此花区がなくなって湾岸区になることを地元住民が反対している様子が先日のTVインタヴューで映った。名前がよくないという理由が多かった。此花区という花のある名前が湾岸区という、工場地帯丸出しのような名前になるのであれば、住民が反対するのは無理がない。

大阪都構想は現在の大阪市を5つの区に再編する。中央区、東区、北区、南区とあるのに、なぜ西区ではなく湾岸区なのだろう。大阪湾に面していることがわかりやすいようにとの配慮だろうか。西区でも充分わかるではないか。中央区を中央にして東西南北に他の区が位置しているのであるから、湾岸区は西区でよい。そのような意見が出たはずだが、わざわざ湾岸区にしたのは、かえってセンスのなさを示す。大阪都構想は地元でもまだ賛成と反対が相半ばしていて、どっちに転ぶかわからない。府と市を統合すると、税金の無駄使いも減るとの予想だが、それが本当にそうなのかはやってみないとわからないだろう。予想外のことが現実には起きるからだ。想定外という言葉が先年流行したが、都構想を推進した者たちはいつでもその言葉を出す用意はあるはずで、政治家はどうにも理屈をつける。府と市の二重行政がなくなったとして、大阪都と呼ぶことにはならないそうで、それならなぜ都構想と呼ぶのかと言えば、東京都に倣うところが多いからだ。大阪都と自称することを東京都は許さないだろう。地方都市が東京都と肩を並べたがるのは面白くないのではないか。大阪都が誕生すれば、いつか京都都も出来るかと想像するが、「京都都」は二重行政を連想させるので、単に「京都」がいいし、それなら府と市が合併しなくても京都は京都のままということになりそうだが、「京都京都市」といったように、やはり「京都」は二度使う必要があるのではないか。それとも京都洛中と京都洛外に分けるかだが、洛中や洛外は京都の内と外の意味で、「京都」は不要で、現在の京都市の住民は洛中○○町といったごく短い表記になって便利だ。洛外はとても範囲が広く、それらの地域をどう表記するかの問題が生じるが、ま、人口の少ない京都は今のままで京都都が誕生することはない。それはさておき、橋下市長になってからだろうか、大阪の地下鉄が土日曜日に使える1日乗車券が600円と安いことに最近気づいた。地下鉄は初乗りが210円だったろうか。3回乗れば元が取れる計算で、600円は安い。たいてい3,4回乗り降りするので、そのたびに乗車券を買うことに比べて1日乗車券は半額ほどの気がする。二重行政の廃止によって地下鉄料金がもっと安くなってくれるのであればありがたい。筆者は1,2駅程度なら歩くことにしている。地下鉄の乗り降りはエレベーターを使うにしてもあまりに殺風景な階段や地下通路をたくさん歩かねばならず、それが鬱陶しい。だが、たとえば梅田から天王寺までとなると、環状線や地下鉄を使わねば1時間では歩けない。隣りの自治会に天王寺出身の70代半ばの男性がいて、その人は1か月に一度は天王寺に行くそうだが、梅田から歩くことがあるらしい。難波までなら御堂筋を一直線に南下してわかりやすく、また小1時間で着くが、天王寺までとなると、ちょっとややこしい。それに1時間では無理だ。そのように言うと、その人は笑いながら、それでも歩くと言う。70代半ばでもそのように元気な人がいる。梅田から天王寺までは地下鉄は260円だと思うが、環状線はもう少し安いうえ、窓の外の景色が楽しめるので、筆者は梅田から天王寺に向かう時は環状線を利用する。ただし、地下鉄より10数分よけいに時間がかかる。電車賃は距離と要する時間の関係がうまく考えられていて、早く目的地に着く場合は割高だ。新幹線やリニア新幹線はその好例で、「時は金なり」の考えによって、目的地へ早く着くことは割増料金を支払わねばならない。長く電車に乗っていたい人にとっては早く着くのは損で、誰もが「時は金なり」とは考えていないことを理解してほしいが、「時は金なり」と考えない人は、もう役立たずの無職の人で、そういう人の存在は無視しようというのが世間だ。

2月22日の日曜日であったか、心斎橋で郷玩文化の会があって、それに出席するのがついでか、あるいは府立図書館に調べものに行くのがついでかわからないが、ともかく心斎橋に行く前に図書館に行くことにした。地下鉄の中央線を利用するしかないが、図書館は荒本という駅の近くだ。それでネットで地図を調べると、そのひとつ手前、すなわち西の駅の長田で下車しても1キロほどであることに気づいた。府立図書館には過去に3回訪れたことがある。いつも荒本で下りていたが、先日書いたように長田から一駅分の乗り越し料金を支払わねばならない。そこで1日乗車券で長田まで行って地上に上がり、そこから阪神高速道路沿いに東へ1キロ歩くことにした。その道は初めてで、何となく冒険するような気がして楽しかった。だが、阪神高速の下を歩くのであるから、だいたいどのようなつまらない景色が眼前に広がっているかは容易に想像出来る。全くその想像どおりで、それは今日の3枚の写真からわかるだろう。それでも初めての道であり、見慣れない景色はそれなりに面白い。幸い天気はよく、傘を差さずに済んだこともよかった。また、2月のいつだったか、嵯峨の「花の家」で宿泊した学生時代の恩師から夜8時頃に電話があったが、その恩師が毎日通っているという研究施設の建物が駅から図書館までの中間にあって、「ああ、ここだったか」とようやく知ることが出来た。その建物の玄関の写真を2枚撮ったが、今日は載せない。恩師はそこにたぶん10年ほど通っている。当日は日曜日であったので、訪問してもおられなかったはずだが、荒本で下車していればその建物の存在に気づかず、長田から歩いて収穫があった。年内は無理かもしれないが、来年中にはその恩師に会いにいくつもりでいて、その時に研究棟の場所が分かったことを伝えよう。その建物と長田駅までの中間に道路を斜めにわたる信号があって、帰り道で70代後半の眼鏡をかけたいかにも大学の工学部の教授といった風情の男性と擦れ違った。目が2秒ほど合ったが、相手は筆者のことをどう思ったろう。筆者はその男性は日曜日ではあるが、先の建物に行って自分の研究室に入ることを直感した。長く生きて来ると、その人の職業や肩書といったものが体全体から滲み出る。研究し続けて来た人はやはり雰囲気が違う。その点、筆者は遊び人丸出しのようで、きれいに老けて来ていないかもしれない。老いることは醜くなることで、そのためにも日々心を磨いて少しでもきれいに老けていると感じてもらうのが理想だ。話は変わるが、大学に勤務していた家内は、先生たちのWHO‘S WHOをたまに繙いて感じたことがあったらしい。それは、自己紹介欄と実際の人物像との落差だ。自己紹介にいいことばかり書いている人ほど実際はその反対で魅力がなかったという。それを聞いてなるほどと思った。先日筆者はネット・オークションで落札した。最初に届いたその人の紹介文を見て感じたことがある。似たようなことを書く人はよくいる。「誠実に対応いたします」という表現がそこには混じっているが、そんなことを書く人に限って誠実ではない。他のところにそう思わせる文章がいくつも散らばっている。つまり、あちこちから持って来た文章で組み立てているのだが、全体には「失礼な奴」と感じさせるもので、また「非常に悪い」が必ず3個以上はある。筆者はよけいなことは書かない。落札しても出品者と交わすのは二回が普通で、しかも最初は3行、二度目は1行の半分ほどだ。それ以上書くことがないうえ、ごちゃごちゃ書くと鬱陶しがられる。先日の出品者はそのごちゃごちゃをたくさん最初に書いて来たが、肝心の住所や電話番号を記していない。たまにそういうのがいる。どこに住んでいるのかわからない相手に金を払うのは嫌なので、「ご住所と電話番号をお伝えください」とだけ書き送る。それ以上書くとかえって凄味が消えるので、ただそれだけを書く。それでたいていはすぐに返事を寄越すが、そういう人が自分は誠実だと思っているから笑える。第一、自分のことを誠実とぬけぬけと言える神経がわからない。本当に誠実な人はそんな言葉を簡単に使わない。誠実かどうかは他人が決める。

ネットの地図で長田駅から図書館までの道のりを調べると、途中で高速道路の下を潜る。そこに信号つきの歩道があればいいが、なければかなり大回りするか、あるいはそれも出来ないかもしれない。たぶん大丈夫だろうと思ったが、そのとおりであった。筆者の前20メートルを不良っぽい若者が歩いて行く。そのほかは人影がない。住宅地が目に入らない地域で、正午前であったからよかったものの、薄暗い夕方では物騒だろう。筆者は早足だが、その男はさらにそうで、目的地へ急いでいるようであった。それでみるみるうちにふたりの距離は広がった。そして図書館に着く寸前に左手に曲がったようで姿が見えなくなった。図書館にいたのは10分ほどだ。4階で目指す本を出してもらい、2階でコピーを1枚撮ってその本をそこで返し、エレベーターで1階に下りて長田駅に向かった。館内はとても空いていた。それだけ辺鄙な場所にあるからだろう。都構想が実現すれば図書館はどうなるだろう。北区には府立の中之島図書館、東区には府立図書館と言いたいところだが、東大阪市は大阪市ではないので、東成区や旭区に新たに大きな図書館が必要になるのではないか。そして、中央区には現在の大阪市立図書館が属し、それが中央図書館と呼ばれることになるはずだ。では南区や湾岸区には大きな図書館がないのかということになる。新しく大きな図書館を建てると税金の無駄使いになるので、現在ある区の図書館を使うことになるが、新しい区ではいくつかの図書館が含まれるから、そのどれかを閉鎖しようということになり、それでは住民へのサービスが減退するという反対が起こるだろう。もう起こっているかもしれない。話を戻して、図書館の玄関前はタイル敷きの広い場所があるが、スケート・ボードで破壊されたのか、タイルがあちこち割れて陥没していた。また、玄関に向かって絨毯のように幅広のシールが2本貼ってあって、それにしたがって進めば本館と、そして5,6年前か、万博公園から移転された児童文学館へと導かれる。児童文学館の移転には大きな反対があったが、税金の無駄使いをやめようとの声が勝って、府立図書館に移った。万博公園内にあった時は地元住民がもっぱら利用していたが、それは荒本に移転してからも同じで、大切な本を寄贈した人たちは、児童文学館そのものがなくなったのではないから、移転反対は大人気ないところがある。荒本の住民は茨木や吹田の住民に比べると文化の程度が劣るかもしれないが、そうであればなおのこと荒本に移転した方が役立つと考えることも出来る。さて、今日の写真を説明しておく。最初は阪神高速の北側で、未来都市のような雰囲気の新しい建物が出来ている。人口の多さを示すようだが、買い物をどこでするのかと思う。図書館のすぐ西は大型ショッピング・センターがあるので、そこで賄うのだろうか。写真下中央に瓦屋根が見えるが、何かの記念館のようだ。その手前は公園か庭で、整備中のようだ。2,3,4枚目は帰りに撮った。2枚目はモニュメントで、これの奥一帯は青物市場があるなど、区画整理した更地に新しく建物などを設置した場所で、時間があれば内部を歩いてもよかったが、歩行者をひとりも見かけず、車で移動するような広大な施設だ。それに隣接し、また阪神高速下の歩道沿いに前述の恩師の研究室が入る建物がある。3枚目は阪神高速のターミナルの地下だ。写真の奥は北で、一直線に見通すことが出来るが、金網があって中には立ち入れない。4枚目は長田駅まで200メートルほどだろうか。立体交差は珍しくないが、長田駅周辺の雰囲気を示すにはよい。図書館までは予想どおりに殺風景だが、往路と復路とでは目に入るものが多少違い、帰りの道では目的を達した気楽さもあって、観察がより行き届いた。車の部品の店であったか、店舗やその周囲の柵を赤と黒で全部塗り分けて神社の雰囲気を醸していたのは印象深かった。地図を見ると、長田駅より南東3キロが賑やかな近鉄布施駅で、それがわかると長田駅付近の辺鄙な様子も親しみが湧く。心斎橋に行く前に何か食べておく気になって、長田駅のすぐ近くの有名チェーン店で食べたが、安い値段に応じた味で、餌を食べている気になった。