佳き、良き、善き、好き。「よき」の漢字がいろいろとあって、それぞれ少しずつ意味が違って別の文脈に用いられるが、筆者はこのブログではほとんど「よき」と平仮名を使っている。さほど大きな意味はない。癖のようなものだ。
「良し悪し」も「よしあし」と書いているが、これは「良」のみ平仮名では格好がつきにくいからだ。それはさておき、今日は月末で思い出の曲を取り上げる日だ。このジャンルへの投稿は目下最もよく聴いている曲をなるべく取り上げている。そうでなければ気分が乗らないからだ。気分が乗らないとそのことは読み手に伝わる。そう考える筆者は毎日最も書きたいことを書くように務めている。それは生を肯定することでもあるだろう。つまり、こうしてブログを毎晩書くことは生への積極的な参与であって、活力を消費しつつも新たな活力を得ている。これは考えると不思議なことだ。エネルギーは消費すれば減るものだが、減ったままではない。減るとまた湧いて来る。それが生の精であり、生きている証拠だ。とはいえ、それもいつまでも続くかどうかは保証がない。老死する直前、それは死ぬ何日前か何か月前か人によりけりだが、もうその頃になると、減る方が圧倒的に多くなり、ついには湧く量がゼロになる。そういう人生が理想的だが、大部分の人は何らかの病気になって、まだ湧くべきエネルギーがあるのに、それを使い切らないままに死ぬ。それはそれで仕方がない。それで人生は無常と言われる。その無常さは小さな子どもでも感じるものだが、老境に入ると感じ方がまた違う。無常に抵抗もするが、それを受け入れなければならないことがわかっていて、無常を噛みしめることをどこかで楽しみ、生を実感する。さて、今日は家内の肺の腫瘍の手術があった。昨日は執刀医から家内と筆者は40分ほどの説明を受けた。5枚の同意書にサインし、また質問も許された。筆者が一番知りたかったのは、家内の肺の腫瘍が良性か悪性か、その確率だ。医師の答えは、この病院にやって来ること自体、良性の可能性は圧倒的に少ないとのことで、それを聞いて筆者も家内も腹をくくった。肺に図を示され、左の上から4分の1を削除すると言われ、その部分がボールペンで囲われた。肺を取り出すのにどうするのかと思っていると、左腋を縦に8センチであったか、切り開く。そして腹腔を覗くのに穴をふたつ開ける。手術は9時から午後1時までの4時間で、前後1時間ずつは麻酔その他の準備や後片づけと言われた。それで今日だ。手術室に入る姿を見届け、近くの待合室のソファで時間を過ごすことにした。従姉夫婦と東京から弟のお嫁さんが駆けつけてくれた。正午頃、従姉のケータイに電話が鳴った。看護師からで、手術が終わって別の部屋にいるので来てほしいとのこと。1時間早い。筆者が部屋に入ると、当初の予定と違って、切除した肺は見せられず、代わりに4枚1組の写真だ。執刀医の説明によれば、腋を開いて腫瘍の一部を採取しようとしたところ、膿が出て来た。それを調べると癌ではないことがわかった。それで腫瘍とその周囲を切り取るだけでよくなり、手術は1時間早く終わったとのこと。癌の可能性が9割と思っていたので、医師の説明が一瞬信じられなかった。家内は麻酔がまだかなり効いていて、声をかけても夢の中にいるような表情をした。ともかく、最悪の状態は免れた。まだ右肺内部の同じ大きさの腫瘍をどうするかという問題や、直腸にも腫瘍があるらしい心配があるが、それは快復してからの話だ。

家内の腫瘍が見つかった頃、筆者は今日取り上げるトニー・ベネットの「ザ・グッド・ライフ」を聴き始めた。もっと以前に実はニール・ハノンのカヴァー・ヴァージョンをYOUTUBEで知り、それを愛聴していた。ニールの声もいいが、翳りが強く、悲しい。北アイルランド出身であることがわかる。トニー・ベネットはイタリア系アメリカ人で、以前
「ムーン・リヴァー」を取り上げた時、そのシングル盤のB面は彼が歌う「霧のサンフランシスコ」で、肖像写真も印刷されていた。この曲は「思い出のサンフランシスコ」という邦題もあって、多くの歌手がカヴァーしていて、日本でも大ヒットした。1962年のことで、日本では当時ブレンダ・リーの人気が絶大で、彼女のカヴァーもラジオから流れていた気がする。日本では江利チエミがよく歌い、彼女の代表曲のような感じになった。トニー・ベネットの人気は日本ではシナトラほどではなかったが、過去形で書いてはまずい。ポール・マッカートニーを始め、現在の音楽シーンで超有名どころとデュエットしたアルバムを2枚出していて、80代でも健在だ。それは修練の賜物であって、一流のプロ意識の持ち主の代表と言ってよい。死ぬまで歌うという覚悟には、恥ずかしい声を聞かせられないという努力が裏打ちされている。若い頃に有名であったが、晩年は新作を出さず、忘れ去られたという歌手は大勢いるが、トニーはそんな大多数には入らない。日本で言えば人間国宝で、ミュージシャンにつきもののようなやくざや麻薬というイメージもない。そのことは彼の声からもわかる。イタリア的明るさにアメリカ的明るさがかけ合わされ、重厚な金色の輝きを放っている。それはまだアメリカが世界一の大国であった頃を思い出させ、いわば昭和レトロの味わいそのものと言えるが、改めて聴き直すと古さがない。そのことが不思議でならない。それは筆者が60年代にはビートルズなどのロックに夢中で、トニーのようなソロ歌手の曲をほとんど聴かなかったため、今聴くと新鮮に感じるということかもしれないが、そればかりが理由ではない。やはり古くないのだ。そう感じる理由が筆者にはよくわからない。作品は時代を刻印するもので、「霧のサンフランシスコ」には1962年の、そして今日取り上げる「ザ・グッド・ライフ」にはその翌年の匂いがまとわりついているはずだ。それは確かなのだが、その60年前の香りが、「古い」の一語で片づけられないことを思う。今の20歳が初めて聴いて、生まれる40年前の曲とわかるだろうか。何となく古いのはわかるとしても、そのことで興味を失うということがない。つまり、感動を与えるものは黴が生えたような古さを感じさせず、ぴかぴかに光って見える。そう考えると、60年前は今日であり、今日は60年後にもなって、人間は過去も未来も同じように受け止めることが出来る。つまり、今この瞬間は永遠で、生の充実を味わうことが出来る。どんなに苦しくても、生には価値があり、生きていればまた苦しみが和らぐ時がきっと来る。そのように人生を肯定的に思える瞬間は誰にもあるが、筆者はトニー・ベネットの「ザ・グッド・ライフ」を聴きながらそのことを思い続けていた。
家内が入院する1週間ほど前、1階の波動スピーカーでこの曲を何度も鳴らした。すると家内は入院する前夜にこの曲が耳奥で鳴り響いていると言った。それが目的で鳴らし続けたのではないが、家内の不安が和らぐのに役立てばいいと思った。だが家内は曲名も歌詞の意味も知らない。筆者が興味を持ったのは前述のようにニール・ハノンの歌による。それをさんざん聴きながら、曲名が「ザ・グッド・ライフ」であることはほとんど関心がなかった。ところが一旦それに気づくと、何となく家内の肺の腫瘍への思いと併置するようになった。つまり、家内の病気がわかるまでは意識はしなかったが、「よき生活」であったのだなと思い知った。人間は誰しもそういうものだ。幸福にはほとんど気づかない。それを失ってから意識する。そのことを日頃自覚していると、平凡な生活に感謝するようになるし、生へのエネルギーが湧いて来ることを感じる。さて、トニー・ベネットは「よき生活」をどのように歌い上げているのか。ニール・ハノンのヴァージョンをさんざん聴いている時から気になっていた言葉がある。それは最後に歌われる「グッドバイ」だ。「よき生活」について歌う曲の最後に「さよなら」とはどういうことか。そのどこか怖いような興味から歌詞を調べて訳してみた。2分15秒の曲で、歌詞に繰り返しはない。「Oh, the good life, full of fun(よき人生、楽しみに満ち) Seems to be the ideal(理想的に見える) Mm, the good life lets you hide(よき生活は隠してくれる) all the sadness you feel(どんな悲しみも) You won‘t really fall in love(君が恋に落ちたくないのは) For you can’t take the chance(そんな機会がないからと言う) So please be honest with yourself(でも自分に正直になってごらん) Don‘t try to fake romance(恋愛をごまかしては駄目) It’s the good life to be free(自由になることはよき生き方) And explore the unknown(知らないことを知ることもね) Like the heartaches when you learn(たとえば心の痛みを味わうことも) You must face them alone(でもひとりで耐えなければ) Please remember, I still want you(まだ君が必要だってことを忘れないで) And in case you wonder why(どうしてと思うなら) Well, just wake up(どうか目を覚まして) Kiss the good life, goodbye(よき人生、さようならにキスして)」。
単純なようでいて行間の読み取りが難しい。本当の恋愛を知らない相手に向かって、心の痛みを学ぶことも「よき人生」であると言っているが、その心の痛みとはこの曲を歌う人物が相手が振り向いてくれないことを指す。つまり、片思いの曲だが、自分の恋心を理解出来ないのであれば、目を覚まし、「よき人生」にキスをするようにと言っている。その「よき人生」とは先の言葉を受けて、「ひとり悲しみの孤独に耐えること」を意味していると考えてよい。そして問題なのはやはり最後の「グッドバイ」だ。これはどういう意味か。「よき人生」と「さよなら」の両方にキスをしてと、上では訳したが、では「さよならにキスをする」とはどういう意味か。これを「キスをしてさよならする」と解するのであれば、「よき人生」すなわち限定的な意味としては「ひとり悲しみの孤独に耐えること」に決別するという意味になる。つまり、この曲の歌い手の片思いの気持ちを理解し、相思相愛になるということだ。ごく短い歌詞であるのにこれほどに難解であるのは珍しい。だが、以上の解釈が正しいとは限らない。最後の「さよなら」に戻ると、それは片思いの歌い手が自分の恋心にさっぱり気づかない相手に向かって放っている別れの言葉とも考えられる。そう理解すると、相手に向かって、「ひとり悲しみの孤独に耐えること」をよくやく理解した時にはすでに自分はもういないのだと言っていることになる。だが、それでは「まだ君が必要だってことを忘れないで」の一行とは相入れない。やはり歌い手は相手が自分の片思いのさびしさを同じように味わってほしいと願っている。そうなって初めてふたりは「よき生活」を送ることが出来るという意味でもあるし、また「よき生活」とは「ひとり悲しみの孤独に耐えること」でもあるので、片思いであろうが相思相愛であろうが、「人生とはよきものである」という意味にも受け取ってよい。これは、歌い出しの部分を見ればよい。「よき人生」が楽しみに満ち溢れたものであることは万人が認めるが、それは理想であって、実際はその下に悲しみを隠している。その悲しみを自覚してこそ「よき人生」の本当の意味がわかるというのがこの曲の言いたいことだ。前述したように、人は普段は幸福をあまり意識しない。不幸が襲って初めて幸福のありがたさを思う。また、あたりまえのことながら、どのような人も悲しみを抱えており、それを覆いながら人生のよさを味わおうとしている。そんなことを改めて思い出させてくれる名曲ではないか。家内が退院すればまたこの曲を聴かせ、歌詞の意味を説いてやりたい。