように漁師は全員が漁に出ることが可能となり、本作はいわば戦争が終わったことといくらでも魚が獲れることの二重の喜びを描いている。本作で印象深かった場面に、船上での船員たちの遊びがある。一匹のヒラメの首辺りを細い紐で括って絞り、その白い腹部を見せて立たせる。そして吸っていた煙草をヒラメの口に突っ込むのだが、ヒラメは小さなペンギンに見えた。船上で食べるものは新鮮な魚で、その点は漁師冥利に尽きるだろう。それでも大事な商品であるので、食べ放題という思いもないはずで、そのことは網から甲板に大量に広げられる魚を急いで選別し、手際よくトロ箱に詰め込んで行く作業からもわかる。現在でもそのようにしているはずで、魚は人間が一匹ずつつかんで箱詰めする。その一匹ずつに重みを感じるはずで、食べる人もそのことを思い出すべきだ。そう考えると、先ほど売れずにあった大きな半額のチヌを買って来ればよかった。売れないままでは処分するかもしれないが、その前にさばいて煮つけにするなど、別の商品として売るだろう。
by uuuzen | 2015-04-12 23:59 | ●その他の映画など
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