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●薔薇の肖像、その9
せ参じるという表現は時代劇によく使われたと思うが、小学生の頃に知ったと思う。長じて「御馳走」の意味が供する料理のために食材をあちこち走り回って集めたものであることを知って、馳せ参じるを改めて思い返した。



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先日から家内は息子と3人でまたどこかで食事をしようと言い始め、何をどこで食べようかと考えながら、息子のつごうもつかず、年末までには無理な気配だ。家内に何を食べたいと訊くと、美味しい中華料理と言う。そんな店がないではないが、初めて訪れる店はやや不安だ。それで以前に行ったことのある店を思い出すが、その中のひとつに四条堀川近くの中国人家族が経営する店がある。家内はそこは嫌だと言うが、かなり安いし、庶民的で筆者は気に入っている。行くのに便利なのが何よりもいい。22日は府立総合資料館で調べものがあってひとりで出かけ、それが終わったところで家内に電話して高島屋で落ち合った。買い物や食事などしてふたりでバスで帰ったが、四条堀川に差しかかった時、その中華料理店を目で探すと、見当たらない。冬至の早い夜の訪れでもあったので、家内は筆者に見落としたのだろうと言う。だが何度も見ている場所で、見落とすことは考えられない。どうも店があった場所は空地になっている。帰宅して調べると、11月のかかりには閉店になったことがわかった。店内の飾りで目を引くものがあって、それを以前に撮影してまだブログでは紹介していないが、いつまでもあると思っていた店が急になくなると、やはりさびしい。あまり流行っている雰囲気がなく、閉店はやむを得なかったのであろう。四条通りに面して地価も高かったはずで、客足が少なければ撤退するしかない。消費税が8パーセントになり、何もかも物価が上昇して庶民の財布の紐は固くなる一方で、庶民相手の店は経営が難しい。その店では小学1,2年生らしき男子が厨房と客のテーブルの間をちょこまかと移動して微笑ましかった。それに店主も時々顔を出し、客の食べる様子を見てどうすればもっと満足してもらえるかを学んでいる風でもあったので、閉店になったのはなおさら痛ましい気がする。それはさておき、26日は1か月ぶりに家内が入院した病院に診てもらいに行った。筆者は必ず同伴する。幸い自転車が使える好天で、あまり寒くなかった。肺がよくないだけで、胃腸はいいので何を食べてもいいのがいい。だが筆者も家内も働いてもらず、無収入であるから、贅沢は出来ない。また家内の薬代が正規で支払えば1か月12万円以上の高額で、それを区役所に頼み込んでどうにか安くしてもらっているが、それでも4万円以上する。飲み薬で、26日の検査では担当医が言うには、きわめて稀な病気で、薬の使われる頻度がとても少ないので、それでとても高価に設定されているとのことだ。薬の世界も少数だけ作るものは高価なのだ。それで1か月服用して変化を調べてもらうと、全くと言っていいほど腫瘍は小さくなっていない。ということは何年にもわたって飲み続ける必要がある。副作用がきつく、顔や手足がよく浮腫むが、そのほかに軟便が続く。とても甘い薬なので、家内は甘い物を食べなくなっているが、早くその薬を卒業したいのに、医者とすればそれを服用していることで菌の繁殖を抑えているから、服用をやめると腫瘍がどのように拡大、転移するかわからない。金のことは言っておられないが、無収入ではその心配もせねばならない。そう言えば一昨日のTVで、日本の子どもが貧困状態に置かれている割合が増加していると言っていた。離婚して子どもを3,4人抱える母子家庭では、母は毎日疲れて深夜11時に帰宅する。子どもたちは給料前は御飯にふりかけだけで食事を済ます。昭和30年代ではそんな家庭は少なくなかったし、筆者も似たような暮らしをして来た。いつの時代も母子家庭はそんなものだ。だが、それから世界に冠たる金持ち国になったという日本でまだ粗末な食事を強いられる家庭があって、しかも増えているとは、政治家はいったい何をしていると言いたい。一方で政治家は自分の保身だけに関心があり、国から支給される経費を私用に回して平気で、まあ、死ねば地獄に落ちる。
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 26日は年末であるからか、病院は外来でいっぱいであった。まるで百貨店の特売場のようで、世の中には病人がこれほど溢れているのかとぞっとした。いろんな菌が浮遊している病院にはなるべく行きたくないが、家内と一緒に担当医の話を聞きたい。担当医はまだ30前のような若者で、よくしゃべってくれるのでこっちも図に乗って質問するが、どうもどこか頼りない。その医師にしてもほとんど遭遇したことのない病気なのだろう。というのは、服用している薬について目の前でパソコン画面で毎回確認し、副作用について読む。結局来年1月中旬にCTスキャンを撮って今後どうするかを決めることになったが、こっちが薬は困ると言えば、それでは服用せずに数か月ほどは経過観察しようということになりそうで、何となく頼りない。だが若い医師ならそういうものだろう。それはさておき、26日の4週間前に病院に行った時、待合室の筆者のすぐ目の前の椅子に70代の老夫婦が座った。奥さんが肺を患っていて、とても痩せていた。ご主人が付き添いで、50代の息子も来ていた。待っている間に館内放送があって、門の前に停めている車のナンバーを告げ、大至急それを移動するようにとのことで、それから5分ほどして40代の事務員らしき男性が待合室にやって来て、筆者の目の前の70代の男性に声をかけた。その老人の車であったのだ。事務員は何度も頭を下げるが、老人は断固拒否する。「あのなあ、あそこに停めてええかと近くにいた警備員に言うと、ええという返事やったから停めたんや。それになあ、わしとことのこいつ見てみい。こんな病人を遠くの駐車場からここまで歩かせ言うのんか。玄関前や言うても、送迎バスが横を通れるようにちゃんと考えて停めてあるがな。それだけの隙間があったら運転手はなんぼでも横通れるで。それを出来ひん言うんやったら、そんなもん、免許取り消しや。先生に診てもらうのに何時間もかかるわけやなし、1時間かそこらあそこに車があっても誰の迷惑にもならへんがな。あのな、わしはこの病棟が建つ時に工事に参加し、ダンプで何度も狭いところを走ったんや。それほどの腕前やからバスがどれだけの幅があったら通り抜けられるか充分にわかってるんや。それをなあ、車一台停まっているから通られへんとは、そんなん免許取り消してしまえ。今日は勝手に停めたんとちゃうで。ちゃんと近くにいた警備員に訊いたがな。何やったらそいつを呼んで来い。何? 誰かわからへん? そんなんあるかいな。ちゃんとわしは訊いたで。まあ、次からはちゃんと奥の駐車場停めるさかいに、今日だけは何があってもわしは車動かせへんど」。平身低頭する事務員は何度も小声で頼み込むが、老人は頑として受け入れない。上記の話はおよそ20分は続き、老人は何度もおなじことを繰り返した。そして若い方が諦めてその場を去ったが、何とそれからわずか数分で、その老人夫婦は検査室に呼ばれて入って行った。おそらく病院としては早く診察して早く玄関前の車を移動してほしかったのだろう。事務員が憐れに見えたというより、老人のまくし立てる表現が」まるで漫才のようで、筆者は内心どうなるかと楽しみながらふたりのやり取りを見守った。何でも杓子定規に考えることはない。ましてや病人を抱える家族ではないか。誰かに大きな迷惑をかけない限り、ある程度の規則違反はいいのではないか。ダンプの運転手をしていたというその老人は小さな商店の主に見えたが、自分なりの道理を通すという頑固さでその年齢までやって来た。それは自負であり、またそれほどの根性がなければ男の仕事場である工事現場で生きて来ることは出来なかった。頑固で自分勝手かもしれないが、その老人とは仲よくなれる気がした。
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 病院の正門を入ってすぐ右手に小さな植え込みがある。そこに薔薇が咲いている。家内が入院した当日にその花の写真を撮った。2種咲いていて、そのどちらの写真も半ばシリーズ化している「薔薇の肖像」の「その7」に載せた。そのうち臙脂色をしたものを2枚撮った。載せなかった1枚を保存しながら、それを載せる機会を探り、その後冬の薔薇に出会ってたくさん写真を撮ったので、その残りの1枚を最初に置いて、色ごとに並べて縦横2枚ずつに組み合わせた。今日の最初の写真の左上がそれだ。真正面からではないが、そのように撮ることが出来なかったためだ。26日の4週間前の診察の際、病院近くで撮った1枚もあるが、それは今日のものには含まれない。今日の2枚目の右下は池田市の民家の玄関脇で撮った。そこは陽当たりがとてもよく、薔薇は2メートル以上に伸びて、気持ちよさそうであった。ただし、冬の薔薇らしく、全体に肥えた雀のようにふっくらとしている。冬の薔薇は花弁が開き切らずにそのまま枯れてしまうものが目立つ。それがまた風情があってよい。ポール・マッカートニーとウィングスの「WINTER ROSE」といういい曲があって、冬の薔薇を見るとそのメロディが思い浮かぶ。たくさん撮ったのは万博公園の薔薇園だ。みんぱくでの展覧会が目的で、11月29日にひとりで訪れた。たくさん咲いていて、その3分の2ほどの品種は撮ったと思う。今日その全部を載せることは出来ないので、次は家内の診察日くらいには使おうと思う。26日は自転車で病院の門を出る時、薔薇の植え込みを一瞥した。大きな臙脂色の蕾が3,4つ見えた。それらは開花するだろうか。暖冬なのでその可能性が大きいが、半ば開いてそのまま花弁の淵から茶色に変色して行くかもしれない。命ある限り、いくらでもどんな気候でも花を咲かせようとする。冬場では虫が飛来しないのでさびしく枯れて行くしかないが、人間でもそういう人は大勢いる。生まれた時期と場所によって運命の半分は決まる。それを嘆いても仕方がないとはいえ、社会は弱者をいじめる者の方が助ける者より多いかもしれない。先の母子家庭の話に戻ると、15,6歳の長男は中学校から登校しなくなって家に引き籠った。みんなが持っているゲーム機を持っていないということで仲間外れになり、いじめられたのだろう。それで母親に悪いと思いながらも家で終日何もしないで過ごす。いじめられるよりその方が楽かもしれないが、悪循環からどうにか脱出する覚悟は必要だ。誰もが持っている物を持っていないことは10代では気にするだろうが、大人になれば考えも変わる。筆者はケータイを持ったためしがなく、車の免許もないが、そのことを卑下したことは一度もない。好きでそうしているだけであって、他人が所有していないものをたくさん持っている自負はある。第一、誰もが持っている物を持っても楽しくないではないか。そのように考えることが出来ないか。本当に母のことを思うのであれば、いじめに負けてはいられないと考えるべきだ。だが、その母子家庭にそういうことを伝える親しい人がいないのかもしれない。それが一番の不幸だ。取り留めのない話になっている。最初に戻ると、筆者は家内に何が一番食べたいかと質問している時、自分はどうかと思っていた。筆者は美食家ではない。御馳走を食べられるに越したことはないかもしれないが、毎日それでは早々に癌になる。たまにであるからいいのだ。そして筆者は思い浮かべるだけで食べた気になれる。歳を重ねるほどにそうなって来た。大福が食べたいと思うと、次の瞬間その味を充分楽しみ、もういいという気分になる。それで何が食べたいという望みはない。白いご飯にふりかけだけでも充分だ。だが、それはもう筆者のような年齢であるからで、10代の育ち盛りがそれでは痛ましい。貧しい母子家庭、その子どもたちを最優先に考える政治であってほしい。政治家は選挙に当選すると赤い薔薇を名簿表の上に貼りつけるが、貧しい人たちも同じ赤い血は通っている。日陰の小さな薔薇かもしれないが、同じように生きて咲いている。それをいじめたり、虐げたりする連中はみな最期は閻魔大王が馳せ参じ、地獄に招かれる。
●薔薇の肖像、その9_d0053294_9414272.jpg

by uuuzen | 2014-12-29 23:59 | ●新・嵐山だより
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