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●京都嵐山花灯路、その3の続き
り抜いた丸い穴から顔を見せた写真を去年9月に見た展覧会『ノスタルジー&ファンタジー 現代美術の想像力とその源泉』で最後にあった作品「LET‘S BECOME GARBAGE!(ゴミになろう!)」で撮って以降、同様の顔出し看板があるたびに家内に丸い穴に顔を嵌めさせて撮ることにしている。



●京都嵐山花灯路、その3の続き_d0053294_101150.jpg普通そんなことをして喜ぶのは義務教育までの子どもだろう。家内も筆者もそういう子ども並みということだ。去年初めての試みだと思うが、嵐山花灯路でその顔出し看板が渡月橋のすぐ近くにあった。それを撮ったのが今日の最初の写真だ。それを撮った直後、向かって左の穴に家内の顔を出させてもう1枚撮った。それを投稿しようかとも思ったが、さして面白い仕上がりではない。それに家内がそれを見れば消せとうるさいだろう。それでふたつの丸い穴が真っ黒に写っている最初に撮った方を使う。この看板を作るのにさほど大きな手間は要しないだろう。花灯路にやって来た人に気軽に使ってもらって記念としてほしいという考えで、金も労力もさほどかけずに新しい演出を提供したということで企画者、製作者の双方は悦に入っているかもしれない。だが筆者がこの看板を撮影した理由は、先に書いたように、昨秋美術館でもっとおおがかりで美術作品で同様のことを楽しんだからで、またその作品の素晴らしさを示すには陳腐な仕上がりのものを見せるのもよいと考えたからだ。つまり、10年目の花灯路で登場したこの顔出し看板が大いに気に入ったのではなく、その逆と言ってよい。描かれるのは花灯路の主役と言ってよい、道沿いの各家の前に置かれる小型の行燈だ。だがそれは即座にわかるというより、よく考えればそうだなといった具合で、また行燈のカップルを擬人化しているのはいいとしても、絵としての内容、仕上がりが、わざわざ撮影したいと思わせる魅力が皆無だ。実際この看板で記念撮影しているカップルは見かけなかった。照明を当てて明るくし、また目立つ場所に置いてあるので、大勢の人に注目され、利用されるべきなのに、肝心の魅力がない。まず行燈をキャラクターにしているのが仕方ないこととはいえ、あまりに地味だ。行燈を使いながら、子どもでもすぐにわかり、しかも「ゆるキャラ」を創造出来ないものか。今や「ゆるキャラ」は全盛時代で、花灯路をもっと活性化させるにはそれを登場させるのがよい。1体でいいので、それをこの顔出し看板のそばに配置させる。そのアルバイト料の捻出も難しいというのだろうか。せっかく嵯峨芸大が参加しているというのに、魅力ある「ゆるキャラ」ひとつ作り出せないでは情けない話だ。こうして批判を書くと、来年は出現するかもしれない。顔出し看板も大幅に改良すべきで、顔を覗かせずとも写真を撮りたくなるような絵にしてほしい。ともかく、最初の写真は撮りたくて撮ったのではなく、いやいやながらシャッターを押し、いやいやながら投稿に使うもので、それほどにつまらない作品だ。この看板ひとつ見ただけで花灯路がつまらないものであることを、多少なりとも美的センスの持ち主は看破する。撮影しながら筆者が気にかけたのは、向かって左の丸い穴の奥に覗く渡月橋南端に接続する石の欄干だ。それがあることで渡月橋のすぐそばであることがわかる。
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 筆者は渡月橋の南方に住んでいる。誰でも自分が住むところを中心と思うが、渡月橋南方は背後に嵐山が迫り、嵯峨野とは違って住宅用の土地がきわめて少ない。嵯峨野は田舎だが、渡月橋南の西京区も田舎で、しかも人口が少ない分、さらに田舎じみている。つまり、嵯峨野側から見れば、世界の果てといった気がするだろう。ところが筆者はそうは感じずに、中ノ島公園や嵐山公園を川向こうの嵯峨野より開けていて、表側と思い込んでいる。それはそれでいいのだが、花灯路に際して改めて西京区側を思い浮かべると、きわめて殺風景で、嵯峨野の住民がまずこちらに橋をわたってやって来ないことを感じる。現実問題としてきっとそのはずで、西京区側の住民は筆者のように花灯路の全貌をいつか知ろうと考え、去年はついに嵯峨野まで行った。だが嵯峨野の住民は嵯峨野だけで大いに満足で、渡月橋を南に越えて阪急嵐山駅前まで行こうと考える人はまずいない。そのことだけでも花灯路の中心は嵯峨野であって西京区側ではないと言える。そしてその陰陽の関係にある西京区の嵐山地区と右京区の嵯峨野地区を対比させると、嵐山公園に設置される嵯峨芸大の学生が作った紡錘形の大型小型の行燈や、また顔出し看板は、花灯路の脇役に過ぎないと思えてならない。嵯峨芸大は右京区にある。彼らは渡月橋を南にわたって広々とした公園内に自作の行燈を並べる時、きっと遠征気分があると思う。嵯峨野から見れば嵐山地区は陰で、そういうところに行燈を設置するのは喜びに満ちた行為とは思えないだろう。そういう負の思いが微妙に紡錘形の行燈には漂っている気がする。これが渡月橋北の天龍寺前を使っていいとなれば、学生の頑張りは倍増どころか、何倍にもなって、もっと迫力ある、そして芸術的なものが生まれるのではないか。夜間は天龍寺前は寺としても用がないのであるから、学生の作品設置を許可してもいいと思うが、京都市が寺に頼みにくいのだろう。それに日中はどこかに移動させねばならないとなると、その労力がない。それでいわばどうでもいい嵐山公園が設置場所になる。かなり辛辣なことを書いているが、昨日の投稿で触れた花灯路についての最初の投稿でも悪口ばかりを連ねたような気がする。文句を言うのは簡単だが、人知れず作業をする人たちがあって、多くの人がわざわざ寒い嵐山、嵯峨野にやって来る。人を呼ぶのは大変なことだ。それはこうしたブログでもわかる。金目当てでやっているのではないから訪問者が少なくても仕方ないと諦めがつくが、花灯路はたくさんの人に来てもらってお金を使ってもらうという大前提がある。そのために費用も出しましょうということで、やって来る人が皆無に近ければ継続は出来ない。そのため、関係者は必死で、いいところも指摘しておかねばならない。ここで「だが」と書けば、がっくり来る人が多いと思うが、先ほど本年初めて「風風の湯」のサウナ室で40分近く話した大覚寺北に住むOさんと花灯路の話になったところ、Oさんは否定的な意見であった。まず嵯峨野の美しさは夜では駄目で、行燈などの照明で道を照らすとしても、嵯峨野らしい風情を感じてもらえなければ意味がないとのことだ。筆者と同じ考えと言ってよい。神戸のルミナリエのような派手なイルミネーションでは嵐山や嵯峨野にそぐわず、せいぜい行燈を数メートルから10数メートル間隔に据え置くしかなく、またそうしたわずかな照明で夜の嵯峨野がはたして美しいかとなると、見えるのは行燈の灯りばかりで、嵯峨野を歩いている気分にどれだけなれるかは疑わしい。いっそのこと、普段どおりの真っ暗な嵯峨野を肝試し的に散歩してもらう企画の方が面白いかもしれない。それでは不審者と紛らわしく、地元住民から反対に遭うはずで、結局現在の高さ50センチ程度の円柱形の行燈が妥当ということになる。
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 さてその円柱形の行燈の写真は撮っていない。最初の顔出し看板で充分想像出来る。今日の2枚目は2年前の12月17日の満月の夜に撮ったもので、1枚だけ載せる場所がなくて没状態になっていた。それを復活させるのは去年同じように照明が当たる嵐山を撮らなかったからで、なぜ撮らなかったかと言えば、2枚目の写真のように色が多くてきれいではなかったからだ。毎年同じ人が同じ場所に同じ照明を設置し、同じ角度で嵐山を照らすかと言えば、毎年差がある。そして去年は2年前よりはるかに色合いが悪く、光度も低かった。そんな写真を撮るより、残しておいた1枚を使う方がいいと思ったのだ。また批判を書いてしまったが、本当の思いであるから仕方がない。去年の嵐山の光り具合は昨日の4枚目の写真の左手奥に多少見えている。それと今日の2枚目を比較するのは見えている部分も違うので無茶だが、嵐山公園内の学生が製作した紡錘形の行燈を見た後は、渡月橋南詰めに自然に導かれ、そして橋をわたりながら嵐山に目をやると、今日の2枚目のような幻想的な嵐山が左手に見えるということを示すために、また昨日と今日の投稿が写真で連続していることをわかってもらうためには、2年前の没写真をここで使うのは効果的と判断する。どうせ載せるのであれば、きれいな写真の方がいいではないか。とはいえ、2枚目があまりきれいではないので2年前の12月のムーンゴッタの投稿には使わなかった。渡月橋を北にわたって嵯峨野地区に入ると、真っ直ぐ北に両側に店が並ぶ。だいたいJRの線路までだが、どの店も金持ちの匂いがし、また京都らしさもあるので、訪れたひとは旅行気分になれるだろう。筆者は街中の商店街が好きなので、天龍寺前の商店街が夜間に営業しているところを花灯路で初めて存分に味わい、家内が言うように観光客気分を味わった。京都は寺町や新京極という最も繁華な通りでも夜8時にはもう店が閉じられ始め、閑散とする。ましてや嵯峨野の冬場であれば午後6時にはもうどの店も閉じて真っ暗になる。それが花灯路の期間中は毎日ではないだろうが、大勢の人が来るとなれば大半の店は営業を2時間延長するか、あるいはそうした店に合わせて閉店してはいるものの、内部を明るくしたままで、どこかの温泉街のようなわびしさがどこかに混じった雰囲気を漂わせる。それが風情というもので、花灯路は行燈を並べた暗い道を歩くだけが目的ではなく、天龍寺前の商店街が珍しくも2時間営業を延長して灯を外に洩らしている様子を眺めることも得難い味わいだ。天龍寺前を越えて100メートルほどか、竹林へと向かう左折する小路がある。そこを行くのが花灯路の順路であり、また花灯路がメインとするのはその竹林のライトアップだ。その写真を3,4枚目に載せるが、押すな押すなの大混雑で、4枚目は下の暗がりはすべて人の頭だ。撮影場所は、前方が大河内山荘で、写真奥に向かって上り坂になっている。竹林が照らされるだけではなく、全行程の3か所ほどに大がかりな生け花が展示してあった。何流か覚えていないが、嵯峨野らしい演出として生け花をというのは理解出来る。堀川を使った「京の七夕」の催しでも生け花はあったが、「京の七夕」より花灯路は何年も先に始まった。夜間のライトアップで観光客誘致を図るのは阪神大震災後の神戸のルミナリエからと言っていいが、大阪城のライトアップは筆者が小学生の頃にはすでにあったから、今や日本中がイルミネーションで賑やかなことの最初は戦後すぐくらいに原点があるだろう。それを言えば大正時代にすでに電飾が楽しまれていたから、人間は夜も賑やかなことが好きというほかない。
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 もう少し続ける。そのため、没にしようと思っていた残り1枚も使う。5枚目も竹林だ。右下の黒く見えるものは全部人だ。人また人で、竹林がこれほど混雑するのは花灯路以外にはないだろう。撮影位置は4枚目を撮って150メートル進んだところで、T字路の交点だ。そこからTの縦棒を見ている。4枚目とは向い合う形で、写真奥は下り坂だ。筆者の立ち位置の背後が大河内山荘だ。山荘に入って行く人があったような気がするので、花灯路に賛同して夜も内部を見ることが出来たのかもしれない。山荘に向かって左手に行くと、さびしい公園を過ぎて桂川を臨むところに出る。そこは花灯路の順路ではないが、そっちに歩いて行く人もいた。大半は山荘の入り口前を北に進んでいて、筆者らもそれにしたがった。途中臨時で甘酒を売る店や、また高そうな店の前では若い女性が声をかけて客引きをしていた。トロッコ列車の駅を過ぎ、常寂光寺や落柿舎に向かい、さらに二尊院までも花灯路は続くが、筆者らは落柿舎前の畑を見ながら天龍寺前の商店街に続く道を歩いた。JRの線路より少し北に出て来るが、商店街の道に立てばいつも嵯峨野の竹林はごくわずかという気がする。実際そのとおりで、広大な国土で暮らす外国人にすれば箱庭を歩いた気分だろう。商店街に出て左すなわち北に進むと清涼寺に向かうが、その道沿いには行燈は置かれていない。順路は右すなわち南となっていて、みんなその方向を辿るが、竹林では混雑していたのがもうかなりまばらになって歩きやすい。そしてそのことが祭りの終わったさびしさを感じさせる。寒さが手伝ってなおさらだ。渡月橋に向かって真っ直ぐに歩くと、まだ店は開いていたが、午後8時が花灯路の終わりであるから、閉店の準備をしている店が目立ち、また閉まっている店もある。JRの線路を越えてすぐ左手に赤まんまという喫茶店がある。筆者が京都に出て来た2,3年前に開店したと思うが、少しずつ改築しながらまだ最初の頃のたたずまいを残している。家内が言うには、30数年前に筆者はその店に入るたびにココアを頼んだらしい。そのことは記憶になかったが、そう言われてみるとそうだったなと思い出す。なぜココアを頼んだかという理由まで家内は言った。赤銅の容器がココアの色に似合っていることが気に入っていたらしい。珍しくないカップだが、同じものを買わずに今まで来た。赤まんまでは今でもココアを同じ容器で提供しているだろうか。店はまだ開いていたので入ってもよかったが、昔のように喫茶店で話すこともない。20分かからずに家に帰れるし、家で飲めばうんと安い。それは夢のない話だが、それだけ老けたということだ。久しぶりに赤まんまの前に立ってメニューを見ると、思ったより高くない。表の格子から店の内部が多少見えるのがその店の特徴で、その昔筆者が座った場所はまだ雰囲気はそのままのようであった。そして店は何度も白と赤のペンキが塗り変えられて古びた様子が全くない。メニューの前に立って店の写真を撮り、それに店内からこちらを見つめるように筆者の顔を格子枠のひとつに嵌め込むと、奇妙な夢のような合成写真が出来る。そんなことを思いながら渡月橋に向かった。
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by uuuzen | 2015-01-09 23:59 | ●新・嵐山だより
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