●『私の10年の秘密』
内の記憶を消して人は生まれて来るという台詞が最後にあった。リセットの考えが大手を振っている時代にありがちな考えだ。胎児であった時のことを覚えているという人がたまにある。



筆者はそれはないが、1,2歳までの記憶はある。そういう話を先日高槻の家内の実家であった27回忌でお坊さんが切り出した。「大きくなって考えたことと混同しているのではないでしょうかね」「そういう意見もありますが、ぼくは1,2歳の頃のことをいくつか覚えています。たとえば…」といった話になって、筆者が締めくくったのは、そのように幼い頃の記憶を大人になっても覚えていることは、一種の欠陥であると何かで読んだことだ。精神障害というほどではないが、幼少時の育てられ方に問題がある場合と強く関係しているらしい。筆写はほとんど父の記憶がない。そのために歪な幼少期を過ごした。それが原因で1,2歳の記憶が残っているのかもしれない。たいていの人が覚えていないそのような赤ん坊時の記憶があるからと言って、そのことが記憶力のよさを示さない。世間で言う記憶力のよさはもっと大きくなってからの記憶力を意味し、また誉め言葉だ。それは実利につながるからで、1,2歳の頃の記憶があっても何の役にも立たない。三島由紀夫は産湯に浸かった記憶があったそうだが、それは嘘ではないだろう。そして彼の場合は名文家になったが、精神的にはどこか歪であったと言ってよい。だが、そういう歪さが才能となって開花することがあり、1,2歳の頃の記憶を持つ者は芸術家になることが多いと、前述の何かで読んだことに書いてあった。そのことで思い出すのはジョン・レノンで、ヨーコ・オノはジョンの不幸な子ども時代をよく知っていて、うまくジョンを動かし、幸福を覚える地点に引っ張って行った。それはさておき、今日取り上げる韓国ドラマは原題を『出生の秘密』というそうで、いかにも韓国ドラマだ。17歳で子どもを産み、その後10年間記憶を失っていた女性が主人公だ。自殺しようと崖の縁に立った時、同じように自殺するために崖にやって来た男と意気投合し、一緒に暮らし始め、そして子どもを得る。男の自殺の理由は、経済的な問題によって母を亡くし、また相変わらず極貧で生きる希望を失ったからだ。女の理由は違うが、それがドラマの進み具合で次第に明らかにされて行く。回想場面がよく挟まれ、登場人物の髪型や服装で過去のことだなと判断するが、主人公が知ると同時に視聴者も知るという作り方をしていて、サスペンス・ドラマの要素も持っている。主人公の女性イヒョンは『神々の晩餐』に出たソン・ユリで、本作ではホット・パンツや超ミニ・スカートの場面が多く、違和感があったが、男性視聴者へのサービスだ。イヒョンと一時期暮らす男性ギョンドゥを演じるのはユ・ジュンサンという3枚目で、筆者は顔は見たことがあるが、出演したドラマは記憶がない。本作では餃子屋を経営するしかないような無学な庶民を演じる。そういう男性はどこにでもいるが、結婚相手を見つけるのは難しい。ましてやソン・ユリ級の美女となれば別世界の人間だ。そういうふたりが自殺現場で出会った後、一緒に暮らして子どもをもうけるという設定は、ほとんど現実味がない。本作は男のシンデレラ物語で、それほどに自信を喪失し、夢も希望もない男性が韓国には多くなって来ていると見える。そして、男の値打ちは学歴や経済力ではないと示したいのだが、さて現実はどうかと言えば、本作のようなことはあり得ないだろう。それを言ってしまえば夢も希望もないので、せめてドラマでは持たざる者を勇気づけるためにハッピー・エンドを用意する。
 本作が現実的でないのは、イヒョンの知性だ。彼女は天才的な記憶力を持っている。記憶力だけが抜群で賢いとは決して言えないが、本作はそのことも主張したいようだ。イヒョンの頭脳は父親譲りで、父は大学の教授、母はその大学の学生であった。ふたりは結婚することなく、母は古書店を営みながらイヒョンを育てる。大学教授が教え子を孕ませたとなると、これは大問題だが、本作ではそこは深く描かれない。イヒョンの母は若くして死に、その間際に父親の存在を伝え、訪問するとそれなりの援助が受けられると告げる。父は金に興味のない学者チェ・グクは、『名家の娘ソヒ』に悪役として印象深い演技をしたキム・ガプスで、また本作ではほとんど台詞のない、半身が麻痺した白髪の老人を演じた。グクの異母弟に財閥の会長チェ・ソクがいる。イ・ヒョジョンという貫禄のある男優で、ほかのドラマでもよく見かける。短気な人物を演じるのがうまく、本作でも怒りを爆発される場面がよくある。その結果かどうか、認知症が現われ、ドラマの最終回では子どもに返ってしまう。金に執着していた人物の末路だが、本人は無邪気になって周囲に害を撒かず、神の恵みがあったと考えることも出来る。ソクは若い頃から兄のグクと何事も比較され、そのことを怨んでいた。それで遺産をひとり占めし、兄に勝ったと思っている。こういう資産問題での血縁の戦いは韓国ドラマではよく描かれる。ソクは財産をひとり占めするためにグクを消そうとしたにもかかわらず、最終回では兄弟は仲よくなる。後味をよくするための設定で、非現実的と言えるが、グクにすれば元々金に興味がなく、また娘が孫を産んでくれたので、幸福いっぱいという心境だろう。その点ソクの息子は無能で、離婚もし、また自分の悪事が白日の下に晒されたのであるから、悪はいつか滅びるという勧善懲悪の典型的なドラマと言える。全18回は慌ただしいが、あまり熱心になれない作品で、顔馴染みの俳優の演技を惰性で見るようなところがある。特筆すべきはイヒョンとギョンドゥの間に出来る女の子ヘドゥムだ。彼女は語尾を「ユ」という音で締めくくる言葉を発するが、その仕草がとてもかわいい。将来は知的な美人女優になると思うが、全く母親似で、父のどこを取ったのかと思う。彼女は母の天才的頭脳を受け継いだとの設定で、グクからイヒョン、ヘドゥムと3代にわたって頭脳が遺伝して行く。これは現実的だろうか。有名な話にアインシュタインに美女が言った言葉がある。美女はアインシュタインと結婚すると、顔立ちがよく頭脳が優れた子どもが出来ると言ったが、アインシュタインは顔は自分に似て頭は女性に似た子が出来るかもしれないと返した。筆者の友人Nは、今から40年ほど前に言ったことがある。どんな女と結婚しても頭は自分に似るはずで、賢い子が生まれる。それに対して筆者はアインシュタインの先の話を持ち出した。それから30年ほど経って、Nは酒を飲みながら言った。お前の言ったことは正しかった。劣った才能の遺伝もあることがよくやくわかったというのだ。それはあたりまえだが、誰しもそのような悪い将来を考えたくない。だが、劣性と呼ばれる状態が悪いだろうか。頭脳がよくて悪事に長けていればそれが劣性ではないか。Nの嘆きに対して筆者は3人ともまともに育ち、とても立派ではないかと何度も言った。Nは兄のように京大の大学院まで何なく進めるほどの頭脳を予想していたのだ。だが、そういう才能が幸福であるとは限らない。実際Nは兄とは子どもの頃から仲違いしたままで、兄の生き方をけなし続けていた。それでNが期待したことは、兄のような頭脳を持ちながら、もっとまともな人間になることであった。その願いをNは無残にも壊れたと思っていたが、Nの3人の子はみな平凡ながら、とても優しく、温かい人柄で、それで満足しなければばちが当たるだろう。だが、いつの時代でも親は子どもに秀でてほしい。それが頭脳でなければ金だ。そのふたつのことが本作ではグクとソクという異母兄弟に描かれている。
 グクは金には関心がないが、学者ではありがちなことだ。だが、娘のイヒョンはそうではない。大学に進むためにグクを訪れ、グクはソクに出資させる。イヒョンはアメリカに留学した後、ソクの会社に入る。ソクの世話になって10年経ったある日、姿を消し、1年後にまた戻って来る。その1年の間に自殺を企て、ギョンドゥと出会ってヘドゥムを得たが、乳飲み子の状態で去ってしまうので、ギョンドゥは大変な目に遭う。そうして娘を育てるが、やがてTVでイヒョンを見かけ、財閥の人間であることを知る。ようやく出会えるが、イヒョンは何も覚えていない。そこにはヘドゥムの不幸が表現される。何度か会ううちにイヒョンはヘドゥムをわが子と認識し、ギョンドゥから奪う。そのままではまともな教育が出来ないからだ。その説得を飲んだギョンドゥだが、ヘドゥムはソクの家で生活しながら、その頭脳明晰なことにソクの妻は喜ぶ。イヒョンが10年も暮らしたのに、なぜソクの家を出て自殺する気になったかについては最終回に近いところで明らかにされる。それは、ソクがあまりの悪者で、グクの始末を部下に命じたことや、またソクは父親の遺言状を偽造して遺産をひとり占めしたことなどを知って絶望したからだ。それに、イヒョンは会社の経営に意見し、どうすれば株で大きく儲けられるかもソクに指南し、そのいわば悪賢さに舌を巻かれていたことも思い出す。イヒョンの頭脳は、金儲けのために発揮されたのであって、それに加担することで、実の父を死に追いやることもしていたことをついに思い出す。ソクと同じ穴のむじなということに幻滅し、それで自殺を図ったのだが、そこで出会ったギョンドゥは頭も顔も何もかも冴えない男であるにもかかわらず、一緒に暮らし、子どもまでもうけたことは、イヒョンにとっては本能的なことで、それは頭で考えることではなかったのだろう。つまり、本作はいかに頭脳がよくても、それで幸福が得られるとは限らないことを描いている。それはあたりまえのことだが、そのあたりまえが現実ではしばしば無視される。金は邪魔にならないし、あった方がよいと誰しも考える。そしてあればあったでいくらでもほしくなる。金持ちほどさらに金をほしがるようで、その姿は持たざる者からすれば一種憐れだが、それを言えば持たざる者のたわごとと笑われる。本作でも、ギョンドゥにとって姿を消したイヒョンは別世界の人間で、現実では絶対に出会わないと言ってよい。出会っても話がかみ合わない。そのことをイヒョンは、自分の前にやって来たギョンドゥに言い、自分がギョンドゥの子を産んだことが全く信じられない。それが次第にほぐれて行くのは、ギョンドゥとヘドゥムの人間味だ。ヘドゥムは賢い子であり、イヒョンがわが子として受け入れるのは自然だが、風采の上がらないギョンドゥを目の前にしてとても同棲していたことが信じられないのは、きわめて現実的で、自殺願望があった頃は精神がおかしかったと認めた方がよい。だが、父が殺されることを心配して身を隠して生きていることを知り、その父がギョンドゥと一緒に暮らして安全を確保し、遺言書が捏造されたものであることを明らかにするために立ち上がったことを知るに及んで、イヒョンはソク一家から離れ、自分の家族を求めることも自然だ。韓国ドラマは家族の結束を常に描く。そして悪巧みをする家族は必ず良心のある家族の前で屈服する。本作は持たざる者に夢を与えるだろうか。持たざる者は金のことを考えずに清廉潔白に生きればよいという教訓が描かれているようだが、金に無関心であるはずのグクも、遺言状の偽造を告発するところ、そしてイヒョンのために動くには金が必要と考えて行動するところは、しっかり世間並みの金銭感覚は持っている。それはいいとして、ヘドゥムがイヒョンのように海外留学するためにはどれくらいの金が必要かという、教育費の現実が何度か発言され、韓国における社会的地位の確保にはまず金がなければどうにもならないという現実が視聴者に突きつけられる。つまり、持たざる者はギョンドゥのように小さな食べ物商売をするしかなく、それでは自分が生きて行くのに精いっぱいで、イヒョンのような美女と暮らせる可能性はゼロに等しい。ドラマの最後、イヒョンは芝生の上でギョンドゥとヘドゥムと寝転び、幸福を噛みしめるが、ギョンドゥがその後どういう仕事が出来るかを考えると、仲睦まじく老齢まで過ごすのかどうか疑問になる。だが、イヒョンは貧しくまた複雑な生い立ちで、頭脳が優れている点を除けば、ギョンドゥと似合っているとも言える。実際、さして男前でもないのに、美女と結婚している場合はよくある。女は男に求めるものが男の場合とは違うのだろう。ギョンドゥはきわめて優しそうで、その点においてイヒョンが魅せられたことは現実的だ。本作は、世界のすべてを敵に回しても、自分だけは守ってくれるという確信があれば、女はその男について行くだろうということを前提にしたドラマだ。
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by uuuzen | 2015-03-29 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画 | Comments(0)


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