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●『王(ワン)家の家族たち』
合いの取れた相手と一緒になることを親は望む。それを家柄と言うが、それをどう考えるかは人によって違う。蕪村はひとり嫁いだ一人娘を家に戻すが、相手が金儲けしか興味のない男と知ったからだ。



娘が肩身の狭い思いをするのが忍びなかったと相手は思ったであろうが、蕪村にすれば金持ちであっても金のことしか頭にない男とは話が通じないと考えた。だが当時蕪村は名が知られていたとはいえ、一部の知識人や好事家だけであって、金儲けしか念頭にない人物は人を金が多いか少ないかで見るから、蕪村のことを屁とも思わなかったであろう。今でも事情は変わらない。むしろより拝金主義が蔓延して、芸に生きてさして金のない人物など、無用の存在と考えることがあたりまえであろう。今日取り上げる韓国ドラマは家内が見ている横で、見たり見なかったりで、熱心に全50話を見たのではないが、全体に漫画をドラマ化したようなドタバタ喜劇で、風刺もよく利いていて実にわかりやすく、また毎回笑わせてくれた。風刺というのは、ごく普通の人たちの正直とも言える態度をどぎつく描いていることだ。それは一口で言えば裕福であることを自慢したいし、裕福であり続けることを望むことだ。だが、そのことがあまりに過ぎると、人生の歯車が狂い始めた時に奈落の底に一気に落ちて行く。金持ちが破産してホームレスになることは日本でもいくらでもあることだろう。韓国では日本以上に貧富の差が大きいのかどうか知らないが、ドラマを見る限りではそうだ。どのドラマでも大金持ちと貧しい家庭の両方が登場し、前者は決まって1階の応接フロアが豪華なソファなどが置かれて裕福ぶりを誇示する。それがどのドラマでもほとんど同じといってよいほどの広さと飾り立てで、韓国ではそういう応接室を持つことがみんなの夢になっているのだろう。一方、貧しい家庭は描くほどのこともない。壁紙はしわくちゃで汚れているし、せいぜい2間程度しかない。豪邸に暮らすのは財閥や会社経営の社長や重役クラスで、決まって子どもを留学させ、何ひとつ不自由のない暮らしをしている。そういう家庭で育った子が貧しい家の子と出会うはずがないし、また出会っても恋愛が生じる可能性はゼロに等しいのが現実だが、それを言ってしまえば身も蓋もないので、韓国ドラマではどういかして貧しい家の若者が金持ちと結婚するというシンデレラ物語を組み立てる。そこに韓国の深刻な経済事情があるが、もはやそういう非現実的な夢物語は飽き飽きしているのではないだろうか。もっと現在の実情に合わせた内容のものを見たい。そういう要望があるはずで、本作はその点では大金持ちは登場はするが、冷ややかな人物として描かれ、全体の物語の中では添え物的な扱いだ。出会いのない大金持ちの話はもう一般庶民は飽きている。そこで題名の「王家」は父が中学の教頭先生で、四女までもうけた後、ようやく息子を得たという家族で、ほかにその妻と高齢の実母の7人だ。4人の娘は長女スバクはミス・コリアに出たこともある美貌の持ち主で、37歳との設定だ。スバクは最初の子にありがちな、甘やかされて育ち、裕福であることを当然と思って生きている。そういう娘がかわいくてたまらないのが母のアングムで、長女が金持ちであることが近所やつき合いのある馴染みへの大きな自慢で、喫茶店での集まりの会には長女に新車を運転させ、店の横に停車させ、みんなに裕福であることを誇示するのが趣味といった、どこにでもいる平凡で調子のよい女だ。そういう女性が教頭と結婚するかと言えば、現実にはそういうことはいくらでもあるだろう。夫が真面目に働いているのに、妻は長女自慢に余念がなく、恵まれた経済力を鼻にかけている。ところがそういう家庭はいつまでも同じ状態を保てるはずがないというのが本作の内容で、長女の愚かな行動によってついには家を失ってしまう。それを風刺と見るか、韓国では毎日のようにどこかで起こっている現実のモデルを提示しているだけと見るかだが、そのどちらの見方も正しいだろう。
 筆者は前者として見た。では教頭の家族がなぜドン底に落ちて行くことを描く必要があるか。もっと恵まれない大多数の国民の溜飲を下げさせるためにTV局はいじわるな見方をしたのか。長女のスバクの育て方を間違ったことに父は内心気づいているが、わが子かわいさのため、いつも大目に見たい気持ちはある。長女が昔の恋人とよりを戻し、その挙句に家の権利書まで巻き上げられても、なお父は娘を見捨てない。だが、最終回近くになってついに父は長女の夫ミンジュンの隠された真実を知るに及び、娘の醜態を夫に謝罪する。スバクが裕福であるのは、両親が良縁を望んだからで、それは現実的だ。人柄がよく、将来性もある男を夫にした。それが両親の自慢であり、王家の誇りでもある。ところが会社の経営者でもそれがいつまでもそうとは限らない。本作はそのことを描く。そこに現在の韓国の厳しい社会を見るが、本作を身につまされる思いで見る人は少なくないのでないか。スバクは夫ミンジュンが社長であることが空気のように当然と思って生活しているが、ミンジュンは実は会社が倒産し、職を失っていた。そのことを妻やその家族になかなか言い出せないまま、宅配の業務に就く。そのことを全く知らないスバクやその母は相変わらず呑気に生きているが、やがてそのことを知ると王家の具合が急変する。夫婦でも金の切れ目は縁の切れ目で、スバクや母は夫をなじるなど、ひどい接し方をするようになる。そうなればますます夫の気持ちは離れる。結局離婚するが、最後の最後までミンジュンはスバクのそういう性質をなじることもなく、出来れば子どものためもあるので離婚は避けたいと思っていた。ところがスバクは金のある過去の男と親しくなり、その男の甘い話に乗れば経済的に挽回出来ると愚かなことを考える。ミンジュンの労働は苛酷で、ソウルの貧しい山手に品物を届けに行く場面が何度も映るが、よく失態を犯す。スーツを着て仕事していた者がある日を境にそういう肉体労働をしなければならない。だがそういう仕事でもあるだけましだ。ミンジュンは歯を食いしばって必死に頑張る。本作で唯一まともな人物がミンジュンで、それほど立派な男を王家は長女の夫に迎えることが出来たのは不思議なようだが、ミンジュンは田舎出身でごく普通の、また裕福ではない父親を持っている。その父親はミンジュンを立派に育てたということで、それも韓国のみならず、どの国でもよくあることだ。つまり、本作は平均的な人たちの生活を描き、そこが高視聴率を獲得した理由だろう。さて、スバクとミンジュンはついに離婚してしまうが、ミンジュンはまた求められて社長に復帰する。人生はわからないもので、そういうこともあるだろう。スバクとその母はミンジュンの不甲斐なさを罵っていたのに、また社長になると知って掌を返す。そのあまりの調子よさは最初から描かれていたが、そういう態度を見せられてもミンジュンは怒ることはない。それはドラマとしての誇張だが、現実にそのような優しい人物はあるだろう。ところで、本作にはこまっしゃくれた子役の少女がひとり登場する。彼女ミホは母スンジョンとふたり暮らしで、王家の長男である15歳のデバクにぞっこんだ。スンジョンは影のある女性で、ミンジュンは宅配の仕事をしているある日に彼女を見かける。ふたりはかつて恋人同士であったが、理由があって別れた。そのふたりが次第にまた親しくなる。それはスバクがミンジュンに対して冷淡になった行くことに比例する。大きな家を引き払って王家に転がり込んだミンジュンとスバクであり、ミンジュンにすれば居たたまれない。浮気ではないが、傍目にはミンジュンがスンジョンと一緒にいるところはそう見える。スバクやその両親は特にそうだ。実際はスバクがミンジュンの面倒を一切看ないことに端を発したことなのだが、ミンジュンとスバクが離婚したのはスンジョンのせいだとスバクや両親は詰め寄る。だが、ミホの父はミンジュンであることをミンジュンはようやく知り、またスバクや両親もそのことを悟ってスバクとの復縁を諦める。また離婚の理由はスバクの浮気で、長女が昔の悪い男と浮気していたことを父は知ってミンジュンに謝る。結局金と地位を失ったミンジュンを冷たく扱ったスバクやその母親が一番の愚か者で、本作を見る者は、働き盛りの夫の苦労をもっと自覚し、落ちぶれても優しく接するのがまた夫の浮上に役立つことを信じろということだ。ミンジュンは結婚したかったスンジョンと出会い、いわば古巣に戻る形でふたりは結婚するだろうが、スバクがどうなるかと言えば、最終回で描かれていたように心を入れ替え、再出発をする。
 以上スバクとミンジュンの関係のみを書いたが、本作はとても複雑に出来ている。それは残り3人の娘と15歳の長男がいるから当然で、本作では特に二女ホバクと三女グァンバクの暮らしに多くの時間が割かれる。どちらも大笑いさせられるのだが、それは夫とのことに関してだ。ホバクはスバクに似ず、とても堅実な性格をしている。簡単に言えば倹約家だ。そのことを母は快く思っておらず、常にスバクの味方をする。同じ子どもであるのに長女のみかわいいというのは、よくあることだろう。最初の子であるからという理由と、羽振りがよいためだ。ホバクは貯金に余念がなく、捨てられている衣服でもまだ着られると思えば持って帰る性格だ。そういうところを母が嫌うのはわかる。スバクならブランド物を次々に買う。ホバクがなぜそこまでして金を貯めたがるのかわからない。それほどに母アングムは金の苦労をしたことがない。ホバクは共働きで、また有能だが、夫はちゃらんぽらんの遊び人で、ろくな仕事に就かない。あるいは就けない。そこにも現在の韓国の深刻な就職難が描かれている。妻が有能であるからなおさら夫に家計の自覚がないとも言える。この夫セダルを演じるのはオ・マンソクで、『ぶどう畑のあの男』などでその優れた演技はよく知られる。本作では遊び人を徹底的に演じ切り、実像も同じではないかと思わせるほどだ。そういう調子者がなぜ二女の夫になったかだが、教頭とその妻は二女の結婚にはさして関心がなかったのだろう。これも得てしてあることだ。セダルが起用されたのは、そのお調子者ぶりを満開に見せてほしいという監督の思惑だろう。セダルは糟糠の妻と言ってよいホバクがいるのに、あるいはそうであるからか、知人の紹介で雇われた先でその会社の社長の妻と懇意になり、秘書として昇格する。つまり若い燕として気に入られる。そして使い放題のカードを手渡され、高価な車やスーツなど、生活が一変してド派手になる。セダルはホバクにその事実を伝えながら、相手が女性であることは言わない。さんざんセダルはその女性の腰ぎんちゃくになって遊び呆け、ついにホダルと別れる寸前まで行くが、最初から予想されたように、単なる若い燕のひとりに過ぎなかったセダルは飽きられた玩具のように捨てられる。パンツ1枚の姿で外に放り出され、結局帰る当てはホバクの家しかない。そうそう、ホバクはこつこつと貯めた金でついに家を買うが、そのことにスバクや母は冷淡で、引っ越し祝いに駆けつけない。それどころか、スバクの夫が宅配をして苦労しているのに、それに当てつけるように家を買うとは何事かとなじられる。これも現実にはよくありそうだ。経済的に困っているスバクに少しは用立てるのが姉妹であるはずという母の考えもわからないではない。だがホバクにすれば自分は母からかまってもらえないので、自分のことは自分でどうにかするという癖が子どもの頃から身についたのだろう。そういう健気な子にセダルのような遊び人がつくというのも現実的だ。三女のグァンバクは初めて見る顔だが、お茶目と言うか、はちゃめちゃと言おうか。本作では最も漫画的なキャラクターで、その恋愛から結婚に焦点が当てられる。三女は父から期待され、同じ教職の道を歩んだが、どうしてやりたいことがあって退職する。やりたい仕事は小説を書くことだ。その非現実的なことを夢想し、行動してしまうところもまたグァンバク世代にはよくあることだろう。彼女は29歳の設定で、結婚するにはぎりぎりというところで、本人もそれを自覚しているのか、相手を見つける。そのサンナムという男は重機を運転する仕事で、確か中学までしか出ていない。学歴のないことは、韓国では特に男としては致命的で、良家の娘との出会いもなければ結婚など不可能に近い。だがサンナムは堅実な男で、父の跡を継いで家業を盛り立てている。その父とグァンバクはドラマが始まってすぐにひょんな出会いがある。それは父にとっては失礼千万なことで、グァンバクは最初からサンナムとの結婚はあまりに障害が多いことが示される。最後は結婚に漕ぎつけるが、それまでの間に繰り広げられるドラマはスバクとミンジュンの話が深刻なことと正反対で、現実にはあり得ないドタバタ喜劇となっている。またそういう雰囲気にぴったりなグァンバクの顔と演技で、本作では一番目立っていたかもしれない。
 王家の主である教頭を演じるのは韓国ドラマをそれなりに見たことのある人なら誰でも知っているチャン・ヨンで、本作では61歳との設定だ。彼が教頭であることは妻の自慢であり、また一家の大黒柱だが、ある日をもって退職することを告げられる。そのことを家族に言わずに掃除夫となって働きに出る場面がある。そこで思ったのは退職金や失業保険などが日本とどう違うのかということだ。三女グァンバクが先生を辞めたのはもったいないと思えるが、韓国ではさほどでもないのかもしれない。教職は安定した仕事のはずだが、企業の勤め人のような収入ではないのだろう。また、教頭を辞めれば全くただの人で、61歳となればどのような仕事でも満足しなければならないと見える。それは日本でも同じことだ。彼にはまだ15歳の長男がいるし、高齢の母も同居している。その現実を思えば掃除夫をしてでも収入はほしい。そういう悲哀漂う老いた人生であるのに、長女は離婚、二女もその危機、三女は学歴のない男と結婚したがっているといったように、頭が痛いことが山積している。それが人生であり、母が常に口走るように、「朝鮮戦争の時より苦しい」出来事はこれからも起きるだろう。最終回では20年後であったか、王家の全員が白髪の高齢者になって登場する場面がある。そういう時になってもまたそれなりに苦労があるはずだが、それでも人は生きていかねばならない。金の有無に一喜一憂しながらで、本作ではその部分を女性が担っていて、男はよく働いて金を稼ぐことが家庭円満の秘訣であることを教えそうだが、その考えが古いことは二女のホバクの家庭を見ればわかる。ホバクの母アングムはベテラン女優のキム・ヘスクが演じるが、本作での役どころは『ホジュン』の猟師の妻と似て、お調子者を演じさせると右に出る者がいないのではと思わせる。ホームドラマはベテランが揃うことで視聴率の上昇が決まるだろう。本作が高い人気に支えられたのは、とにかくどの俳優も達者であったことで、それはたとえばサンナムの母で、水商売丸出しのあばずれ女にも言える。彼女はほんの脇役だが、抜群の存在感があって、ほかのドラマに出演してもすぐにわかる。教頭という教育者の家族が、それぞれ釣合いの取れる配偶者を見つけるかと言えば、そうとも言えるし、そうでないとも言える。教育者であるからと言って、子どもがみな真面目とは限らず、またそもそも真面目をどう定義するから人によって違う。どんな家庭でもそれなりの問題を抱え、事情がある。そのことを本作を通じて再認識することで視聴者は自分の現実を少しでも笑い飛ばせることが出来るのであれば、ドラマの効用があるというものだ
by uuuzen | 2015-01-07 23:59 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画


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