辱められた気持ちになった記憶は子どもの頃はあったが、大人になって齢を重ねるほどにそういう思いをしなくていいと達観出来るようになって来た。20年ほど前か、家内の姉が語ってくれたことがあった。
平服で参加してくださいと言われたので、小紋のような地味なキモノを着て行ったらしい。ところが参加していた母親たちは全員立派な友禅のキモノを着ていて大恥をかいたらしい。そんなふうに思わなくてもいいのだが、そう思わせられるほど周囲の視線が自分のキモノに刺さったということだ。女の世界はいやらしい。見栄の張り合いだ。だが、男社会も似ている。あるいはもっとひどいかもしれない。死んだ友人Nは亡くなる数年前に、「自信」を飲みながら話題にした。Nはさっぱり自信がないと言った。何も自慢するものがないからだ。収入は筆者の10倍以上もあったが、Nは収入が平均よりはるかに多いことが自信につながるといった俗な人間ではなかった。Nは筆者が自信に満ちているとは言わないが、何も恐いものがないような平気な顔をいつもしていることに感心していたが、筆者は自信があるつもりはない。そのようなことは考えない。自分が充実したことに時間を費やしていると思えるのであれば、それでいいのではないか。そうしていると同好の士と出会うこともあるだろうし、同好ではないが、自分の興味を客観視出来る機会を与えてくれる人と出会うこともあるかもしれない。ただし、問題はその後者だ。自分の関心事に日々埋没していると、いっぱしの専門家である気持ちになりがちだ。ところが世の中は広いもので、必ず自分より上回る人がいる。そういう人に出会って自分を恥じることが出来るのであれば、まだ人生は楽しく過ごせる。つまり、辱めを受けることはあった方がよい。若い頃ほどそうだ。話は変わる。2か月ほど前か、嵐山の超高級旅館の内部を見せるTV番組があった。文豪が長期滞在するには持って来いの環境といった表現も出たが、館内を紹介した若い女性は宿泊客に心づくしの限りを肝に銘じていますといったように自信ありげに宣伝していた。最後に1枚の大きな紙に座右の銘としている言葉を彼女は書いた。どういう言葉か忘れたが、「完璧」という言葉が最も大きかった。ところが、残念なことに「完壁」とそれは書かれていた。カメラマンその他、取材スタッフは意地悪だ。間違いを指摘して書き直させればいいものを、肝心の「完璧」が「完壁」ではその超高級旅館の程度が知れる。その場面に筆者は恥ずかしくなった。辱めを受けたと言ってよい。それは、金させ出せば超高級を名乗れる現実を目の当たりにしたからだ。だが、現実とはそういうものだ。背に腹は代えられないと、誰もが思っていると、誰もが思っている。辱めを受けるくらいなら、背に腹を代えてもいいと考える人が昔は多くいたのではないか。それはさておき、「完璧」を「完壁」と書いたくらいでそう辛辣なことを言いなさんなと言われるかもしれない。『鬼の首を取ったような気分でいるあんたも、自分では知らないだけでいくつもの恥をかいていることを思い出すべきだね』。全くそのとおりで、自信がありげな雰囲気ということは、恥の観念が普通より欠如していることと同義と思った方がよい。昔染色工房に勤務していた頃、中学校の教師を辞めて再就職して来た若い女性がいた。彼女は大学を出て1年だけ故郷の中学校で教師をしたのだが、その世界が嫌でたまらなかったと言った。それは、教師というものは、誤字や言い回しなどには絶対にそつがない人種だが、ただそれだけで、とても陰湿だと言った。何となくそれはわかる気がした。つまり、「完璧」を「完壁」と書くような人間を内心見下げる。だが、教師が何でも知っているかと言えば、大人になるほどにわかるが、全く何も知らない人種と思っていい加減だ。彼女の父は彼女が大学生の時に亡くなったと聞いたが、世の中で「先生」と名のつく人種をひどく毛嫌いしていたらしい。彼女はそういう父親の考えに染まっていたのだろう。彼女はまた、筆者が美大を出て先生と呼ばれるようになってはもったいないといった意味のことも言った。それは、先生として決まった給料をもらうような生活を望まず、収入が不安定でも好き勝手に製作をし続ける方が立派な作品が出来るとの考えだ。時々彼女のことを思い出すが、結婚していれば姓が変わっているから、今どこでどうしているかわからない。会いたいとはあまり思わないが、会ったとすれば、筆者が昔のままであることにきっと彼女は笑うであろう。
自信の話であった。先日NHKで面白い番組を見た。オーケストラに入っていた男性が、その世界に嫌気が差して独立した。50代後半であったか、60くらいであったか、年齢は忘れた。収入減は当然で、妻は子どもを連れて家を出た。その後男性は一間のマンション住まいで、月10万の収入でやりくりしている。ケーナの音色に魅せられ、それを吹いているのだが、アイルランド民謡を日本語に訳した曲が静かなブームを引き起こし、カラオケに使われるようにもなって、初めてジャスラックから2万少々の著作権料も入った。また、心強いのは、その訳詞をつけた曲をリサイタルで聴いた人が感動し、60代半ばの男性ふたりがこまめに援助してくれるようになったことだ。ふたりは典型的な企業戦士で、定年まで勤め上げてこれから夫婦の人生をと思っていたところ、ひとりは離婚、ひとりは妻に先立たれた。生活費には困らないが、生きる目的を失ってしまった。片やケーナ奏者は、収入は食べるものも事欠くほどだが、人前で演奏するという至上の楽しみは持っている。そのために表情も明るい。その番組を見ながら思ったのは、小学生の時に学んだ「アリとキリギリス」の物語だ。当時学校の先生はアリのような生き方が正しく、キリギリスのように生きては晩年は大いに苦労すると言った。そのことを教えるためのイソップ童話の取り上げで、かくて筆者の世代は、せっせとアリのように休まずに働くように洗脳された。先の番組では、妻に先立たれた男性はピアノを個人教授してもらうようになった。いつかケーナ奏者と共演するのが夢とのことだ。それはそれでとてもいいことで否定しないが、アリとして生きて来た人がキリギリスの生き方も手に入れられるだろうか。それは欲張りであり、またキリギリスを侮り過ぎている。自信というものは、あることに一生とは言わずとも、それに近いほど時間を捧げて来た結果に生まれる。人生は一度切りで、サラリーマンが仕事に励んでいる時に、キリギリス的な人は一心不乱に好きなことに打ち込み続けている。そのことをなかなかアリはわかろうとしない。キリギリスの技能を得るには、キリギリスと同じだけそのことに時間を費やす必要がある。それは才能が同じとしての話で、アリとして生きる人はキリギリスとして生きるだけの才能も覚悟もないのであるから、キリギリスの何倍もの修練を重ねても同じ境地には達することは出来ない。だが、アリはなまじっかアリとしての役目を果たし、また安定した収入と生活も得て来たので、キリギリスを侮るところがある。アリとしての自信がキリギリス的生き方に目覚めるとそのまま引き継がれる。だが、残酷なことを言うようだが、もう無理だ。そこで先の彼女の話だが、彼女は筆者にアリではなく、キリギリスになれと言ったも同然だ。アリが金を貯めてようやく好きなことに打ち込める時間を得た時、さてキリギリスになれるかと言えば、それはあり得ないことなのだ。だが、世の中は99パーセントがアリであるから、そういうことを言うと、アリは束になって非難する。それにアリは金を持っているから怖いものなしだ。そこがまた間違いで、キリギリスは金のことを第一には思わない人種だ。アリはキリギリスに憧れながら、アリのままで終わり、キリギリスはたいていはアリの援助を受けられずに死んで行く。あるいは援助を受けて大往生するキリギリスもいるが、援助した方は鼻高々で、自分がまるでキリギリスと同格であるかのような錯覚をする。キリギリスはアリによって死後に名を讃えられることもあるが、アリに何がわかると言うのか。だが、99パーセントを占めるアリの勢力は強い。自分たちがキリギリスを評価し、また支えているのでキリギリスという人種がこの世に存在出来るとさえ思っている。それは恥ずかしいことだが、世の中はそういうものだ。キリギリスはアリによって辱めを受ける。それはアリがキリギリスになれない恨みが原因とも言える。さて、今日は何の写真を使おうかと考え、以前間違って二度投稿した写真があることに先ほど気づいたのと同じ場所で撮ったものを使う。
「池辺にて、その3」と題して2012年6月27日に投稿したが、その最初の写真は2013年7月3日の
「あべのハルカス、その1」にも使った。あえてそうしたのかどうか、後者を読み返していないのでわからない。それはいいのだが、同じく天王寺公園内の長屋門のそばで家内を撮った写真が何枚かあり、今日はそれを使う気になった。だが、これら3枚のうち1枚は以前投稿したか、あるいは同じ日に撮影した別写真を使ったような気がする。恥ずかしながら、はっきりと覚えていない。同じ写真を使うほどであるから、筆者はかなりいい加減だ。それが自信ありげに見えることを死んだNは言ったことがある。最後に書いておくと、最初は2013年6月15か16日、2枚目が2014年5月22日、3枚目が同年12月6日だ。