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●斎宮行列、その2
舟と御舟のどちらが先に生まれたかが気になって今調べた。前者の川村曼舟が14年早生まれで、7年遅く死んでいる。ともかく同時代の日本画家だが、後者の方が圧倒的に人気がある。というより、前者はほとんど忘れ去られていて、筆者も画風が思い浮かばない。



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曼舟が住んでいた場所が嵐山にあることを去年知った。これも今調べると、10月27日で、当日は嵯峨の人形の家で郷土玩具の会の集まりがあって、それに初めて出席した。その帰り、同会の男女3名と一緒に曼舟が所有していた土地に建つ料理屋に行った。渡月橋より50メートル上流の左岸、桂川に面したところにあって、中庭を半ば囲む形で湯豆腐と蕎麦屋がある。湯豆腐屋は奥で、川に面したところに蕎麦屋があり、その2階からは嵐山の見事なパノラマが広がる。パンフレットを1部もらって来たが、今は探せない。その見開きに2階からのパノラマ写真が印刷される。それと同じ写真を撮るには窓に面したカウンター席に就き、しかも出来れば両側に客がひとりもいないことがよいが、それはなかなか難しい。せめてカウンター席が空いていればよいと思っても、人気店のようでそれもいつもかなえられるとは限らない。それでも運を天に任せて行ってみようと先日19日は考えた。去年は27日に行ったからほぼ1年ぶりだ。その間、家内にその店のことを言い、またその前を2,3回は歩いたのに、入らなかった。それが19日は家内の妹が久しぶりにわが家に来ると電話をして来た。めったにないことなので、めったにないことをしようと思って、その蕎麦屋に行くことにした。家内の誕生日であったからなおさらだ。家内の妹がやって来たのは、家内の肺に腫瘍が見つかったことを聞いたからで、入院する前に会っておこうと思ったようだ。家内の姉は3年ほど前に肝臓癌で70少しで亡くなったが、入院時に妹は何度も病院に見舞いに行ったようだ。同じ高槻に住んでいるうえ、暇もあったからだ。家内は仕事をしていたので、見舞いは二度しか行かなかった。そのどちらか忘れたが、筆者もついて行った。元気そうで、病院の玄関近くまでパジャマ姿の姉は見送ってくれた。それが最後になった。そういうことを家内の妹は思ったのだろう。実際、会える時に会っておくべきだ。半年ほど前、昔わが家によく遊びに来られたKさんは、京都岡崎で開催中の書の展覧会に1点出品していると案内はがきを送って来られた。あいにく日時のつごうがつかず、会期が終わってお詫びの返事を出した。するとすぐにまたはがきが届いたが、筆跡がそうとう弱っている。そして短い文面に驚いた。リンパの癌で書展を見に京都まで出られないとあった。その返事を出さず、またお宅を訪問することもないことがずっと気がかりで、昨夜はそのことをまた家内に話した。電話をかけてから行くのがよいと言われ、住所録を見ると、昔の電話番号しか記していない。二度訪問したことがあるので、さほど迷わずに1時間ほどあれば行くことが出来るが、自宅におられない可能性が大きい。そして昨夜はKさんの夢を見た。いや、Kさんは出て来ない。Kさんが亡くなったという長い奉書紙に印刷された手紙が届き、それを手にして筆者は泣き崩れ、それで目が覚めた。1年と言わず、半年でがらりと身の回りが変わる。去年の10月27日のことはよく覚えている。その1年後に家内の体に異変があるとはまさか夢にも思わなかった。だが、そういうものだ。家内に言わせると、気分よく山登りしていた人が突然の噴火で死ぬから、1分先のこともわからない。
●斎宮行列、その2_d0053294_233027.jpg

 斎宮行列を後目に渡月橋をわたり、蕎麦屋に行った。10名ほどの先客が庭の前にいた。若い女性店員が予約を書き込む用紙を2枚手にし、新たに入って来る客と応対して何人かを訊ねる。3人と伝えると、40分待ちとのこと。それで天龍寺境内を一巡することにし、川沿いを上流に向かった。突き当りを右に折れると宝厳院で、道沿いの囲った土地の五百羅漢の石像はかなり増えていた。ほとんどいっぱいで、その向かい側の宝厳院の中にも増え始めているのが見えた。時雨殿の前を通るとやがて天龍寺の境内で、そこを右に折れて蓮池の際の道を進むとすぐに渡月橋北の商店街で、人通りが多い。また右に折れて渡月橋の前まで行き、そこをまた右に折れると間もなく蕎麦屋で、この一巡に20分を要した。筆者ひとりならその半分だが、ゆっくりと歩いた。2時20分前で、まだ20分ほどある。待っている客は相変わらず10名ほどで、先とは顔ぶれが違う。40代の女性が玄関前でお互い写真を撮り合っている。それで一緒に写しましょうと言うと、連れがほかにもいると奥の湯豆腐屋の近くにいたふたりに声をかけた。4名の同じような雰囲気の女性が暖簾の前に勢揃いし、筆者は二度シャッターを切った。液晶画面を見ると、4人の顔の部分に白い小さな枠が表示された。ピントが合った証拠だ。2枚目は左端の女性にのみ四角い枠が出た。あまりうまく写っていないのだろう。カメラを返しながらどこから来たのかと訊くと、富山とのこと。遠方だが、嵐山の名前は日本中に轟いていることがわかる。筆者は地元の人間であることを言い、そして去年の台風18号の被害へと話が進んだ。2分ほど話した頃、店員が出て来て筆者らの席が確保出来たと言うが、運がよいことに2階が空いた。だが、パノラマの風景が見えるカウンター席は2名ずつしか座れないようにしているらしく、3人ではひとりがほかの席になるとのこと。筆者はひとりで座ることにし、家内と妹をカウンターのほぼ中央の席に座らせた。妹は昼を食べて来たので、あまり食は進まない。それで一番安い1600円のメニューにした。去年10月27日もそうであったが、その時は消費税が5パーセントで、もう少し安かったと思う。筆者は蕎麦好きではないし、また蕎麦の味がわからない。それでもその店は眺めがよく、一度は家内と一緒に入ろうと思っていた。その気になればいつでも可能なのに、それが1年も経ってしまった。満員で、みな観光客だろう。つまり一見さんだ。だが、窓からの眺めが特別によいし、出されるものはどれもおいしい。筆者はカウンター席に向かいつつ、部屋の左端で、渡月橋に最も近い場所だ。今日載せる4枚の写真はどれもその席から中腰になって撮った。最大ズームして撮影し、しかもトリミングした写真が混じるが、窓からどういう角度で渡月橋が見えるかはわかる。また家内らが座ったカウンター席は川により近く、左右の広がりは何倍も大きい。筆者のカメラでは4枚か5枚に分けて撮影しなければそのパノラマの景色は全部収められないだろう。筆者の右手には30代とおぼしきカップルが向かい合って座っていて、てんぷらつきの豪華なメニューを食べていた。ふたりは食べ終わるまでほとんどしゃべらず、女性は少し残した。そして女性が支払い伝票をつかんで立ったところ、結婚して何年も経つのだろう。そのふたりのさらに奥の4人座りのテーブルに去年10月27日に筆者と郷土玩具の会の3人が座った。その時同会に所属する若い女性のKさんが、カメラを店員にわたして4人が写り込むように撮ってもらった。その写真は早速その夜にKさんから送信されて来た。筆者はいいとして、他の3人がどう思うかわからないので、それをブログに載せることは控える。そうそう、それから1年、今月28日はいつものように心斎橋のとあるビルの一室で郷土玩具の会の例会がある。それに行くつもりをしていたのに、当日は家内は病院で検査だ。それにつき添わねばならない。そのことをKさんにメールで伝えようかと思いながら、悪いニュースは知らせない方がよいとの考えが勝る。
●斎宮行列、その2_d0053294_23303692.jpg

 筆者は家内の倍ほど食べる速度が速い。それでその日もそうなった。食べ終わると席を立って次の客に譲らねばならないが、家内らの後ろ姿を見ると、全部食べ終わるのにまだ10分はかかりそうだ。それで、ひとまず席を立って家内の背後に行くと、家内はお茶のお代わりがほしいと言い、店員に声をかけた。筆者も席に戻って新たに茶をもらった。窓の外を見ると、自治会に所属するOさんがこっちに向かって歩いて来る。その1メートル後ろに小柄で細身の奥さんが寄り添うようにしている。数か月前にも同じように前後に並んで歩いているとこを見かけた。その時は筆者と行き違い、奥さんの表情をしっかりと確認した。美人で、物静かな感じだ。Oさんは筆者と同年生まれだ。倉敷出身で、北海道や新潟など各地で生活し、京都で落ち着いた。仏壇を作っていると聞いたが、仏像であった。2週間ほど前、Oさんに用事があって家を訪れ、玄関前で20分ほど話した。Oさんとそのように話すようになったのは今年の3月の年度末総会がきっかけだ。お互い同じ自治会に長年住んでいるのに顔も知らなかった。物作りしている人とは筆者は話が合う。Oさんとはもっと仲よくなれると思っている。大柄なOさんは遠目にもよくわかる。それで蕎麦屋の2階からでもすぐにわかった。天気がとてもよい日曜日の午後、嵐山を散策する気になったようだ。筆者らが歩いたのと同じ道をたどって天龍寺境内に入るのではないか。後に就きしたがう奥さんは体全体から微笑んでいるのがわかった。大勢の観光客に混じって夫婦でぶらりと散歩するのは楽しい。Oさんは筆者が頭上から見下ろしていることに気づかず、そのまま窓のパノラマ風景の右端奥に消えて行った。そうそう、Oさん夫婦が店の前を通りがかる前に斎宮の行列が同じく右手に通り過ぎた。時間を計算すると、行列は30分ほど、嵐山公園で休憩した。それからまた渡月橋を嵯峨方面にわたり、そして桂川沿いを上流に向かって保津川下りの船着き場に設けられたテント下でまた集まるようだ。テントが3つほど並んでいるのを筆者ら3人は先ほど見たばかりだ。蕎麦屋の2階から行列を見下ろすのは年1回の機会だ。斎宮祭の存在を初めて知り、そしてその様子を間近に見て撮影することも出来た。数人の客がカウンター席の近くまでやって来て行列を撮影した。そのカメラはどれも小型でまた操作が簡単なようで、筆者は自分のボロ・カメラが多少恥ずかしくなった。というのは右手のカップルの男性がしきりに筆者のカメラを見ていたからだ。今時珍しい旧式のカメラと思ったのだろう。筆者はまた黒い牛を見ようとカメラをかまえて待ったが、2階から見下ろしても牛の全身は見えなかった。それほど暴走しないように両側を数人がしっかりと張りついていた。牛や馬を街中で見ることは京都でもめったにない。華やかな女官の列が過ぎ去ると、行列は終わりだ。人生の日々の行列も似たようなものだ。
●斎宮行列、その2_d0053294_2330325.jpg

by uuuzen | 2014-10-22 23:59 | ●新・嵐山だより
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