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●あべの・天王寺イルミナージュ、その1
に玄米を入れて杵で搗くと精米出来るそうだが、臼も杵もないし、またあっても筆者なら杵を強く搗き過ぎて米を臼から飛ばしてしまうか、米を粉砕してしまうのではないだろうか。



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コイン精米機は機械の内部で臼と杵が猛烈に動いているのかもしれない。どういうメカニズムか不思議だが、米同士を擦り合わせるのだろう。それはさておき、臼という漢字は中学生の時に見慣れた。臼井とかいう名字の同級生がいたからだ。それにしても今でもこの文字は書きにくい。「白」とは違ってなぜ上の横棒2本が途中で空いているのか。それは臼の形を模したのだろう。一番下の横棒も空いてしまうと、臼の中に入れたものが底に留まらない。それはさておき、杵で搗く臼ではなく、茶臼のように上の穴から細かくする物を注いで、臼を回転させて細かくなった物を底から出す臼というのも不思議なもので、そのメカニズムもよくわからない。筆者が心配するのは、石を擦り合わせて、石自体が摩耗し、その粉末が細かくしたいものに混ざらないのかどうかだ。ごくごく微量は混ざるはずだが、その極微量も積み重なれば微量になり、その微量がさらに積み重なると、微量とは言えない量になり、ついには石臼は消しゴムのように姿を消してしまうのではないか。それは馬鹿な想像かもしれないが、筆者はよくそのようにおおげさに物事を考える。そう言えば、臼は人間で言えば歯に相当するか。歯は一度は生え変わるが、それっ切りだ。不思議なことだが、人間の体はそうなっている。そのため、歯は大切にすべきだが、老化に伴って歯は弱くなる。歯よりもそれを支える歯茎が悪くなる。死ぬまで入れ歯の世話にならない人もあるが、50くらいで必要になる人もある。筆者は歯は丈夫だが、いつかは歯を失って部分的に入れ歯に頼らねばならない時が来るかもしれない。その時まで生きていたくないが、こればかりはどうなるかわからない。脱線ついでに書いておくと、先日新自治会長を決めるために集った時、70代のある人の口元が気になった。本人曰く、歯が急に抜けたそうだ。その人が50歳そこそこの時のことをよく覚えている。それが確実に老けて、今では歯が何本かなくなって、顔を見て話すことが憚られる。だが、世代は順送りであって、いつか筆者は筆者より若い人から同じように思われる。そうそう、臼歯という言葉があるように、奥歯は臼状になっている。杵で食べ物を粉々にするのではなく、上下の臼歯で擦り合わせる。臼同士のぶつかり合いで、上の歯も下の歯もたまったものではない。なぜどちらかの歯が杵状になっていないのだろう。それでは臼歯の窪みにうまく杵が収まらない場合があるからだろう。臼歯がなければ丸飲みだが、大きな魚や鳥はそのようにして平気なので、臼歯は動物にとって必要とは限らない。筆者は御飯を食べるのがあまりに早いと家内によく言われるが、それは臼歯をあまり使っていないことになる。そのため臼歯の減りが普通の人より遅いかと言えば、そんな単純な話ではない。歯は使わねばかえって具合が悪く、南洋の島の原住民の話を先日したように、抜けるのも早いだろう。あるいは歯の強度は顎その他に関係して遺伝であるから、いくら手入れしても弱くなるのが早い人はあるだろう。遺伝子工学がもっと進むと、将来は虫歯が皆無になり、死ぬまで歯が全部揃っていることがあたりまえになるかもしれないが、そうなった時にはまた別の問題が起きている。長く生きていると、そのようなことがわかって来る。どんどん便利な時代にはなって行くが、不便が解消されることはあり得ず、不便を楽しむくらいの心の余裕が、それを諦めとも言うが、老齢になると身について来る。
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 茶臼山という小高い古墳が天王寺公園にある。去年12月に大阪市立美術館で『うた・ものがたりのデザイン』展を見た時、天王寺公園の出入り口から美術館までLEDのイルミネーションが飾られていることに気づいた。美術館は午後5時に閉館で、その電飾はそれから30分後に点灯されることを知った。つまり、別料金だ。美術館の後、あべのハルカスに行き、ムーンゴッタの写真を撮ったが、その時、天王寺公園の出入り口を見下ろして撮影した。確かに天安門のような形をした電飾が見え、公園内はカップルが散策しているのだろうと思った。そのイルミネーションのお祭りが「あべの・天王寺イルミナージュ」と呼ぶことを大阪の地下鉄で知った。夜間のイルミネーションは神戸のルミナリエが有名で、筆者は何度も出かけたことがあるが、無料のそれとは違って近年は有料で見せる場所が急増している。どこもかしこもイルミネーションで、これはLEDの発明があってのことだ。電気代が安く、また簡単に設置出来ることもあって、家庭でもかなりの規模のものが飾られる。金を取るからにはかなり大がかりなものでなければならない。その点、天王寺公園内は最適ということなのだろう。先ほど調べると、今年は3回目とのことだ。全く知らなかった。そのためにも出かけてよかった。とはいえ、感激したというほどではない。ま、こんなものかという感じで、また予想とは違って、訪れる人は少なかった。ひとり1000円であっても、たぶん大きな赤字を抱えたのではないか。筆者らは最終日の2月1日に行ったが、とても寒かった。あたりまえだが、まだ雨や雪が降らなかったのでましであった。ほとんど開園の5時半ちょうどに入り、小1時間を過ごした。写真をたくさん撮って来たので、3回に分けて投稿するつもりでいる。書くべきことがさしてないのに3回とはきつい気がするが、どうせ無駄話で、思いつくまま、脱線しまくりで書く。線路から外れた電車が地面をゴトゴト言わせながら無鉄砲に走ると面白いが、筆者の文章はそういうことを思って書いているので、もとより無茶な内容だ。さて、最初の写真は先に書いた天安門らしきデザインの電飾で、これが今年のイルミナージュの出入り口だ。傑作なのは写真右に聳えるラヴ・ホテルだ。それは城に形をしているが、イルミナージュに合わせて同じ色のLEDで飾り立てられている。筆者の想像だが、イルミナージュの実行委員会がこのホテルにかけ合って、期間中は協力してほしいと言ったのではないか。それで無料で飾り立てたかどうかは知らないが、ホテルとしては寒さで震えるカップルに来てもらいたいから、大いに協力しましょうということになったように思う。この写真からわかるように、このホテルはイルミナージュの大きな見世物のひとつになっている。それがラヴ・ホテルというのがいかにも大阪、天王寺らしい。イルミナージュに行ったカップルが、軽いノリで、「みんな見て回ったから、次にあそこへ行って暖まろうか」と言い合う図を想像すると面白いではないか。筆者はこのホテルの前に立ったことがないが、公園の外に一旦出て北に少し向かわねばならないはずだ。それはさておき、最初の写真はまだ完全に暗くなっておらず、また左手奥に通天閣が見える。この日、美術館の前から通天閣をしげしげと見たところ、その電飾デザインがかなり変わっていることに気づいた。現代的になったと言えばよい。それは夜間だけ目立つことで、その時間まで天王寺にいることがめったにない筆者らにはわからないことだ。それもさておき、ラヴ・ホテルと通天閣が間近で光り、イルミナージュは絶好の場所を確保していると言うべきだ。それにしても今年が3回目というのは、宣伝が行き届いていない。LEDによる電飾は珍しくないので、わざわざ他府県から来る人は少ないと思っているのだろうか。それとも、こうした催しは若者相手で、チラシを撒いたりポスターを貼ったりする必要はあまりなく、スマホを利用した口こみで充分と主催者は考えているのかもしれない。そう思うと、なおさらラヴ・ホテルとは協力関係があって、60過ぎの筆者と家内のような世代は来てもらわなくてもかまわないということか。先ほど茶臼を検索すると、性行為の体位のひとつともあって、ますますこの催しは若いカップル相手と思ってしまう。
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 2枚目の写真はフェルメールの小径だ。7,8年前か、大阪市立美術館にフェルメールの「ターバンを巻いた少女』がやって来た。その時の記念にこの公園内の美術館に至る道が整備された。写真右手は慶沢園で、左手は天王寺公園の中心となるタイル敷きの広場だ。今年はそこでは電飾は設置されなかったが、去年や一昨年は使われたことがイルミナージュのサイトからわかる。写真左端に水色で少し写っているのは忍者の電飾で、これがアニメーションのように形を変えて前進して行く。今年のテーマは忍者のようだが、写真右手にある六文銭の提灯のデザインにあるように、真田幸村が主役だ。今年は「大坂の陣400年天下一祭り」が大阪で予定されているとのことで、それは「光の陣」と「芸の陣」のふたつがあり、前者がこのイルミナージュだ。それにしては人が集まりにくい真冬に企画したもので、真夏の方がよかったのではないか。「芸の陣」はエンタテインメント・ショーというが、これはいつどこでも催されるのかわからない。それはともかく、真田幸村が戦った茶臼山を抱える天王寺公園であるので、今年は写真に見るような電飾のデザインになった。3枚目の写真はフェルメールの小径の公園側で、折鶴が和の演出とはいえ、あまりぱっとしない。没にしてもいい写真だが、どのようなデザインかはよくわかる。4枚目は50メートルほど進んだところで、ここでようやく前方に赤い光が見え、華やかさが増す。左奥は江戸時代は中之島にあった黒田藩の蔵屋敷の長屋門で、渡辺橋南西詰西側にあったというが、取り壊されずに済んでよかった。その場所は国立国際美術館に行く時にいつも通るが、大きなビルが建ち並ぶ。東京でも同じだが、大名の屋敷のあった区域は今は全部ビルが連なる。この門はもう10年になるか、美術館へ行く時に通るようになっていたが、今は公園内から陸橋を利用するか、フェルメールの小径を歩くかして、この門を通過することはなくなった。門の前は道路で、そこは昔無料で利用出来たので、よく青空カラオケが行なわれ、新世界の労務者風の人がたむろした。それを快く思わない大阪市は公園を有料にし、その結果彼らは締め出される形になった。そのため、道路はあっても公園の出入り口近くで締め切られ、誰も使えないのではないか。この道を歩くより花の咲く公園内を利用した方が美術館を利用する人は気分がよいだろうという計らいと、この道に車を走らせると、歩行者との接触事故が心配という懸念、そしてこの道を誰でも通れるようにすると、誰でも長屋門から美術館側に入り込むことが出来て、公園を有料化する意味がないという考えからで、結局はこの車道を公園内に設けたのは失敗だったということだ。今からでも取り壊して緑地にすればいいと思うが、その予算もないのが実情だろう。ともかく、公園内はかなり複雑で、美術館を訪れる人は慶沢園やその北部の大きな池や茶臼山の辺りまでほとんど行かない。
●あべの・天王寺イルミナージュ、その1_d0053294_153093.jpg

by uuuzen | 2015-03-05 23:59 | ●新・嵐山だより
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