釉薬を塗って高温で焼いた磁器は雨ざらしにしてもかまわない。素焼きに絵具を塗った伏見人形は水で色が落ちるので、家の中で保存しなければならない。それが時に面倒に思えるが、脆いものであるから大事にしようという気持ちが湧く。

土人形で狛犬は珍しいとされるが、伏見人形でも存在する。丹嘉製で2,3種類あって、最も大きなものはメタリックな緑色で、中京のMさんのところに一対の在庫がある。20年ほど前に4万円で仕入れたものらしく、その金額なら売ると言われているが、買っても置き場所に困ることもあって、買っていない。それでも狛犬は何となく好きで、1,2年前にネット・オークションで銀色のものを買った。筆者が出品に気づいてから長らく売れず、これは筆者しか買う者がいないと思った。出来はよくないが、貫禄はある。色は気に入らないが、いつか塗り変えればよいと思いながら、買った時のままで、あちこち剥げてもいる。その一対もやはり置き場所がなく、仕方がないので波動スピーカーの前に並べた。阿吽の形であるべきものが、左右の頭部は鏡合わせのように同じ形と言ってよく、狛犬の知識があまりない人が型を造ったのだろうか。産地不明だが、出品者は青森の人であった。青森と言えば昨日紹介した鳩笛が最も有名だろうか。狛犬もたまに作っていたのかもしれない。この一対は伏見人形のものと似ているが、狛犬というものはみな同じような形をしている。1年ほど前、わが家の近所に玄関の扉の両脇に、沖縄のシーサーだと思うが、艶のある磁器製の狛犬が一対置かれた。それとほとんど同じ時期、そこから20メートルほど離れた別の家も玄関脇に一対のシーサーを置いた。その写真を今日は載せるが、2軒のそれぞれ一対を載せるのは面倒なので、1軒当たり片方とし、2軒で1枚の写真にまとめた。どちらも色、形は迫力があり、玄関にあると魔除けになりそうだ。伏見人形で同じ大きさのものを作ると、一対で1万円以上するはずだが、沖縄ではもっと安いだろう。いかに京都が大名商売をしているかだ。薄利多売より、品切れが常態にしておいて高値をつけておく。あまり儲からないが、その方が人気は長く持続する。商品は安過ぎると、購入者は大切にしない。高級感の演出は大事だ。だが、それは誰にでも可能ではなく、天性のものであるところが大だ。筆者には真似が出来ないように思う。毎日長文を無料で読めるようにしているこのブログを取り上げても、筆者が薄利型人間であることがわかりそうだ。薄利どころか無利だ。それでは人からありがたがられず、却って悪意で見られかねない。常識外れのことをすると、悪いことでもいいことでも、人はよく思わない。悪人は嫌われるが、善人も同じほどに嫌われる。断っておくと、筆者は善人と主張するのではない。ともかく、世間で善人でなければ務まらないと思われている職業は、だいたいは陰でよくは思われない。よく会社で会計を担当する人が大金を着服したという事件があるが、周囲から善人と目されているのに、その実は全くそうではないことの好例で、人間は善人などいないと思っておいていい加減だ。隙あらばつけ込むというのが本性で、狛犬が現在も健在なのは、そのことからも説明がつくのではないか。邪気を孕む者が神聖な場所に入って来ないようにとの守り神で、邪気は至るところに蔓延しているのが現世というものだ。その自覚が日本は少ないかもしれない。狛犬を初め、玄関脇によく置物を据えている家があるが、奪おうと思えば簡単なのに、そうされないのは平和であるからだ。二世議員やタレントが大繁盛していることは平和な時代であるからで、みんなが安心し、それなりに満足している。中国人観光客は日本の平和な光景に驚嘆しているが、中国が今後それを見倣うかと言えば、そうはならず、悪貨は良貨を駆逐するのたとえにあるように、やがて日本も中国化する可能性の方が大きいのではないか。そうなれば狛犬の小さな人形を作って売る、そしてそれを家の外に飾る平和さは消え、もっと真剣に邪気、魔物を排斥する方法が考えられる。

今日はいつ取り上げようかと思っていたMIHO MUSEUMで9月から今月まで開催された展覧会について書く。筆者が見たのは9月1日の内覧会で、図録をもらって来た。珍しくも横長で、横並びの一対の狛犬の図版を載せるにはちょうどよい。同館が本展を開催するのはひとつの理由がある。本展の副題にあるように、日本の狛犬のルーツから展示しようという企画で、同館の常設展示に馴染みのある人は神獣が古代のイラン美術によく登場することを知っている。本展は同館だけのもので、なるべく所蔵作品を展示したいとの思いがある。所蔵作品を含む企画展を重ねることで、美術館としての貫禄を示そうとするのは当然で、そうでなければ貸し会場と変わらないことになる。街中には画廊が多いが、その大半は誰のどのような個展やグループ展に貸すもので、画廊主は美術好きではあっても経済優先だ。作家の作品を多少は持ちながら地道に販売を続け、その一方で作家の新作展を定期的にするといった気骨のあるところはほんの一握りだろう。また作家の方もそんな画廊のお抱えになると、飼い殺しされると思う場合もあって、作品をどのように発表して生きて行くかは簡単は問題ではない。それはさておき、本展のチケットに印刷される狛犬は図録の表紙にも使われ、本展の目玉と言ってよい。これは高さ60センチほどの木造で、狛犬としては中くらいだが、日本初公開のロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵で、内覧会では同館から眼鏡をかけてやや太った初老の男性が来賓として参加し、挨拶の言葉を述べた。同館所蔵のその一対の狛犬が本展で特別扱いを受けていることが意外な様子であった。おそらく狛犬にさほど詳しくなく、本展でたくさんのものを見て認識を新たにしたのではないか。MIHO MUSEUMでの企画展は海外の美術館から作品をわずかに借りて来るのが習わしになりつつあるようだが、以前の展覧会では弁当箱サイズの箱でも余裕が出来るほどの小さな作品がごくわずかで、海外からの初出品があるという宣伝のためだけに借りて来られている気がしないでもない。また、MIHO MUSEUMは海外の企画展に作品を貸し出すことがよくあるようで、貸せば借りられるという関係が成立しているのだろう。ただし個人ではそういうことは当然無理だ。それに展示のための貸し出しは無料で、これは個人所蔵の場合も変わらない。先日ネットでそういうことを書いている人のブログを読むと、コメントの中に作品を無料で貸し出すことはないと書いていた人があるが、そうではない。無料なら貸し出すのは損と思う人は貸し出さないだけのことで、たいていは美術館に飾ってもらえ、また図録に作品図版が載ることを一種名誉のように思う。ただし、画商によっては客に売ろうとしている作品を美術館で先に展示され、図録に載ってしまうと販売しにくいと考えることもあるようで、美術館が企画展を開催するのは時間も労力も大変かかる。ましてや海外から借りると、所蔵先の関係者を招待する必要もあって、経費が一気に増大する。そう思うと、本展のチケットや図録にアメリカの美術館の所蔵作品が印刷されることは納得が行く。それに海外であれば大半の人は二度と見る機会がない。また、この狛犬は平安時代以降のもので、現存する日本のものでは最古に属する。本展でははっきりと平安時代とわかる一対がこの作品の前に図録には掲載されているが、それと比べると雰囲気がかなり異なり、獰猛さが減少した分、滑稽な温かみが出ている。特に右の口を大きく開けた狛犬がそうで、前脚から頭部を前方に乗り出している点も見慣れた狛犬とはかなり異なる。どこにあったものか不明だが、平安時代まで遡ると思われるものでも海外流出したことはいかにももったいない。この一対から他にどのような型に嵌らない狛犬が日本から出たのかと思ってしまう。あるいはさほどでもなく、この一対が特別に風変りでまた古くもあったので学芸員が以前から目をつけ、本展にぜひとも借りるつもりであったのかもしれない。またこの一対は全体が流木のように彩色や汚れが取れ、木目が露わになっているが、そのように枯れた味わいはいかにも日本の神のイメージに似合う。これより古い平安時代のものは全体が煤で黒くなっていて、木造には見えず、ただただ厳めしい。それはそれで狛犬として役目を果たしているが、造形の面白さとなると、もっと多様な味わいを醸し出している方がよい。その条件に見合うのが、ロサンゼルスから借りて来られたものだ。

狛犬と称されているのに、本展の題名では「獅子」が入っている。これは一対の狛犬のうち、向かって右側が口を開けた犬、左側が頭に一本の角が生やして口を閉じる獅子であるためだが、獅子と狛犬のセットを狛犬と伝統的に呼んで来たので、本展でもこのブログでもそれにしたがっている。頭に角と言えばわが家の土人形の狛犬はどちらもそうで、口を閉じているから、狛犬ではなく獅子と呼ぶべきだ。だが、この阿形と吽形は必ずしも左右で決まっておらず、また角のない獅子もあるので、ぱっと見て狛犬とわかればさほど細部の造形はとやかく言わないようだ。前脚を絶てた二匹が向かい合うことが基本で、その姿はいつでも飛びかかる用意があるように感じさせ、そのそばを通過する者を威嚇しつつ、厳粛な気分にさせるのに効果的だ。昨日は住吉大社の種貸社の変わった狛犬の写真を載せたが、それはほとんど大阪人のギャグのようで、厳めしさよりも面白さが強い。だが、狛犬は商品化されてからは「かわいらしさ」をまとうようになったから、種貸社の狛犬は若者には人気があるだろう。そのかわいらしい狛犬のルーツは本展の目玉作にもあるし、また図録では113番の室町時代の三彩の色合いで着色された木造にも顕著だ。それはほとんど現代の作に見えるほどのおかしみのある顔で、高さも30センチ台で、神社ではなく、個人が所有していたものかもしれない。辻惟夫館長の挨拶の中に、日本には3000ほどの狛犬があるとの言葉があったが、その中から本展は変化に富む展示を心がけて選ばれたのであろう。またその3000は系統的に研究がなされているのではなく、わからないことも多いだろう。有名な仏師が名品をたくさん作った仏像と違い、どちらかと言えば無名の人の手になる神像と同じような扱いで、研究しても何かがはっきりとわかるというものではないのかもしれない。また、木造の置き場所が雨ざらしされるような場所ではないにしても、軒下の外気に常に晒されるので、仏像より劣化が激しく、消耗品扱いではなかったか。種貸社の石造の狛犬は新調されたばかりに見えたが、以前のものは長年の風雨によって脆くなって壊れたのかもしれない。また、消耗品扱いであったから、新調されたものが据えられると用済みとなって市場に流出したのであろう。今年は姫路の書写山円教寺に行ってその宝物展示の
ガラスケースの中に鎌倉時代のものだろうか、古い木造の狛犬を見た。厳めしい一対の前にかなり小振りの一対もあった。どこにどのように置かれていたかわからないが、神社を併せ持っていた寺には狛犬は不可欠なものであったのだろう。狛犬の「狛」は「高麗」かと思うが、狛犬がササン朝ペルシアの獅子像、獅子文様からシルクロードを通って中国や朝鮮にもたらされ、それから日本にわたって来たのは誰にでも想像がつく。そこで本展は特別出品として朝鮮王朝15世紀の木造彩色の狛犬が展示されたが、これは会場では飛び切り異色なもので、李朝民画の世界に通じるおおらかさと滑稽さがある。どちらも口を閉じ、角を生やさず、鏡合わせのように左右対照だが、李朝民画の虎図がそうであるように、少しも恐くない。朝鮮で他の狛犬がどのような形をしていて、どのように変遷して行ったかの興味を誘うが、たぶん韓国では狛犬を知る人が少なく、面白いものは日本にもたらされているだろう。もちろん本展では中国の狛犬も展示され、銅製鍍金、石灰岩、三彩陶と、素材も形も多様であったことがわかり、日本の狛犬の祖先であることが明白だ。それにしても朝鮮の狛犬はなぜ中国や日本のものと全く違うのかだが、その不思議さは李朝民画を見るたびに思う。狛犬展は京都国立博物館でも開催されたことがあるが、本展は図録が充実していて、狛犬の歴史と多様性を知るには便利だ。