嬢は一般的だが、姫となると別格だ。超お嬢様といったところか。『オーロラ姫』は原題の直訳ではないと思うが、どうなのだろう。
1時間もので全80話であったが、韓国では30分が150回続いたようだ。先日放送が終わって余韻が残っている。半分ほど見終わった頃、先の展開が気になってネットで調べると、韓国ドラマ史上最悪のドラマで、全部見て時間を損したと書いたブログがあった。主人公のオー・ロラという若い女性がドラマの中で大事に飼っていた大型犬の、撮影のためにレンタル費用が月100万円ほどかかるので、途中で死なせたとあって、それがいつなのか気になりながら見た。死ぬのは最終回の3話ほど前で、「途中」という表現は誤解を招く。また、確かに次々と登場人物が消えて行くが、最初の方があまりにも登場人物が多過ぎて、わけがわからない気味であったので、徐々に理由をつけて減らして行くのは脚本のまずさとは言えない。脚本は総じてかなりよく練られていて、次がどのようになるのかという視聴者の期待を高め、また期待を裏切らない意外な展開で、そのことが非現実的とはあながち言えないと思った。家内も同意見で、本作が史上最悪という評判は、ここ10年ほど韓国ドラマを見続けて来た筆者からすれば全くの的外れだ。むしろ本作は今までにない新しさをたくさん出していて、きわめて面白かった。放送がないのがとてもさびしいほどで、その後、新たに韓国ドラマを見る気分がしないほどだ。ここ数年見た作品では最も印象に残った。ネットでの一個人の評価はあまり当てにしない方がよい。となると、筆者がこうして書く意見も同じことになるが、最悪と書く人がいるのであれば、それに異を唱える意見があってよい。本作で最初の頃に頻繁に登場していたのに、その後ぷつりと顔を見せなくなる俳優は何人いるだろう。そういう筋の運びが不自然かと言えば、家内に言わせれば誰の人生でもそれと同じで、昨日まで何年も毎日のように会っていた人が、その後死ぬまで会わないことはよくあるので、本作はかえって現実的と言った。なるほどそのとおりで、その点でも今までにない韓国ドラマと言える。学校を卒業したり、定年退職したりすると、その後はがらりと出会う人の顔ぶれが変わる。さて、本作ではオ・ロラの実家は韓国を代表する有名な食品会社を経営しているが、父の急死によって会社が倒産する。それはよくあることだろう。ロラには兄が3人いる。同族会社であったので彼らも職を失い、今までの裕福な暮らしが出来なくなり、妻や子どもたちをアメリカに移住させる。3人の兄はロラをとてもかわいがるが、3人ともついにアメリカに行くことになってロラは母との生活を支えるために働くことになる。そこで女優のオーディションに参加し、TVドラマの役を得る。それも現実的だろう。お嬢様育ちが出来なくなり、何か大きく当てるには芸能人になればよい。そう考える若い女性は少なくないだろう。それには美貌と才能が必要だが、ロラにはそれがあった。本作は題名からわかるように、ロラの人生を中心に描き、またハッピーエンドの喜劇タッチだ。そのため安心して見られるが、ほかの韓国ドラマとは違って、半ばから最終回にかけてはかなり暗いムードが支配する。それも今までにない脚本で、先が読めない。それでいて最終回では他の登場人物もみなそれなりに幸福をつかむか、そのことが予想され、全部丸く収まる。それが見事だ。視聴者をやきもきさせながら、着実に脚本家の思いに乗せられて最後まで見続けることになるし、また最後まで見ると、韓国ドラマにありがちの構成の欠陥がほとんどないように思える。ただし、非現実なことが多過ぎると言う人はあるだろう。だが、ドラマだ。あまりに現実らしいことは必要がない。それを否定するならドラマを見なければいいだけのことだ。ドラマは作り事であって、幻想だ。それを前提としながら、そこに現実にあり得ることをいろいろと感じることが楽しいのであって、本作の多くのエピソードはどれも現実に起こり得る。
ロラを演じる女優チョン・ソミンは筆者は初めて見た。新人ではなく、『エデンの東』に出ていたようだが、チョイ役であったのか、印象にない。本作は彼女でなければ面白くなかったのではないか。演技はうまい。それに輪をかけて周りの年配の俳優陣がみな達者で、それが重厚な印象をもたらしている。特に後半目立ったのは、ロラをいじめるファン・シモンだ。彼女はヴェルサイユという名前のフレンチ・レストランを経営している。ロラの家族とは正反対で、女3人姉妹の下にファン・ママという小説家の弟がいる。早くして両親を亡くし、シモンらら3人姉妹がママを大事に育て上げた。そのため、3人とも婚期を逃し、ママを監視するような生活をひとつ屋根の下でしている。その点が日本では考えにくい。韓国ドラマは肉親の愛情を必ず描く。それは儒教の精神が日本とは比較にならないほど今なお強固であることを教える。シモン3姉妹はそれぞれに仕事を持っていて、また知的だ。その血はママにもあって、彼の小説はベストセラーで、TVドラマの脚本に使われる。そのドラマにロラが応募して出演し、そしてママと出会って、ロラは彼に一目ぼれする。だが、シモン3姉妹はママにふさわしい恋人や嫁は自分たちの目にかなわねばならないと思っていて、ロラを気に入らない。その理由は、ロラがヴェルサイユで食事した時、あまった料理を持ち帰りたいと主張したことにまずあった。その時点でロラはママとは出会っていない。ロラは金持ちのお嬢様として育てられたが、父が食品会社経営でもあって、食べ物は疎かにしてはならず、捨ててはならないと教わった。それでフランス料理店で食べられなかった分を容器に入れて持ち帰りたいと、店の主のシモンを呼びつけて言うが、シモンは前例がないと言って取り合わない。そこでシモンはロラが強情な娘であるとの悪い印象を抱く。第一印象が悪かったのだ。そのレストランでロラの一番上の兄が支配人として働くことになり、最初はシモンとの仲がうまく行く。だが、ロラがママを追い回し、次第に仲がよくなって来た頃に、シモンがママの恋人がロラであることを知って別れさせようとすると、支配人は彼女に面と向かって、ロラは有名な食品会社のひとり娘として厳しく育てられ、いわばどこに出しても恥ずかしくない女性であるのに、それをママと釣り合わないと言ってふたりの仲を裂こうとするのは我慢ならないと憤り、すぐに辞表を出す。それでもシモンはママが自分の命より大事で、ロラのことは気に入らない。これは現実的だろう。シモンの妹は、上が彫刻家で、下が声楽家だ。つまり芸術家一家で、自分の確固とした考えを全員持っていて、妥協しない。それに対してロラの両親や兄たちは、経済的には成功したが、父が亡くなってすぐに倒産であるから、3人の息子はあまり出来がよくなったということになる。芸術のセンスもなく、いわばシモンたちとは反りが合わない。だが、本作では芸術家一家のシモンやママたちをロラ一家より人間的に優れているとは描かない。その反対で、シモンは頑固を通り越して狂気じみた姉として描かれる。そこが韓国社会における血縁の結束の凄まじさを認識させ、そして韓国ではシモン姉妹の行動がどのように視聴者に見られたかが気になる。日本ではシモンの考えや行動は完全否定されると思うが、本作を見る限りは韓国でもそのようでありながら、まだまだシモンをまともと見る人が多いのではないだろうか。そのまともなところは、弟思いである点だ。その考えと行動の前ではどのようなことでも肯定される。そのようにシモンは考えているし、シモンと同世代ではその考えが多いだろう。だが、その姉の押しつけがましい態度にママは黙っていない。ロラとの出会いがそう目覚めさせた。それはシモンとは違う若い世代ならではの考えで、韓国でも確実に世代間の考えの相違が顕著になって来ているだろう。それが本作の最大のテーマと言ってよい。ママは何度も姉たちと一緒に暮らして守ってもらっている生活から抜け出したいと考え、行動もする。そのたびに3人姉妹は結束してママを連れ戻し、自分たちの考えにしたがわせる。それは両親の遺言があるからだが、結婚もしないで弟の面倒を見続けているという姉たちの自信は、ママに重荷になって行き、結局はそれに押し潰されてママは最後は死んでしまう。
肉親の愛情は美しいと、儒教では教え続けられて来ているが、それがあまりに異常になると、取り返しのつかない憎悪が生まれる。本作はそのことを描いている。ママは姉たちを憎むほどに勇気のあるようには育てられなかった。そのために自動車事故を起こしてひとりで死んでしまう。それは姉たちから絶対的に逃れられる最後の手段であったろう。その前にママは仏教の僧侶になると言って家出するが、3人の姉はそうなられたのでは元も子もないと思い、ロラを説き伏せて寺を訪れ、ママを連れ戻すことに成功する。そしてママはようやくロラと結婚出来るが、3人姉妹は典型的な嫁いじめを始め、ついにロラはママと離婚する。そうなるとシモンらは大喜びし、ママにはもっとふさわしい嫁があると言い合う。一方、ママはロラが姉たちにいじめられていることがわからず、ロラから言われても信じない。そうなると、ロラとしてもママと暮らす意味がない。シモンを演じるのはベテランのキム・ボヨンで、後半はますます存在感を増し、狂気が募って行く。それは恐いほどで、ロラの影は薄い。その鬼気迫る演技のため、ボヨンは受賞した。当然だ。後半はシモンの悪女ぶりを感心しながら見続けることになるが、彼女の考えの背後に日本ではまずあり得ない韓国社会の儒教の呪縛を感じる。ママは姉たちの意見が絶対と思って育ち、ロラが一目惚れして急接近して来てもそれを冷ややかに見る。それは女にまるで関心がないかのようだ。実際圧倒的存在の3姉妹に大事に育てられれば、彼女ら以外の女性には魅力を感じないか、あるいは結婚願望を持たないだろう。ママは女性との交際経験がなく、女に興味がないかのように描かれる。そんなママをロラは熱烈に好きになり、天真爛漫な態度で接近し、心を捉えることに成功する。それはいかにもお嬢さま育ちのロラらしく、本作の最初の10話くらいは月並みなドラマかと思わせる。それが一変するのはロラの父が死んでからだが、父は死ぬ直前に自分の寝姿を見る。本作は、次々と人が死んだり登場しなくなったりするが、自分の死んだ姿を見ることは後半にも用意されていて、「死の予兆」ないし「予兆」が大きな要素となっている。つまり、御都合主義的ではなく、脚本がしっかりしている。「予兆」はたとえばママの存在についてもある。ママの二番目の姉は彫刻家で、ドラマの最初の頃にママをモデルに塑像を造る。完成後にそれはブロンズとなるが、その胸像を居間の目立つ場所に置く。それほど姉がママのことを愛していると言えばそれまでだが、筆者にはそのブロンズ像は異様に見えた。生きている親しい人をブロンズの彫刻で表現することはよくあるが、姉の行為は多少異常気味だ。ドラマはそのブロンズが何度も小道具として写り込む。それを見ながら筆者はママは最後は死ぬなと予想し、それは当たった。その予想は誰しも感じるはずで、本作は伏線がちゃんと用意されている。ブログに「蓋然性のない展開」と書いている人があるが、それは見方が浅い。姉にかわいがられて育ったママは、好きだと言って近寄って来た率直なロラに参ってしまうが、それは姉たちとはあまりに性格が違ったからだ。初めて女性のかわいらしさに気づいたのだ。そういうママに対して3姉妹はロラへの嫉妬を剥き出しにする。当然であろう。そこにはママとの近親相姦すれすれの複雑で微妙な感情がある。だが、結局ママはロラと結婚し、そのことで3姉妹はそれぞれの自分の人生を求める契機をつかむことになるから、ロラに感謝すべきであるのに、いじめるばかりというのは、育ちの違いか、知的レベルの違いか、それはドラマを見る人それぞれが考えることだ。話を少し戻すと、ママはロラと結婚し、別れた後に別の女性を求めようとしない。先に少しほのめかしたが、ママには同性愛の気質がある。多くの姉に囲まれて育った末弟がそうなることは筆者は実例で知っている。ママの同性愛の傾向はドラマ後半で描かれる。その展開もあまりに突飛で、現実らしくないと言う人が大勢いると思うが、筆者はそうは思わない。本作の面白いところは、同性愛も描いていることだ。その役割をナターシャという男性が担っているが、ママも加えてよい。同性愛者を登場させることは日本でもタブーではなくなって来ている。韓国でも事情は同じで、本作では同性愛はそれなりに大きなテーマだ。だが、ママが同性愛に走ればロラの立つ瀬がない。そこも見物で、性の複雑な関係が最終回近くに描かれ、それが理解出来ないシモンらは卒倒しかねない態度を示す。
本作はロラとママが主役としてタイトルの写真に登場しているが、ロラがドラマに出演し始めると、ロラのマネージャとして若い男性ソル・ソリがつく。彼は銀行の頭取のひとり息子で、身分を隠してマネージャとして雇われている。彼はロラのそばにいることが多く、ロラに魅せられ、恋心を抱く。一方、ロラは父が死に、会社が倒産して路頭に迷いかねず、恋したママに連絡しなくなる。ケータイ電話を紛失したからでもあるし、また裕福でなくなって、ママの前に姿を見せるのは恥ずかしいと思ったのだろう。だが、TVドラマに応募して役をもらい、演技する間に、そのドラマの原作を書いたママと再会する。ママはロラがなぜ急に姿を消したのかがわからない。ロラは収入を得るのに必死で、ママとの恋愛を続ける暇がない。狭くて安いマンションには老いた母と、そしてトクテという大型犬がいる。そこから毎日通って演技し、家計を支えるロラを、ソル・ソリが慕い始める。そしてソリの両親はドラマでのロラに好感を抱き、ファンになる。ロラはやがて彼が銀行の頭取の息子だと知り、ママとのことを忘れて結婚の申し込みを受け入れようと考える。ところが、前述したように、ママはロラと結婚出来ないのであれば僧になると言って家出し、慌てた3姉妹はロラと一緒に寺に向かってママを引き戻し、そして結婚を認める。ロラは元々ママのことが好きで、完全に忘れたのではなかったから、ソリを振った形でママと一緒になる。ところがママの子をせっかく妊娠したのに流産し、また3姉妹のいじめから離婚する。その間にソリは失意のドン底に落ち、ついには癌になる。そのことはママがロラと一緒になれないのであれば病気になってしまうと言ったことで予期されたことだが、ママは病気にならず、ソリがなってしまった。だが、ソリはそのことを隠し続け、徐々に体力を失って行き、ついに両親やロラも知る。そしてソリの両親は息子の末期癌を思って、そそくさとロラと結婚させるが、それは恋焦がれ続けたロラと一緒になれば少しでも病気が快復すると思ってのことだ。癌はステージ4まで進んでいるが、治癒する確率はわずかにある。そのことに両親やロラは賭けたのだ。ソリはロラに病室で面倒を看てもらうが、ママはロラがいない間、ソリの面倒を看るのが男性であるのが嫌だと言い、自分が看病すると申し出る。献身的なその作業によって奇跡的にソリは健康を取り戻す。ソリは年長のママを命の恩人であると同時に、同性愛的な感情も抱き、ママとロラとの3人で外国で暮らしたいと両親に告げる。ロラは戸惑うが、ソリとママが決めたことで、したがう。猛烈に反対するのがシモンだ。ソリの看病をしたことだけでも許せないのに、3人で暮らすとは何事か。だが、その後ママは自動車事故で知ぬ。それでドラマが終わりかと思えば、シモン姉妹とロラとの間が険悪のままでは後味が悪い。そこで和解の場を設けなければならないが、本作の凄味はそう簡単にハッピーエンドとしないことだ。たいていの韓国ドラマは最終回は面白くない。予定されたように展開するからだ。本作は違う。シモンがもう一暴れする。それは彼女の最大の演技の見せ場だ。ママを失ったシモンがその後どうなったかをきわめて現実的に描く。それは50を越え、ママという生甲斐を失った独身女性にありがちな姿であろう。本作は彼女以外はそれなりの幸福を手に入れる。ではシモンだけはそうではないのかとなると、それではやはり後味が悪い。そこで彼女にも生甲斐がなくてはならない。それは、ソリと結婚したロラが生んだ男の子だ。それはママそっくりで、ママの子かと疑うが、そうではないことがわかる。それを知ってもなお、その子に執着するシモンを見て、ソリとロラは毎月彼女にその子を見せに訪れる。それは悲しいことかもしれないが、シモンはロラと和解し、また小さな子を目の当たりにして、自分が肉親のおばあさんになったように思う。それはママが死んだことでもたらされた和解だが、ママを失って初めてシモンは今までにロラにして来たことを自覚した。知性も才能も美貌も金もあるシモンが未婚のままでその後も暮らすかどうかだが、それは視聴者の想像に任せられる。シモンはそれなりに男が気になり、ロラの兄など、何人かに目をつけるが、男を心底信じられない。高慢な女性はそういうものだろう。その点ロラはママと同じように異性のきょうだいが3人もいたのに、古風で常識のある老いた両親にしっかりと育てられ、ママのような孤独を味わうことはなく、銀行の頭取のひとり息子と幸福な結婚生活を手に入れた。長くなったのでこれ以上書かないが、他の多くの登場人物の人生も見物で、それらが絡み合って見せ場は多い。