夭折せずに77歳まで生きたジャコモ・ファッコという作曲家のCDを今日は取り上げるが、「作品1」とあるのが謎めいている。1676年生まれで1753年に亡くなった。

同じCDの最後に、おまけのようにヴィヴァルディの協奏曲がひとつ収録されていて、そこに1678-1741と生没年があるので、ファッコとヴィヴァルディは同時代を生き、しかもファッコの方が長生きしたことがわかる。にもかかわらず、ファッコの名前を筆者は今日のCDで初めて知った。このCDを入手したのは3年ほど前だ。ドイチェ・ハルモニア・ムンディの創設50周年記念として発売されたCD50枚入りのボックス・セットの1枚だが、筆者はそのセットものを購入していない。発売時に知らなかった。すぐに再発されたようだが、今は高値になっている。発売時はCD1枚100円程度の価格であった。その50枚セットは、当然過去に発売されたCDから選び、薄い紙ジャケットに収めたもので、クラシック音楽好きは昔に発売されたものを買って所有しているCDもいくらかはあるだろう。それでボックス・セットからばら売りする人がたまにある。筆者はそういう人からファッコやその他の作曲家のCDを安値で落札した。届いてすぐに本CDを聴いてびっくりした。ヴィヴァルディと同時代の音楽であるからだいたいどんな音かはわかる。だが、音楽が鳴り始めた時、何かとてもワイルドな雰囲気が感じられ、その生々しさがとてもよかった。クラシックすなわち古典と聞くと、退屈という言葉を連想する人が多いだろう。何百年も前の昔の音楽など、現代に似合わず、定年退職して暇を持てあましている老人が聴けばよい。そう思っている若者は音楽好きの9割以上は占めているのではないか。筆者はロックが好きでクラシック音楽には詳しくないが、20歳前後からぽつぽつと聴き続けて来たので、好きな作曲家や作品はそれなりにある。バロック音楽ばかり放送する番組が昔のNHK-FMにあって、もう40年以上前のことなので誰か忘れたが、ある有名人がバロック音楽は定年退職してから聴くにふさわしいと発言していた。そんな年齢になってバロック音楽を聴き始めるクラシック音楽ファンがどれほどいるだろう。若い頃からいろんな時代の音楽を聴いておくべきで、また自然と耳に入って来る。いや、「来た」と言った方がいい。21世紀に入って写真がケータイでも撮影出来るようになって、写真のありがたみがなくなったと先日書いた。それと同様、音楽もパソコンで無料で無限に聴くことが出来る。筆者は毎晩YOUTUBEで音楽をBGMとしながらこれを書いているが、そう言えば最近はあまりCDを買わなくなった。そんな時代であるから、レコード会社はボックス・セットの廉価ものを立て続けに企画するのだろう。先のドイチェ・ハルモニア・ムンディ50周年記念の50枚セット・ボックスは今月上旬に第2弾が発売される。昔のレコードで言えば100枚分だ。それをじっくり聴くには1年では足りないだろう。そのため、CD1枚当たりせいぜい数回聴くだけとなる。筆者は今日取り上げるCDを50回以上は聴いている。ま、それがほとんどBGMとしてであるので、100回聴いてもわかったようなわからないような気分であるのは変わらないだろう。脱線ついでに書くと、パソコンでCDを聴くこともあるが、本CDは最近は毎日ステレオで大音量で聴く。パソコンとでは迫力が天地の開きがある。やはり音楽はステレオでまともに聴くに限る。本CDを最初に聴いて驚いたのもそれがステレオのスピーカーを通してであって、パソコンでは同じように感じなかったと思う。これもついでに書いておくと、ステレオを鳴らすことが最近はあまりないため、プレイヤーの調子がおかしい。それもあって、なるべく毎日CDをステレオで聴くように心がけるようになった。そのきっかけが本CDで、2週間ほど前のことだ。今日は別の音楽を取り上げる予定でいたのに、2週間前に気が変わった。本CDがちょうど今頃の紅葉の季節によく似合う気がするからだ。若冲が生まれるかという頃にヨーロッパで鳴り響いていた音楽だと思うと、また味わい深い。
もうひとつ理由がある。20日ほど前だろうか、TVで日本のある若手のヴァイオリニストがゲスト出演していた。NHKかもしれない。あまり背は高くなく、帽子を被り、髭面で、またとてもお洒落な男性だ。ナタン・ミルシテインの大ファンらしく、彼がやったのと同じようにスカーフを顎に添えてバイオリンが直接肌に触れるのを避けて演奏する。ナタンは筆者は20歳頃にレコード・ジャケットで演奏する姿を知った。誰の協奏曲か忘れたが、当時そのレコードは大いに売れた。ドイチェ・グラモフォン盤だ。当時絶大な人気を誇ったカラヤンとは違って、眼鏡をかけ、学者風の風貌で、お洒落な伊達男という感じはしなかったが、それがかえって本物という雰囲気を漂わせていた。渋いと言ってもよい。ナタンを尊敬するその日本のヴァイオリニストは、かなりきざなファッションで、演奏の方はどうかと最初は期待しなかった。だが、ヴィヴァルディの『四季』から「冬」の第1楽章を演奏し始めた途端、TVの前で筆者は度胆を抜かれた。それは若い頃から聴き慣れた曲がこうも違うかという新しい驚きで、それはとりもなおさず演奏者の優れた技術によるものだ。1音ずつに心を込めていることがはっきりとわかり、そんな優れた才能が日本のクラシック音楽界にいることに筆者の無知さ加減を改めて自覚した。その演奏を聴いたことが多少のきっかけとなってファッコの本CDをまた引っ張り出した。ヴィヴァルディは日本では昔から大人気で、家内も10代半ばからLPを買っていた。イ・ムジチ合奏団の『四季』と言えば、ミリオンセラーにはなっていないだろうが、それに近いほど売れたのではないか。ヴィヴァルディはバロックでも後期に属し、『四季』を聴いてもその激しさは誰にでもわかり、定年退職してから聴く音楽などとはまず言えないが、あまりに聴き過ぎて今さら『四季』でもないかと思わないでもない。そういうところにファッコの本CDを聴くと、ヴィヴァルディとは違った才能であることがわかり、それがまた新鮮でよい。だが正直に言えば、本CDの最後に収録されるヴィヴァルディの作品『協奏曲 ト短調 RV157』を聴くと、彼の名前が現在まで忘れられることがない理由がわかる気がする。ファッコよりも情熱的と言えばいいか、作品が印象深いのだ。ただし、これはト短調という調性のせいもあるだろう。紅葉の季節にぴったりで、『四季』のように感情を揺さぶるのがヴィヴァルディは上手だ。それが鼻につくと言うことも出来るだろう。家内はヴィヴァルディと聞くと、『調和の幻想』の「第6番 イ短調」を思い出して口ずさむが、この題名は筆者は昔から気になっている。イ・ムジチ合奏団の演奏するアルバムではその題名がついていたと思うが、「調和の霊感」と訳しているものもある。今ネットで調べると、「L‘ESTRO ARMONICO」が原題だ。「ESTRO」は「空想」の意味で、それを幻想や霊感と訳すのはさほど間違ってはいない。「ARMONICO」は「ハーモニー」と同じ語源であることは誰しも想像がつく。そこでだが、本CDの題名「PENSIERI ADRIARMONICI」は前半は花の「パンジー」と同じ語源で「考える」の名詞であることもたいていの人にはわかる。問題は後者だ。「ADRIARMONICI」はヴィヴァルディがつけた「ARMONICO」と後半部がほぼ同じで、「ハーモニー」すなわち「調和」に関する言葉であることがわかる。本CDと同じ曲を収録した別のCDの日本盤では『和声復興への考察』という邦題がついている。「考察」と「和声」はわかる。問題は「復興」だ。「ADRI」の接頭語に「復興」の意味があるのだろうか。また、ジャコモ・ファッコがどんな和声を復興させようと思ったのか。復興というからには古いものをもう一度興そうということだ。後期バロックの流行ではなく、もっと以前の様式、感覚を再現したかったのだろうか。本CDを聴くとあまりそうは思えない。最初に書いたように、ヴィヴァルディとは違うものの、同じように激しい感情が伝わる。「ADRI」は本来は語尾が違う言葉のはずだが、イタリア語を知らない筆者にはわからない。だが、何となく「ハーモニーを網羅する」といったような意味のような気がする。つまり、『和声復興への考察』という題名は、同曲によって「復興したファッコ」をほのめかしたいためではないか。
ファッコという名前は覚えやすく、またヴィヴァルディという響きに比べると、ちょっと変わった作曲家という印象がある。WIKIPEDIAにあるように、ファッコが再発見されたのは1962年のことだ。それまで200年以上も忘れられていた。ヴィヴァルディも似たところがあって、再評価は20世紀に入ってからだ。そのため、膨大な作品の全部が伝わってはいない。ファッコはそれがもっとひどいが、楽譜が焼けてしまったかららしい。彼はパドヴァとヴェネツィアに近い町で生まれたので、ヴィヴァルディと同じく北イタリア人だが、長年指揮者として活動した後、30歳にはシチリア島のパレルモで雇われる。ザッパが言ったように、昔の音楽家は王侯貴族に雇われて彼らの好みを曲を書くことが生計を立てる道であった。そのためザッパは昔の音楽家は完全な自由を手にしていなかったと言いたかったのだろうが、王侯貴族の好みに合わせるとしても作曲家が個性を発揮することが出来ないかと言えばそうではない。王侯貴族が仮に音楽についてほとんど無知である場合、彼らを喜ばせる曲を書くという点で作曲家には大きな自由があるし、彼らが音楽の知識を豊富に持っていればそれはまた大いに作曲家魂を発揮する気になるというもので、結局は音楽は作曲家と聴き手が作り上げるもので、それは時代ごとに創造としての頂点に到達している。話を戻して、ファッコを雇ったのはスペイン王の大使で、これがファッコとスペインのつながりを生む。40代半ばにはポルトガルの王宮の誘いを断って、スペインのマドリッドに行き、同地で没するまで過ごす。シチリア島は古代からいろんな国に支配されて来たが、17,8世紀のことも日本にいては詳しく知ることがない。そのため、ファッコがなぜイタリアに留まらなかったのかと不思議に思う人も多いかもしれないが、音楽家は身軽だ。またヨーロッパの王宮はみな親戚と言ってよく、才能を見込まれた芸術家は生まれた土地に縛られず、モーツァルトがいい例だが、各地を移動した。またこれもモーツァルトもそうであったが、ファッコは王侯貴族のために退屈とも思える曲を量産する必要があり、そのために生涯を消耗させて行き、最晩年の数年間は宮廷の教会オーケストラの一ヴァイオリニストという地位でしかなかった。これは悲惨というより、ほとんどの作曲家が同じ運命で、作品は消費されて行くものであったし、今でもそうと言える。「PENSIERI ADRIARMONICI」はアムステルダムで1716年と1718年に二回に分けて楽譜が出版された。本CDは1716年の「作品1」の6曲で、後半の6曲も別の演奏者が録音してCDを出している。WIKIPEDIAにはこれら12曲を「A CYCLE OF TWELVE CONCERTOS」と記していて、12曲で一連ということは、先に書いたように、「ADRI」には「まとめる」といった意味があるのではないか。スペイン王宮がファッコを雇ったのは、当時のスペインの音楽に碌なものがなかったからか。スペインの作曲家と言えばアルベニス、グラナドス、ファリャといった19世紀半ば生まれしか思い浮かばず、またスペインと言えばギターであり、その弾むリズムに応じる舞踊、そして民謡で有名で、ヨーロッパの田舎というイメージが強く、宮廷では洗練されたイタリアの音楽を好んだのだろう。となると、ファッコはスペインの風土を日々感じながら、また独特のスペインの民謡に感化されて作曲や演奏をしなかったのだろうか。それを知るには他の曲を聴く必要がある。本CDについて言えば、スペインらしさといったものは感じない。作曲家がそれを前面に押し出すにはアルベニスの時代まで待つ必要があったのかもしれない。ファッコもヴィヴァルディもヴァイオリンを演奏したが、それを演奏する格好よさは、20世紀後半のロック・バンドのギタリストに匹敵する。そういう思いで本CDを聴くと、悦に入るファッコの姿が見えそうで、また作品がいささかも古びていないように感じる。書かれたものが残ると、いつか誰かが着目する。そのことを先日自治会住民の大志万さんに言うと、「ロマンですね」と返した。ファッコは自分の作品が200年後に聴かれることを想像したか。想像したところでとっくの昔に死んでいる作者には何の得にもならないから、彼女の言うようにロマンに過ぎないが、作った尻から消耗されて何も残らないと最初からわかってファッコが本作の楽譜を出版したかと言えばそうではなく、ロマンと言ってよい思いはあったはずだ。