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●「PRAISE IS WHAT I DO」
者のようにこっそり入り込んで来るのが孤独の思いだろう。それは心に隙があるからと言うのは簡単だが、人間はみんなさびしさを覚える。金がなければなおさらだろう。それで宗教に頼ることも多い。



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貧しい人たちが戦後の日本で新興宗教から大いに勧誘され、入信した。わが家でも毎月熱心にとある新聞を持って勧誘に来た老女がいた。母とどういう関係であったのか知らないが、母は置いて行かれたその新聞を読むことなしに古紙に出していた。その影響でもないが、筆者も母と同様、その新興宗教には何ら関心がないまま現在に至っている。その後その宗教団体は方針を変え、貧しい人ではなく、有名人を誘い込むようになった。死んだ友人Nはその宗教団体を蛇を見るように嫌っていて、選挙の投票に行くのは、その団体と関係のある政党への票をわずかでも減らすためだと言っていた。話のついでに書いておくと、Nがなぜその宗教を嫌悪したかと言えば、10代後半で同棲していた女性がその信者であったからだ。その女性のことは飲むたびに話題になった。そんなある日、梅田地下街を歩いていると、Nは急に顔色が変わった。向こうからかつて同棲した女性がもうひとりの女性とやって来たのだ。午後11時過ぎで、もう人は少なく、筆者はまともにその女性の顔を見ることが出来た。不思議であったのは、その女性はNの顔も見たはずなのに、全く眉ひとつ動かずことなく、脇を通り過ぎた。その途端筆者の左にいたNは地べたに座り込んでしまった。どういう理由で別れたのかは知らないが、宗教と関係があったようだ。それがNにその女性とその宗教の双方を嫌悪させることになった。それはさておき、ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が突っ込んで始まったような今世紀は宗教の戦いの時代と言われた。一時それは当たっていないとされたのに、イスラム国の活動は全世界を揺るがし、日本もそれに巻き込まれつつある様子だ。このブログで何年も前に筆者は書いたことがある。日本の各地にイスラムのモスクが出来ている夢を見たのだ。鳥居もあればモスクもあり、宗教何でもありの日本になっていて、それはそれで面白いのではないかと書いた。今もその思いは変わらない。だが、日本のそのような八百万の神崇拝主義のような態度は絶対を尊ぶイスラム圏では認められないかもしれない。イスラムの神を日本の神や仏と一緒にするなとどやされそうだ。だが、宗教は根づく地域や国によって特色を変えるのは普遍的なことで、どのような宗教でもそのことから逃れられない。日本にイスラムの信者が増えると、日本独自のイスラム一派のような宗教になるに決まっている。そうなればなったで、また同じ宗教間で言い争いが生まれるのは必至で、宗教などない方がいいと言う人がある。筆者は無宗教だが、宗教は否定しない。貧乏人は金持ちより心細いから、精神的に頼るものとして宗教がより必要と思うが、では金持ちは毎日好きなことをして退屈を知らず、孤独とは一生無縁かと言えば、そんな単純には割り切れない。金のあるなしにかかわらず、人は絶対的な何かにすがりたくなる。そのため、世界から貧困が一掃されたところで、宗教が不要になることはあり得ない。イスラム国が日本の人質解放に多額の金を要求して来たことは面白い。面白いと言えば語弊があるが、宗教も金だなと思わせたからだ。宗教が貧しい人たちのものであるとすれば、金の話が出て来るのはおかしい気がするが、昔から宗教は金と密接に関係している。地獄の沙汰も金次第であるからには、神を拝むにも当然金を出さねばならない。結局イスラム国が信ずる宗教も同じことで、宗教の戦いである世界は、金のぶん取り合戦でもある。最初に書いた日本の新興宗教団体もまさにそれで、また金が集まる宗教であるから信者が増える。
 イスラム国に対して日本のアニメ・オタクがおちょくったメールを送信しているらしい。そのことで思い出したのは、ザッパが自作アルバムにアラブ人のような格好の顔写真を使ったことだ。ザッパはイスラムを風刺する意味があったのではないが、今のイスラム国はそのように受け取るかもしれない。フランスの風刺雑誌がイスラムを侮辱したとのことで、イスラム圏では反発の運動が起こった。キリスト教国家がキリストを風刺するのはまだしも、さして理解もしていないイスラムの神を普通の人と同じであるかのように描くのは悪趣味で、表現の自由を言ってもイスラムに通じないことがあり得ることを事前に自覚すべきではないか。大人はあまり知らないことには触れないのがよい。知ったかぶりはみっともない。ザッパはイスラムに関してどう思っていたのか知らないが、自分が成人するまで信仰していたカトリックには批判的であった。その信仰はイタリア移民としてはごく当然で、また物心つく前からそのように育てられていたから、大人になって理性で考えて拒否したところで、骨の髄にまでカトリックのなにがしかの部分は染みついている。それはさておき、ザッパの『自伝』には福音主義派のワールド・チャーチという教会に誘われて出かけたことの感想が書かれている。60年代前半、ザッパが20代前半の頃だ。その文章を読むと、そこで体験したことが最晩年のザッパのステージに大いに影響していることがわかる。それはワールド・チャーチをおちょくっているのではない。その教会で繰り広げられた音と光による信者への感化の手法が、音楽の演奏のひとつの手法として利用出来ることを知ったのだ。ザッパは印象深い経験を無駄にすることはなかった。嫌悪する相手であっても、その本質を見定め、利用出来るものはすくい取った。それでワールド・チャーチそのものに関してザッパは貧しい人たちが催眠術にかけられたように次々と財布からなけなしの金を差し出す様子を観察し、自分は入信はしなかった。その文章には、貧しい人たちへの同情がある一方、そうした人たちが陶酔し、生活の苦しさを忘れたかがっていることを冷静に見つめる眼差しが感じられ、また金を吸い上げる主宰者たちが悪者とも書いていない。むしろ、そのように人を一時でも幸福にさせ、しかも金も入る宗教に大いに興味を抱き、自分で興すことも考えた。それは音楽家、演奏家という形で実現したも同然で、ザッパのステージは、ザッパ教信者の礼拝の場であったと言える。さて、話を最初に書いた日本の新興宗教に戻すと、京都に来てしばらくした筆者は同じ宗教の信者親子から熱心に誘われたことがある。そこで知ったのは、集まりに音楽が演奏されていることであった。みんなでフォーク・ソングなどを歌うのだが、それは前述したワールド・チャーチではもっと重視されていた。重視どころか、ほとんど音楽演奏団体と言ってよい。『自伝』のイラストからは、ワールド・チャーチは黒人主導であることがわかる。黒人の教会は合唱を伴うゴスペルがつきもので、その伝統の中から偉大な黒人ミュージシャンが今なお出て来ている。このカテゴリーに以前アレサ・フランクリンを取り上げたが、彼女もゴスペル・シンガーから出発した。筆者は割合ゴスペルが好きだが、その理由は、黒人女性の声が白人のそれより、聴いていてとても落ち着くからだ。何年か前に文通が途絶えたドイツ人のマーティンは、最後近い手紙と一緒に数枚のCDを送って来た。ザッパの音楽を聴くのは恋人と別れたこともあって、もう聴くのがしんどいと言うのだ。数枚のCDは全部黒人女性シンガーのもので、彼はその声にとても癒されると書いていた。そんなものかなと当時は思ったが、最近そのことがよくわかる気がする。理屈ではなしに、黒人女性の歌声は気持ちがよい。母の声のようなと言えばいいか、耳触りではないのだ。ザッパもそう思っていたに違いない。それで黒人女性シンガーをよく雇った。
 アメリカのキリスト教に関してザッパはいろいろと文句があって、しばしば作品のネタにした。簡単に言えば政教分離を徹底しろということだが、これが難しい。日本も同じだ。イスラム国ではもっとで、政教分離がない。最初に書いた日本の新興宗教もそうだが、うまく国民の意見をかわしながら安定している。宗教が政治とつながり、一方で金を必要とすると、本来の信仰とは関係のない生臭い話が当然出て来る。それはひとまず置いて、ワールド・チャーチでは貧しい人が集まりながら、金を差し出したのは、法悦が得られたからと言ってよい。音と光による感動だ。人を感動させるのは難しい。ワールド・チャーチではよほど演奏やまた式の運びのうまいひとたちが運営していたのだろう。あるいはそうでなくても、そのような団体は広いアメリカではたくさんあるはずで、教会はいかにして多くの信者を集めるかを日夜考えている。つまり、ワールド・チャーチは今はないとしても、その精神は健在で、もっと強力な感動を与える団体があるに違いない。筆者はそこまで関心はないが、今日取り上げる曲はそういう団体の一例になる。YOUTUBEでゴスペルをあれこれ聴いていて、印象に残ったのが今日の曲で、2枚組CDの2枚目の最後に入っている。続いて演奏されるリプライズ・ヴァージョンを合わせれば16分もある。「SHAKE IT UP」(急げ)の表現を使った「SHEKINAH GLORY MINISTRY」という黒人丸わかりの演奏者集団で、「VALLEY KINGDOM MINISTRIES INTERNATIONAL」という教会に付属している。この教会はイリノイ州に2箇所あって、EASTとWESTと名づけられているが、まるで6,70年代にロック会場となったフィルモアの命名だ。筆者が所有するCDは「A LIVE WORSHIP EXPERIENCE」との副題がついていて、この自信どおりの内容となっている。つまり、教会に足を運ぶ前に、このCDを聴けば、どういう礼拝が行われるかわかるというもので、CD2枚は最初から順に聴くと、徐々に法悦の絶頂に導かれる選曲と編集になっている。それは見事なもので、アメリカのキリスト教の一派がこのように音楽を巧みに操って信者を集めるのかと、舌を巻かせられる。今日取り上げる曲はアルバムの題名にもなっているが、ほかにもベスト・アルバムを初め数種のアルバムを発表している。本曲はかなり有名らしく、ほかの団体による演奏もYOUTUBEでは見ることが出来るし、またそっちの方も感動的な演奏で、並みのプロでは適わない熱気を発散している。この団体の演奏を聴くと、宗教団体と言うより、プロのゴスペル演奏集団で、その才能に目をつけた人物たちが教会に引っ張り込んだような気がして来る。それは反対で、ゴスペル集団が有名になりたいために教会と手を組んだかもしれないが、筆者にはどっちでもよい。驚くのは、このCDが優れたエンターテインメントであると同時に、宗教的法悦がどのようにすれば音楽で引き起こすことが出来るかを熟知している団体があることを伝えてくれることだ。アメリカの黒人社会の音楽とのつながりの深さと言えばよいか、グレゴリオ聖歌やそれに連なる宗教曲とは全く違う方法で、現在の事情に即した、わかりやすい音楽を提供している。わかりやすいと書けば、安っぽい感動と思われそうだが、そうではない。先に書いたように、巷に溢れるポップスには足元に及ばない演奏能力がある。それは単に歌や楽器の演奏、またアルバムとしての起承転結や、各曲の1秒ごとの緻密な計算と編集が優れているといったことだけに留まらず、神を信じているという自信に由来する真摯さと言えばよい。
 YOUTUBEでこの曲に添えられた公式映像を見ると、警察に追われる青年がこの演奏団体の教会に訪れ、頭を垂れる場面がある。いかにも教会の宣伝らしく、また日本の宗教ではそのような映像はまず宣伝に使わないから、アメリカ社会の深刻さを見る気分だが、今後の日本の新興宗教が若者を勧誘する際に参考にするかもしれない。おそらくそうだろう。その映像で筆者が思ったのは、先に書いたザッパが訪れたワールド・チャーチの様子だ。その粗末な会場では黒人やフィリピン人、日本人、メキシカンなどの貧しい人たちが集まっていた。いつの世でも同じような境遇の人はいる。そしてそういう人たちの心を救う教会は必要だ。そのひとつの担い手が今日の曲を歌う集団が所属する教会で、昔のように牧師が言葉巧みに説教を垂れるということはしない。それよりも音楽に次ぐ音楽で、2時間近くをひとつの壮大なゴスペル交響曲と言ってよいドラマに仕立てている。うまい具合に1枚目と2枚目のCDの最後に長大でまた名曲が収録されていて、そのコンセプト・アルバムぶりは、完璧という言葉を使うのがふさわしいほどによく出来ている。宗教というだけで拒否反応を示す人が日本では多いと思うが、本CDを聴くと、アメリカのキリスト教の一派の現在がわかる。黒人音楽はアメリカ音楽に欠かせない要素を生み続けて来た。それからすれば本CDは2002年の発売であるので、一時代前の音だが、宗教音楽も時代の流行を取り入れねばならないとの考えに筆者は賛成で、貧しさゆえに犯罪に手を染める黒人青年を教会に招くには、古風な音楽ではもう無理だ。そういうことを熟知し、なおかつ純粋な感動を与えるにはどのような曲をどのように編曲してどう歌うかといった、作曲家と演奏家の優れた才能が欠かせないが、本CDはそこを見事に押さえていて、アメリカのゴスペルの懐の大きさといったことを感じる。思えばジョージ・ハリスンの「マイ・スイート・ロード」もゴスペルで、本曲はそういうポップスの伝統上にさらに黒人が一体となればどのような演奏が出来るかを示したものだ。本曲の歌詞は、題名「わたしのすることは賛美」から想像出来るように、「マイ・スイート・ロード」の歌詞と似たようなもので、本CDはどの曲も父たる神を讃え、そして教会に来いと誘う。先に書いたザッパがアラブ人に扮した衣装でジャケット写真に収まるアルバムは、本CDと同じ2枚組で、しかも筆者には構成の運びなど、内容的に似た部分が多いと思う。違いはザッパは音楽を宗教の神に捧げなかったことで、その点で言えば、本CDはその分、強みを持っていると言える。先日家内はTVで音楽は麻薬と同じ陶酔感を喚起するということを知った。筆者は毎日音楽を聴き、また陶酔出来る曲を求めているが、今日の曲を大音量で聴くと、麻薬の快感とはこういうものかという瞬間が訪れる。だが筆者は教会には行かない。
by uuuzen | 2015-01-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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