紡ぐことは繊維を細い糸状にすることだが、糸巻からもわかるように、切れ目なく長くつなげる。このブログも毎日一回の投稿を続けながら丸10年に近づいているが、パソコンが壊れたことで幾度か投稿が滞ったことがある。

後日穴埋め的に書いたが、この1か月は1日遅れの投稿が続き、一昨日はついに2日遅れとなっている。2日遅れはすぐに挽回出来るのでさほど気にしなかった。また1日遅れは昨日書いているつもりとなって、また昨日の出来事を思い出して書く場合が多いので、これは認知症予防になったかえってよいと思っている。そうでもしなければ昨日のことはすぐに忘れてしまう。ところが2日遅れとなると、一昨日のことを思い出さねばならず、記憶はかなり怪しい。また、日記とはいえ、展覧会の感想は見た時のことを思い出して書くから、投稿が1,2か月遅れても書く内容は大差ないから、2日遅れとなると、その穴埋めは展覧会の感想がよいということになり、今日も明日もそうするつもりでいるが、2日遅れになっている理由を言えば、年末であるのに毎年と同様、年賀状もまだ作らず、しかも買いもせず、掃除は全くしないうえに、やり終えるべき仕事が山積してきわめて多忙であるからだ。それは年々ひどくなっている感じで、この調子では正月もパソコンに向かい合いながら細かい文字を打ち込んでいるかもしれない。それで疲れているのにまた夜間にこのブログの投稿というのは、気分の切り替えが必要なうえ、書くための労力もかなりのものだ。誰も真剣に読まないものをなぜ根を詰めて書くのかと家内がいつも不思議がっているが、誰も読まないから手抜きせずにやっておきたい。いや、多くの人に読まれるのであればなおさらだが、他人がどうであれ、筆者の気持ちとしてやりたいようにやるだけだ。長く紡ぎ続けている糸を同じ調子に保ちたく、また紡ぐからには毎日前後のつながりをある程度関連づけたい。それで今日は本展を取り上げるが、リサ・ラーソンが狛犬の焼物を作ったという意味ではなく、彼女の数々の人形は伏見人形に関連し、そこから狛犬にも通じているからだ。昨日書くのを忘れたが、MIHO MUSEUMでの『獅子・狛犬展』では焼物のそれらをたくさん出品された。それで昨日はわが家の近くの家に飾ってある磁器の狛犬の写真を載せた。それはいいとして、本展は11月19日から12月8日まで大阪梅田の阪急百貨店で開催され、筆者は7日に見た。グッズ売店が繁盛していて、ほしいと思う商品がいくつかあったが、どう言えばいいのだろう、わが家にはあまり似合わない気がした。伏見人形などの土臭いものを飾っているので、西洋の洒落たものは場違いな感じがする。とはいえ、西洋人の作品も飾っているから、結局は好みの問題だ。リサの作品が好みでないというのではない。立派な作家と思うからこそ本展を楽しみにした。そして期待どおりの内容であったが、日本の郷土玩具の楽しさ、懐かしさの方がいいように思った。それはスウェーデンというリサの国が日本から遠く、縁もあまりないからかもしれないが、彼女の造形の基本はモダニズムにあって、たとえば伏見人形のように歴史が長くないからだ。リサは筆者より20年前の1931年に生まれた。モダニズムに影響されて当然で、彼女の作品は新しい感覚に溢れ、またそれだけに現在の目からは100年ほど前のもの見える場合も少なくない。であるから、今後100年、200年と同じものが製造され、長い年月愛され続けると、モダニズムという狭い枠のみでは捉えられず、伏見人形のようにとても古いがまた新しくもあるという印象をもたれるのではないだろうか。

モダニズムの造形は日本でもさまざまに展開され、展覧会も多いが、日本のモダニズムはそれなりにそれ以前の日本の伝統の残滓を引きずっている場合があって、今見ると古くさいながら、懐かしい味わいがあって若者でもそれを歓迎する。そういう中にリサの作品を交えて見つめ、愛好しているファンが日本には少なくないと思うが、陶磁器に関しては日本は本場と言ってよく、リサの作品に頼らなくても間に合っているという気がしないでもない。ではそういう作家を挙げろと言われると答えに窮するが、リサの作品に漂う日本でも馴染みの陶芸的味わいを差し引くと、残りはデザイン性だけということになって、しかもそれがモダニズムの産物となればリサほどではないが、似た作品は同じ時代に各国でたくさん生まれた気がする。もっとも、それにはモダニズムの定義が必要で、筆者にしてもそれをどのように思っているかを言う必要があるが、筆者がリサの作品でまず連想したのは、日本では戦後から昭和30年代に流行し、どの家庭にもあったようなコーヒー茶碗や電気製品の丸みを帯びたデザインだ。もう20年ほど前になるが、ある年配の女性染色家の家庭に呼ばれたことがある。母親とふたり暮らしで、きれいに家の中は整理整頓されていた。出されたコーヒー・カップはとても印象的で、外側は真っ赤、内部は白、底がすぼんでいて全体は百合の花状で、安定が少々悪い。口辺は金色がかなり剥げ落ちていて、長年使われて来たことがわかった。たぶん50年ほどは前のものだろう。そういう古いものも悪くないが、高級品では全くない。物を大事にしていれば何年でも家の中にあるが、そのカップもそういうものだ。捨てる必要はないし、また今の時代にふさわしいものも買う気になれない。そのコーヒー・カップと同じ感覚をリサの初期作に認めた。時代の流行は建築から順次下がってコーヒー・カップにまで至るが、人形はさらに遅れる。その時間差は大きくはなく、どの分野の造形も同時にスタイルを変えて行くと言ってもよいが、北欧のしかも動物を象った陶磁人形となると、そのデザイン性はローカル色を帯び、時代の先頭を先駆けることは難しいだろう。その田舎っぽさが今は逆に新鮮に見え、リサの人気が日本で非常に高い要因になっていると思うが、そこには日本のライフ・スタイルが北欧とほとんど変わらないようになって来たことも影響している。簡単に言えば、畳を必要とせず、北欧家具を愛好する生活だ。そういう空間ではリサの人形はちょっとしたアクセントになってとても似合い、どこか暗い表情の伏見人形の出番はない。そして、後者をたくさん所有する筆者がリサの作品の持ち味を理解しないと思われても仕方がない。だが筆者は西洋のセラミック製品に関心がないではない。筆者がこれを書く部屋の筆者の真正面にはイタリアのタイル作家の作品が2点、壁に飾ってある。その写真を2枚目に載せる。昔京都書院で買ったもので、作家名は記憶にないが、日本のものにはない明るい色合いと表情が気に入った。たぶんそうしたちょっとした理由でリサの作品も愛好されているのだろう。またモダニズムの話に戻るが、先の赤いコーヒー・カップは無駄な装飾がなく、それでいて色気があって女性的だ。取っ手は細く、また指が1本入るほど狭く、その点は実用的ではないが、その点は底がかなりすぼんでいることにも言える。機能を最優先したものではなく、全体を単純な形にしながら、強い美意識が働いている。リサの造形もそれと同じで、どれほど限界まで単純化してなお当の動物に見えるかという考えにどれも貫かれている。ただし、チケットに印刷される代表作のライオンを見てもわかるように、三次元に二次元の絵を足したものが多く、単純化し過ぎて形だけでは何を表現しているかわかりにくいものについては絵を足している。そのことが漫画的面白さとなって、先の赤いコーヒー・カップのような一時代の流行の産物から逃れてリサの個性を表出させている。単純化した形に線で顔をつけ加えることは伏見人形にもあることだが、リサのように極端な例はない。リサの人形の二次元性は、デザイナーとなったリサの娘が発展させ、絵本のキャラクターとして使うに至ったが、グッズ売り場ではそれを印刷した商品が大半であった。それはリサの作品は手作りで高価だが、二次元のキャラクターであればいろんな商品に使えるからで、その多くの安価な商品によってリサの人形の価値が一段上にある印象をもたらしている。今日は会場出口で撮った家内がそばに立つそうした二次元キャラクターの写真を載せるが、そこに見える猫の絵はリサの娘が作った人気商品では最大のものと言ってよい。その絵はリサの人形を模倣しながら、表情が多少違う。それは三次元を二次元に変えたことと、世代の差だ。その意味でリサはデザイナーの娘を持ったことで自作の広がりと延命を獲得出来た。また、リサが作った人形は今ではリサの目の届かないところで量産されているが、そうなれば伏見人形と同じで、100年、200年後も同じものが製造販売されるだろう。ついでなので、先日撮った筆者が所蔵する伏見人形の写真を3枚目に載せる。この写真は
「住吉大社、その2」に使うつもりがその場所がなかった。

リサは最初から人形を作ったのではない。土の扱いや造形の勉強は、創作花瓶のコンテストで優勝してから20代前半で製陶所に就職してから本格的に学んだ。間もなく動物シリーズを作ることを勧められ、その期待に応じて300ほどの作品を作るが、どれも量産を前提としたもので、たとえば信楽の干支人形のように型抜きされたものに釉薬を施して窯で焼くので仕上がりの細部はどれも少しずつ違う。つまり、リサは原型作家だが、どういう釉薬をかけるかまで指示するから、仕上がった製品は伏見人形のように彩色する者によって著しく表情が異なるものにはならず、作家物としての厳密性はかなり保たれる。本展は230点によって全活動期を万遍なく紹介したが、動物シリーズだけが彼女の持ち味ではないことがよくわかった。また動物シリーズにしても、実物の動物は大きさが巨大から掌サイズまでまちまちであるのに、リサの人形はそれを無視しているから、たくさんの動物を並べても本物の動物園のようには見えない。ひとつずつ独立した作品として見るべきで、またリサもそのように作っている。それは動物という括り方は出来ても、それぞれの動物が個性を持っていて、その個性を強調することで全然違った形になるという考えによるが、それは当然であって、その個性の強調の仕方すなわち意匠化の方法が動物ごとによって変わっているため、なおさら共通点がないように見える。もっと詳しく説明すると、たとえば猫を題材にすると、そのどこを強調するかということと、またどのように強調するかというふたつの考えが必要だ。後者が統一されていれば、どの動物を扱ってもある程度シリーズと呼べるつながりが保証されるが、リサの場合そうではない。リサはライオンの雄を顔は線描きで表現するが、ではどの動物も顔をそうするかと言えばそうではない。立体をまず造形し、それから補助的に線描きを加えるという基本姿勢がおおよそ守られているが、そうでもなく、線描きが目鼻だけに留まるものもあるし、またほとんどそれがないものもあって、リサの作品と言われなければそうとわからないものも混じる。このことは、動物をデザインすれば、まだまだ個性を発揮出来る余地があることを意味しているし、実際リサのように陶磁ではないが、動物の立体人形を作る作家は多い。特に日本ではそうだろう。ゆるキャラが大流行しているからには、動物を斬新にデザインする才能はたくさんあるはずだ。毎年暮れになると来年の干支人形が街角で売られるのを見かけるが、そうした人形の中にもリサの作品と肩を並べる出来栄えのものがあるだろう。ただし、リサは長年にわたって数多い種類を手がけ続け、また動物だけではなく、人間を題材にした人形も作って情感というものを大切にして来ている。それは女性らしい見方、また幸福な家族や家庭によって支えられているもので、リサの作品にはどれも温かい眼差しが溢れている。土人形はだいたいそういうものだが、今回アトリエの一角が再現展示されたことからわかるように、リサは夫や家族に恵まれ、苦悩や苦闘とは縁のない状態でのびのびと創作を続けて来た。その安定感が人気の理由であろう。

世界各国の子どもたちを題材にした土人形では、黒人の目の大きな男子を象ったものが印象的であった。太った若い女性像は肌に密着した衣装の模様や色合いを変えたヴァリエーションが展示されていたが、小倉遊亀が描く少女に似て健康で、それに比べて黒人の少年は見上げる眼差しの中にどこか孤独が漂い、貧困社会の子を題材にしたのか、リサの優しい心が伝わった。またそこにリサの現実を無視しない社会的な眼差しがあって、作家としての自負も見える。もっと言えば、その黒人少年像は伏見人形や郷土玩具が扱わないものが込められていて、お土産品的レベルを超えて芸術の域に達している。この世界の子どもたちシリーズは国連のどこかの機関の依頼によって作られたものと思うが、動物シリーズとは違う難しさを思ったであろう。また人間を題材にすればそれこそ日本には博多人形を初め、多くの作例があって、リサの作品にそれらの影響を見てしまうが、リサは実際日本の人形を参考にしているのではないだろうか。というのは、彼女は1970年の万博の際に来日し、日本の陶芸家と交流したからだ。会場の説明では益子焼の浜田庄司と話し、感化を受けたが、その他にも多くを学び、日本の陶磁を深く感じ取ったようだ。本展では日本の陶磁器の影響を受けたと思える釉薬を施した作がいくつもあって、説明はなかったものの、日本の土人形の知識も一揃えは来日の折りに仕入れて帰ったであろう。そうでないのが不自然だ。これは明治時代の浮世絵がヨーロッパに影響を及ぼしたことと同じで、時代はうんと下がるが、リサも日本独自のものから学んで自作に取り込んだものが少なくないと思う。本展ではタイルやタイル状に薄いレリーフ状の作品もあって、三次元の造形とは別に二次元の面白さを知っていたことがわかる。タイル状のそうした作品にはビザンチンの聖像を象ったものがあって、そこでは過剰な文様が特徴的で、その絵画観が立体の動物の顔や体全体を覆うハリネズミの棘といったところに生かされ、また釉薬による表面の仕上がりの差というところにも関係している。となれば、リサの作品は西洋の古代の美術をも参考にして伝統を紡ぎ続けて来たものとみなすことも出来て、東西文明の交差も見られることになって、和洋折衷の日本で歓迎される意味がよくわかるということになる。「かわいい」を意識した日本が今後それをさらに売りにして新しい造形を編み出すには、リサの作品は避けて通れないひとつとなっている。