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●嵐山中ノ島復旧、その44(護岸工事、渡月橋上流)
を買って来れば甘酒は簡単に作られるのだろうか。法輪寺で自治会の消防訓練がある時は、それが終わった後で甘酒が振る舞われた。今日は天龍寺で節分祭りがあって、家内と一緒に午後1時半の豆まきに間に合うように出かけた。



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去年は筆者ひとりで出かけたと思う。同じ雰囲気であるので、去年と同じような写真は撮らなかったが、数枚撮ったので、その紹介がてらにいずれ感想を書く。今年の甘酒はふやけた米が湯飲み茶碗の半分ほども残った。注ぐ人がたっぷり気味なのか、それとも甘酒作りの際に米を普通より大量に入れたのだろうか。甘酒の液体は飲み干したのに、ふやけた固形物の米がたくさん残ってそれをどのようにすれば喉に流し込めるのか悪戦苦闘したが、家内は指でほじくり出していた。そうするしかないようだが、筆者は舌を出来る限り伸ばして米を口の中にかき寄せた。そのことは傍目にもわかったようで、家内は行儀が悪いと言ったが、米を残したまま湯飲みを返却すると、それを洗う人が気分よくない。どうにか米を全部食べてからテーブルの上に湯飲みを返却すると、10数個の湯飲みの半分ほどは米がごっそりと残っていた。甘酒と言うより、甘飯だ。午前11時半、午後1時半、3時半の3回豆まきが行なわれるので、無料で振る舞われる甘酒も樽酒も3時半までは残しておかねばならないが、列に並んで樽酒をいただく際に底をちらりと覗くと、深さ10センチほどであった。それではおそらく3時半までにはなくなる。残り福という言葉があるが、出来れば「SHAKE IT UP」の精神で早く動いた方がよい。そう言いながら、筆者は自分を奮い立たせててきぱきと動くことは苦手だ。今日も11時半の部に行くつもりが、ぐずぐずしていて昼過ぎになった。それはさておき、天龍寺に行くからには、また桂川の河川敷の工事がどのように進んでいるのかを撮影することにした。毎年節分頃が最も寒いが、今年もそうで、今日は雪は降らなかったものの、冷たい粉糠雨が降った。だが傘を持参するほどでもない。そのどんよりとした空の様子は今日の写真からわかるだろう。寒空の下、工事に従事する人は大変で、体の芯から冷えるだろう。1,2枚目の写真は中ノ島の最下流部から50メートルほど上流で撮ったが、川の流れに向かってゆるやかな坂になっている護岸工事に焦点を合わせている。以前までは重機があったのに、もうそれも鉄板もない。家庭用の漬物石としては大きい自然石を並べてセメントで固める手作業の工事の真っ最中で、もう残すところは20メートルもないのではないか。2年前の台風18号で破壊されなかった箇所と今回の工事とのつなぎ目は遠目にもわかる。新しいのは白っぽい。1,2枚目ともその接続部は遠くにあって見えないが、撮影しながら思ったことは、塀が除去された暁にはその新旧の接続箇所を撮ってブログに載せることだ。だが、そのことを想像した途端、つまらないことに思えた。先のことがわかっていることは味気ない。とはいえ、誰しも先には今よりもっといい幸福が待っていると漠然と思いながら生きている。筆者にしても同じで、撮り溜めた写真が麹の作用によって甘く発酵することを期待しながら、明日は何について書くかをそれなりに決めている。明日だけではないだろう。このままブログを何年か続けても、どのようなことを書くかはもう自分でもわかっている気がしている。筆者や筆者の周りでは変化はあるはずだが、筆者の内面は変化しない部分が増えて行き、周囲の変とそぐわないことを書くだろう。それが老いということで、誰にでもそれは訪れる。最初の写真の右端に、ベンチに座る70代の男性が写っている。加工の際に誰かわからないように半身を切り取ったが、その人は工事の様子を見るでもなく、じっとしていて、時間を持てあましている風であった。それは筆者の10年後の姿かと思わないでもないが、筆者なら寒い中でじっとしているより、歩くだろう。だが、じっとしているのと歩くのとで、どういう違いがあるかと言えば、ほとんどない。暇であるということでは同じだ。
●嵐山中ノ島復旧、その44(護岸工事、渡月橋上流)_d0053294_1193732.jpg

 暇があるとろくなことを考えないと言われる。一方、忙しいとは心を失うと書くとも言われ、諺はどれも正反対の二通りがある。忙しければ暇がほしいと思い、暇であくびが出るほどであれば何かに夢中になりたいと願う。ジョン・レノンは20代半ばでそのことを思って歌詞に書いたが、若い頃が忙しければ晩年が暇であるのは調和が取れている。暇があって金がないのは悲惨と言われるが、暇潰しをするのにベンチに座ってぼんやりしているのは無料であるし、それが悲惨な姿とは言えない。人それぞれ思うように行動するし、楽しいかそうでないかは他人がとやかく言う問題ではない。だが、健康維持のために、毎日1時間ほど歩くといったことは筆者には出来ない。筆者は歩くことは好きだが、同じ道を健康のことを思ってただ歩くことはいやだ。家の外に出るのは決まって用事があるためで、その用事は今日のような節分祭を見に出かけるついでに河川工事の様子を確認するといった、ほとんどどうでもいいことだが、ただ体の運動になるからという理由からではない。これは一言すれば「物作り」の関心があることだ。つまり、このブログも「物作り」のひとつで、それが暇があってのことで、また無益と知りながらも、書いている時はそれなりに腐心し、その間は暇であることを忘れる。それはさておき、今日の3枚目の写真は、渡月橋から上流を眺めたもので、川底を浚渫しているのがわかる。間近に行って撮ってもよかったが、天龍寺境内に入るには渡月橋から真っ直ぐ北に延びる商店街のバス道を行く方が人も多くて観光客気分になれる。豆撒きが行なわれる法堂前までは、渡月橋北詰めを左すなわち西に折れて川沿いの道を進み、3月に開業する外資系のホテル前を右折して進めば、渡月橋北詰めを北進するのと距離は変わらないから、帰りはその道を歩いてもよいと思いながら、そうはならなかった。そのため、3枚目は角度を変えて間近で撮影出来るかという予想は実らなかったが、遠目にもどういう工事をしているかはだいたいわかる。写真左手に土砂を積み上げているのは、またキャタピラー運搬車でどこかへ運ぶのかもしれないが、堰の少し上流のその付近は夏は鵜飼が行なわれ、川底は深いと聞いたが、そうでもないのだろう。重機が入って土砂を移動させるからには、せいぜい1メートルが限度ではないか。となれば、写真の土砂の積み上げをどのように撤去するのか見物だ。筆者が注目したのはそれよりも写真右端に姿を見せた外資系のホテルだ。3階建てか4階建てか、和風の鉄筋コンクリートのベージュ色の建物が見えている。対岸の嵐山を見るには絶好の位置だが、渡月橋からは変に出っ張って見える。景色として見れば無粋の一言だ。一泊5,6万から10数万円するようだが、前にも書いたように、このホテルが出来るのに合わせて川底の浚渫工事をしているようにも思える。節分祭の帰り、2,3枚目の写真と同じ場所に立ったところ、もうベンチの老人はいなかった。もう少し写真を撮ろうとし、自転車道路沿いを少し下流へと向かったが、取り立てて言うほどの変化はない。それでも写真は3枚撮り、それらをどうしたものかと思いながら、今日は3枚だけにする。そのほかにもこのカテゴリー用の写真は多少たまっている。「嵐山中ノ島復旧」の題名では投稿当日撮った写真を使うことにしているのに、その鉄則が今後は多少崩れる。それはあまり面白くないので、撮りためたものは没にしようとの考えがないでもなく、実際そのようにしていることもあるが、残しておくと麹が発酵して甘酒が出来るように何か面白い投稿になりそうな気もしている。老いて行くと周囲の変化に対応出来なくなるが、それはそれの味があると思えばよい。今日の写真はほとんど予想したとおりでありながら、3枚目はそうではないし、明日はまた違った様子になっているかもしれない。周囲が変化することは自分のそれも実感することだ。それは成長とは違うものの、目先が変わって行くことは、いつでも「SHAKE IT UP」を思い越して自分を奮い立たせる機会に触れていることだ。せいぜい歩き、こうして書くことで頭も使うことだ。
●嵐山中ノ島復旧、その44(護岸工事、渡月橋上流)_d0053294_1195147.jpg

by uuuzen | 2015-02-03 23:59 | ●駅前の変化
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