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●嵐山中ノ島復旧、その51(松尾橋)
れるのが一番いいが、これは肌で感じるということで、ネットの画面を見ることとは違う。だが、ネットの画面を見るにも指で操作しなければならないから、肌で感じることと無縁ではなく、ネット画面からでもその作者の人格の一端はわかると言ってよいだろう。



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今日は梅津のムーギョとトモイチに家内と買い物に行こうと言いながら、それが午後4時になってしまった。外に出ると雨がぽつぽつと顔に当たる。それが強く降って来そうな感じで、自転車で行くのはやめて歩くことにした。予想どおり、雨はかなり強くなり、帰り道は傘を差していてもずぶ濡れになった。買い物に誘ったのは筆者だが、買い物が目的ではなく、今日の投稿のために松尾橋の上から写真を撮りたかった。筆者が撮っている間に家内の姿は松尾橋から消え、取り終えて大急ぎで歩いたが、それでも見えなかった。松尾橋をわたって梅津地区に入ってすぐにもスーパーがある。筆者は何年か前、そこにいた若い女性のレジ係の応対が気に入らず、文句を言ったことがあるが、それからそのスーパーにはめったには入らない。だが、家内は安ければいいという考えで、その店も利用する。今日も先に歩いてその店に入ったようで、筆者がその店の前に着いた時、中から出て来た。何も買っていないので、買い得品はなかったのかと訊くと、ムーギョとトモイチで買ってから帰りにまた立ち寄ると言う。自転車であればたくさん買い物が出来るが、片方の手は傘で塞がっている。ふたりで持つにしても、自転車を利用する時の半分以下しか買えない。スーパーもそういうことを知っているのか、また買い物客が少ないためもあって、雨の日の夕方は値札を安くつけ直す商品が多い。スーパーの近くに住んでいる人なら、そういう買い得品を狙うことも出来るが、筆者は雨天は外出したくない。今日はまだぽつぽつ雨であったから家を出たが、激しく降っていたならば中止した。それでも歩き始めると、気分が乗る。最近あまり歩いておらず、そのために体重が1キロ増えた。それはよくない傾向で、血圧が高いのもそれと無関係ではないだろう。去年4月から市バスの1日乗車券が嵐山も使用範囲に入ったので、それまでわが家から松尾橋バス停まで歩いていたことをしなくなった。便利さのために1キロ増えた。皮肉なもので、快適さが病気につながる。少しくらい不便な方が健康にはいい。その少しの限度の見定めが難しく、わが家から松尾橋まで歩く必要がなくなると、いざ歩こうとなると、遠く感じる。歩かなくて済むことによってその分自由な時間を得るから、時は金なりの考えで言えば、市バスの1日乗車券の利用可能区域が広がったことは利用者に得をさせたことになるが、その一方で歩かずに脚の筋肉が衰えやすくなり、医者に診てもらう確率が増えるとなれば、損得勘定はどうなるか。それはさておき、たまには自分の足で地面を蹴って大いに歩くべきで、頭もリフレッシュする。そう言いながら、今日の写真はあまり冴えない。いつも松尾橋の上から上流を撮影する時に思う。視界がパノラマのように広がって雄大でいいが、筆者のカメラでは3分割しなければ全景が収まらない。それはいいとして、そうして撮って合成した写真はあまり現実感がない。撮影した本人がそう感じるのであるから、他人はもっとそうだろう。その理由は、まず眼前の景色は大きいのに、ブログに載せる画像は小さいからだ。それでパノラマ写真の場合は大きな画像を別に用意し、ブログに表示されている横幅500ピクセルの画像をクリックすると、それが開くようにしていたが、ブログの画像容量が限界に近づいていて、なるべく容量の大きな画像は載せないようにしている。だが、そうしてもいずれ限界が来るので、どうにかせねばならないが、有料コースに加入すればすぐに問題は解決する。その話はさておいて、その拡大画像を開くと、それなりに細部がよく見えるので現実感がかなり改善される。だが、細部を見ることは部分的に見ることであって、それは眼前に大きく広がる風景全体を感じることとはかなり違う。そこでTV画面はより大きい方がよいという考えが出て来たのかもしれない。
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 トモイチからの帰り、ある電気店のウィンドウに何インチか知らないが、わが家のTVの4倍ほど大きな画面が置かれ、スポーツ番組を放送していた。画面の縁は四方とも1センチほどしかなく、よけいに画面が大きく見えた。価格は11万円ほどで、それくらい出せば、現実とあまり変わらない迫力の映像が見られるということか。画面が大きいほどに現実味が増すのは本当として、完全に現実と一致するということはない。松尾橋の上から眺めながら筆者が感じる臨場感は大きな画像や映像でも無理だろう。なぜなら、筆者はただ見ているだけはないからだ。肌で感じることまでは画像や映像は再現出来ない。それでいつものように同じ場所に立って撮影し、それを投稿用に加工したが、そうして得た画像は、どうも筆者が先ほど感じたものとはかなり違う。それが面白くない。その筆者の思いがどれだけ他者に伝わるか。伝わったところで、どうしようもなく、ただつまらない写真だなと思われるだけのことだ。それでは名カメラマンが撮影すればもっとましになるかと言えば、そうは思えない。現実の景色を目の前にして感じることと、それを撮影した写真とは全く別物だ。その思いを強くするのが、松尾橋の上から撮る今日の写真で、その理由としてほかに、近景がなく、中遠景から遠景のみであるからだ。これは簡単に言えば、手元の何かと比較出来るものがなく、景色に実感が伴わない。距離感が乏しいからだ。手元と言えば、欄干を写し込めばいいかもしれないが、欄干から最も近い場所でも10数メートルはある。今日の最初の写真は、自転車道路をふたりが傘を差して上流に向かって歩いて行くところをあえて収めた。カメラをかまえて撮ろうとした時、彼らが早足で橋の下から出て来た。それで1,2秒待って彼らを写し込むことにした。それは多少でも近景になると思ったからだ。臨場感の足しにもなる。さて、家内を先に行かせて何枚か撮ったのは、昨日書いたようにアスファルト舗装のヘヤ・ピン・カーヴの仮設道路がなくなっていたからで、取り壊しの作業は早い。アスファルトをめくっている様子を撮るには昨日でなければならなかったが、Fさんから聞いた時にはもう遅かったであろう。今日はまだトラックやユンボがあって、工事が完全に終わったとは言えない状態だが、最初の写真に見えるフェンスの撤去がなされるのはいつだろう。アスファルトの仮設道路が消えたことは、重機はもはや河川敷内に下りることはなく、フェンスは明日にでもなくなるかもしれない。今日は雨でなければ「風風の湯」の前から自転車道路を走って松尾橋に至るつもりでいた。そうすれば松尾橋上からの撮影だけではなく、そこに至るまでの右岸も左岸もざっと観察出来る。明日そうすればいいが、明日も雨で、あまり家を出る気になれない。それはさておき、今日の2枚目は1枚目とぴったりつながる。これは3枚つながりに加工したものを2枚に分割したからで、3枚つなぎの状態で見れば迫力がまだ多少はましだが、500ピクセル幅にすれば写真がとても小さくなる。それで倍の1000ピクセルにし、それを2分割したが、そうすれば写真の面積は4倍になる。ただし、パノラマでなくなる分、迫力がない。どのようにしてパソコンの画面では現実感は無理だ。それでも2枚に分割してもそれはそれでいいかもしれないとも思う。最初の写真の視点は土手にあり、2枚目は土砂が浚えられた川だ。2枚目の写真の中央に白っぽい道路が見えている。そこまでアスファルトが敷かれていた。そのアスファルトがあった部分は緑の帯を断絶させているが、土が顔を覗かせたので、夏には緑が覆うのではないか。この2枚目の写真は最初の写真以上に遠近に乏しく、川原が実際はどうなっているかわかりにくい。その不満があったので、梅津に向かって歩きながら、3,4枚目を撮った。どのように堆積土砂がなくなったかを示すためだが、まず3枚目はコンクリートの護岸上に造られていたアスファルト舗装の道路の跡がくっきりと見えている。雨が何度か降るとその境目も消えると思うが、護岸を傷つけずにうまく道路を撤去したものだ。3枚目の写真は右上にも注意を払った。緑地を塗って上流の中ノ島まで道路が続いている。そこを歩いてみたいと昨日書いたが、途中にあった小さな小川は管を利用した橋が撤去されているので、踏破は出来ないかもしれない。そのことを確認するためにも今日は自転車道路を松尾橋まで行くつもりであったのに、ぐずぐずしている間に数時間経った。
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 4枚目も同じような写真だが、少し撮影位置が違うと見えるものも違う。そこで思ったのはほんの少し撮影位置をずらして同時に撮った2枚の写真で作る立体写真だ。それ専用の機器が必要だが、平板な写真を人間の目の仕組みになぞらえて現実に近づけようとの考えから発明された。それを連想しただけで、同じような立体写真を撮るつもりはない。4枚目で伝えたいのは、左手の白い土が盛られている仮設道路とそこから坂になって川の流れにつながっている様子だ。2週間ほど前は、この写真で言えば、仮設道路の右すなわち川の流れ側に巨大な黒い台地が築き上げられていた。上流からトラックが運んで来た土砂だ。そこで一旦積み上げてから、アスファルト道路を使って河川敷の外へと運び出していた。その大きな台地は1週間前には仮設道路の際まで小さくなっていて、その後どこまで削るのかと思っていたが、その時点でもう工事は終わったようであったことが4枚目からわかる。この写真は、奥の方とは違って手前では白い砂が広がり、散らばっている。それはアスファルトをめくったからでもある。そして、仮設道路は堆積土砂の撤去作業のために必要であることとは別に、その道路際まで土砂をなくして、川の流れと面一にする計画であったことがわかる。筆者は仮設道路もすっかりなくすと予想したが、その道路を削ってしまうのであれば、どうして土砂を外へ運び出すのかという問題があったのだろう。筆者は土木工学を学んで設計会社に勤務していたことがあるのでわかるが、工事はどういう段取りでどのように進めるかを最初の設計段階で妥当な案を提出しなければならない。今回の工事では、上流の土砂を運び出すために松尾橋から重機を乗り入れることが決まった。そこでまずは重機用の道路を造るが、それは現在の河川敷の堤防沿い近くの標高とされた。それが妥当かどうかは、本当は松尾橋付近での川の横断面積を計測し、その断面でたとえば100年や200年に一度の大雨を流すことが出来るのかどうかを計算する必要がある。そうでなければ土砂を浚っても中途半端なことになって、また大洪水が起こるかもしれない。そこで、これは目視だが、4枚目の写真を見ると、確かに以前よりかなり土砂は減ったように見える。写真で言えば白い砂から右手が急に段差になっていて、その落差は2,3メートルはあるだろう。以前はそういう落差はなかった。ただし、それは写真で言えば、左端の護岸からなだらかに坂となって川の流れに至っていたからだ。そう思うと、アスファルトの仮設道路は元にあった地面をそのまま使ったのではなく、土を盛って造ったことを思い出すが、写真の緑からわかるように、盛られたのはヘア・ピン・カーヴの部分や3枚目のコンクリート護岸で、ほとんどは元あった土地を均して白砂が撒かれた。つまり、写真中央の黒っぽく見えている部分はそっくり土砂がなくなった。ただし、それで充分なのかどうかはわからない。この写真を撮りながら思ったことは、今年のゴールデン・ウィークに若者たちがバーベキューをするためにまたこの場所にやって来たとして、黒く見えている川原まで下りて行くかどうかということと、下りるとすれば2,3メートルの段差をどのようにして下りるかだ。この大きな落差はバーベキュー禁止の意味もあるかもしれないが、写真を見れば、最も手前の部分はなだらかな坂になっていて、大きな段差を上り下りする必要はない。ということは、ヘア・ピン・カーヴの箇所はアスファルトをめくった程度か。このことをわかりやすく説明するには、アスファルト道路があった時の写真を示すのがよい。ブログには載せていないそういう写真が何枚かあって、今日はその古い写真をついでに1枚載せるつもりもあったが、だらだらと書き過ぎた。結論を言えば、多少予想外の工事の跡だが、以前の様子を知っている者からすれば橋の下に大海原が出来たような気分で、景色がより雄大になった。ただし、満点とは言い難い。松尾橋東詰めから真下の土手を見ると、洪水で打ち上げられた10数メートルの長い流木がそのままになっている。工事業者の管轄外ということなのだろうが、もうひとつの理由は嵐山ではなく、松尾橋であるからだ。観光客が目にしないものであれば、放置しておこうということだろう。嵐山とは重要度が違うという考えは、今日の4枚の写真からもわかる。それは実際に歩くと、なお肌で感じる。
●嵐山中ノ島復旧、その51(松尾橋)_d0053294_252034.jpg

by uuuzen | 2015-03-18 23:59 | ●駅前の変化
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