薫と香がどう違うかが気になって今調べると、前者は草がんむりがついているので、草の香りの意味を含む。どちらもいい意味で使う。
「臭い香り」という表現はあまり見かけたことがないが、小学生の頃に遠足で出かけた先で堆肥の臭いが漂うと、「田舎の香水」とみんなで言い合ったことがある。いい香りであっても、強過ぎると拒否感が生まれるので、香りは微かであるのがよい。前に書いたことがあるが、散歩中にたまに出会う70代の女性がいて、彼女は10年ほど前までは筆者に笑顔で挨拶をしていたのに、その後はぷつりと素知らぬ顔をする。筆者は相手の名前を知らないが、相手もそうだろう。2年ほど前からか、彼女と擦れ違うのがひとつの恐怖になっている。匂いに敏感ではない筆者でも強烈な安物の香水ないし化粧品の臭さを匂わされるからだ。それが本当に強烈で、一度に一瓶ほど使っているのではないかと思ってしまう。彼女はそのことに気づいていないのだろう。ひどい口臭よりましかもしれないが、わずかに使えばいい香りでも、大量に使うと臭気以外の何物でもなくなる。香水はもともとそういう性質を持っているらしい。筆者は香水やその類の香料を買ったことがなく、また自分では身につけたことがない。無味無臭、無味乾燥がいいと思っているから、このブログの副題も「六味感想」の文字を含んでいるが、それはいいとして、無味無臭は実際はあり得ないだろう。そう自分で思っているだけで、嗅覚が発達した犬ならば、どれほど風呂で体を洗っても、人の体臭を嗅ぎ分けるに違いない。それは汗の臭いで、人間は生きている限り、あるいは死ねば死臭というものがあるが、ともかく臭いから逃れることが出来ない。それでその体臭を少しでも和らげる意味合いもあって植物のいい香りを抽出し、それを香水として身に振りかけることを編み出した。つまり、置き換えのごまかしだ。体臭が強いのは肉食の欧米人であろうが、彼らが香水をつけると、体臭に混じった匂いを発散する。そのことをおおよそ見越して香水のブレンドはなされているのではないだろうか。汗の臭いに香水が混じってより複雑でしかもいい香りが漂うのが一番で、それはその人の個性となる。同じ香水を使いながら、人によって体臭が異なるから、当然そうなるだろう。もともと体臭があまりない清潔な人では香水は不要と思うが、お洒落のつもりで使用する人はいるし、そうした人は個性を他者に感じさせるよりも、香水の香りそのものを伝えてその香水の宣伝効果に一役買う。またそういうことを香水メーカーは狙って香水の香りを強くして来た傾向があるのではないかと、勝手なことを想像する。TVドラマでたまに使っている香水を言い当て、その香水が高級かつ有名品であることから、使っている人も言い当てた人も自分たちが選良の人間であることを自覚し、自惚れることになる。つまり、有名で高級な香水を使うのは金持ちであり、またお洒落であり、知識と教養が深いとみなされやすい。そう考えると、香水に興味がない筆者はやはりド庶民を自覚する。香水に無関心なのは男性であるからとも言えそうだが、男性の髭剃りや洗顔用の化粧品に香料は含まれているから、男性が無味無臭を最適と思っているとは限らない。筆者もいつもらったのか忘れたが、高級な洗顔用クリーム石鹸といったものを持っているし、それを使って髭を剃ると気持ちがよい。よい香りは人を和やかな気にさせる。加齢臭というものが高齢になるにしたがって多く発散させるとのことで、筆者もこれからは香料がよく利いた石鹸その他を使わないことには、無臭の体を維持することは不可能だ。
去年12月下旬、たぶん青龍殿を見に行った同じ日に今日取り上げる展覧会を京都駅ビルで見た。ルネ・ラリックの展覧会は毎年どこかで開催されているだろう。ガラス作家と言えばまずアール・ヌーヴォーのエミール・ガレが有名だが、ラリックはそれに次ぐと言ってよい。活躍した時代もそうで、ラリックはアール・デコが流行した時代の寵児であった。だが、その作品は工場での量産品とのイメージが強く、またそのために作品はガレよりはるかにたくさん残っていて、安価であるはずで、その分どうしてもガレより芸術性は一段低いとみなされて来ていると言ってよい。ガレの展覧会があれば、そのおまけのような形でラリックのものが出品されることが多かったように思う。それが今回はラリックの個展で、また香水瓶のおおよそ作品を絞っての展示で、女性向きと言える。そのため、わざわざ見る必要は感じなかったが、1日バス乗車券で出かけるからにはついでに見るのが便利であるし、またラリックの個展を見るのは初めてではないかと思ったこともあって出かけた。展示作品の大半は長野諏訪の北澤美術館の所蔵で、チラシによれば同館は世界有数のガラス・コレクションを誇るとのことで、今調べると、このブログでは
『ガレとドーム』と題して去年1月に展覧会の感想を書いている。今回は「香水瓶に焦点をあて、化粧小物やアクセサリー、パフュームランプと共に展示。ドレスやファッション・プレートと合わせて約160点」とチラシ裏面にあり、小さな香水瓶だけでは場が持たなかったことがわかる。ラリックの香水瓶がすべて網羅されていたのかどうか知らないが、たぶんそうではないだろうか。というのは、わずかに形や色違いのものがあって、そういう別ヴァージョンを収集しているところ、基本となるものは全部集め、また今回展示されたと思う。工場での量産品であれば全部集めるのは難しくないだろう。1点ずつはさほど高価なものではないはずで、また欧米のオークションでは誰かのまとまった蒐集がたまに市場に出ることがあるだろう。そういう機会を抑えれば、また購入資金に問題がなければ10年や20年でかなりのコレクションが出来る。話は少し脱線する。去年12月14日に郷玩文化の会の例会に参加し、ある人の大正時代に大阪で作って頒布された1枚ものの「宝船図」の膨大なコレクションを見ることが出来た。木版画によるそうした宝船図は江戸時代から流行し、それが大正時代の大阪の粋人の間では、自作したものを交換して収集するブームが起こった。そういうものはネット・オークションでもよく出品され、安い場合は1枚2000円前後で買えるので、集めている人はたくさんいると思うが、例会で説明した人によれば、1枚ずつ入手すると、それがいつどこで誰によって作られたものかまずわからない。それでは蒐集の意味がない。系統立てて調べるには、頒布会の会員と、またその会がいつどこでどのような規模で開催されたを知らねばならない。筆者が興味深かったのは、その人の膨大な蒐集は、誰かが蒐集していたものをまとめて入手することで築き上げて来たことだ。先人の努力と運と資力によって作られたコレクションを引き継ぐのも、努力と運と資力が必要だが、蛇の道は蛇で、熱心に願っていると必ず大きな機会に恵まれる。コレクションというのはそのようにして築かれて行くが、そうしたコレクターの集めたものはまた誰かが同じように引き継ぐのはまだ運がいい方で、大半は散逸してしまう。そう考えると、北澤美術館は世界で有数のガラス作品を集めるという信念のもと、おそらく現在も集め続けているはずで、またその資金として役立つのが、本展などの展覧会への貸し出しだろう。これは、ある程度立派なコレクションが出来ると、後は自然に作品は集まり、それどころか、それらの収集品が新たな利益を生む。もちろんそこには美を愛する心がまず必要だが、それだけでは駄目で、集めた作品をどう展示公開して金儲けをするかの実質的な考えと行動が欠かせない。そういう意味では芸術に詳しくない人でもきれいだと思うような作品を集めるのがよく、比較的安価なガラスはその点では最適と言える。
ラリックの名を初めて知ったのはいつだろう。20歳頃か、自動車の飾りとなるヘッド・マスコットのデザインもしたと言うことを本で知り、さすが欧米の車はお洒落で違うと思った。それは動物を象った場合がほとんどで、ガラスの彫刻と言えるが、車体に差し込んだ下部から灯りを発すると、像全体が光るもので、ランプの一種と言ってよい。ガラスは光とつながって美しさを発揮する。あるいは容器の場合は、透明ガラスにして中の液体の色を透過させる。ラリックの香水瓶は無色透明が多いのは、香水の色と合わさっての効果を考えたからで、それも透過する光あっての美だ。エミール・ガレの作品は日本の版画からデザインを引用するなど、写実的なものが目立つが、時代の流行は留まることがない。第一次大戦はガレの古風とも言える装飾過剰のデザインは流行遅れとなり、もっと機能的なデザインが求められるようになるが、それはまず女性のファッションに表われた。衣服が変わるとそれにつける装飾も変わる。ラリックは最初は宝飾のデザイナーで、その腕前で名声を博するが、時代の激変によって飽きられ、次第に転身を図ることをよぎなくされて行く。ガラスに手を染めるのは大戦前のことで、有名な香水会社からの香水瓶のデザインの依頼を受けてからだが、宝飾のデザインをしていたことがガラス瓶のデザインに活用された。チケットに印刷されている赤い葡萄の房のようなものが左右対称に両脇に垂れた大きな蓋を持った瓶は、ラリックの香水瓶の代表的な形と言ってよく、瓶の中身の倍ほどもある大きな蓋を特徴としている。その蓋は女性が頭につけるティアラからの発想で、宝飾に手を染めていなければ思いつかないデザインだろう。その蓋に見られるとように、ラリックの香水瓶は蓋の形にこだわったものが目立つ。実用性からはそのような大きな蓋は不要だが、中の香水を取り出すごとにその大きな蓋に触れるから、使い手にとっては豪華な気分に浸れる。それに小さな蓋のように失くしてしまう心配もない。ところが、時代はそういう贅沢さえも認めないという方向に流れて行き、20年代半ばにはもっと機能的で、また安価に製造出来るものが作られるようになる。その代表は今回展示された1924年に「真夜中」という名前の香水瓶で、球体の胴に球体の小さな蓋という素っ気なさだが、胴も蓋も群青色で、また胴は星型の小さな透明窓が散らばっていて、そこから中身の減り具合がわかる。簡素な形となっても香水瓶に夢や詩情を与えたいとの思いは欠かさなかったラリックで、またそういう時代の変化に対応出来る才能でもあった。洒落たデザインの香水瓶はあたりまえのように思うが、その端緒をラリックが切り開いたことを知っておくのに本展はいい機会であった。それは、宝飾デザインで培った人体や動植物の造形が自由自在にこなせたという才能があってのことで、写生をどう装飾に活用するかの術をよく知っていた。同じ才能は日本でもあったが、ラリックはガラス工場を作ってそこで量産するという、化学的な知識や経済的な才能にも恵まれていた。また時代はちょうど大量生産を迎え、その気運にうまく乗れたということだ。大量生産はそれから100年後の今も変わらずで、ラリックの香水瓶のデザインは現在のデザイナーに着想を与え続けているだろう。
筆者は香水に関心がないので知らないが、ラリック的な瓶で思い出すのは母が使っていた化粧品の瓶だ。それは昭和30年代半ばまでの頃で、筆者は母がいない間にそれらの瓶を興味深く眺めた。その時の凸凹したガラスの感触、中の緑の透き通った液体の揺れ、丸い蓋や細長くてくびれた胴など、もろラリックとは言わないが、確かに欧米の影響を受けた形で、大人の女性ならではの美の装いの世界を感じた。そこからもっとその世界に踏み込んでいると、筆者は女装趣味を持ったに違いないが、そこまではならなかった。ただし、近所の数歳年長の兄さんは美女のイラストをマスカラや口紅、頬紅などの化粧品で描いたものを筆者に見せてくれ、またその化粧品を多少は顔につけていた。ともかく、ラリックは知らなくても、間接的に彼の造形を日本の化粧品の瓶から感じ取っていて、本展に並ぶ香水瓶からは昭和レトロに通じる雰囲気を嗅いだ気分だ。特異な形の瓶と言えば、男は洋酒のそれを真っ先に想起する。多才なラリックでもそれには手を染めなかったと思うが、ウィスキーやブランデーの瓶に凝るというのは、日本は欧米以上のデザイン力を発揮しているのではないだろうか。岡本太郎にもデザインさせたほどで、日本では香水瓶以上にウィスキー瓶に優れた形が多いように思う。ただし、そこにはラリックの影響はないかもしれない。香水瓶は多くはウィスキー瓶よりはるかに小型だ。製造するのに香水は酒の何倍も高価で、中身を収める胴部分が小さいほどに、蓋を大きくする必要があるだろう。もっとも、そうとは限らない多様性が許されるのが香水瓶で、胴と蓋との関係によってそのデザインの多様性はウィスキー瓶より大きいと言える。実際、ウィスキーの瓶は胴は凝ったものがたくさんあるのに、そういう胴についている蓋はどれもただの栓に過ぎない。そして胴があるのに栓が失われている場合が多く、ウィスキー瓶は香水瓶のように収集の対称にはなりにくいだろう。香水は調合して造られるし、ウィスキーも同じなので、ウィスキーの瓶も化学の実験器具のように素っ気ないものが日本では3,40年前に生まれたことがあるが、先のラリックの「真夜中」と比べると、香水と同じように香りのあるウィスキーではあるが、飲むのが一番で、飲み干せば瓶は不要との考えが湧き、かくてウィスキーの瓶のデザインは買われるまでが命といった身も蓋もない話を前提に考えられる。その点、香水瓶は化粧台などに鎮座し、見ても嗅いでも麗しいという愛玩物であって、芸術性がより求められる。そのためにも日本でラリックの作品をたくさん集めて展示する美術館がいくつもある。そしてそれらの施設はみな1990年代以降の設立で、日本の豊かさの分岐点を見る思いがする。本展は会場を暗くし、瓶だけに照明を当てて光を透過させていた。その雰囲気は洒落たバーの内部と同じで、筆者は香水瓶から洋酒の瓶やカクテルを注いだグラスを連想した。美酒を傾けながら、隣りにわずかに香水の香りを漂わせる美女を侍らす場所はどの大都市にもあるが、そんな場所で酔うのは、去年死んだやしきたかじんのように金の心配のない者に許される。洋酒好きの筆者ではあるが、香水の匂いを嗅ぎながら飲めば悪酔いすると屁理屈を言って、家でたまに飲むことに満足している。