嘲るよりも呆れる人が多いだろう。昨日の最初に載せた写真は戎神社で舞妓さんが福笹を授けている様子で、一昨日の同じ部屋を撮ったものでは巫女さんが神楽に合わせて授与する笹の前で舞うところを撮った。

筆者はこの巫女舞いを見るのが好きで、くるくると回るのが華やかで気持ちがよい。その舞いは毎年見ているが、舞妓さんが笹を買う客に手わたすところは今年初めて見かけたと思う。あるいは今年初めての奉仕出演かもしれず、それで素人カメラマンがたくさん撮り巻いていたのだろう。拡声器を持った警備員がそんなカメラマンを移動させようと何度も注意していたが、誰も場所を譲らない。筆者は巫女舞いを撮ったのでもういいかと思いながら、舞妓さんの福笹授与は珍しいので、それを撮ろうと粘った。そしてどうにか人の隙間から撮影したのが昨日の1枚だ。それはいいとして、四条大橋を越えて南座の前を通り過ぎようとした時、狭い歩道が一方通行になっていないから、大勢の人にもみくしゃにされながら進んだ。その時、不意に目の前に黄緑地の振袖を着た背の高い舞妓が現われた。その顔がスティーヴ・ヴァイ風で、誰が見ても男だ。口紅を塗り、帯は舞妓と同じだらりにして、襟ぐりも大きく、また首筋から背中にかけて白く塗られていた。その白さが中途半端に見えたのは肌の色が白くないからだ。女装趣味の男性がいるのは誰でも知っているが、舞妓の姿で南座の前を歩くということは、大勢の人の注目を浴びたいからだ。だが舞妓に見えるのはキモノだけで、背も顔もまるで男であるから、外国人はどのような思いで見るだろう。筆者は最初に書いたようにただ呆れたが、擦れ違い様に振り返って白く塗られたうなじを見た時、なかなか苦労して化けているなと思った。その苦労は認めてあげたい。女装趣味の中年男性がまだ正月気分の抜け切らない頃に大勢の人の眼を浴びたいと考え、思い切り女に化けようとするのは、いじらしいと言うべき行為だろう。だが、完全な女性になりたいのであれば、それがかなわないのであるから、その贋舞妓姿には悲哀が漂い、また男丸出しであるだけに滑稽さも感じる。早い話がグロテスクだ。だが、筆者の今年の年賀状の切り絵の図案に書いたように、去年はオーストラリアで生まれて6年間、一度も毛が刈り取られない羊が発見され、その動く映像を見ると、あまりのグロテスクさと滑稽さに度胆を抜かれた。「美」は「羊」と「大」の組み合わせで、その6年ものの毛を持つ羊は「美」の化身と言える。そして、美とはグロテスクで滑稽ということになるが、それを中年男が化ける贋舞妓に当てはめると、彼の姿は美しいことになる。戎神社で福笹を売る舞妓は確かに京都の本物の舞妓そのものであったが、さして印象に残らない。それよりはるかに強烈であったのは、南座の前、正確に言えばその前に出る直前の八坂寄りの狭い歩道で擦れ違った贋舞妓だ。その男性は自分の舞妓姿に自信があり、美しいと思っているから堂々と人が多い時間帯を狙って練り歩いているのだろう。美の基準は人それぞれで、自分が美しいと思ったことに陶酔すればよい。ある人にはゴミに見えるものでも別の人には宝に見える。淀川のゴミを拾い集め、それをただ大きな板にびっしりと貼りつけただけのものがなぜ現代芸術作品とされ、国立の美術館に展示されるのか理解出来ない人は多いだろう。だが、ゴミも見方を変えれば深い意味を持ち、人生や世の中の真実を伝える。中年男の贋舞妓もそのように見ることは出来る。

さて、今日は十ゑびすの写真は載せないので、題名と内容がそぐわないが、以上の第1段落は残り福を求めて11日に出かけた、正確に言えば戎神社に向かうまでに出会った贋舞妓について書いた。それはゑべっさんの残り福と言うほどには正直なところありがたいものではないが、ブログのネタになった点ではまあそう言える。それで今日の題名は予定を変更して「十日ゑびすの残り福、その3」とする。ただし、括弧書きで「美しくなろう!」としておく。これはもちろん
9日の投稿を意識してのことだが、贋舞妓の気持ちをおもんぱかって「ゴミになろう!」ではなく、その反対を書いておく。昨日書いたように、11日は摩利支天を参った後、松原橋をわたって河原町松原のバス停で京都駅を待った。橋の上で3,4分立ち止まって観察し、写真を撮ったが、今日の1,2枚目がそれだ。最初の写真は鴨川の上流を向いた3枚横つながりのパノラマで、2枚目は橋の西詰め近くで撮った。日曜日であるので工事は休みだ。護岸をきれいに造り直していて、これが2年前の台風18号の際の洪水による被害の修復かどうかはわからない。たぶんそうだろう。桂川だけが被害を受けたとは考えられない。京都市内は西は桂川、東は鴨川(正しくは賀茂川)が最も幅が広く、水量も多い。家内に聞いたことがあるが、大雨が降ると、鴨川の支流の地下を走る京阪電車の地下構内は雨漏りがするそうだ。川を暗渠にし、その下を電車が走っているので、いかにしっかり工事をしたとはいえ、天井の上に水が流れているからにはその侵入は長年の間に完全に防ぐことは無理だ。鴨川は桂川と違って街中を流れている。そのため、完全に流れを統制する必要は桂川以上だ。これは桂川よりも自然が少ないということで、鴨川は護岸が整然とし過ぎて筆者はあまり好きになれない。2枚目の写真はその護岸を修復中で、花見小路通りの石畳のようにきれいな石組を見せて京都らしくしようとしている。桂川では無粋なテトラポットが渡月橋の1キロ下流の大きく蛇行する箇所では姿を見せるが、今出川通りより南の鴨川は直線で、そんな工事の必要はない。河川敷をカップルなどが歩いたり座ったりするので、護岸は見栄えがよくなければならない。そのことは2枚目の写真からわかる。だが、カップルが歩くのは四条通りをせいぜい100メートルほど南までで、松原橋は四条大橋辺りの風情はない。それを四条大橋からもっともっと南まで散策してほしいという思いもあって、護岸工事が行なわれているのかもしれない。四条大橋から団栗橋、そして松原橋に至る右岸が、なぜ風情が欠けるかと言えば、その範囲は江戸時代は糞尿を溜め込み、舟に載せる場所であったからではないか。明治時代に入ってもまだそんな状態であったと思うが、場所の雰囲気は100年や200年では変わらない。ましてや京都ではなおさらで、過去にどのように使われて来たかという記憶が残り続ける。埋め立てた新地でなければまずそうだ。それはともかく、川をきれいにすることはいいことだ。今日は郵便局近くの自治会長としばらく話したが、自治会内を流れる小川にゴミが毎年よく溜まり、それを自治会で秋に除去するのが面倒だという話が出た。筆者は自治会内の川をきれいにしたい思いはわかるが、川を管理し、また毎年春にゴミ掃除をしてくれる団体に相談し、秋もやってほしいと頼む方がいいと意見した。川は浅いとはいえ、水が流れているし、またゴミは集めると切りがない。危険でもあるし、清掃の義務はないから、役所に任せるというのが筆者の考えだ。また、自治会としてやるべきことは、清掃よりもゴミを捨てないことだ。毎年春に大掃除をするのに秋になると大量のゴミが溜まるというのは、上流の家がゴミ捨て場代わりに平気でゴミを流すからで、筆者はその姿をしばしばい目撃する。そんな常識外れのことをするのはいつも高齢者で、しかも大きな家の住民が多い。金も家柄もあるはずなのに、心の中はゴミ溜め同然で、下流の住民が困ろうと知ったことではないと考えている。そういう連中を啓蒙する、あるいは逮捕するのが先決で、なぜそんな連中が汚した川を自治会長が率先して清掃しなければならないのか。壊れた自転車や大きなブロックなど、ありとあらゆるゴミが川底に溜まっていて、その間をたまに干上がった時に白鷺やセグロセキレイが餌を漁るために飛来する。美しい京都と全国的、世界的に定評があるらしいが、現実はとんでもない。汚れてはきれいにする人がいるために、どうにかゴミの街にならずに済んでいる。今日の3枚目はちょうど1年前頃で、岡崎の疏水だ。上流を大きな土嚢で堰き止めで川底を浚っているようで、台風18号の被害があったためかとも想像するが、そうではなく、長年のゴミが溜まっていたからではないか。とにかく、川にゴミを捨てて内心嘲笑うようなゴミ野郎にはなるな!