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●京都嵐山花灯路、その3
し方がないと見るか、進展があると見るか、昨日今日はそのことを考えた。他人にはどうでもいいことだが、このブログの右欄にある「以前の記事/カテゴリー/リンク」はエキサイト・ブログのメモ帳という欄で毎月編集を更新している。



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毎月、その月を表わすアルファベットの1字ずつを加えることで、わずか1字増えるだけだが、メモ帳のHTMLでは数十字を使ってリンクを張る。そのメモ帳は容量が無限に近いほど大きいと今まで思っていたが、「2015」と1月の「j」を新たに大晦日に記入すると、容量が足りないので更新出来ないと警告文が出た。それで各年度を灰色で表示していたものを外し、どうにか今年いっぱいは月の表示を加え続けることが出来るようになった。その代わり、各年度は灰色から黒色になった。そのことに誰も気づいていないはずだが、裏方は人知れず苦労していることが多い。それはともかく、今の調子では来年には月のアルファベットを加えることが出来なくなる。そこで考えたのは、新たな表記だ。実はそれを早速作っているが、何しろ10年に及ぼうとしている投稿であるから、新たにそれらを一目瞭然に示すための画面を作るには休みなしで作業しても10日はかかる。また細かい文字を見つめ続けるので、1日数時間がせいぜいで、ゆっくりやろうと思っている。それはさておいて、最初の投稿から順に見て行く作業を続けていると、とっくに忘れていることを再発見して面白く、すでに10年前に今投稿していることの大半は提示していたと思える。つまり、ほとんど変化のないことを飽きもせずにやっている。これは同じ人間がやるので致し方がないと言えるが、変化がないようでいて、進展が多少はあるので、成長を続けていると肯定的に思うことも出来る。さて、家内と先月21日の夜に嵐山の花灯路を見に出かけたが、家内はずっと働きに出ていたので、それが毎年開催されるようになって以来、一度もまともに見たことがなかった。初めて嵯峨野の竹藪が両側に広がる小径を歩いて旅行気分になれたと言ったが、地元に住んでいるのに10年目にしてようやく夫婦でそのほぼ全貌と経験した。写真も多少撮ったのに、年末はほかの話題を投稿し続け、感想を書く機会を逸した。没にしようかと思いつつ、今日は自治会のFさん宅で1時間ほど話していると、去年の花灯路の案内書が目の前にあって、筆者は花灯路のことを思い出した。それと、昨日今日は前述の新たな全投稿を記す画面を作成中で、花灯路について早くも2005年12月19日に投稿していることに気がついた。その年から始まって去年で10回目であった。2005年の投稿を読み返していないが、写真は載せておらず、おそらくまともに見に行かなかったのであろう。また最初は現在のように大がかりでなかったはずだ。それでも10年続けるとそれなりに世間に知られるし、また何をどこにどのように展示するかについては枠組みが出来上がって、準備は迅速に行なわれるだろう。ただし、筆者のブログと同じで、変化はほんの少しずつで、大きな変化はよほどのことがない限り生じない。それは、年々訪れる人が増加している現状ではまず期待出来ない。去年どおりでも大勢の人が来るのであれば、知恵を絞って新たなことをする必要がない。いつか飽きられて客足が減少に向かい始めると、大規模な変革をするだろうが、京都という土地ではまずそれはめったにない。
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 先ほど調べると、「京都嵐山花灯路、アゲイン」と題して5年後の2010年12月26日に投稿している。その時も阪急嵐山駅の円形階段上の小学生が描いた行燈の列の写真を載せただけで、渡月橋や嵯峨まで行って撮っていなかったようだ。だが、嵯峨野の竹林が照明で明るく映える写真を使ったパンフレットの表紙を載せていて、嵯峨野まで行ってみたいとは思ったのだろう。その後どうしたかと言えば、もう2年前になるが、12月12日に渡月橋付近の公園内に設置された嵯峨芸術大学の学生が作った大型行燈を撮影したが、その写真をブログに使うことはなかった。いい写真でもないからだ。またその日、それらの写真を撮ったのは、同じ年の3か月ほど前に大型の台風18号がやって来て、すっかりその公園内の細かい砂利を流し去り、それが元どおりにきれいになった状態も併せて記録しておこうと思ったからだ。つまり、あまり花灯路には関心がなかった。だが、その5日後の17日には渡月橋まで出かけた。当日は満月で、それを橋の付近で撮りたかったのだ。それはせっかく花灯路が開催されているのであるから、嵐山が幻想的な照明が当てられているのを間近で見ておこうと思ったからでもある。また実際にその写真を何枚か満月とともに撮って載せた。つまり、嵐山花灯路に関しては2年前の12月に二度投稿したのも同然だが、12日に撮った写真は没状態になった。それで先月はようやく家内と一緒に、しかも初めて嵯峨野まで足を延ばした。今日はそのことについて書くが、前述の没写真から3枚を選び、それに先月撮った1枚を加える。その理由は、去年と同じ形の学生が作った行燈が同じように同じ場所に立てられたことを示すためでもある。初めて花灯路を訪れる人はそのことに気づかない。まだ毎年訪れる人は少数派のはずで、またそもそもやって来る人の数は今年はかなり目立ったが、2年前は渡月橋は閑散としていて、照らされる嵐山を左岸にひとりで立って眺め、撮影したほどだ。それは17日という、まだ始まって間もない頃であったからかもしれない。先月は21日に訪れ、クリスマス直前の日曜日ということで、若いカップルが渡月橋から天龍寺前、そして嵯峨野に至るまでびっしりといて、渡月橋は上流側と下流側の歩道は一方通行になっていた。去年と比べると格段の人気だろう。10年目にしてようやく認知度が高まった。また中国や韓国からの観光客も多く混じっていたはずで、裏方である花灯路の運営委員会は胸を撫で下ろしたであろう。それで今日は10年目の花灯路について書くが、写真が多いので明日との二回に分ける。
●京都嵐山花灯路、その3_d0053294_1151746.jpg 花灯路に関して嵯峨芸術大学が寄与し始めたのは第1回目からだが、行燈を製作するようになったのはいつからだろう。竹を編んで作ったもので、紙を貼り替えれば数年は持つ。また、雨天を考えて紙ではなく、不織布かもしれないが、この行燈が普段は学校の南東にまとめて横たえられていて、置き場所に困っているように見える。最初に作った学生はもう社会人になっているし、後輩は先輩が作ったものに不織布を貼り替えるだけで、作業は楽になっているかもしれない。最初にアイデアを出し、それを実行する者は大変だ。それを踏襲するのは楽で、ある時それを変革しようとすると、反対意見が絶対に出る。せっかく何年も歴史があって、客が増えているのに、何を変革する必要があるのかというかんがえだ。だが、芸術大学ではないか。例年同じことをするのは創造に反する。毎年斬新なことをしてあたりまえで、それがそうなっていないのは大学としての質が疑われる。そこには致し方のない理由があるかもしれない。Fさんと以前話したが、学生が行燈を作って設置するための費用はどこが負担するのか。京都市や商工会議所が出資するのだろうか。材料費程度は出るかもしれないが、そうなると労力は無料で、学生はアルバイトをした方がましとばかりに、そっぽを向くだろう。そういう大学の事情は伝わって来ない。嵐山公園内の花灯路の見世物と言えば、この行燈が見物で、それを除けば殺風景だ。ほかに代わるイルミネーションを設置するとして、それを誰がデザインして金を出すかだ。学生の行燈はいかにも手作り感があって、それはそれで捨て難く、神戸が同じ時期に毎年やるルミナリエのような大がかりなものをやる必要はないだろう。何と言っても嵐山を照らしているし、渡月橋もあって、街中同然の華やかな照明は不要だ。それを見たければ河原町に出ればよい。たぶんそのような意見によって、毎年同じ紡錘形の大型小型の行燈があちこちに立つ。行燈であるから、表面に絵や文字を書くが、これが筆者にはかなりおそまつに見える。裏方は人知れず苦労しているとしても、中学生ではなく、専門の学生であるから、もっと芸術的な驚きをもたらすものにしてほしい。そういう才能はあるはずだが、発揮されていないとすれば、やはり金の問題か。金がふんだんにあれば全国的に公募して優れた作品を選べばよい。そうすれば知名度は一気に10倍、100倍になる。残念ながらその経費を捻出出来ないのだろう。審査するとなると、そのための人を呼ばねばならず、有名人を起用すると、とんでもない費用がかかる。そこで、可能な限り金を使わず、電気代も地元負担でやろうということだ。それは大勢の人が来てもそれに対応出来る店も人手もないという理由もある。観光客が激減する12月にどうにかしてそれを増やしたいという願いが花灯路の発端で、店を経営しない人にとっては大勢の人は迷惑だけと言ってもよい。そのため、関係者は賑わってほしいが、騒々しくしてもらっては困るという二律背反の思いがある。昼間では花もなく、ただただ寒くてさびしい場所なので、夜の灯りの花を見てほしいというところから花灯路という言葉が生まれた。その夜の花が連なる道を歩いたことは明日書く。
●京都嵐山花灯路、その3_d0053294_1152970.jpg

by uuuzen | 2015-01-08 23:59 | ●新・嵐山だより
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