茎にまたみかんを串刺した。今日の午後にみかんがまた届いたからだ。ネットで買った。前と同じく20キロだ。前のは大きなサイズばかりで、またとても水っぽかった。

今回は和歌山か愛媛から買おうと思いながら、前と同じく熊本産を買った。SからMまでの大きさで、安価であるのでどれも皮が部分的に汚れているなど、見栄えが悪いが、味は前回より何倍もよい。みかんは小粒に限る。届いて早速1個選び、真横に包丁を入れて上下に切り分け、それを裏庭のグミの木の細い枝に刺した。日が沈むまで1時間もない。鳥がやって来るか心配したが、10分ほどすると鶯が2羽やって来てついばみ始めた。ところがヒヨドリが2羽やって来て、舞い降りる。鶯はさっと逃げる。その様子を3階から見下ろしていると、ヒヨドリが声を上げて飛び去った。その直後、また鶯がやって来てみかんを食べ始めた。競争だ。大柄のヒヨドリは鶯の何倍も食べねばならないだろう。だが、筆者としては鶯に与えたい。それを知っている家内は、筆者が3階で見ている間、1階からそっと様子をうかがっていて、ヒヨドリが鶯を駆逐したのを知って、手を叩いて飛び立たせたそうだ。そしてすぐに鶯が戻って来たと言ったが、前述の鶯の舞い戻りはそういう事情があったのだ。明日は午前中からまたやろうと思っているが、グミの木は芽吹いていて、またみかんを刺すのに適当な枝がほとんど見つからない。別の木にしてもいいが、グミの木は1階や3階からはよく見える。鳥にすれば庭に入り込み、筆者らの姿を感じることになるから、それなりに冒険だが、みかんを食べたいという欲求がそれに打ち勝つ。昨日も書いたが、春めいて来て今日はさらに暖かかった。野鳥もとても喜んでいるように見える。昨日は小雪が舞い、「風風の湯」から家に帰る午後9時半の嵐山駅前の植え込みは真っ白になっていた。また10センチほど積もるかと思っていると、朝はすっかり晴れて雪はなかった。ここ半年ほどは午前中はぼっとしていて、午後3,4時から覚醒するが、その習慣を改めたいと思いつつ、年度が変わる3月末頃までは何となく今のままで行こうという思いだ。それはさておき、今日は猛烈に頭を使う作業を4,5時間ぶっ続けでしたこともあって、このブログを書くのがとても億劫になっている。冒頭の一字もなかなか見つけられなかった。一度使った文字を回避するのはもうかなり難しくなって来ているのに、毎日どうにか探し当てている。「茎」という簡単な文字は以前に使っていると思いきや、案外そうでもないことがよくある。それで今日は考えたのが10分程度で済み、それに気をよくして書き始めたと言ってよい。茎の話に戻ると、みかんを刺すには茎の先端が斜めに切られているべきだが、それをするのが面倒で、先が平らになっている茎にみかんの中央を刺す。ひとつは蔕が邪魔するのでそれを取り除くが、それでも蔕があった箇所は堅めなので、刺しにくい。刺しにくければ、柔らかいみかんはぐしゃっと潰れかける。今日は筆者の右手にみかんの汁がついた。その時思ったことは、鳥のくちばしにもその汁が付着することで、そうなれば後で舌で舐めるのだろうか。鳥の舌は人間のように長く伸びないから、くちばしの汚れはそのままになりやすい。それでは菌が繁殖しやすいが、小鳥はどうしているのだろう。みかんを茎に刺すと同時に、そのすぐ近くに水を入れた小さな容器も置けばよいことを何かで読んだことがある。その水は喉の渇きを潤すためのものだろうが、みかんの汁がついたくちばしを洗う役割も果たす。となると、早速適当な空き缶を用意するか。

春が間近に接近したような今日、何について書こうかと先ほど考えた。真っ先に思いついたのは、天龍寺での節分祭だ。今月3日に家内と訪れた。それから11日経つ。今日はヴァレンタイン・デーらしく、夕方家内は筆者用に買った菓子を差し出した。チョコレートをまぶした金平糖のような形の、柔らかい煎餅のような食感の京都の菓子だ。それを筆者はブルドーザーのように口に運ぶから、数分で包みの半分が消えた。そう言えば、一昨日家内は袋入りのチョコレートを買って来たが、それがおいしかった。袋入りの安価な商品はよくスーパーなどで売っているが、安物だけあって、おいしいと思ったことがない。ところが一昨日のは違った。それを家内に言うと、初めて見かけた商品で、高槻で買ったとのこと。筆者はすぐに食べ尽くしてしまうので、家内は数個をくれる。それで昨日は朝、昼、晩と、数個ずつもらったが、昼間には天龍寺の節分祭で得た豆が一緒であった。その豆とチョコレートを同時に食べると、口の中で混じって、スーパーでよく買う安物の袋入りチョコレートを思い出した。ピーナツ入りが筆者は好きで、それと似ていながら、ピーナツの方がいいと思った。節分祭の豆まきでは殻つきの落花生を撒くこともある。天龍寺では毎年小さな正方形の袋に入ったものを用意する。この袋の大きさは吉田神社でのものと同じだ。それを模倣したのではないが、天龍寺のものは今日の3枚目の写真からわかるように、どうも5色を用意している。豆の数は家内が調べたところでは、30数個から10数個までさまざまで、倍の差がある。袋詰めする人によって差が出るのだろう。今年の包みで気づいたが、たぶん去年とは違ってホッチキスで留めていない。正確に言えば、金具のホッチキスではなく、袋の一部に小さな穴を開け、その部分の紙で閉じる。金具で怪我をするのを防ぐためで、日本の発明だろう。さて、節分祭の様子は
去年2月4日に投稿したのと全く同じで、写真はその去年のものを使い回ししてもいいほどだ。そう考えていたので、去年とは違う写真を撮った。また、去年と同じようでいて、違いがあって、それは最初の写真からわかる。舞台にミシュランのキャラクターのような着ぐるみが登場した。名前は橋月渡(はしづきわたる)とのことで、豆撒きが始まるまでの間、舞台の奥にその名前を記した紙が貼られていた。どういうゲストかと誰もが思ったであろう。このキャラクターは筆者が思うところ、「満月」の擬人化であろう。背中には茶色の橋が首付近から尻まで取りつけられているが、橋であることを知らせるにはそうするしかなかったと見える。ゴジラの背中にもヒレがついているが、それよりもっと異様で、橋のキャラクターが難しかったことがわかる。この着ぐるみの中に天龍寺の修業僧が入っているとすれば面白い。禅僧も現代の流行に合わせる必要がある。この着ぐるみの向かって右は管長、左は嵯峨の市会議員、その左は天龍寺前の商店街の会長だ。豆は商店街が用意したのだろう。着ぐるみもそうかもしれない。この写真を撮った直後、豆撒きは始まった。家内は舞台の前近くにいて、筆者と同じほど豆の袋をゲットした。ふたり合わせて10袋ほどだ。そう言えばそれを家で撒かなかった。全部腹の中に入ってしまい、鬼も福もやって来るかもしれない。そうそう、今日家内がくれたチョコレートをまぶした金平糖状の粒菓子を包みは金色のきれいなゴム紐と折りたたんだ紙で封印してあった。その紙を広げると、おみくじになっていることがわかった。「大吉」が出た。春めいて来たことも重なって、気分はよい。今日の2枚目の写真は天龍寺と渡月橋の間にある目立たない家で、その扉に節分祭のポスターが貼ってあった。なぜこの写真を撮ったかと言えば、赤が筆者好みの、これ以上は濃い赤はないだろうと言うほどに濃かったからだ。ところが写真ではそれが再現されない。この深くて濃い赤は、昔の和菓子の紙箱の題箋などでよく見かける。どのような顔料を使っているだろうか。半世紀もっと前の駄菓子屋では蛤の貝柄に甘いニッキを塗った菓子が売られていた。それが真っ赤であった気がするが、女の子が口紅代わりに使って遊べることも兼ねていたのだろう。あるいは蛤貝に詰めた深くて濃い赤は、本当に昔の女性の口紅であったかもしれない。その貝殻を茎に串刺ししたみかんの近くに置けば、小鳥のくちばしは口紅を塗ったようになって面白い。