称賛すると愛でるは同義ではないが共通する部分がある。「称賛する」の英語はpraiseで、辞書によれば神への称賛という意味で用いられることが多い。自分が手放しで称える絶対的な存在というのは誰にでもあるかと言えば、そうではない。

何にでも懐疑的な人はいるし、そもそも対象に関心がなかったり、あってもその価値がわからなかったりすることは、そうでないことよりはるかに多い。つまり、この世は無関心で出来ている。そうであるから、称賛する対象があることは幸福なことで、幸福になりたいのであれば何かを称えることだ。今日取り上げる展覧会を池田市の逸翁美術館で11月下旬に見た。開館5周年記念で、もうそんなに経つのかと思うが、この5年の間に同館を訪れたのは本展が2回目だと思うが、3回目かもしれない。それはさておき、本展は見たかった。「月を愛でる」という題名がよい。始まったのは10月11日で、今年の仲秋の名月はいつだったのか、それに合わせる意味があったのだろう。本展のチラシが手元にないが、阪急電車の中の吊り広告やチケットには下弦の三日月より少し細い二日月が暗闇に浮かぶ作品が印刷されているが、これは蒔絵の箱で、会場でもらった作品目録のどれに相当するのか今調べているが、たぶん「名月蒔絵色紙箱」だろう。江戸時代の作だ。本展は展示期間を3つに分け、全部で77点が出品された。少し物足りないが、それがよい。8割は阪急文化財団の所蔵品で、これは小林一三が買い集めたものだろう。残り2割は大阪歴史博物館、国立歴史民俗博物館、サントリー美術館、静岡県立美術館、香雪美術館から借りて来られた。6割が書と絵画で、残りの大半が漆芸、わずかに茶碗、硝子、鏡、琵琶などの工芸品が並んだ。会場は3つか4つのコーナーに分けられていたが、目録にはそれが記されない。これは少し不親切だ。月を描いた絵画や美術工芸品ばかりを並べて日本がいかに月を愛でて来たかを概観しようという内容だ。「日を愛でる」とは普通は言わないが、それほどに月はロマンティックで、「愛でる」という言葉によく似合う。本展の副題にある「うつろい」は、月の満ち欠けを意味しているが、本展に並べられた作品は「満月」を題材にしたものとは限らず、むしろそれは少なかった。満月は太陽と紛らわしいからだろうか。太陽と対比する時の月はたいていは三日月で、花王石鹸もそれを商標としたのには月であることを即座に知ってもらうためであったに違いない。二日月や三日月は鋭く冴えた感じがあって、月の代表的な形であろう。イスラム圏ではよく月を国旗にデザインしているが、それらはたいてい三日月で、オスマン・トルコとの戦いに勝ったオーストリアは記念のためにパンを三日月型すなわちクロワサンにして焼いて食べた。イスラムが満月と結びついていたならば、メロンパンが発明されていたかもしれないが、これはサンライズとも呼ばれるから、丸い形のパンは太陽であって月を連想させないという思いが日本では一般的だ。筆者は三日月より満月がいい。月が出ているとほんのり明るいと言われるが、それは満月に限ってのことで、三日月や半月ではそれを実感したことがない。ただし、現代は満月の明るさを感じない人が多いだろう。街灯ははるかに明るく、夜が暗いということは都会では事実ではなくなっている。そのため、ごくたまに夜に停電があると、こんなに真っ暗闇であったかと驚き、そこに神秘さを感じる。LEDによって照明が電気代がはるかに少なくて済み、100年後にはもっと安価になってどの家庭でもイルミネーションで飾り、夜の暗さよりも夜空に点滅する色鮮やかな飾り照明が愛好されるようになるかもしれないが、そのことは近年の大規模なイルミネーションの催しや家庭での飾り立てがすでに実行中で、人々は空を見上げて星屑や月に気を留めなくなっている。先月ハルカスから満月の写真を撮ったが、それと同じくらいに誰もが注目したのは街の無数の灯だ。
本展は月を題材にしている点が珍しいが、出品作品は重文、重美が2点ずつで、一流と呼べる作品は少ない。それが物足りないのでなく、珍しい作品が集められて却って面白かった。名品とされる作品の陰に無数の芸術品があることを改めて知る思いで、日本がいかに美術を愛好して来たかがわかる。過去形で書いたが、出品作は鎌倉、室町、桃山がそれぞれ2,3点ずつで、他の8割が江戸時代、残りが明治、大正だ。戦後の日本は月を題材として作品を作ることが少なくなったかと言えばそうでもないはずで、現代作品を対象にした「月を愛でる」展もあっていいと思うが、前述のように、戦後はネオンその他、夜を照らす照明が発達し、その分、月を愛でることは少なくなった気がする。本展で筆者が最も注目したのは月明かりを想像させる室町時代の絵巻で、全五巻の「芦引絵」のうちの巻二だ。それが全部広げられてはいなかったが、見所は充分であった。これは稚児物語だ。奈良にやって来た若い僧侶が少年と出会い、やがて僧侶は京都に帰るが、少年は僧侶に逢いたい一心で月の明かりを頼りに京都までひとりで歩いて行く。その姿が忘れ難い。稚児物語は鎌倉時代からあったそうだが、僧侶が女性と交わらずに少年を相手にすることは流行したようだ。そういった男色は今でもあるが、絵巻に描かれるほど半ば公然としたものであったことは、男が男を好きになることが異性愛より格が上と見る向きがあったからであろう。以前何かで読んだ次のような戦後の話がある。ある老婆が自分が女性であることを棚に上げ、女は女々しく、男が女を抱くなど、あまり格好いいことではなく、男は美しい男を抱く方が女から見ても感動すべきことだと語った。そういう意識は鎌倉室町時代から脈々と続いて来ているのではないだろうか。男が男と交わることは、生殖を伴わない点では不毛と言えるが、一個の人間は必ず死ぬし、また死ぬからには未練を残さず、潔く死ぬことが格好いいという意識は芽生える。その潔く死ぬことと、子孫を残すことは相容れない。子孫があれば潔く死ねないし、未練が残る。そういう意識からは女と交わることが禁じられているから代わりに男を求めるという消極的な考えは生まれない。常に死を感じていると生は充実する。そういう中で男が男を愛するのであって、先の老婆の意見はそのことを思えば理解出来る。去年だったか、若い男同士の喧嘩が発展して片方が相手を刺し殺した。刺された方は息絶える前に刺した相手にこう言った。「捕まるから逃げて」。その言葉を聞いた刺した男は相手の優しさを瞬時に思い返し、打ちのめされたであろう。これが男女の恋愛であればどうか。刺された女は男に「逃げて」と言うだろうか。そのような話は聞いたことがない。死んでも相手のことを思うという絶対的な愛が男同士の愛にはあるのかもしれない。筆者は男色趣味は全くないし、またわからないが、この世の中に生まれて来て何かひとつ絶対的に確固たるものがあるかとなると、男女の愛だけにそれがあるとは思わない。3日前であったか、TVで日本とフランスの若い女性同士の結婚生活を取り上げた番組があった。フランス女性はぱっと見は男っぽく、宝塚歌劇の男役をする女優を思わせた。ふたりの同性愛はごく自然なものに見え、幸福そうに暮らしている様子に心温まった。彼女らは嫌がらせの言葉を浴びせかけられることがあって、「2000年前だったら殺されている」と言われて恐怖を覚えたことがあるそうだ。同性愛が市民権を得たとはいえ、まだまだ偏見は多い。それは鎌倉や室町時代でも同じであったかどうかだが、絵巻を愉しむ階層では暗黙の了解があって、僧侶の稚児愛は黙認されていたのだろう。この場合の稚児は何歳くらいまでを指すのだろう。「児」と言うからには少年だと思うが、12,3歳までだろうか。筆者が見た絵巻ではそれくらいか10代半ばに思えたが、相手の僧侶は20代であろうか。
ふたりがどのようにして出会うかはいろんな場合があったはずとして、筆者がわからないのは稚児という存在だ。彼にも両親があるから、両親はどうしていたのだろう。あるいは何らかの事情で両親がおらず、貴族に引き取られて育てられていたかもしれない。家事を手伝うために子どもは重要な労働力であったはずで、その中で美しく、また賢い男子はそれなりに気に入られて着飾ることが許されたのだろう。そういう子どもが客としてやって来た僧侶に気に入られることは不思議ではない。とにかく出会いがあって、そこでどういうやり取りが行なわれたかは想像に任せるとして、絵巻では京に戻った僧侶恋しさに稚児が月の照る道をひとりで奈良から歩いて行く。筆者はその道を想像する。歩けば朝には着くだろうが、月明かりが出ていても夜道は心細い。野犬はいるだろうし、追剥も出るかもしれない。その心配をものともせず、逢いたい一心で赴く。出た家の者は稚児がいないことをどう思うだろう。また稚児はその心配をしたはずだが、逢いたい思いが勝った。稚児の心を知っているのは月だけだ。僧侶もまさか逢いに来るとは思っていないだろう。稚児をそのように駆り立てるほどに人を愛することの威力は強い。その思いを狂っていると言う人もあるだろうが、一度も人を求めて狂ったことのない人生は何と味気ないものか。それでは生まれて来た意味がない。稚児は僧侶の何に魅せられたのか。それは単なる性行為のみではないはずで、称賛したい人間性を併せ持っていたと思いたい。つまり僧侶は修行を経て稚児には眩しい人格者に見えていたのではないか。称賛と愛が混じった思慕であるから、危険を顧みずに逢いに行こうとする。その思いの純粋性を思って稚児物語がいろいろと書かれたように想像するのだが、月を介在させるがゆえに、ロマンティシズムは絶好の条件下で絶大な効果を上げる。絵巻を見る者は誰しもその稚児の逢いたい思いを想像し、そしてその行為に何物にも侵されない神聖さのようなものを感じる。それを永遠性と言い代えてもよい。稚児が僧侶に逢えたかどうかは二次的な問題だ。後先を考えずに家を出て逢いに行く。道中の恐怖よりも僧侶に逢えるという期待が何倍も大きく、夜空の月が行く先の方角を示しつつ、足元を照らしてくれる。展示された絵巻の全巻を読むことが出来るのかどうか知らないが、筆者にはわずかに広げられた部分に描かれる荒野を歩む稚児の姿ひとつで充分であった。月がどのように描かれていたのか記憶にないが、たぶん山向こうに三日月が昇っていたのだろう。満月よりかその方が稚児の孤独ながら潔い思いを反映する。今では恋人同士、いつでもどこでも電話で話すことが出来、何百キロ離れていてもその気になれば翌日に逢える。だが、いつの世も禁じられた間柄はあるし、片思いもある。そういうところにしかひたむきな愛は立ち上らないかもしれない。本展のほかの出品作については全く触れなかったが、展覧会では大きな印象を与えてくれる作品が1点でもあれば出かけた意味がある。その意味で筆者は本展を称賛しておきたい。