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●佐川美術館
滋賀の守山には行ったことがなかった。佐川急便が美術館を持っていることは何年も前から知っていたが、JRやバスを乗り継いで出かけるほど魅力があるとは思わなかった。



●佐川美術館_d0053294_211558100.jpg常設展示が彫刻の佐藤忠良と日本画の平山郁夫で、両者とも何度も作品を観ているからだ。手元に1981年の佐藤忠良展の図録がある。そこにたくさんのその後の忠良展のチラシが挟んであって、佐川急便が開館した当時の1枚がある。『1997年3月、佐川急便株式会社は、創業40周年を迎えさせて頂きました。これを機に、文化の振興と発展に微力ながら寄与すべく、1998年3月22日、滋賀県守山市に佐川美術館を開館したしました。』と裏面最上部に書いてあって、今年で開館から7年経つことがわかる。先日の4日、ようやく訪れることが出来たが、これも息子が車を運転することになったからだ。天気もいいので家族3人で出かけた。ただし、この美術館だけではもったいない。いつものごとく滋賀県立近代美術館にも立ち寄ることにした。もちろん滋賀県近美の方がはるかに京都に近いから、佐川美術館は後回しになった。ネットで地図をたくさん印刷して、車の中で息子にいろいろと指示を出して道先案内をしたが、初めて走る土地であるので、簡単な地図だけではわかりにくく、少し迷った場面もあった。だが、大体にしてわかりやすかった。琵琶湖をすぐに臨む場所にあって、近くには新しく開発された建売住宅のちょっとした町があったが、全体に広々とした平坦な土地にゆったりと家並みが続き、京都や大阪とは全く違う別の土地に来た感じが強くした。空が広々としているのはよい。あまりそういう土地に行ったことがないので、ほんのわずかな時間を車で走っただけだが、印象は強く、そしてよい。人の少ない田舎であったので、美術館や道路などは現代そのものを伝えるが、琵琶湖畔のこの土地の空気は江戸時代とほとんど何も変わってはいないだろう。美術館は琵琶湖大橋東畔の少し南に位置する。思い返してみれば、琵琶湖大橋には21歳頃に行ったことがある。その時のことはもうすっかり記憶にないが、琵琶湖大橋を背後にした写真があって、それは確か橋の西畔の琵琶湖の水辺で撮った。その時以来このあたりを訪れたことになる。つまり、30数年ぶりだ。その間にJRの湖西線が開通したりするなど、琵琶湖を訪れるにはもうんと便利になった。だが、まだこの湖西線の電車を利用したことがない。案外そんなもので、近くにあるとはいえ、用がなければ利用しない施設は多い。
 さて、滋賀県近美では『近代日本洋画への道』を観た。これについては後日に回し、今日は佐川美術館の印象のみにする。同じ道を戻って京都に帰るのは面白くないので、帰りは琵琶湖大橋を西へとわたり、京滋パイパスだろうか、無料の高速道路を利用して一気に南下し、浜大津に出て山科に入った。琵琶湖大橋をわたっている時にちょうど日が彼方に沈んだが、それから暗くなるのは一気で、浜大津に出る2、30分の間に真っ暗になった。まだ5時半そこそこの時間だというのに、秋は超スピードで日が暮れる。まるで人間の人生と同じようだ。暗くなると目が悪い息子の運転にも支障が出やすいので、なるべく早く観て家に戻りたかったが、いつも出かけるのが昼過ぎになるため、結果的に美術館の閉まる時間までいることになる。滋賀県近美を観た後はもう3時過ぎで、佐川美術館に着いた時はちょうど4時になっていた。途中で美術館近くの郵便局に寄って切手を買い、風景印を押してもらったが、知らない土地に行けばなるべく郵便局に立ち寄って風景印を得るのがもう何年もの習慣になっている。そのようなちょっとした遠回りをする方が思い出としては強く残る。予想外の道に入り込むからだ。湖岸の整備された大きなきれいな道路だけを走っていれば、目的地にはすぐに着くが、それだけでは面白くない。何でも寄り道が面白い。美術館近くに来た時、すぐにわかったが、入口がどっちの方向にあるかわからず、適当に左に折れて進んだ。するとすぐにPのマ-クが見えて駐車場があるのがわかった。左に進んだのは正解で、もし右に走っていると、美術館をひと周りして10分程度時間を失っただろう。遠目にも美術館の敷地らしきところにクレーンが2台ほど見え、工事していることがわかった。これはすぐに思い当たった。新聞か何かで読んだが、美術館を拡張中で、確かそこには楽吉左衛門の楽茶碗の常設展示室が設けられるはずだ。佐川美術館のオーナーは東京芸大卒だったと思うが、その人の趣味や交遊関係によって収集が決まっているのだろう。美術館の建物は直方体の味気ないビルではなく、切り妻屋根造りの銀色に光鉄筋コンクリートの建物が2棟建っていた。建物の周りには広々としたごく浅い池があり、これが琵琶湖の水辺に呼応していて清々しい印象を与えている。どこか神道を意識した建築とも言えるが、一方でローマ時代の雰囲気も感じさせるような雄大さがあり、和洋折衷としてはこういう美術館にしたなりようがないことを思う。建物が平屋で大きいため、何だか体育館のように見えるが、ゆったりとした空間で鑑賞出来るに越したことはない。警備員のいる門を入ってすぐに女性がひとりぽつんとひとりだけ収まっているチケット売場のブースがある。かなり暇な美術館のようであるから、中の女性も1日中孤独であろう。そこを過ぎてすぐに水辺をわたる通路が続き、向こうに美術館の銀色の大きな建物が見えるが、通路をわたり切った位置から左手奥に忠良の裸婦像だろうか、彫刻がひとつ建物の手前にあった。それを横目を見過ごして、右手に水辺、左が建物際といった長い通路を歩いて奥まで進む。突き当たりまで行かないところで館の入口があり、そこに立つと自動的に扉が開いて中に誘導される。中は天井が高くてうす暗く、一気に異空間に来た感じがある。美術鑑賞にはよく整えられた空間だ。扉が自動で開くのは岡崎の細見美術館と共通し、空間の大きさはMIHO MUSEUMと共通する。つまり、土地が安いところでは美術館もより広々としている。
 5時の閉館までには1時間しか観覧出来なかったが、そもそもこの美術館を訪れる気になったのは、佐藤、平山の常設展示以外に東京から巡回して来た江里佐代子の截金(きりかね)展が特別展として開催中であったからで、それを観るのが主な目的であった。それでまず平山郁夫の展示室を観たが、これは選んだのではない。たまたま館内に入って最初の部屋がそれであったからだ。初めて訪れるのでどこがどうなっているのかわからず、とにかく順に観て回ることにした。平山郁夫の展示室を出るとまた水辺のうえをわたる通路があり、しばらくそこで写生し、5分ほどして向こうの2棟目に入った。すると左手に截金展の看板が目に入ったので、その部屋に入った。だが、この特別展示室での展覧会に関しては後日改めて書く。家族3人で行ったがみな勝手に観たので、誰がどの部屋にいるかわからない。筆者はいつもゆっくりと観るので最も遅いが、截金展を観終わるともう閉館5分前になっていた。そのため2棟目にある佐藤忠良室には全く入る時間がなかった。家内は観たそうだが、筆者は外からガラス越しに見える彫刻を3、4点さっと眺めるだけにし、そのまま突き当たりの売店にさっさと行ってグッズや図録などを確認し、そのすぐ隣の喫茶室をざっと見つめ、それでまた1棟目の水際の通路に戻って来て、3人揃って外に出た。駐車場の方向に延びるこの水際の通路に出た時、ちょうど駐車場の彼方にきれいな夕焼けが見えた。記念に写真を撮ったが、デジカメではないのでうまく撮れているかどうかはわからない。
●佐川美術館_d0053294_14590240.jpg
 4日という日曜日、しかも天気がとてもよい日に行ったにもかかわらず、館内は10人も客はいなかった。団体客がよく訪れるのかもしれないが、閑散とした状態はあまりにさびしい。かなりの経費がかかっているはずだが、それだけ佐川急便が儲けているのだろう。また、コレクションが一般の人にとってどれだけ魅力あるものかどうかは問題もあるだろう。前にも書いたように筆者は平山郁夫の絵には何ら関心がない。だが、それは岩絵具をふんだんに使用した本画に対してであって、紙にペンと水彩で描かれた素描は以前から面白いと思っている。面白いと言うより、なかなか他人にはまねの出来ない達者ぶりで、平山の天才的な技量はそうした素描こそあると思う。これが本画になると、まるで硬直した絵はがきのような絵になって味わいが蒸発してしまうのはなぜだろう。画面が大きいから、そしてていねいに絵具が塗り込められているから絵がいいものになるは限らないというあたりまえのことが、この平山でもよく当てはまるのはなぜだろう。日本画の団体公募展でも同じようなことはいつも感じる。まるで素描の技量のないような人物が100号を越す大画面を絵具で埋め尽くすことは最初から無理な話で、そんな壮大な無駄とも思える絵ばかりが際限なく並んでいる公募展会場で、大家と呼ばれる人の作品の中にも時として同じものが流れていることを感ずることがしばしばある。会場芸術主義が標榜されて、大きな画面が公募展の常識になっているが、そこには何かとても無理のある背伸びの姿勢が感じられる。江戸時代の絵師でも襖絵を描く時には、絵具ですべてを埋め尽くすことはせず、余白の方がはるかに多い絵を描いた。その点でも今の日本画は最初から無理がある。平山の大作がほとんど味気ないと感じるのであれば、ましてや若手の作品は推して知るべしだ。心が洗われるどころか、無残な思いにかられることのみ多い。若冲や呉春でもほとんどの作品はたかが幅30センチに満たない小画面の絵であり、それを思えば才能のない者が100号を越える絵を公募展用にと毎年2、3点も描こうとすることの無謀さがわかる。
 どうせまたいつもの平山のシルクロードの絵かと思いながらも、せっかく来たのだからじっくりと観始めた。まず「平和の祈り」と横に彫られた木額がかかっていた。平山の字だ。あまり上手ではないが、それなりの味はある。ただの作品の常設展示かと思っていたが、テーマがあることがわかった。そのいわば看板を過ぎると、高価な岩絵具がきらめいている本画ばかりではなく、ゆったりとした空間にコーナー別にシルクロードを題材にした人物像や寺院など、どこかでいつか観たような、例の特徴的なタッチの素描が次々と現われた。この館は平山の作品を300点ほどを所蔵しているらしく、その中から順次50点ほどを展示替えしているそうだ。近寄ってよく観ると、和紙が特別に漉いたもののようで、微妙な光沢と、繊維質が見え、それが独自の滲み効果を出させているようであった。また今回よくわかったが、素描のタッチは着実ではあるが、描いている間にデフォルメが利いて来たのか、アンバランスな人物や建物があった。これは意識してデフォルメしたものではない。きちんと対象を見て描きながらも形がずれて来たもので、簡単な言葉で言えば形の把握が崩れているのだが、だが、絵としては少しもそれがおかしくない。それどころか、それがとてもおおらかな人間味があって、今までとは逆の感じを抱いた。もっともっと正確な目と手をしているかと思っていたのだが、案外そうではなく、平山もまた人の子であることが確認出来た。つまり、あまりにも写真のように正確に対象を二次元に再現出来る才能だけが画家としては天才と呼ばれるにふさわしいということではなく、絵というものはもっと複雑なものなのだ。ただ正確に描けるだけなら、それは機械のように味気ない能力とも言えるだろう。人間は機械的な面もあるが、それだけで絵は出来ない。絵が存在うし得るのは、写真とは違う、描き進むにしたがっての心の揺れがひとつの画面に思いとして込められて行くからだ。平山の素描が面白いのは、その心の揺れが1枚の画面によくうかがえるからだ。本画となれば、そうした揺れはみなきれいに整理され、少しおかしいなと思える形も何度も修正することによってきちんとしたものに置き換えられる。そのため出来上がった絵は丹精なものにはなっても、どこか取り澄ました、化粧を完璧に施したような美人顔のようなものになる。また、展示室には実際に平山がスケッチした場所の写真とその素描が比較出来る工夫があった。それはカンボジアの遺跡で、写真を見ると、あまり面白いとも思えない場所で、何だか雑然ともしているが、一旦それが平山の手にかかると、省略が巧みで、写真とは全然違う雰囲気になりながらも同じ場所でしかないような、そして完全な絵になっていた。これもまた写真と絵の違いを如実に語るもので、画家の目と手がどういうものかを示すうえで面白い展示方法であった。最後のコーナーだったか、ボスニアの廃墟となった街中にたたずむ子どもたちを描いた横長の大きな作品があった。広島生まれの平山であるので、戦争とは切っても切れない縁があるが、平和なシンボルのシルクロードばかりを題材にして来ているかと思えば、かなり時事的な問題にも関心を抱いていることを初めて知った。実際に現地で子どもたちを描いたそうだが、廃墟の中でも生きようとする逞しさを失わない子どもたちを見て、決めていた院展の題材を変えてこの作品を描いたという。平山の言葉も添えてあって、悲惨な戦争でもその悲惨さをそのまま描くのではなく、希望が持てるように描くことが大事だと思うといった内容で、これはたとえばオットー・ディックスの絵とはまさに正反対なものだ。全部は納得出来ないが、平山の言うこともわかる。結局はどの画家も自分の思うところにしたがって生涯をかけて表現するだろう。当の画家が思ったように作品はあるし、それはそれ、これはこれであり、そうした正反対の芸術を距離を置いて眺める者としては、そのどれにもそれなりの真実があるように思える。だが、人間ゆえ、好き嫌いはある。ディックスも決して平和の祈りを忘れていたわけではないし、むしろ従軍して悲惨な現場を体験し、よくよく平和の大切さを認識していたろう。それだからこそあのような絵にもなった。そしてそこにはドイツと日本というそれぞれの国の絵の伝統の反映があるから、平山にディックスを、ディックスに平山を求めることは無理と言うものだ。
by uuuzen | 2005-11-08 23:14 | ●展覧会SOON評SO ON
●『生誕100年 今竹七郎展』 >> << ●『最澄と天台の国宝』その2「...

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