咄嗟に家内が「ばら」の漢字を書いてほしいと言った。退院して最初の筆者への質問だ。その花の写真を入院中の1週間、毎日投稿して来ただけに、どきりとした。家内は何を思い出したのだろうか。
紙と鉛筆を筆者に差し出すので、知りたい理由を訊かずに「薔薇」と間違わずに書いたところ、次に「ねずみ」はどう書くのかと訊く。それも書いたが、ほかの難しい漢字であれば書けなかったかもしれない。たとえば今日の投稿の題名の「ひび」だ。これは奇妙な言葉だ。語源はどういうものだろう。「ひび」はあちこちに見られるが、先ほど調べると、素材によって使う漢字が違うようで、そのことを初めて知った。漢字博士を目指すならばそんな漢字も知る必要があるが、それ以外では知っているとかえって嫌味で嫌われるだろう。難しい漢字をすらすらと書く人がたまにTVに登場するが、筆者にはどうでもよい。前にも書いたように、何事かに詳しい人は、ほかの専門には全く無知だ。そして、詳しいと自惚れていることでも高が知れている。先日書いた
「THE GOOD LIFE」という曲の歌詞には、知らないことを知ることはよき人生という下りがある。毎日目覚めると卵を割ったように新しい日が始まる。そう思えば毎日何か新しいことを知るべきで、人間は年齢を重ねるほどに「よき人生」が実って行く。ところが現実はさほどでもない。知らないことがあまりに多いことを知って知ろうとする気力がなくなるためか。あるいは、知っていたことを次々に忘れて行く病を抱えるためか。顔に皺が増え、手の甲の細かいひびが深くなるためか。はははは、「手の甲」という言葉が出たのは今日はベランダの手すりの黒のペンキ塗りを全部終えたからだ。もう3か月ほどになるだろうか、中途半端のままにしていたのがずっと気がかりで、家内の入院中に突如奮い立ってまた再開した。ところが退院が1週間も早く、家内の入院中に終えることが出来なかった。それでも好天でもあり、今日中に仕上げることにした。残っていたペンキでどうにかぎりぎり足りると思ったのが、そうではなく、ペンキを買いに走ることにした。渡月橋をわたって嵯峨に行くとホームセンターがあるが、今日は自治会のFさんの車で連れて行ってもらった樫原のホームセンターに行くことにした。たぶん距離が倍はある。5キロか6キロほどだろう。なぜ遠い方に行く気になったか。それは昨日書いた巨大は薔薇の造花を見るためだ。その店の前に行くと、70歳くらいの男性が薔薇の造花があった場所に立っていて、しかも筆者をいぶかしげに見るのでびっくりした。表でタバコを吸っていて、たまたま筆者と目が合ったのだ。また残念なことに店は休みであった。それで向かいにあるスーパーに入って買い物をした。それが済めば樫原まで行かずに家に戻って嵯峨のホームセンターを目指す方が早かったかもしれないが、筆者は後戻りがいやで、先へ先へと進む。千代原の五叉路の交差点を真っ直ぐ南にわたり、さらに南だ。もうそこは筆者がほとんど知らない地域で、何もかもが珍しい。千代原口交差点を下がって間もないところの左手に西京消防署があって、10人ほどの署員が作業をしていた。知っている顔がないかと思いながら走っていると、つい先日わが家にやって来た署員と目が合い、先に向こうが挨拶をした。筆者はサングラスをかけていたのに、すぐにわかったようだ。ホームセンターはたぶん向日市に入ったばかりのところにある。Fさんの車でおおよその距離は知っていたつもりだが、自転車ではかなり遠い気がした。だが、それは初めて自転車で行くからで、多少でも景色が見慣れた帰りは早く家に着いた気がした。
ペンキは最も小さな缶かその次の大きさのものでよかったのに、2000円程度のものしかなかった。それでは大半があまる。次に使うのは7,8年後かもっと後で、中身が固まってしまうかもしれない。塗り終わって刷毛を水で洗うとペンキが落ちない。油性を買ったのだ。水性がほしかったのに、それを確かめなかった。それでも薄め液があったので、それで洗い、ついでに右手も汚れもざっと落とした。ところがさっぱり落ちないのが、甲のあちこちにこびついたもので、それは先に使っていた水性の黒いペンキだ。水性であるから水で落ちるかと言えば、それではペンキではない。固まってしまうとシンナーでも落ちない。たわしで強く擦ると、皮膚まで一緒に剥がれそうで、自然に落ちるまで待たねばならない。軍手を嵌めて作業すればよかったと家内は言うが、それでは作業がしづらい。手の甲のあちこちにこびりついた黒ペンキを見ながら、筆者は思い出した。友禅の仕事をしている間は手が染料で汚れる。筆者に言わせれば手を汚すのが仕事することだ。パソコンのキーを叩くことは遊びだ。手を汚す仕事は賤しいとみなされて来て、職人は地位が低かったし、今もそうだ。偉い人ほど手を汚さない。そういう仕事を他者にさせる。筆者は染料で手を汚すことをこの2年ほどはしていないが、そのことをペンキで汚れた手を見て思い出した。手だけならいいが、筆者らしく、シャツまで汚した。それはさておき、手の甲を見つめていると、ペンキより気になるのが皺だ。干からびた地面のようになっている。筆者の手は子どものそれのように柔らかくてきれいと家内はよく触りながら言う。だが、それもちょっとした作業で年齢相応の様相を呈する。それもさておいて、「甲」は「ひび割れ」と関係がある漢字だ。何がひび割れるかと言えば、暗闇だ。朝が訪れようとする手前、暗闇に光が射し始めた様子を「甲」の文字が示している。鉄の甲も強い力でひび割れるが、「甲」は「ひび」と関係がある。ま、こんな話、誰も興味がないが、知らなかったことを知ることはよき生活だ。今思い出したが、「THE GOOD LIFE」の歌詞はフィル・スペクターの「TO KNOW HIMI IS TO LOVE HIM」の影響を受けているのではないか。「知ることを愛すること」は「哲学(PHILOSOPHY)」のことでもあって、話が大風呂敷になりそうだ。
さて、今日の3枚の写真は去年7月に瀬田で撮った。滋賀県近代美術館に徒歩で往復し、その途中で見かけた。いつもはバスで往復するが、その日は歩いてみたくなった。そしてその収穫があって、たくさんの写真を撮った。そのうちの一部が今日の3枚で、長らく投稿する機会がなかった。今日それを思い出したのは荒れた手の甲を見てのことだ。子どもの頃はもっと荒れたものだ。「あかぎれ」だが、それは栄養が足りなかったのか、寒かったからだろうか。今は「しもやけ」も少なくなったが、ストーヴをあまり使わない筆者は両耳にしもやけが毎年出来る。それを見て家内はみすぼらしいと言うが、女は見るところが違う。いくらいい服を着ていても、耳にしもやけが出来ていると生活ぶりがわかると言うのだろう。では道路のひび割れはどうか。先日松尾大社近くのコンビニの駐車場の中央に直径2メートル、底10センチほどの大きなひび割れを見かけた。鉄球を高いところから落としたのでなければ出来ないような陥没だ。どういう理由でそれが出来たのか知らないが、どのように補修するのだろう。そこだけ丸くアスファルトを埋めるしかないが、そうなればそこに新しい円形が生じ、筆者としてはそれを撮影して「○は○か」のシリーズに使わねばならない。それはいいとして、そのひび割れは生じさせたものが弁償すべきなのに、いつ出来たのかわからないかもしれない。それと同じではないが、今日の3枚のひび割れ写真もいつの間にか生じた。これは施工がまずかったからと思えるが、竣工後に検査で合格を出している以上、業者に責任は問えないかもしれない。だが、よく見ると、1,2枚目はひび割れを充填しているようだ。子ども時代、しもやけやあかぎれになった時、クリームを塗った。その商品名のひとつに「ももの花」があった。それをベトベトに手の甲に塗り、手袋を嵌めて寝たものだ。見えるところに出来たひび割れは修復しやすいが、心に出来たそれは治りにくい。相手があって心にひびが入った時、相手はそれを自分のせいとは認めず、あれこれと口実を並べる。それどころか、悪いのは自分ではないとも主張する。そしてひび割れを起こした関係はますますひどくなり、傷を受けた方はどうにも治しようがない。そんな時に「ももの花」代わりになるのは、筆者なら好きな音楽を聴いたり、好きな絵のことを考えたりすることで、またそれらは未知のものに遭遇して喜びをもたらす場合がいい。筆者は常にそういうものを探している。醜い人間の心を見たくないからだが、それを避けて生きて行くことは難しい。「THE GOOD LIFE」の歌詞には、心の痛みを味わうこともよき人生とある。結局誰しもよき人生を送ることになる。