柄があまりよくないと思われている大阪だが、それは昔から商人が多く、金儲けに関心が強いことに理由があるのだろう。今ではお笑い芸人を輩出する本拠地で、それも柄が悪いイメージにつながっているのではないか。
笑いは下品ではないが、「どつき漫才」が流行った頃から大阪の漫才は、大阪という土地柄が悪いという印象を全国的にもたらしたのではないだろうか。近年その柄の悪さは日本にやって来る中国人観光客に使われる場合が目立ち、そのことからうかがえるのは、柄の悪さは洗練のなさであり、後進国や貧困という言葉と結びつきやすいことだ。一方の「柄がよい」という言い方はほとんど聞いたことがない。そういう場合は「品がよい」と言う。何を以ってして「柄がわるい」と言われるかだが、声が大きかったり、薄汚れた身なりであったりする場合もそうだが、顔つきが一番大きい要因ではないか。顔を見ただけで人柄がわかると言えば、そんなことはないと反論する人があるだろうが、品性は顔つきに滲み出やすい。そこで興味があるのは、いろんな役を演じる俳優だ。悪役専門と清純派、正義派専門といったようにある程度の型に分かれることが多いのは、俳優も顔つきを持っているからそれは仕方がない。それでも、セリフを覚える俳優をやるからには知能が平均かそれ以上でなければならない。そのため、知的ではない役柄を演じる場合には演技の裏に知性が見えて好ましく感じられ、その反対に知的な人物を演じる時は、役者本人にその知性が実際はないことが伝わって、気の毒になったりする。何を言いたいのかと言えば、役者は博士になるほどに知性のある人はきわめて少ないということだ。そのために誰もが安心して演技を見ることが出来る。韓国のTVドラマを見ているとよくそんなことを思う。今日取り上げるドラマは先頃終わった。最後の数回は家内の手術もあってじっくり見たとは言い難いが、韓国ドラマが最も面白いのは中盤で、それが過ぎるとどのドラマも予想したとおりの展開となって、惰性で見ることがままある。とはいえ、本作はなかなかの変化球を見せ、予想が少なくても二度は覆り、最近の韓国ドラマが飽きられないためにあの手この手で今までにない工夫を凝らそうとしていることがわかる。韓国の現在の社会事情をある程度反映した内容でなければ人気を得にくいので、韓国ドラマを通じて国民の生活や関心事、流行などが垣間見えることが面白いが、たくさん作られるドラマはそれだけ凌ぎを削っており、面白く見せようという工夫が必要だ。その手法的なことも韓国の現在の事情の一端を示すとともに、視聴者からすれば分析的に鑑賞することになって、過去のどの作品のどの部分を引用しているかが直ちにわかって白けもする。つまり、面白い反面、もう飽きたという感じがある。それをドラマの製作者はよく知っているはずで、視聴者の期待をいいように裏切るアイデアを日夜考えているだろう。韓国でTVドラマが毎年いくつ作られているのか知らないが、全部見ることは不可能なほど多いのは確かだ。そうなると粗製濫造という言葉も思い浮かぶし、実際そう言ってよいドラマも少なくない。そのことは小道具やセットの安っぽさに昔からよく表われていて、NHKの今の朝ドラをたまに見ると、天地の差を感じる。韓国ドラマの製作者にぜひともNHKのドラマを見てほしいが、そう思いつつ筆者はこうも考える。ドラマはしょせんドラマであって、いくら精巧で時代考証が完全な小道具や衣装、髪型、セットを使っても、視聴者は作り物として最初から見るから、小道具や大道具の類が主役ではないという思いだ。それらがいかに完璧であっても、ドラマそのものが面白くなければ全体としては失敗だ。そういう意味では韓国ドラマはあまりに安っぽい小道具、大道具ではあるにしても、面白く見せるという最も重要なことは忘れておらず、どのドラマもそれなりに見所がある。そう思うので全回を見終えた作品については欠かさず、このカテゴリーで感想を記して来ている。
本作の特徴を説明すると、先の変化球だが、過去のドラマで使われた要素の寄せ集めが巧みということだ。若い男女が2組登場して相互に絡むのは毎度のことで、本作もその例に漏れず、最初の方では姉妹がひとりの男を巡って奪い合いをするのかと思わせるが、中盤に至らない間に、姉はすっかり男を諦め、妹に譲る。その変わり身の速さにはいささか驚くが、そういう女性もいると思うしかない。その姉妹は姉が弁護士で、妹は姉のように賢くはなく、共通点がほとんどない。その不思議さは回を追うごとに納得行く形で明らかにされる。本当の姉妹ではないのだ。しかし、ふたりはそのことをなかなか知ることがない。異母姉妹、異父姉妹かと言えば、全く赤の他人だ。それがなぜ姉妹として成人するまで一緒に暮らしたかだが、父親が友人の娘を幼い頃に引き取って育てた。こういう設定はたまに韓国ドラマにある。本作のヒロインは姉妹のうちの妹ドゥリムで、彼女は実の両親を知らずに育ち、姉のスイムを慕って、姉妹はとても仲がよい。ところが、そこにひとりの若い男ヒョヌが現われる。彼は弁護士で、スイムの大学時代の先輩だが、彼女を妹のようにしか思っていない。ところが、学生時代から奥手のスイムはヒョヌが好きで、またヒョヌの父である判事のボブジンからは息子の嫁に最適と思われている。ヒョヌとスイムはふたりで弁護士事務所を開き、スイムはますますヒョヌとの結婚を待望するのに、ヒョヌにはそんな気はない。ある日、彼はドゥリムと街角で出くわす。お互い自転車に乗っていて、出会い頭にぶつかったのだ。ヒョヌは学生時代はミュージカル俳優になりたく、その道を断念しないまま、弁護士になった。それは、父ボブジンの願いであったからだ。ボブジンの父も判事で、ヒョヌは法曹一家の3代目という重責を負っている。そんな家庭の長男がミュージカルの道に進むことなど絶対に許されない。ヒョヌはしぶしぶ父の圧力に負けた形で弁護士をしている。韓国ドラマはいつも経済的には天地の開きのあるふたつの家族が登場する。ヒョヌの家族はエリート中のエリートだ。品がよく、嫁を選ぶにもそういった家柄からか、もしくはいかにも品よく育った感じの女性でなければならない。これは法曹一家だけのことではなく、世界中どの国でも同じだろう。釣り合いがいろいろと取れない相手が結婚すると、家同士の交際がうまく行かないと考える。結婚はまだまだ本人同士の問題ではなく、家同士のことが重要なのだ。本作ではボブジンは人がいいのか、上品な家柄でもないスイムのことを気に入っている。それは彼女が優秀な成績で卒業し、同じ法曹会の人間であるからだ。ところがドゥリムはスイムのように学はなく、お転婆でしっかりとした会社に勤務もしていない。彼女は歌が好きで、ミュージカル・スターになることを夢見ている。そしてある若手の劇団の下働きから始めるが、その劇団の監督はヒョヌのかつての同級生であることがやがてわかる。そしてスイムも妹のことを思って、陰で監督テギョンによろしくと頼んだりするが、テギョンは学生の頃からスイムが好きで、まだ思いを寄せている。テギョンとヒョヌは親友で、スイムとドゥリムがヒョヌを愛するという設定で全体の3分の1ほどが進む。スイムはドゥリムを憎らしく感じるようになり、一種のドロドロの復讐劇に突入するかと思わせるが、そこは利発なスイムで、潔くヒョヌを諦め、思いを寄せてもらっているテギョンのプロポーズを受け入れる。そうなると、2組の男女の恋愛はいとも簡単にめでたしとなるが、それでは今までのドラマと同じで、誰も続きを見ようとしない。姉妹がひとりの男を取り合うということは本作の中心的な話では全くなく、それはいわば最初のちょっとしたお膳立てだ。また、2組の男女ではなく、もう1組と言おうか、若い男女が登場する。男はヒョヌの従兄だ。ヒョヌの母親の兄ソクテの息子サンヒョンで、その親子はアメリカで経済的に成功し、そして一時的に韓国にやって来た。サンヒョンはたちまちドゥリムに好意を寄せ、テギョンのミュージカル劇団に出資し、ドゥリムだけをアメリカで成功させようと考えるほどになる。面白くないのはヒョヌで、ふたりはしばしば対立する。本作で悪役はソクテだ。彼は韓国から渡米していきなり成功した。その理由は次第に明らかにされる。
韓国人が渡米して市民権を得るのは年々増加していると思うが、本作はいわばそんな社会事情の一例を示している。だが誰が考えてもわかるが、さして資金がない状態でアメリカで暮らしてもどれほど成功する確率があるだろう。ソクテは金には全く困らない資本家となっているが、そういう人間はしばしば裏事情がある。のし上がる時にそうとうあくどいこともしなければ大金持ちになれるはずがない。日本でもそのように考える人は多いだろう。ソクテは韓国で詐欺を働き、騙された男は全財産をなくして刑務所に入った。それが無念で自殺し、その時にひとり残されたのがドゥリムで、彼女を育てたスイムの父ジョンナムもまたソクテによって全財産をなくした。そしていつか仕返しをしようと思っている間に月日が流れた。たまに無念の思いを家族に漏らすが、もはや妻さえも相手にしない。そんなジョンナムはある日、偶然ソクテに出会う。その辺りから本作の醍醐味が始まる。だが、ソクテとジョンナムの出会いによって、本作が最後どのように結末を迎えるかは誰しも想像がつく。つまり、ようやく悪は滅び、善行を積んで来たジョンナム一家に幸福がやって来る。それはそうなのだが、もう一ひねりある。それは誰しも予想のつかない展開で、そこまでやるかといった気がするが、視聴者を飽きさせないためにはとんでもない筋立てを考えるというのが現在の韓国ドラマ事情で、それだけ複雑な内容になって来ている。だが、複雑はいくつかの単純を絡み合わせたもので、本作もそのように考えるとわかりやすい。もうひとつのひねりは、法曹一家の真実だ。3代続くのはたいしたものだが、それだけに3代目は圧迫がある。ヒョヌはそれに耐えながら弁護士をしているが、ミュージカルを目指しているドゥリムと交際し、また結婚したいと思っていることを両親が知るや否や猛反対をする。そしてボブジンは気に入っていたスイムにまで冷たく接する。ところがスイムはドゥリムの父が無念の中で獄中自殺し、また自分の父親も同じようにボブジンの妻の兄ソクテによって財産を奪われたことを知るに及んで、ボブジンに挑戦状を叩きつける。なぜかと言えば、ドゥリムの父が刑務所に入った時の判決を下したのがボブジンで、そこにはソクテと裏取り引きがあったと推察したからだ。ボブジンまでが悪役であっても、韓国ドラマを見慣れた者は驚かない。いつも書くように、韓国ドラマは権力批判がとても多い。筆者はその点を好む。ボブジン一家は権力者の代表だ。自分の採決で人を無罪にも有罪にも出来る。そういう人物が仏のように公平であればよいが、画家ルオーが何度も描いたように、裁判官は自分が醜いことを自覚した方がよい。法曹一家の3代目のヒョヌがミュージカル俳優になりたかった夢をまだ諦めていないとの設定はとても面白い。そこには職業に卑賤はないという意識がある。しかし、現実の韓国では、あるいは日本でもどの国でも、判事や弁護士はミュージカル俳優を見下すだろう。知能が低い連中が携わる職業だという見方だ。そしてそういう傲慢さがやがて精神の腐敗を招く。そういう代表がボブジンかと思って見ていると、そこまで本作は権力風刺はしておらず、悪いのはただソクテひとりであったという結末にしている。つまり、渡米して大きな資産を築いたソクテは、最初の出発時に人を死に追いやるほどの悪事を働いていた。そういう金で大金持ちになってもいつか必ずぼろが出て、罰を受ける。韓国ドラマは勧善懲悪を旨としているから、ソクテの本性がわかった時点で視聴者は彼がどうなって行くかがわかる。ただし、本作はシリアスなタッチではなく、喜劇として見るべきで、後味のよさは最初から期待出来る。そのため、あれほど金の亡者で会ったソクテは獄中で改心し、よい笑顔になる。金より大事なものを知ったということだ。
さて、ヒョヌがなぜミュージカルに関心を持ったかについてのいわば説明のようなことが終盤になってわかる。ヒョヌは3代目には違いないが、ボブジンの実の息子ではなかった。そのことは最初の段階でそれとなく匂わせられる。ボブジンは妻と何か確執があるようで、それが何かはなかなか明らかにされないが、最後近くなってようやく知らされる。実はボブジンは無精子症で、父が孫をどうしても3代目として育つことを待望していることの重圧に耐えかね、精子バンクから精子をもらって妻に受精させる。そのことは長年ふたりの秘密であったが、ついにそれがみんなにわかる時がやって来る。ソクテが一時帰国したのは、妹の夫であるボブジンを国会議員に仕立てあげることが目的であった。そそのかされてボブジンはその気になるが、プライヴァシーがいろいろと世間に晒され、ヒョヌの血液型が親子としてはおかしいことがばれてしまう。国会議員になることを断念し、一方でスイムからは昔自分がドゥリムの父に不利なことをしたために獄中入りしたことを責められ、深酒を頻繁にするようになる。そしてある夜、ヒョヌの目の前で酔ったまま大通りによろけ出し、それをヒョヌが助けるが、代わりに大事故に巻き込まれて瀕死の重傷を負う。生死をさまよい、もはや助かる見込みは肝臓の生体移植しかないと言われるが、母親やソクテの血は適合せず、肝臓移植は望みうすとなる。ボブジン夫婦はかつて精子を提供してくれた男性なら適合するかもしれないと考え、知り合いの医師に頼んで調べると、精子の提供者がスイムの父ジョンナムであることがわかる。ジョンナムにすれば、ボブジンは友人を殺したも同然の憎い相手だ。そしてヒョヌとは血のつながった親子ではあるが、ただそれだけのことで、親としての実感はない。ところがジョンナムは家族全員に黙ったまま、肝臓の一部をヒョヌに譲ることにする。ドラマ終盤の主人公はジョンナムであるのも同然だが、彼こそは友人の娘をわが子同然に育て上げ、しかも憎い判事の息子ヒョヌに肝臓を無償で提供する聖人で、そこまで出来る人物があるかと視聴者に判断を迫る。だが、そういうジョンナムであったからこそ、獄中のソクテも改心し、またボブジン一家もジョンナムなその一家を見下げることをしなくなる。ジョンナムは全財産を奪われたため、冴えない仕事をしているという設定で、最初はクリーニング屋、そしてトッポキ屋を経営するが、それではとても判事一家とは家柄が釣り合わない。だが、社会的地位がないそういったいわば貧しい部類に属する人たちの方が人間的に温かく、人助けをするという描き方だ。現実はそうとばかりは言えない。貧しくて性悪な人物がいるし、金持ちで慈愛に満ちた人もある。筆者が面白いと思ったのは、ジョンナムの実の娘のスイムはいかにも弁護士が似合う理知的に見える女性が演じ、ドゥリムは日本で言うヤンキーのような顔立ちで、どちらかと言えば柄が悪く見えることだ。こうした配役は俳優の印象をよく心得て行なわれている。本作のメインの物語は以上のようなものだが、もうひとつの恋愛が描かれる。それは全くの喜劇で、学校の先生という存在をかなり風刺しているが、たいていの大人は学校の先生がどういう人種かは知っている。そして本作を見てまさにそうだと大笑いするだろう。韓国も日本と同じように、教師なる職業が聖職ではなく、かなりいい加減な人も混じっているのだろう。とはいえ、本作に登場する男性教師はいい加減な性格ではなく、その反対に、律儀で一途、言い換えれば融通が利かない。そう言う男性が二度離婚し、父親名が違うふたりの子持ちの女性と恋愛し、また妊娠させてしまう。つまり、女は子どもを3人得て、その3人の父親が全部違うということになるが、そういう女性は韓国でも日本でもいるだろう。漫画のような設定だが、そういう社会事情になって来ているということだ。最終回では主な登場人物全員がミュージカルのステージに立って、歌いながら踊る。ということは本作全体がひとつのミュージカルという考えで、常識では考えられないこともみな劇と考えればよい。すなわち、見ている間は楽しめばよく、細部の粗を探して安っぽいなどと言うのは的外れだ。以前見た『愛よ、愛』と俳優陣がかなりだぶるが、達者な役者を揃え、演技は見所がある。子役たちもうまい。