厓という漢字はどのパソコンでも表示されるのだろうか。昔のワープロでは出なかった。芹沢銈介の「銈」もそうで、この文字は時々ネットで平仮名表記されていることに出会う。漢字が多過ぎて中国が簡易な字体を戦後に作り出したのは理解出来る。
その簡易体は平仮名や片仮名のようなものかと思うが、あまりに簡略化されて元の字がわからないものもある。それを言えば平仮名、片仮名も同じで、よく使う文字は簡単なほどよい。簡単でわかりやすいことは人気の鍵だ。それを卑俗とけなす人もあるが、全部が全部、そうではない。逆にいかにも難しそうなものが実際は中身に乏しい場合もよくある。また、簡単でわかりやすいものがごく短時間で作られるとは限らない。多大の時間を費やして推敲に推敲を重ね、ついには骨だけになってしまったと言える作品はよくある。含蓄が多過ぎるのだが、ジャコメッティはそのいい例だろう。では骨のように痩せ細った彼の彫刻が誰にとってもわかりやすいかと言えば、その正反対だ。この場合の「わかりやすい」というのは、作品をいいと思うという感情がただちに湧くことだ。それも誰にとってもということはあり得ない。何十年もある作家やある時代の作品を見続けている人なら、目が肥えて即座に自分の関心分野の作品のよしあしがわかるが、そうではない人は「わかる」というのは「何となく好き」という感情の芽生えで、その作品に普遍性があるかどうかまではわかりようがない。それでも「何となく好き」という感情は当たっている場合が少なくない。その最初の思いが元になって数十年もその作家や類似した作品の世界に没入して行くことがある。ま、卑俗な作品のことをわざわざここで書く必要はない。筆者がそういう作品を謗っても、永遠にそういう作品はなくならない。いつの時代でも大多数の人がごく気軽にそういう作品を持ち上げる。そしてすぐに忘れる。それでいいし、またそうなるしかない。さて、今日取り上げる展覧会を10月下旬から11月上旬のいつであったか忘れたが、細見美術館で見た。仙厓の作品をまとめて見られる機会はとても少ない。それで期待した。鍋島焼も筆者は好きだが、本展のメインの展示は仙厓だ。題名にあるように個人コレクション展で、40年かかって集められたものだ。40年は長い。筆者も古美術品を買うが、まだ10年少しだ。その4倍の期間となると、展覧会が開催されるほどにはなるだろう。ただし、そのためには資金が必要だ。だが、ゴルフをせず、豪華な車やレストラン、旅行に無縁であれば、そこそこ誰でも40年で大きなコレクションを形成することが出来る。要はその気があるかないかだ。また、そういう気があって、ごく平均的な収入の人は珍しいかもしれない。そして変人と思われて孤立するかもしれないが、本人は執念がいよいよ深くなっていて、また増える一方の作品に囲まれて悦に入る。そして、本展のような機会が得られればなおのこと喜びは大きい。そして自分が死んだ後の作品の行方が気になり始めるが、ごく平均的な収入であれば個人美術館の設立はまず無理であるから、死後は作品が散逸する可能性が大きい。あるいは公共機関に寄贈するかで、そうすれば自分の名前が半永久的に残る。神尾氏がどういう考えであるのかは知らないが、本展を機会にしたのかどうか、仙厓と鍋島でそれぞれ独立した図録が作られた。仙厓のそれはかなり分厚く、5000円だったか、7000円だったか、鍋島の3倍ほどの値段がついていた。図録が作られると、もう収集を増やさないかと言えば、執念があるからそうは行かない。死ぬまで買い続けるはずで、そのことが生き甲斐になっている。
40年前と言えば、まだネットがなかった。そして仙厓に関してもあの出光が所蔵する膨大な作品を収録する分厚い本もまだ出ていなかった。そのため、研究は難しかったであろう。神尾氏は博多の人か、もしくは九州の人と思うが、仙厓の人気は博多で大きいだろう。博多には有名な仙厓研究家がいて、仲間と一緒に作品を購入していた。その人の著作を昔読んだことがあるが、腑に落ちないことがあった。本での記述があまりに断定的であったからだ。それは真贋に関することで、出光に入っている仙厓に贋作が混じると書いていた。そして本人が真作として挙げる作品の図版が載っていたが、その落款は筆者にはよくないように見えた。仙厓が最もよく用いた印章は金属製の達磨型をしたもので、その内部に「仙厓」と彫られる。これは現存している。金属であるから減りや欠けはめったに生じないが、その代わり、捺印時に朱肉がつきにくいだろう。この達磨印は拡大した図版が今は用意に手に入るから、仙厓の作品の真贋は誰でも容易になったと言えそうだ。本展を楽しみにしたのは、その印章を捺す作品がどれほどあり、また印影がみな同じかどうかであった。結果を書くと、4,5種はあった。仙厓はその達磨印を別に用意したことはない。つまり、ひとつしかない。それなのに、細部が少しずつ異なる印影が4,5種もある。これは贋作がかなり混じっていることを意味しそうだ。だが、仙厓の真贋はそう簡単に言い切れない。署名のみで、捺印しなかった作もあるからで、またそういう作があることは、署名もしなかった作品が多いだろう。そんな作品が仙厓の手元を離れ、しかも仙厓がもうこの世にいなければ、誰かが仙厓の印章を模造して捺すこともあるだろう。そのため、印章が違っても、一概に贋作とは言えない。絵は署名やハンコを味わうものではない。絵そのものが命だ。とはいえ、実際に大金を出して絵を買うと、サインが贋物かどうか気になる。そして素人でなくても、サインが贋であれば、絵も何だかよそよそしく見えて来る。それは金が目の前にちらつくからでとばかりは言えない。絵を買う人は株を買う人とは違って、精神が豊かになる。つまり気分よくなりたいためで、そのことは絵が本物であることが保証してくれると思っている。では絵が本物とはどういうことか。サインが本物で、本当にそのサインの作者が描いたということか。それもあるが、自分が気に入った絵であるということがまず大事だ。神尾氏は仙厓に惚れた。それで40年も集め続けた。その過程で当然先の達磨印の違いによく気づいているはずだが、それら全部を真作と考えるからこそ展示した。それは、印章には微妙な違いがあるが、どの絵も仙厓そのものとしか言えない雰囲気に満ちるという自信が裏打ちされているだろう。実際、どの作も紛れなく仙厓で、贋作を感じさせるものはなかった。だが、ネット・オークションでも仙厓の絵はきわめてよく出品され、中にはどうかと思う作品が混じる。いや、そういう作品が圧倒的に多い。筆者も何年か前、仙厓に夢中になりかけたことがあり、数点購入した。そのうち半分は達磨印が基準印とは違い、贋作だろう。それでもそうとも言えない雰囲気があって手放せないでいる。また、達磨印ではない、初期にわずかに使われた印章の墨竹図を持っていて、真作は間違いないが、仙厓独特の人間を描いた作に漂うユーモアがなく、あまり面白くない。そういう作より、むしろ贋作の可能性が残るが、いかにも仙厓と誰もが思える絵が楽しくてよい。知り合いの表具師の青木さんが何年か前、仙厓の絵をきれいに表具し直して個展に出品した。青木さん曰く、仙厓の絵はどこからどこまでが本物かどうかわからないとのことで、これは同感だ。神尾氏もそうではないだろうか。
仙厓の絵は子どもの落書きのように見えるので、模倣は簡単と言える。だが本当にそうか。技術をさほど要しないような絵の方が却って模倣は難しい。職人的な画家は技術が先に立って、仙厓より上手な線を引いてしまいそうだ。それでは面白くない。仙厓の絵の面白さは絵と賛がよく釣り合っていることで、絵にも書にも仙厓独特の持ち味がある。これは職人的な画家には模倣は無理で、書は別の達人に任せる必要がある。そうなると、今度は出来上がった作は絵と書がどうもちぐはぐな印象を与える。つまり、仙厓の作は意外に模造が難しいだろう。また、仙厓の絵は数百万円といった高値ではまず取り引きされない。せいぜい数十万円だ。これは膨大に作品があるからだ。1日に数十枚ほど描けるものであり、またそのように描いたのではないか。出光は700か800点ほど所有しているのではなかったか。そのほかにも各地に所蔵されるから、2000点や3000点は残っているだろう。そうなると、目にする機会が多いから、贋造には有利ということになる。その別の理由として、仙厓はよく同じ画題で描いたことだ。江戸時代の画家はみなそうだ。同じ絵を数点、多い時は10点以上も描いた。そのどれかが原画で、残りは作者による控えや模造とは言えない。どれも原画だ。もちろん仙厓の場合は、同じ絵といっても同じ画題との意味で、寸分違わず、同じ絵と同じ文字が同じ場所にあるということではない。そうなれば画題が紙のどこに収まっているか、また賛の位置や大きさはどうかといったことから真贋がわかるのではないかと思いたいが、ミリ単位で構図を決めて描くといった厳密さに囚われなかった仙厓であるので、まずそんなことからは真贋はわからない。たくさん見続けるうちに仙厓の持ち味が感覚でわかって来る。とはいえ、それも完全かと言えばそうとも限らず、意外な真作が登場すれば、それまでの思いを微妙に修正する必要はあるから、一生かかっても仙厓の真贋が完全にわかるということにはならないだろう。では、タイムマシンが出来て仙厓に見てもらうほかないのかと言えば、仙厓が見ても真贋がわからない作品が混じっているだろう。それは仙厓がどの作品も全部記憶していることがないからで、自分の特徴をよく捉えている作品を見れば、自作と判断するだろう。あるいは、真贋になぜそんなにこだわるのかとも言うかもしれない。これは西洋のように白か黒をはっきりさせる考えからすれば理解を越えていることだろう。だが、仙厓に関しては印章に疑問があるのに、出来栄えが真作と同じという作品があまりに多い。そして、そういう作品から悪意が感じられないのであれば、仙厓の作として楽しめばいいではないか。それは仙厓の人格のよさが感じられればそれでよしという考えで、絵画の本質や使命ということを仙厓ほどに感じさせるものはない。神経が張り詰めてもう少しのところでそれが切れてしまいそうな絵もいいが、そういう世界と仙厓は対極にある。だが、仙厓が常に気軽に描いたかと言えばそうではないだろう。禅僧であるからには、辛い修行を経ているし、また普通の人と同じようにいやなことやいやな人との出会いはあったはずで、そういうことに気を向けずに天真爛漫を装って描いているところが偉大だ。そのため、仙厓の絵の奥に隠されている一種の悲しみのようなものを思ってしまうが、それも承知で仙厓が描いたことを知るべきで、仙厓の魅力に捉えられると九州人でなくても容易に抜け難い。
子どもが描いたような落書きに近いものと形容すれば、卑俗な漫画を連想するひとがあるだろう。そこで忘れてはならないのは、仙厓が禅僧であったことだ。絵を描くことも修行のうちで、職人的な画家とはその点が全く違う。絵は仏教を伝えるひとつの手段であって、単なる目の楽しみ、心の娯楽のためではなかった。そこを忘れると仙厓の意図を理解したことにはならない。俗のようでいて、高雅な気が漂うのが仙厓の作で、それは手先だけが器用な人が真似出来るものではない。だが、矛盾するようだが、器用な人が真似すれば仙厓らしい作が出来るし、それもまたいいではないかと仙厓は思っていたのではないか。禅僧だけが悟りに到達出来るものではない。赤ん坊や無邪気な子どもは悟りとは無縁の境地にいるし、ひたすら働くだけの農民もまともに生きているのであって、その過程で悟りも得る。仙厓の絵を見ていると、そのような人間肯定の気持ちにさせてくれる。そこが仙厓の人気の理由でもある。さて、仙厓の作とは違って、1本ずつの線がミリ単位で厳密に引かれ、また色合いにしても、鍋島焼ほどに完璧という言葉がふさわしい陶磁器は日本にはほかにない。神尾氏は仙厓の作を見るかたわら、鍋島焼を手に取ることで造形の妙に遊んでいるのだろう。個人コレクターは日本には多いと思う。そういう人たちのコレクション展が増えれば楽しい。博物館、美術館級の作は乏しくても、収集家の思いが伝わる。そういう人がもっと表に出て来るべきだ。収集も創造と言えるからだ。