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●「(SITTIN‘ ON)THE DOC OF THE BAY」
がすぐそばに寄って来て、筆者と同じように海の方を向いている。かと思えば、ひょいと身を翻して陸の方を向かうが、何もすることがないようで、一休みといったところだ。





●「(SITTIN‘ ON)THE DOC OF THE BAY」_d0053294_2183591.jpg強い風が吹くたびに頭と尾の羽毛が逆立つ。フィギュアみたいに動かないのではがきサイズの小さなスケッチブックにその様子を描いた。去年3月下旬にいわきの江名の波止場でのことだ。筆者は折り畳みの傘を風で吹き飛ばされ、それが海の中に落ちたのをどうにかして取り戻そうとあれこれと試していたのだ。曇天から小雨になり、傘はほしかった。海に落ちた傘は逆さになって取っ手を空に向けている。小さなヨットのようだ。海水が傘の中にほとんど入らないから、手を伸ばせば届きそうな気がするが、1.5メートルほどはあった。波止場は震災でめちゃくちゃにされ、人影はなかった。傘をどうにか引き上げようとしている時に割烹着を着た60代の女性が近くにやって来た。海にどういう用事があったのか知らない。何か捨てたように思うが、大きなものではない。その女性が去った後も筆者はひとりで小さな波止場に留まり、傘が少しずつ流されて行くのを追いながら、なおもどうにかして取っ手についている小さな輪に枯れた雑草の茎を通そうと頑張った。後でTさんに聞いたところによれば、船が着くので浅いように見えても深いとのことで、筆者が手を伸ばし過ぎ、バランスを失えば、海に落ちてそのまま死んでいた。声を上げてもきっと誰にも聞こえない。そう思うとたまに思い出し、その行為の間、やって来た女性以外、波止場を独占していたのは筆者のみで、いい思い出になっている。いや、正確に言えば、カモメが一羽筆者のすぐそばにいた。筆者が描き終えるまでじっとしていたが、餌をくれると思ったのだろうか。そうではなく、何もすることがなく、筆者をからかいに来たのか、あるいはさびしかったのだ。海に落ちた傘を必死に取り戻そうと悪戦苦闘している筆者を見て、愚か者に見えたか、あるいは同情したか。今日はその時に描いた絵の写真を載せることにする。さて、これを書き始めた時、近くの法輪寺から除夜の鐘の音が鳴り響いて来た。新年になったのだ。先ほどまえ2,3時間かかって年賀状の切り絵を完成させた。年賀状は買ったものの、印刷はこれからだ。その前にブログの投稿を済ませようと思ってこれを書き始めた。今日は思い出の曲について書く日だ。2週間ほど前にどういうわけかオーティス・レディングの「ドック・オヴ・ベイ」が思い浮かび、それから毎日同曲やまた別の黒人歌手の歌をあれこれと聴いている。本曲を初めて耳にしたのはラジオのヒット・パレードで、1968年のようだ。もう少し早いかと思っていたが、アメリカでシングル盤が発売されたのがその年の早々であるから、日本でヒットしたのは3月頃ではないだろうか。録音は前年の12月で、録音して数日した飛行機事故でオーティスが死んだことは初めて聴いた時にDJが語った。当時筆者は本曲を聴きながら、アメリカで1位を獲った理由がわからなかった。だが、曲はどことなく空虚でさびしく、また単純であるから、歌詞を正しく知らなくてもどういうことを歌っているのかはすぐにわかった。簡単に言えば1日中波止場に座って海を眺めているというということだ。そういう内容の歌がなぜ大ヒットしたかを考えたが、それは録音後すぐに事故死したことがドラマティックであることと、当時10代の筆者にはわからないが、大人は大人の事情があって、筆者より上の世代が本曲を支持しているのだろうといった思いで、ビートルズとは違う音楽の流れがアメリカにはあることも再確認した。もちろん当時の日本の洋楽の中にアメリカの黒人の曲で大ヒットしたものがいくつもあって、ビートルズの曲やカンツォーネ、ヴェンチャーズなどとともにそういう曲も楽しんでいたが、オーティス・レディングという歌手の名前は本曲で初めて知り、またうるさいギターやドラムの音が聞こえないので、愛聴するというほどにはならなかった。
 本曲は2分半の長さで、シングル盤の鉄則を守っている。出だしは波の音が小さく聞こえ、当時ビートルズの「イエロー・サブマリン」の影響かと思ったが、その可能性は大きいだろう。波のほかにカモメの鳴き声も聞こえるが、それら効果音は「イエロー・サブマリン」とは違って実際の渚や波止場で録音されたもので、60年代に流行ったサーフ・ミュージックとの関連を思わせるが、本曲は波乗りの楽しみを喚起するのではなく、波止場に座ったまま、終日海を眺めることを歌い、サーフィン・ブームの終焉を告げているように思える。つまり、60年代の終わりだ。実際はまだ2年残っていたが、1968年はビートルズのホワイト・アルバムが発売され、ビートルズの解散が目前に迫っていて、時代の大きな節目が到来していた。そのことを当時の筆者ですら感じた。オーティスはそのことを直感し、そして本曲を書いて歌ったと言えば、あまりに穿ち過ぎと言われそうだが、当時から半世紀経とうとする今になって思えば、本曲はそれほどに時代が生んだ名曲で、単純な歌詞とメロディながら、大人になればなるほどその味わいが身に染みて来る。オーティスはプロデューサーと一緒に作詞作曲したが、本曲をどういう気分で歌ったのだろう。当時のオーティスはそれなりに多忙で終日何もすることがないという、いわばホームレスの状態とは無縁であったと思うが、歌詞をそっくり自分の境遇であるかのように歌っている。それは歌詞に描かれる人物の心境になり切っているからで、何もすることがないホームレス状態の黒人への同情があってこそだが、オーティスも一時は不遇であったのだろう。つまり、弱者の思いをよく知っているために本曲を真実味溢れるように歌うことが出来た。歌詞は本曲を歌う人物が黒人であるとは言っていないが、黒人のオーティスが歌うからにはそうであると誰しも思うし、また故郷のジョージア州にいても食えず、そこから2000マイルも歩いてサンフランシスコに辿り着き、その湾を住まいとすると歌うので、黒人の若者としてよい。だが、スタインベックの小説『怒りの葡萄』と想起させるので、貧しい白人と考えてもよいし、そのために大ヒットしたと考えることも出来る。当時ヒッピーたちは田舎への回帰を目指したが、その田舎が貧しく、ヒッピーの本場のサンフランシスコにやって来たというのは、恵まれた白人とは違う黒人の実態を伝える。仕事に就かないのか就けないのか、ヒッピー文化とは無縁の状態で、ただ湾の波止場に座って波を見続けているだけというのは、当時の黒人の若者に目立ったことであったのかもしれない。だが、曲調はのんびりとして寛ぎの面持ちがあるし、「This loneliness won‘t leave me alone(この孤独は自分をひとりにはしておかないだろう)」という下りは、絶望には陥らない一種の楽観性の宣言で、これが本曲の救いとなっている。短いサビの部分では、多くの人が意見してくれることが出来ず、それで同じように終日波止場に座ると歌うが、それはただの怠惰で、ホームレスになるのは自業自得と言う人が多いかもしれない。だが、あちこち当たってはみたが、雇ってくれるところがないのかもしれず、そこは聴き手の想像に委ねられる。また、ホームレスになるのも自由で、誰に迷惑をかけるのでもなく、船の行き交う様子をのんびりと眺め続ける生活もいいではないか。実際はそうは出来ない、またしたくない人でも、そういう暮らしがあることを否定しては人間の幅が小さくなる。それに誰でも疲れを感じる時がある。そういう時、波を見続けるのは絶望に陥らず、心を鎮め、今後の身の振り方を冷静に考えるのはいいのではないか。本曲はそのように人を勇気づけるところがあって名曲とされている。そしてそういう歌詞は決してビートルズや白人からは生まれなかったであろう。筆者は自分が老いて来たとはあまり実感していないが、中学生の時に聴いた本曲がふとした拍子に口に上るのは、50年近く経ってようやく当時の黒人の曲の深みがわかるようになって来たと思うことが多い。
 本曲に関しては、筆者がほとんど何もせずに1日を無駄に過ごすことがあるからだろう。何もしていないが、考え事はしている。そしてそれが大事なのだ。考える時間があって、正確な実行がある。あまり考えずに行動すると、結局無駄な結果になることが少なくない。そういうことを知るのも年齢を重ねてからだ。本曲が大ヒットしたのは、オーティス自身が、ホームレスではなくても、たまには海を終日ぼんやり眺める必要を自覚していたからかと思えなくもない。ジョージア州からアメリカの西の果てまでやって来た若者が気づいたことが「何もすることがない」では、まさに行き詰りではあるが、人生は行き詰った時の対処が問題だ。じたばたするより、じっと腰を据え、納得が行く答えが出るまでぼんやりするということの方がいい結果をもたらすことは多いだろう。また、じっと座っていても、内心は荒れ狂う状態であるかもしれず、それを寄せては返す波のリズムに合わせながら自覚し、次の進み方を考えるというのは、自然に波長を合わせることであり、後の行動がうまく運ぶ、つまり行き詰りの打開策をもたらすのではないか。そう考えると、本曲の歌詞は禅的と言ってもよい。単純な歌詞の中に人生の真実が隠されている。本曲を聴いた当時の大人たちはそう思ったのだろう。それは中学生にもそれとなくわかるもので、それで筆者は今まで忘れることがなく、何かの拍子にメロディを思い出す。弱者への優しい眼差し、そして怠惰であっても人生にはそういう時間が必要なこと、孤独であってもいつかはまたそこから脱出出来ること、他者の忠告はありがたいが、自分がこうだと思えば、差し当たってはそれを貫けばいいこと。本曲の歌詞はまるで日本で増加一途の引きこもりの若者に対して歌っているようでもある。わずか2分半の単純な曲だが、それは噛み砕き方によっては人生の指針となる。そういう曲が1960年代のアメリカでたくさん作られたことは時代とは無縁ではない。だが、本曲はアメリカ社会の中の弱者である黒人が黒人に向けて書いて歌ったもので、なおのこと身に染みると感じた黒人が多かったのではないだろうか。そういう黒人音楽の伝統は廃れない。虐げられる者は逞しい文化を持つ。20世紀は黒人文化が西洋の芸術に圧倒的な影響を及ぼした時代と言われるが、ビートルズひとつ取ってもそのことはわかる。白人が牛耳っている世の中であるから黒人本位の歴史は書かれないが、黒人の文化がなければピカソもビートルズも生まれなかった。ところが本曲からわかるように、黒人の若者は故郷を遠く離れて歩き回った挙句、サンフランシスコ湾を新たな住まいとしながら波を見続けるしかすることがない。そして、その孤独から絶望死を考えず、いつかはひとりではなくなると考える。無一文の状態になれば次はそれから浮上するしかない。ドン底の境遇を嘆かず、今の最悪の状態はよいことの兆しと楽天的に思考する。怠惰なように見える本曲に描かれる人物は、全く健気で、周囲の人たちに生きる勇気を与えている。
●「(SITTIN‘ ON)THE DOC OF THE BAY」_d0053294_2185551.jpg

by uuuzen | 2014-12-31 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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