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●○は○か、その19
りを楽しむには格好の日和となって来て、今日も裏庭に出てみかんを茎に刺して小鳥を待った。5分ほどすればいつも最初に音を立てずに目白がやって来る。人馴れしているのかしやすいのか、1メートルの近さで眺めていても飛び去らない。



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一口ついばむと首をあちこち向け、時に筆者をまともに見る。その時、若冲が描く鶏図のように、真正面から目白の顔を見ることになるが、小さな頭に周囲が白い目がふたつなので、目がかなり寄って見える。それが面白い。また、目白もヒヨドリもだが、食べながら盛んに地面に糞か尿を落とす。人間では考えられないが、鳥は自由だ。糞は下に落ちて、飛べる自分たちには関係がない。だが、目白やヒヨドリが地面に下りたたないかと言えばそれは違う。今日はくわえたみかんの袋を地面に落としたヒヨドリは、羽音を立てて地面に舞い降り、それをついばんでいた。そのようにして観察していると、20分ほどはすぐに経つが、家内が呆れている。まるで老人みたいだと言うが、老人ではないか。することが何もないからではなく、鳥の観察がすることなのだ。そういう趣味もあって、遠くまで野鳥を見に出かける人もある。それが面倒というより、そこまで関心もない筆者は自宅の庭に小鳥をおびきよせて鑑賞する。それは贅沢な時間だ。さて、囀りなどと今日は最初に難しい漢字を書いたが、TWITTERのことを昨夜思い出したからだ。この投稿は自動的に題名がTWITTERに投稿されるように設定している。筆者はTWITTERに関心を失って、もはやその自動的に題名が投稿される以外は何もしていない。また再開する気がないでもないが、多忙な今は無理だ。昨夜はこのブログの右欄にある、筆者の小学校1年の入学式の時に近くの写真館に母に連れられて撮影してもらった記念写真の顔部分の右にある「chiwayune」の文字を久しぶりにクリックした。するとTWITTERの画面が現われる。そして、最上部に画像を貼りつけることが出来ることを知った。それをどうしようかと思いながら、すぐに載せるべき写真を思いついた。何度試しても画像が表示されず、諦めかけた時、GOOGLEのCHOROMEのOSで試せばいいかと思いつき、そうすると見事に成功した。ただし、画像の上下左右がかなり切れている。それでまた何度も試して理想的に見えるようにした。それでも筆者の小学1年生の時の画像が一部覆い被さり、デザインはよくない。それはTWITTER側の無条件の設定であるから仕方がない。ともかく、完全には満足していないが、筆者が載せたい画像を理想的な形で載せることが出来た。思い立てばやることは早い筆者だが、そうでなければ何年でもそのまま放置する。ともかく、深夜にその作業を済まして満足して寝たが、今日は何度も自分のTWITTER画面にアクセスしてはその掲げたばかりの画像を眺めた。その画像をこのブログでも載せればいいが、それはまたの機会にすることにして、興味がある人は「chiwayune」の文字をクリックしてほしい。ところで蛇足ながら、「chiwayune」とは筆者の別名IDとしてつけたもので、家内が名づけた。その意味はまだ誰も知らないだろうが、筆者は気に入っている。話を戻して、最初の「囀」の文字は昨夜のTWITTER(囀り)からの連想で、今日の写真は昨夜それに掲げたヘッダーの画像からの連想だ。
●○は○か、その19_d0053294_1293472.jpg 毎月21日は「○は○か」の題名で投稿するのが習わしになっている。月初めからすれば21日は下旬の最初で遠く感じるが、毎月不思議に21日が早く訪れる。それでもう今日は「○は○か」の投稿かと思う。それ用にヤフー・ボックスに溜め込んでいる写真は多いが、丸い窓が最近の新しい建物にはよく目立ち、多少食傷気味で、今日はそういう建物の写真からは選ばかなった。まず最初は去年の秋に大志万さんと出かけた住吉大社で撮った。観光地にはどこにでもある、顔覗かせ用に丸く板を刳り抜いた立て看板で、大志万さんと並んで歩いていてそれを境内で見つけた時、筆者はすぐに写真を撮ることにしたが、彼女は多少呆れて先に進んだ。彼女を呼び止めてその丸穴から顔を覗かせて写真を撮りたいと言えば、どう対応されたことだろう。すんなりOKをもらえたとは思えない。それは筆者がこの写真を撮ろうとした時の彼女のほんのわずかな反応からわかる。確かにそうした看板は芸術とは無縁で、立ち止まってしげしげと眺めるものでもなければ、ましてや撮影するものでもない。だが、そういう常識的な考えは芸術を目指す者はなるべく持たない方がよい。ありふれた物を見ながら、そこに何か普遍性を感じ取ることの出来る者が、芸術に携わるべきで、深淵なことは何も難しいことに隠れているのではない。この顔覗かせ看板を芸術の域に高めようとして作品を作り続けているのが森村泰昌で、そう言えば住吉大社に行った日、大志万さんは大学の先輩である森村の本を最近読んで感心したと言っていた。ともかく、卑近なことから独創は生まれる。とはいえ、筆者はそんなことを常に考えて何か目につくものはないかと歩いているのではない。せいぜいこのブログのネタ探しで、住吉大社で撮った○の写真を今日は載せる機会に巡り合った。筆者がなぜこの最初の写真を撮ろうとしたかだが、それは同様の立て看板を見ればいつも撮りたくなるということのほかに、住吉大社らしい背景であったからだ。朱色の社と石灯籠が覗いていて、おまけに背後には初辰参りの幟旗が林立している。これ以上理想的な写真はない。社は昨夜TWITTERのヘッダーとして載せた写真に通じ、石灯籠はつい最近筆者がほしくなっている物の代表で、筆者の強い関心事が揃ってこの丸い穴の奥にある。つまり、筆者はこの立て看板の表に描かれるイラストはどうでもよく、実際それが何であったかは全く覚えていない。それはそうと、石灯籠はこのブログのたとえば7,8年前の『おにおにっ記』に登場していた。夢の中で売茶翁に出会ったことを書いた時で、石灯籠がずらりと並ぶ道を折れたところに売茶翁が立っていた。その石灯籠は今日の最初の写真に写るような春日神社にある型だが、筆者が裏庭に置きたいのは雪見型のもっと背丈の低いものだ。それに関して今日は面白いことがあった。家内と自転車を連ねて10キロの玄米を精米するために上桂まで走った。前回訪れたところでもよかったが、距離はあまり違わない別のコイン精米機を目指した。精米を済ませ、近くの「つまとも(妻友)」という大型スーパーに立ち寄った後、家内は初めて通るという道を通った。すると右手に高さ2.5メートルほどの春日型石灯籠を置く家があった。ただし、それはブロック塀の向こうで、外から見えるのは上部が50センチほどだ。それにその庭はとても狭いようで、部屋の窓から灯籠までたぶん1メートルもない。そのような小さな庭に大きな石灯籠では不釣り合いだ。それを感じた家内は笑いながら言った。「格好悪いね」。家内は筆者が石灯籠を買おうとしていることを知っているが、どこへどのようにして設置するのか、あまりいい気分ではないようだ。雪見型の小さなものであればさほど文句は言わないだろうし、またその程度しか裏庭には収まる場所がない。それはさておき、今日の2枚目は、去年大晦日に城南宮の「春の山」で撮った大きな石灯籠で、丸い穴の向こうに枝垂れ梅が見えている。今は花が咲いて同じ角度で撮影するともっと華やかだが、写真をよく見ると手前にも梅の枝が少し写っていて、それがこの灯籠の置き場所を感じさせてよい。3枚目は確か今年1月のゑべっさんの残り福に行った帰りだ。新京極のゲーム・センター前に招き猫型の立て果敢番があった。筆者は招き猫にはほとんど興味がない。それで何のためにこの写真を撮ったのかわからないが、猫の丸く開けられた口の向こうにネオンが見えたのがまず面白かった。時代がどれだけ進んでも、猫がいる限り、招き猫は忘れられないだろう。いつの時代でも人間は福を求めるからだ。ゲーム・センターでの福はゲームに勝つことだが、人生のゲームでの勝利は、たとえば『炎のランナー』の結末のように、オリンピックで金メダルを取り、その後スポーツに人生を捧げ続けるといったことであれば、大多数の人は勝利とは無縁ということになる。『ああよかった』と思えることが勝利であって、他者の評価などどうでもいいではないか。自分が○と思えば○であって、ま、『炎のランナー』もそういうことを言いたかったのだろう。
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by uuuzen | 2015-02-21 23:59 | ●新・嵐山だより(シリーズ編)
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